医師・スタンダップコメディアンとして活動するケン・チョン氏

ケン・チョン氏:フィッツ学長、ありがとうございます。フォーマン副長、教授各位、「テュレーン・ファミリー」のみなさん。そしてなにより2022年卒業生のみなさん、謹んで感謝いたします。

ピカード博士、バーガー将軍、そして伝説のメジャーリーグ選手ハンク・アーロンが、傑出した業績と社会への貢献を称えられ、名誉学位を授与されたことに対してもお祝いを申し上げます。

また、将来に渡り人々の記憶に残るであろうレデー博士(学生代表)に、今日このような場を設けていただき大いなる名誉と、晴れ舞台をご用意いただいた御礼を申し上げます。

ニューオーリンズに帰ることができてとてもうれしいです。ニューオーリンズは私のホームなので、まるで夢のようです。この街に戻れるとは長らく考えませんでしたし、このようなかたちでテュレーン大学にご招待いただけることも思い及びませんでした。

私がスタートを切ったのはまさにこの街です(チョン氏はニューオーリンズのオクスナー医療センターで医師として勤務していた)。ニューオーリンズは世界で一番すばらしい地で、大好きな街です。

ここに何年も住んでは気絶してきました。きっとそれが真実です。なぜなら、記憶がないからです。私と同様に、厳しい学業からやっと脱出できたテュレーン生のみなさんのために、このスピーチは録画されていますから、安心して寝てください。私はちっとも傷つきません。

(会場笑い)

「ニューオーリンズは私を『私』にしてくれた街」

私はデトロイト生まれでノースカロライナ育ちですが、社会人としての起点はニューオーリンズです。公私ともに成功したのはニューオーリンズのおかげで、ここでの経験がなければ今の私はありませんでした。

ここテュレーン医学大学院で研究を行い、オクスナー医療センターで医学研修を行いました。その後、スタンダップコメディやインプロブ(一定の「お約束」を踏まえた即興漫才)でデビューを果たし、何度も舞台を踏みました。インプロブ時代のグループ、「ブラウン」に感謝を伝えます。

1997年には、ニューオーリンズで全米ネットワークのドラマ『The Big Easy』に、みなさんもご存じ「変人ドクター」として出演し、全米映画俳優組合賞全米映画俳優組合に加入を果たしました。

テュレーン大学広報部長であり、一緒にスタンダップを始めた友人であるマイク・ストレッカーには、特別な感謝を捧げます。私のルーツはこの街に深く根差しています。マイク、全米に向けて伝えます。「ミスター・チャウが過去をばらしてやったぜ。愚か者め!」。

(会場拍手)

このように、ニューオーリンズは私を「私」にしてくれた街なのです。

「成功」の鍵を握るのは、才能でも運でもない

2022年の卒業生のみなさん。心からのお祝いの言葉を贈ります。なぜならみなさんは、この場に登壇した学長や学生代表など多くの人が語ったように、近年でも記憶にないほど大きな困難に直面した卒業生だからです。

2年生の時には、新型コロナウイルスのパンデミックが始まりましたね。コロナウイルス、ハリケーン、ロックダウンを体験し、オンライン授業をこなし、ワクチンを接種し、オミクロンba2変異株に晒され、あらゆる困難を経験して強くなりました。そして今、みなさんはようやくこの晴れ舞台を迎え、卒業します。

そんなみなさんには、すでに世に出て行く準備ができています。よくがんばりました。心から敬意を表します。おめでとうございます。

「成功の鍵は何ですか?」と、よく聞かれます。才能ですか? いいえ。運ですか? いいえ。賢さですか? いいえ。2022年卒業生のみなさんには、そっと教えます。成功への鍵は「粘り強さ」です。

