私たちは寛容を重視すべき

バラク・オバマ氏:ヨーロッパでは、民主主義を享受した旧ソビエトとそれ以外でははっきり差が表れています。ウクライナのデモは、他国に課せられたものではありません。リーダーシップに空きがあり、ほかに頼るものはなかったからです。よりリベラルで民主的なバルト三国やポーランドの生活が向上したのを見て変化を求めたのです。

民主主義を信じるものは、強く発信しなければならない。なぜなら、事実と歴史は私たちの側にあるからです。民主主義に欠陥がないという意味ではありません。民主主義を苦しめるものを解決する方法は私たちの国民との偉大な約束です。

確かに、アメリカでは政治にお金が関わり過ぎています。パートナーシップ、市民の関わりの少なさは法律のパッチワークによる投票の難しさも原因の1つです。

ヨーロッパでは、ベルギーが国家政策に揉まれ孤立しています。中央では、民主主義は市民の参加によるボトムアップであり、専門家のトップダウンではないということを決定者が忘れるということがあります。そして問題が生まれます。民主政治のリーダーが海外で例を作るように、国内でもより一層邁進していかなければなりません。

それ以上に、すべての国は政府を組織します。それは歴史、地理状況、現地人の信念によって知恵付けられます。伝統的な社会は私の国の多様性より、団結と一貫性を重んじると私は考えます。それは当時は過激な考えであり、個人の自由は神に与えられたというものでした。

しかしそれは、アジア、アフリカ、中東の人が各自の人生を形成する判断が否定される独断的ルールを推奨していいという意味ではありません。精神は普遍です。もし願望という普遍を疑うのなら、自分の人生をコントロールする機会、そして自由と尊厳を求める若者の声を聞いてみてください。

これらは私たちがすべき3つ目のことに導きます。原理主義、人種差別、現代思想とは相容れない自文化中心、これらのいかなるかたちも否定しなければならない。人権をリスペクトした結果得た寛容を重視すべきなのです。

壁を建てて守るには、世界は小さすぎる

世界の一体化が文化の衝突を生むのは自明の理なのです。貿易、移住、インターネット、これらはアイデンティティへの挑戦となります。女性が肌を隠すことを選択した時、リベラルな社会が反対意見を唱えるのが見えます。預言者ムハンマドを戯画化する西洋の新聞の漫画に反応するプロテストが見えます。

帝国の時代を過ぎた世界では、ロシアが栄光を失ったのが見えます。アジアは歴史の批判で争っています。そしてヨーロッパとアメリカでは、移民や地勢、外見の違う人が国を貶めるという状況と戦っています。

これらの力に対する簡単な答えというのはありません。そして自分の文化、宗教、民族、国民性を引き継いだ人々も尊敬しなければなりません。

ほかの支配やその人間性を奪うことにアイデンティティーを保持する願望が取って代わるなら、その進歩は不可能です。自分の宗教がほかの信仰の迫害し、同性愛者を暴行し牢屋に入れたり、女の子を学校に行かせなかったり、民族や人種の基本を差別したりということがあると、市民の脆い絆はほつれてしまいます。

世界は小さく、私たちはそこに一緒に存在しています。古い考えも見えてしまうほどです。

中東の広い範囲での考え方を見てみましょう。多くの腐敗は、リーダーがプログラムや政策ではなく、反対意見を迫害したり宗派を批判したり、信仰の濫用が見られるようなモスクだけを公共の場にしたりすることによって整合性を求めた結果に生まれています。これらは長く積みかさなり、シリアの悲劇的市民戦争と旧式な悪であるISILを活性化させています。

今存在している派閥、極論、放血、報復という考え方はすぐに元には戻らないでしょう。外部の力では民族や宗教のコミュニティの共存に働きかけるのは、正直不可能にも思えます。これらの紛争の性質に正直になり、国際コミュニティは、破壊以外を模索する者のために活動し続けなければならないと考えます。

そこには軍も関係しています。ISILのような、団結して止まらない破壊のネットワークは、人命にかけらの尊敬もありません。また、軍事的勝利が明確ではないシリアのような場所で、暴力を止めるために外交し、必要ある者を助け、政治的安定を追求する者を助ける必要があり、そうして尊厳を受けない人たちを見ることができるのです。

