大人が子どもを切り捨てる世の中を変えたかった

町井恵理氏(以下、町井):今回のテーマとしては社会起業家というキャリアというところなので、みなさんがキャリアをどう歩んできて、どういうターニングポイントがあったかというところを、5分ぐらいで少しお伺いしていければなと思っています。多少調整しますので(笑)。

安部敏樹氏(以下、安部):何を言います?

町井:キャリアです。ターニングポイント。

安部:キャリアという概念を考えたことがないからな。

町井:本当ですか。今のところにいく、ターニングポイントですね。どういうことがあったのか。

安部:いろいろありました。やっぱり一番のスタートは、僕は14歳でお母さんをバットで殴って殺しかけてるんです。そこが1つ目ですよね。すごく複雑な家庭に育ってまして、お父さんもその1年前には私の教育を放棄して出ていくみたいなね。これだけでも20分ぐらい話しちゃうので、割愛します。そこから家を出なきゃいけなくなってしまった。

そのあと家に帰れずという状態が3年~4年続いて、それこそ路上生活をした時期もあります。いろんな当事者としての時期があったんです。僕は横浜駅前ぐらいで、本当に周りの人が触れたくないような、グレた集団として存在してたわけです。

例えば隣にいた男の子、長袖を脱がないんですよね。そいつもむちゃくちゃケンカが強くて怖いんだけど、お父さんにタバコを押し付けられたりした、虐待の跡がけっこうあったりするので、それを見られるのが嫌だから長袖を脱がなかったとか。

あと、すぐ売春しちゃう女の子もいました。かわいい子だったんですけどね。そういう子とかも結局、実は家でお父さんにレイプされてました、という話があったりしました。見た目は怖いしろくでもなさそうだし、実際ろくでもないんです。僕も含めて、「世の中のくず」「底辺だ」という感じで、ずっと言われてたわけですよね。

学校の先生も救ってくれるわけじゃないし、家庭が救ってくれるわけでもなくて、町のサラリーマンが見下した目で歩いていく中で、「違うだろ!」と思ってたわけですよ。「え、俺らのせいなの!?」と思った。「どうみても大人のせいじゃね? これ、俺らの責任なの?」と。僕(自身)はギリギリちょっと、自己責任なところもあった気がするんですけどね。周りのやつ見てたらそいつらのせいじゃないだろ、って。

町井:でも、そこから考えたから今の事業がある。

安部:もちろん、もちろん。そうだし、周りにいたやつらが、社会のくずとして扱われてるのがすごい許せなかった。大人が子どもを切り捨てるようなそんなやり方じゃだめだろと思ったし、一見冷たく見える大人たちをいかに変えるかをずっと考えた結果が、今の事業(社会の無関心を打破する事業「リディラバ」)だったと。

バットを振り回しても社会そのものにはあまり勝てないことがよくわかったので、そういうことをやるよりも事業という形でやればいいなというのが、もともと経緯としてはありました。

なので、僕は就職もしたことがないわけですね。大学3年の時に、今の活動をボランティアで始めて、活動が大きくなってきたので事業にして、今の社員なども雇ってやっています。「仕事」という概念を先行で考えてやったことがないから、キャリアと言われるとなかなか難しいところがあります。

「貧乏では人は死なない」という実感と根拠

町井:それを本当に事業にできたところも、すごいポイントだと思います。そのあたりは?

安部:マインドセットの部分でいうと、私はもともとオーストラリアとギリシャで5年ぐらいマグロ漁船に乗っていたんです。私はマグロを素手で捕れるんですよ。

(会場笑)

安部:いやいやいや、本当にね?(笑)。本当に。

町井:小さなやつ?