かつてミシェル・オバマは言いました。「業績を残すための魔法なんてありません。必要なのは、努力と選択、そして粘り強さです」。

ビル・ブラッドリー上院議員はこう言いました。「野心は成功への道です。粘り強さという車に乗って到達できます」。

最も重要なことは、チャンバワンバが歌った歌詞にあります。「ぶん殴られて倒れ伏しても、俺はまた起き上がるんだ。そして阿呆みたいに踊る」。

(会場笑)

要するに、成功への鍵は粘り強さです。私は、ここニューオーリンズに住んでいる時に粘り強くあることを学びました。

落第、国家試験不合格……人生で起きた2つの大きな失敗

ところでフィッツ学長、あなたがDJだとは知りませんでしたよ(学長は、当卒業式でラップを披露した)。スティーヴ・アオキの向こうを張れるすご技でしたね。「粘り強い」で韻が踏めますね。「粘り強い学長、妹も同様、ツイスターで遊ぼう。私はやめたほうがよさそう、韻は苦手なよう」。

こんな下手なジョークを披露したのには、理由があります。こんなふうに自爆しても立ち直り、失敗を意に介さず粘り強く前進する実例を示したかったのです。頭を空っぽにして見られるよう、あとでライブストリームにアップロードしましょう。

スピーチに戻ります。なんだか酔っ払いのたわごとみたいですね。でも、今日は盛り上がるべき日ですから仕方ありませんね。

(会場歓声)

さて。これからお話しすることは、これまで人に語ったことはありません。ニューオーリンズ時代の私を知る人はほとんどいません。ここからはまじめな話をします。

私がニューオーリンズに来た時は、個人的な苦難の時期でした。当時はノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)の医学生で、デューク大学にも通いましたが、テュレーン大学に来た理由は燃え尽きたからでした。

医学部の成績は悪く、レデー博士とは違って落第寸前で、実際に私は落第しました。医師の国家試験では、第一次試験だけでなく二次でも落ちました。人生で2回も大きな失敗をしたのは初めてでした。

「医者になる素質がないかもしれない」と悩んだ時期

子どもの頃からずっと「失敗しないように。失敗した者は負け犬だから」と教えられてきました。こうした全国共通試験は文化的差別です。熱心に勉強しない人を差別するから、立派な犯罪です。

(会場笑い)

私は「自分には医学の道が向いていないかもしれない」と悩み、人生の岐路に立っていました。「医者になる素質がないかもしれない」と考え、自分が何者であるかを見つめ直すことにしました。

1年間休学し、テュレーン大学院の医学部で研究を行いました。当時の消化器科部門長であり、UNC医学部での私の指導教授でもあったロイ・オーランド医学博士の指導を仰ぎました。

オーランド博士は、テュレーン大学に赴任した際に、担当部門で研究するように私を招待してくれたのです。博士は私のキャリアの救いの神となりました。博士の研究室で働いた1年で、消化器​​病学の医学雑誌に論文が掲載され、UNC医学部の単位も取得することができたのですから。

粘り強く努力した結果、年度末にはニューオーリンズのシーザーズ・スーパードームで国家試験の一次と二次試験を再受験して合格し、医学部を卒業することができました。こうして、人生の2度目のチャンスを得たおかげで、私は軌道に戻ることができました。

ニューオーリンズが大好きになったので、ここに留まり、医師になるためにオクスナー医療センターで内科研修を受けました。すべては、オーランド博士とテュレーン医学大学が2度目のチャンスを与えてくれたからです。心からテュレーンに感謝します。

大きくブレークするきっかけになった出来事

ニューオーリンズでは、魔法のように新たな人生が展開しました。この街の素晴らしさと楽しさを目のあたりにしました。とても楽しかったです。週末には、バーボンストリートのカラオケ バー、「Cat's Meow」 で司会を務めました。

「あのまま勤めていればよかった」と後悔しています。卒業の贈り物として、みなさん全員にThe Killers の『Mr.Brightside』を順番に一晩中歌わせてあげられるからです。実はこの曲の人気には、いい加減うんざりしているんですけどね。とにかく、それくらい私はみなさんを愛しています。