地域の諍いを超え、共通の人間性を認め、混乱を生む代理戦争を終わらせることを追求しなければいけません。こういった共存に対する基本的な答えがなければ、極論の火の粉は燃え続け、とくにその土地の数え切れない人類が苦しみ、そして極論は海を越えて広がってしまいます。壁を建てて守るには、世界は小さすぎるのです。

中東での出来事は、私たちにとっても真実です。確実に、不寛容ではなく科学や数学を教えながらも、宗教の尊厳は保てます。政治経済に女性の役割を与えながらも、独自の伝統は確実に守れます。コミュニティへの平等な扱いを認識しつつ同盟を気付くことは確実にできます。ミャンマーでもブルンジでもアメリカの人種的マイノリティでさえもです。

そして確実に、イスラエルとパレスチナはよりよい関係になれます。パレスチナが刺激をやめてイスラエルの正当性を理解し、イスラエルがパレスチナの土地を占領するのをやめればそれは可能です。他人を批判するためのアイデンティティ確立ではなく、リーダーが抑えるようにみんながうまくやるべきなのです。

国際協力にコミットし続ける

そしてこれは4つ目、最後に必要なことに関係します。国の責任と権利に基づいた国際協力にコミットし続けるということです。

アメリカの大統領として、ほとんどの人類の歴史にとって力は一極ではないということはわかっています。冷戦の終わりにより、これは忘れさせられたかもしれません。大統領をやっていて気づいたのですが、当時は敵も味方も、すべての問題はワシントンで生まれたか、解決されると思っていました。ワシントンではそれが過ぎたかもしれませんが(笑)。

(会場笑)

人類史上、アメリカは稀なスーパーパワーを持ってきました。「自分の狭い考えでいない限りは」ということでもあります。過去25年での失敗で、時には大きな犠牲も払い、繁栄してきました。その結果として、今ではよいかたちで力になったと考えています。

仲間を助け、弱きを助ける。人権を守り、他人の訴求も歓迎する。私たちには国際法と制度という制約があります。間違いがあれば、認識しようとします。貧困、飢餓、病気を抑えるため、国を超えて取り組みます。

私はこれを誇りに思います。そしてこれは1人ではできないのです。今世紀にまだ困難があるとするなら、なおのこと国際的な余力を作るべきです。核のない世界を追求し核拡散防止につとめない限り、核戦争の可能性から逃れることはできません。

イランが核開発抑制に合意した時、世界の安全性は高まり、他国とより協力できるようになりました。しかしながら北朝鮮はテストし、世界を驚異にもたらしています。このルールを破るいかなる国も、結果が付きまといます。そしてアメリカのような、それらの武器を保有する国は、そのストックを減らし、テストはしないという基本的規範を再確認するという特有の責任があります。

協力なしではジカのような病気とは戦えません。蚊は国境を気にしませんから。エボラの時のような、継続的で喫緊の対応、公共医療システムの強化、治療に投資し、病気の原因を減らし、貧困国の医療システムのインフラを整えることが必須です。

持続可能な発展が書類上だけでなく実現して初めて、極端な貧困をなくすことができます。この世の機会の基礎である子供、もちろん女の子にも届く教育、そして飢餓を恵むという力が人間には与えられています。私たちは、その受け手のいるところにお金を向けなければいけません。

争いを協力に変えて、私の国のような強力な国家が抑制を認めなければ、このような制度の資金の約束が果たされません。

長い目で見て、ちょっとした自由を諦め、というのも自分だけを守り自分の関心だけを追求するのを諦めつつも国際法に則る、これがあって初めて私たちの安全が高まります。そしてそれは私の国だけに言えることではありません。

ロシアが近隣国に介入し続けることは自国では評判がいいかもしれませんが、愛国主義に油を注ぎ、結果、国境の安全性は低下して不安定になります。南シナ海では、岩と珊瑚だけの武装より、法による平和的解決の方が大きな安定をもたらします。 