安部:(両手を広げて)そんなんじゃない(笑)。大きいと300キロとかですよ。こんなのじゃないですから。300キロとかいくと、水中銃を使わなきゃいけないんです。

そういう仕事をやっていたので、まずベースとしては、最後はマグロの仕事をしていけるだろうと。自分の体でなんとか稼げそうという根拠ですよね。昔から貧乏に慣れていたから、貧乏であることって別にそんなに怖くないなと思ってたし、それで死なないこともよく知っていた。

基本的に事業もなんでもそうですが、死を前提としない戦いというのは、諦めなきゃ必ず勝つんですよ。例えば戦いをする、ケンカをするときに、一番怖いやつがどういうやつかわかります? 腕がある、腕力があるとか、いい武器を持ってるとかじゃないんすよ。

相手を殺そうとするやつが一番怖いんです。それって結局、その意志を止められない人って、相手の息の根を止める以外、止めようがないじゃないですか。これは例えが正しいかわからないけど、物事はなんでもそういうものだと思うんですよね。

ある種の背水の陣みたいな前提をもって挑むことが、実は社会的なテーマを起点とした事業においては、最もストロングポイントになると思っています。もちろんテクニカルに事業にどうしていくべきかという話でいうと、それはやっぱり、いっぱい工夫が必要ですよね。

例えば僕らって「社会課題をみんな知ってくれ」と思っていると。ここにいるみなさんは、もしかしたら「すごく大事だ」と思うかもしれないけれど、別にみなさんの会社で、それに100万円、200万円を払うロジックはないじゃないですか。

あるいは中高生の教育をやっている先生が、「よーし、時間を取って他の教科を抑えて(研修に)行かせよう」とはなかなかならないと思うんですね。やっぱり顧客の財布から金を取るためには、彼らの文脈に沿った中で、社会課題はどういう意義付けをされるのかということを、丁寧に整理して論理づけて説明していかなきゃいけない。

そのロジックに合わせた形で、当然納品しなきゃいけないんです。そこは事業化するフェーズでは、一個一個工夫はしていかなきゃいけなかった。だから、その手前で逃げないと決めてやるしかないので、そこは大前提としてあるような気がしますね。

原体験だけでは、数十年事業を続けるモチベーションにならない

町井:なるほど。原体験がやっぱり一番大きいですね。

安部:僕の場合はそうだけど、今は別にその原体験はストーリーとしてみなさんに言っているだけで、そこは必須じゃないと思う。もっと言うと、「原体験ハラスメント」って私は呼んでるんです。

町井:そうですね。確かに。

安部:「あなたの原体験はなんだ?」と聞いてくるじゃないですか。「うるせぇ」と思いません?

町井:(笑)。

(会場笑)

安部:そんな原体験があるかどうかなんか、わからない。実際に続けてるやつは、原体験だけで20年も30年も続けられないんですよ。

町井:いや、まさにそうですね。

安部:僕は今の仕事は、やっぱりいい仲間とおもしろい仕事ができていることにモチベーションがあるし、未来にわくわくするから(仕事を)してるわけです。原体験が今の31歳の私を支えてるわけじゃない。だからぜんぜん、原体験とかなくて大丈夫ですから。あんなのストーリーです。

町井:そうなんですよね。原体験って意外に伝わりやすいというか、だから私もいろんな取材を受けても、やっぱりそこだけが切り取られちゃうんですよね。

安部:そうなんですよ。

町井:やっぱり広報って、伝わりやすいからそこだけを伝えていく。もちろんそれがターニングポイントの1つではあるんですけど、私もそのあとを積み上げていく方がいかに重要かと思います。まさに言っていただいたとおりだと思います。

安部:そうなんですよねー。周囲から見ると、わかりやすい原体験がある方が、自分の時間やお金を乗せやすいからという話だけでしかないんです。原体験はなくて大丈夫ですから。はい。

町井:(笑)。ありがとうございます。はい。5分過ぎましたので、次へどうぞ。

起業家は「ありがとう」が一番もらえる仕事

小尾勝吉氏(以下、小尾):いや、本当にそうだなと思います。思いや力が道を拓くと思うんですけど、じゃあ、思いの力を持っているからといって全員が道を拓けるかというと、やっぱり道が拓けない人もたくさんいる。経済合理性を求めている人のほうが、ボーンといっちゃったりするというケースもあるわけです。

「思いの力」×「X」がやっぱり必要。「X」はたぶん他にいろいろあると思うんですけどね。その「X」がグロービスなのかわかりませんけれども、たぶん「思い」×「なにか」が必要なのかなと、今聞いてて思いました。