ニューオーリンズは、医学だけではなく、スタンダップコメディやインプロブの技を磨き、これらへの愛を深めた地です。デューク大学のシアターで演技と演劇を始めたのがきっかけで大好きになり、ニューオーリンズでより深く研鑽しました。

今はない、いろいろな舞台で公演しました。ミッドシティの「Movie Pitchers」では、毎週土曜日の夜にインプロブグループの 「ブラウン」として数年間公演しました。人生で最も刺激的な時間でしたし、生涯の友人もできました。同時に、インプロブとスタンダップコメディの技を学びました。

ニューオーリンズには、厳密にはコメディ専用のクラブはありませんが、一夜限りの公演を方々で行いました。レイクショアドライブの「アンバージャック」、ビジネスディストリクトの「トゥルー・ブリュー・カフェ」、他にもメテリーやウェストバンクなどのあらゆる劇場で上演しました。ジャズを聴きたい酔っ払いには、絶えずやじられました。

最終的には、オーフィウムシアターで開催された 『Big Easy Laff Off』で優勝を果たしました。審査員は『Improvisation Comedy Club(フランチャイズのインプロブのコメディクラブ)』の創設者バド・フリードマンと、NBC の元社長である故ブランドン・ターティコフでした。これが、大きくブレークするきっかけとなりました。

「才能」は、使わなければ役に立たない

ハリウッドのインプロブの舞台に出演することになり、2年後にはロサンゼルスに引っ越しました。技は洗練され、肝っ玉は太く、コメディへの夢を粘り強く追求する覚悟は十分でした。つまりニューオーリンズのおかげで、私は粘り強く夢を追及し、医者とコメディアンの両立を果たしたのです。

私には双方の資質がありましたが、才能はただ持っていても意味がなく、使わなければ役に立ちません。ですから、2022年卒業生のみなさんはまず、自分が何者であるかを見い出してください。私がニューオーリンズでやっていたのは、まさにそれだけです。そして私が2つの職を大成できたのは、まさにニューオーリンズのおかげです。

結果としてコメディアンになった私が、なぜそんなにも医者になることにこだわったのか、疑問に思う人もいるでしょう。実はこれはとても大切なことです。道半ばで何かを放り出せば、別のことも完遂できないからです。私の場合は、(医者の道を諦めていたら)コメディアンとしても大成できなかったでしょう。

ハリウッドでは、他のどんな職業よりもはるかに多くの拒絶と失敗に見舞われました。私の最大の才能は、コメディアンとしてではなく粘り強さにあります。決して放り出さず、あきらめません。常に粘り続けます。

私はただの医者、もしくはただのコメディアンではありませんし、私のオーバーリアクションはうっとおしいだけではありません。何十年も続けた結果、世界に認められたうっとおしさです。私は私です。ここニューオーリンズで、自分が何者であるかを完全に自覚することができました。

「コメディか医学かを選ぶ必要はない」という研修指導医の言葉

オクスナーでの研修指導医は「コメディか医学かを選ぶ必要はない」と言ってくれました。彼は、私が両方の世界を融合させるだろうと言い当てました。この予見は、ABC の番組で、医師としての経験に基づいて生まれた『ドクター・ケン』として実現しました。支えてくれたのは、インプロブグループの親友の1人、マイク・オコネルです。

つまりニューオーリンズは、文字通り人生でもっとも充実したプロジェクトを支え、真の私を完成させてくれた地です。『ドクター・ケン』はニューオーリンズそのものであり、この地で学んだ粘り強さと研鑽との象徴なのです。

研鑽を怠らないでください。あきらめないでください。人生では、何が起こるかわかりません。私がやったことは、困難な時期に耐え抜き、経験を経て強くなっただけに過ぎません。そして、この性格は今日まで変わっていません。事実、私は今お話ししていることを現在進行形で実践しています。私の人生はこのスピーチそのものです。