私たちはみな、国際法の一員です。自分が属する制度の成功に投資するのも自分自身です。ちゃんと取り組めばそれは可能ということを、多くの国家が証明できていることは幸運なことなのです。

みなが神の協力者

過去数年の私たちの達成を考えてみてください。私たちはともに、国連のために5万の軍を動かしました。素早く、より整備され、緊急事態に備えやすくなりました。OGPも設立しました。それにより、透明性が世界中の人々を力づけることができます。そして今、帰宅を求める難民を助けるべく心を開くべきです。

この会合での、より大きい協力の請願を歓迎すべきです。政治が難しくとも、これはやっていくべきなのです。なぜなら、自分になんの非もなく愛するものもすべてを手放した無実の男性や女性には、私たちが持つべき同情の目があるからです。言葉のないものには、これが自分の家族だったらという想像が必要なのです。

それらを理解する必要があります。そして最終的に、助けが必要な者や難民を負担する国を助ける準備ができた時、私たちの世界の安全の安全は向上します。

今、多くの国が正しいことをしています。とくに国土と利益に恵まれた国です。しかしまだできます。たとえ、移住した難民が、彼らに家を与えているその国やコミュニティに適応すべくもっと頑張らないといけなくてもです。

こうまとめさせてください。歴史が語るのは、今日話したこととは違うことだと認識しています。私たちが対応すべきもっと暗くて皮肉な部分があります。人間は欲望や力に動機付けられてしまいます。歴史のほとんどで、大国は小国を圧政します。部族や民族はたびたび、団結ではなく憎しむもので自己を認識します。

幾度となく、やっと啓蒙の時代に突入したと信じるものの、同じ苦しみをまた繰り返します。おそらくそれが運命なのでしょう。世界大戦を繰り返した個々の人類の選択を思い出す必要があります。

しかしそれと同時に、国連を生んだ人類の選択も思い出すべきです。そのような戦争が二度と起こらないために。各々がリーダーとして、最悪の衝動を持つものを拒絶し、ベストを提供するものを奨励すべきです。よりよい歴史を築くために。

キング牧師は刑務所のなかでこう書きました。「人類の進歩は必然などではない。神の協力者になろうとする絶え間ない努力の果てに叶う」。

この8年で、私はいろいろな国へ行きました。そして若者たちのそんな努力をみました。より教養と寛容があり、協調と多様性があり、私たちの世代よりもクリエイティブで、より仲間の人類と共感できる人たちです。いくつかは若さの理想から来たものですが、ほかの人や場所の情報への若者のアクセス、地球のほかのエリアの人類とつながるというおもしろい未来への理解によるものでもあります。 

エボラと戦うボランティアとして世界中からやってきた何千人ものヘルスケア労働者を思います。キューバで新しくビジネスを始める若い事業家も覚えています。ミャンマーで数年前まで政治犯だった議会人も覚えています。アフガニスタンで学校に行くだけで恥や暴力を耐えていた女の子たちについて考えます。ISILのような極端な組織を否定すべくオンラインプログラムを始めた大学生もです。

かつて古い慣習に縛られても、すべきことを行える若いアメリカ人、活動家、戦士、新たな市民といった、再び国を立ち直らせる人たちの力を感じます。

私自身の家族も、さまざまな世界の信仰や文化を受け継いでいます。それはアメリカの多くの家庭でも同じです。この国の大統領として、他を押しのけて定義されることではなく、他を高めることがアイデンティティだと学びました。反対することによってではなく、自由を信じ、平等と正義を信じ、フェアであることによってなのです。

こうした規範を尊重することは自分のプライドや、アメリカへの愛を弱めることはないのです。むしろ強くします。どこでも通じるこの考えですが、これは自分のような人を助け、自分のように祈り、国家に誓うということを弱めはしません。これらへの信念は、モラルの想像力を広げ、自分は自国の人々のために尽くす、自分の娘たちの世話をする、人々と子供、そしてあなたの息子や娘のために正しい行動をとるということをなお促進するのです。

私が信じることはこうです。みなが神の協力者である。リーダーシップと政府、そして国連はこの真実を余すことなく反映するのです。ありがとうございました。