私の経験でいうと、私はサラリーマンの父親と、専業主婦の母親と弟と4人家族で、もう本当にごく一般的な家庭でした。夏はプールに行って、海に行って、冬はスキーに行ってね。本当に家族愛があふれる家庭ですよ。

ただ、小学校4年生の時に両親のケンカがひどくなりましてね。「これは一体何なんだ。これまで起こってきたあの家族愛は何だ」と思いました。「自分が一体何のために生まれてきたんだ」という、自分の中の心の叫びですね。

それが今もやっぱり止まらないというか、それ以来ずーっと探しているというのが、僕の原体験です。たぶんそういうことがあったから、良いストーリーを、人生を描いていきたいなと思っているんだとも思うんです。

高校に行って、両親が離婚をし、大学に行って留年もしました。アジアをバックパッカーで回ったり、「一体何のために人生はあるんだ」という問いを自分でずーっとしていましたね。

アルバイトでもいろんな仕事をしました。それでやっぱり思ったのが、仕事の種類じゃなくて、本当に近い人から「ありがとう」という言葉に包まれるのが幸せなんだと自分では定義しました。それで、起業家になろうと。それ(ありがとう)が一番集められる生き方が起業家なんじゃないかと思っていたわけです。

こう言うときれいなストーリーに見えるんですが、その前に、やっぱり両親のケンカの時にいつも聞いていた音楽が、尾崎豊ですね。あ、通じてよかったな。尾崎豊の『15の夜』! 本当に盗んだバイクで走り出したことはないけどね。

(会場笑)

気持ち的にはそういう気持ちですよね。「自由になりたい!」という、あの気持ち。なので、大学を卒業してから就職せずにミュージシャンになったんですよ。ミュージシャンになって1年間は、インディーズで修行をしていました。

当然売れなくて、みんなを見返してやりたいという気持ちもあって、経営者になろうという不純な気持ちが混ざって、今がある。やっぱりそういうきれいなものだけじゃなくって今があると、すごく思います。

母が残した「悔いのない人生を生きろ」という言葉

小尾:そんな母親が、母子家庭になったときに亡くなって、本当に介護状態で震えるように亡くなっていったんですね。そのときに「自分のせいだ」と思ったんです。「自分が真面目に人生を生きていれば、こんなことにならなかった」と悔やんだと同時に、母親が最後に「私の人生に悔いはないから、あなたもそのような人生を生きろ」と言ったんですよね。これはすごいと。そういう人生を生きたら最高だなと思って、今もそういういろんな言葉が自分を勇気づけているような気がします。

なので、「生まれてきた意味って何だろう」と思っていた自分が「生まれてきた意味って何?」と悩んでいる人たちと共に、安らかな最期を迎えられる世界を作ることが、僕が今やりたいなと思っていることです。

なので、障害者の方が自分よりも弱い人たちを目の前にしたときに、「おじいちゃん、おばあちゃん、大丈夫?」といきなり元気になって助ける姿とかですね。障害者の方は物に向き合う仕事が多いんですね。「ありがとう」と言われないですよ。「ありがとう」と言われる人生がやっぱり一番幸せじゃないですか。

なので、物に向き合うんじゃなくて、人に向き合う仕事で、彼らがそういうもの(ありがとうと言われる喜び)をやっぱり感じて。その逆のバージョンで、高齢者の方も障害者の方を見たときに「ほら、お前。掃除の仕方はちゃんとホウキを持ってな」とか言って指導するわけですね。「あれ、(おじいちゃん)歩けなかったよね!?」みたいな現象が起こる。

そのおじいちゃんたちがいつかは亡くなっていくと。そして、みんなで見送っていく。無言のメッセージで、人生は必ず有限なんだと。亡くなる時がくるんだというメッセージを彼らや僕たち職員が受け取って、「おじいちゃん、ありがとう」と。村づくりを通じて、「俺らもしっかり生きるよ」という世界を作っているのが、僕のストーリーですかね。

町井:ストーリー、ありがとうございます。すごく良い「悔いのない人生だ」と、「あなたも悔いのない人生を」。いい言葉ですね。