昨夜の名誉学位受賞者の晩餐会には出席できませんでした。なぜなら、ロサンゼルスでテレビシリーズの撮影を行っていたからです。申し訳ありませんが、内容は明らかにはできません。(咳払いして)『The After Party』は Apple Plusで現在シーズン1が独占ストリーミング配信中です。

(会場笑)

とはいえ、私は是が非でも今朝までにはこの壇上に来ることを決めていました。実は徹夜でここまで飛行機に乗ってきたんですが、みなさんへのスピーチは絶対にお届けするつもりだったからです。粘り強くあり、決してあきらめないでください。帰りのフライトで爆睡すればよいのです。

人はなぜか「自分の成功」を阻もうとする

2022年の卒業生であるみなさん。自身の強みを見つけ、研鑽し、自分がしていることを愛し、決してあきらめないでください。世界は厳しく、たくさんの障害があります。

人はなぜか自分の成功を阻もうとする傾向にあります。そんな人をこれまでたくさん見てきました。みなさんは、決して自分自身の邪魔をしないでください。具体的には、粘り強く継続してください。

私を見てください。2度目のチャンスは必ずあります。私にできるなら、みなさんにもできます。みなさんは、自分なりのニューオーリンズを見つけてください。ニューオーリンズのことばかり言ってすみません。

客席の中には、こんなことを考えている人もいるかもしれません。「ヘイブラザー。俺は今まさにニューオーリンズにいて、ニューオーリンズの大学を卒業するところだ。ミスター・チャウ、自分自身のニューオーリンズを見つけろなんて意味がわからねえよ」。

教えてあげましょう。ヘイブラザー、あきらめてください。卒業式スピーチは、意味が不明でわけがわからないものなのです。

(会場笑)

話を戻しましょう。これからみなさんが生きていく上で、多くの障害があるでしょう。でも、つまずいてもあきらめないでください。自分の邪魔をしないでください。失敗を恐れないでください。マイケル・ジョーダンはかつて言いました。「これまで何度も失敗してきたが、それが私が成功した理由だ」。

「私にはコメディと医学の両方を全うする資質があるだろうか?」。ニューオーリンズは、私自身に対する疑問に見事に答えてくれました。「イエス」。

「これまでの人生でやってきたことは、すべて粘り強さの結果」

ニューオーリンズに来なかったら、常勤の医師になることも、ロサンゼルスで7年間勤務することも、医師でもある妻と出会うこともなかったでしょう。妻は、フルタイムのコメディアンになるよう背中を押してくれました。ホー、ありがとう。ホーというのは、妻の旧姓です。はい、検索しないでね。私は彼女に生涯捕まってしまいました。

(会場笑い)

新型コロナウイルスについての知見や、ワクチンやクリティカル・シンキングの重要性を知ることもなかったでしょう。社会は、みなさんのクリティカル・シンキングをこれまで以上に必要としています。

ニューオーリンズに来なかったら、私はコメディアンにはならなかったでしょう。『ハングオーバー!』シリーズや、『クレイジー・リッチ!』への出演もなかったでしょうし、ネットフリックスでの冠番組『ドクター・ケン』も存在しなかったでしょう。ニューオーリンズなしでは、すべてが無だったはずです。

私がこれまでの人生でやってきたことは、すべて粘り強さの結果です。みなさんもぜひ同じことをしてください。

私たちはみな、ニューオーリンズで教育を受けてきました。私も4年間ニューオーリンズに住んでいました。みなさんは、学んだことを研鑽し、特別な何かを生み出してください。そして、決してあきらめないでください。

2022年の卒業生のみなさん、ありがとうございます。ご卒業おめでとうございます。ミスター・チャウの言葉を借りてお祝い申し上げます。「やっちまえ、グリーンウェイブ(テュレーン大学の愛称)!」。