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『マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう』刊行記念トークセッション 社会課題とビジネスは、どのようにつなげられるのか?(全6記事)

社会を良くしたいからではなく、やらざるを得ないから動く さとなお氏流「自分ごとモチベーション」の3つの条件

苦手なことや障害、コンプレックスなど、「弱さ」を生かしたイノべーションを起こそうという「マイノリティデザイン」。その提唱者であり、現役コピーライターである澤田智洋氏の活動をまとめた、『マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう』の刊行記念トークセッションが開催されました。コミュニケーションディレクターの佐藤尚之氏と、「社会課題とビジネスは、どのようにつなげられるのか?」というテーマの対談。本記事では、佐藤氏が今まで取り組んできた震災支援やコミュニティ活動を通して考えたことを語りました。

個人個人の「弱い言葉」がもつ強さ

佐藤尚之氏(以下、佐藤):僕は電通で25年間クリエイティブ局にいました。コピーライター、CMプランナー、ネットのプランニング、ソーシャルのプランニング……。営業にもいたしイベントもやっていたので、ほぼ全部をやっているんだけど、大きな広告会社でもあまりそういうキャリアの人っていないんですよね。そういうこともあって、コミュニケーション全体を設計する仕事をやってきました。

今は復興庁に関わったり、あとで出てきますが「助けあいジャパン」といったこともやっています。電通時代で一番の代表作は何かと言われると、「スラムダンク1億冊感謝キャンペーン」かな。当時は新聞からネット、ネットからイベントといった遷移が、わりと新しめだったこともあると思います。

あと、「さとなお.com」という個人サイトを26年くらいやってます。『Yahoo! JAPAN』や『Google Japan』ができる前の1995年に始めて、あの頃はまだ個人サイトが100個くらいしかなかったんですよね。その頃に立ち上げた個人サイトが今でも残っているという意味では、日本では一番古いサイトのひとつかなと思います。

そこに書いてきたいろんなコンテンツやコーナーが10冊くらい本になっています。ネット上に書いたコラムが本になるのって、たぶん僕は日本で初めてぐらいだったんですかね。サイト上では食をずっと追っていて、食の本とか食の旅の本とかをずっと書いてきました。

本業では、本を5冊出していて。最初の3冊が“伝わらない時代にどうやって伝えていくか”という話なんですけど、いわゆる新規のお客さんを含めた広告やコミュニケーションの話を書いてきました。

そういうのをゴリゴリやってきた上で、今は「ファンベース」を提唱しています。去年の11月に発売した『ファンベースなひとたち』は、いろんな事例と共に漫画でわかりやすく、入門編っぽく書いたものですね。今はファンベースだけをやる「ファンベースカンパニー」という会社をやっています。

逆に言うと、さっきの広告業界の「強い・弱い」じゃないですけど、広告という「強い言葉」で情報を伝えていくことに限界はずっと感じていましたね。

かなり昔から自分で個人サイトをやっていて、毎日更新して毎日生活者とやりとりしていたということもあって、個人個人の「弱い言葉」がもつ強さ、みたいなものを自然と重要視していたのかもしれません。

人は「自分ごと」にならなければ、なかなか動かない

佐藤:今日のテーマは社会課題的なことですよね。僕は「社会課題」という言葉をあまり使わないな。よくわからないんですけど、今まで社会でずっと仕事をやってきて、ある程度自分の本業のスキルがあるわけですよね。例えばそれは「伝える」みたいな技術。

それはある種、社会からいただいたものでもあるので、それを還元する場を常に考えて……還元という言い方は失礼ですかね。偉そうかもしれませんけど、なにか使える場を常に考えています。

つまり、なんというか、社会課題というとなんか自分の外側にある客観的な何か、みたいなニュアンスになっちゃうんだけど、僕にとっては「自分ごと」に近かったかな。人は「自分ごと」にならなければ、なかなか動かないです。

「社会をよくしたい」というふわっとしたモチベーションとはちょっと違って、どこかで「これは僕がやらざるを得ないのではないか」みたいなかなり自分ごと的モチベーションがわりと大きくありますね。偉そうな意味じゃなくて。それと「僕がやるべきことはなんだろうな」という人生的モチベーションが重なって、意外といろんな活動をやってきたなと思います。

いくつか簡単にご紹介すると、ひとつは鳩山由紀夫さんという総理大臣が昔いた時に、たまたま何人かと一緒に飲みに行かせていただく機会があったんですね。別に僕は民主党の支持者でもなんでもないんですけど、ある方に誘われて。

総理大臣と飲めるなんて滅多にないわけですよ。なので、その時にペーパーを用意していって、酒の席で自主提案しました(笑)。僕はだいたい自主提案ばかりしている人生なんですけどね。

居酒屋だったんですけど、「ちょっとお時間いただいていいですか?」って言って。「自民党から民主党に政権が変わったのであれば、今までの密室政治のトップダウンから、総理大臣自らが人々がつながっているソーシャルメディアみたいなところに降りてくるような、新しいコミュニケーションをしませんか? 政治のコミュニケーションを変えませんか?」みたいなプレゼンをしました。くりかえしますが、別に民主党支持者ではありませんよ。

で、その場で「よし、やろう」という話になって、生まれて初めて政治に関わったというか。これはぜんぜん会社の仕事じゃなくて、ボランティアで。ボランティア的に他の方々もいっぱい引き入れて、政治のコミュニケーションのかたちをちょっと変えていこうと。

Twitterやブログを首相自らが発信する体制を作ったり、リアルな対話の場を作ったり、と、当時としてはとても新しかったと思います。ワールドカフェ的に総理官邸をカフェにして、課題を持った人たちが集まって首相と話し合ったりとか。この延長線上には、記者クラブ開放とかいろんなことを考えていたんですけど、鳩山さんがすぐ失脚してしまって(笑)、続かなかったんです。

「自分ごと」で始めた3.11の震災支援

佐藤:で、このちょっと後に、3.11が起こるわけですね。僕はあの大震災で、全部で6つくらい震災支援の団体を立ち上げたり参加したりしていました。なぜそんなにやっていたかというと、阪神淡路大震災での被災経験があったことと、ネットやソーシャルメディアに詳しかったということ。というか、広告という「伝える仕事」をずっとしていてスキルがある。

さらに、その鳩山政権時のボランティア協力のおかげで、内閣官房から信用され、つながりがあったんですね。だから民と官をつなげられる立場にもあった。そこまで行くと「これは......やらざるを得ないな」ということで、自分ごとモチベーションでやり始めて。

いくつかやったうちの中心的活動は、民と官が連携して正しい情報を発信するウェブサイト「助けあいジャパン」です。震災の翌日にメールをして、2日後に自主提案しに当時の官房長官のところに行って。民と官が連携した情報を官ではなく「民のサイト」に出す、というわりとあり得ない構造の提案だったのですが、まぁ非常時ということもあってすぐ通りました。

ソーシャルメディアって情報が出てくるのは速いんですけど、デマも入っているので、内閣府と連携して正しい情報をより分けてスピード感をもって発信していく、みたいなサイトです。最後のほうはかなり巨大なサイトになっていきました。情報支援としてはものすごく充実したサイトだったと思います。今も「助けあいジャパン」は続いていて、今はトイレを災害派遣できるようにいろいろ動いています。

あと、これは3月11日の当日に、ある人に「募金したいけど募金箱のマークになるようなデザインを作ってほしい」とツイッター上でオファーされたんです。そして作ったのが「Pray for Japan」のマークです。これはアートディレクターの森本千絵さんや石川淳哉さんと組んでやりました。

震災から1ヶ月後に、全世界に向けた“感謝広告”を出す

佐藤:これは「くらしのある家プロジェクト」というものですが、仮設住宅って殺風景でちょっと収容所みたいじゃないですか。街に色がないし、街路樹もない。そこで「アートで街(仮設住宅団地)に色を付けていこう」と、イラストレーターの黒田征太郎さんに仮設住宅に絵を描いていただいたんですけど、家々に絵を描いていくと街全体が美術館みたいになるので、まわりの住宅からも人が来るんですね。仮設住宅と周りのコミュニティが断絶していたんですけど、そこに人の交流が生まれたのも良かったな、と思います。

これは「MOJO」。モニタリングと除染を正しく知るプロジェクトですね。当たり前ですが、原発の事故を相当みなさん怖がっていて、デマも多かったんです。それで、「正しく知って正しく怖がろう」というコンセプトで、わかりやすく動画を作ったり、当時の原発担当大臣だった細野豪志さんに福島の主婦に直接会って説明していただくとか、いろいろやっていました。これも全部ボランティアです。

当時総理大臣だった菅直人さんに、「全世界からこんなにもたくさんの義援金をいただいたならば、3.11の1ヶ月後の4.11に“感謝広告”を全世界に出すべきじゃないですか」という自主提案もしましたね。これ、3月29日ぐらいに提案したんですよね。ちょっと遅すぎたかなぁと思いました。というか、たった2週間後に全世界に新聞広告を出すとかウルトラFレベルなんですけど、アートディレクターの徳田祐司さんとものすごい勢いで作って、電通の新聞局の力もあってなんとか間に合いました。全世界35ヶ国に感謝を伝える新聞広告です。

震災支援ではいろいろな経験をしたんですが、特に「コミュニティ」の大事さは身に沁みました。さとなおラボという広告コミュニケーションの私塾みたいなのをやっているんですが、今はその卒業生たちと「4th」というコミュニティ活動をしています。

アナフィラキシー・アレルギーというマイノリティ

佐藤:今日のテーマがマイノリティデザインなので、個人的なマイノリティ体験を少し話します。ずっと食や旅にかなり力を入れていて、本とか書いてきたし、今後その分野で生きていこうと思っているぐらい詳しくもあったんですけど。3年前の3月、突然アニサキス・アレルギーになって魚がまったく食べられなくなりました。アレルギーは花粉症も含めてひとつもなかったんですが、ある夜突然なってアナフィラキシーで死にかけました。

ほとんどの魚介類、生魚や焼き魚はもちろん、魚でとったダシもエキスも食べられなくなって、“食強者”だったのが、初めて“食弱者”になったんですね。魚やダシがダメということは和食はほぼ無理になりますし、日本は魚大国なので魚と出汁が食べられないのは本当に厳しい。旅の本を書くくらいは旅も好きだったのに旅も行けなくなります。日本の旅って魚を楽しむ旅でもあるんですよ。

まさに今、そのマイノリティをどうしようかというところで、Facebookで「アニサキス・アレルギー友の会」をやったり。本にもちょうど今書いていますし、一般社団法人も立ち上げようかなと。ずっと鬱的だったんだけど、3年経ってようやく立ち直り始めています。

コロナ禍では、何をやろうか難しかったんですが……「#応援させて」というプロジェクトをやりました。クラウドファンディングって、お店自らが立ち上げて「助けてください」って言うのってちょっとハードルが高いし、ネットに詳しくない店主も多いので難しいんですね。なので、ファンがクラファンを立ち上げて集まったお金はお店に入るという仕組みのクラファンをやりました。

あとは、書評を週刊誌に書いたり。バレエの評論とかもやったかな。

澤田智洋氏(以下、澤田):なんと、そうなんですか。

佐藤:バレエ好きなんです。あと、花火師の免許も持ってます。コロナ禍でのホットイシューでもありますが、「上手な医療のかかり方」という厚労省の懇談委員もやってます。

澤田:駆け抜けるのがもったいないぐらいのお話だったんですが。 

佐藤:いえいえ。とんでもないです。

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