自分が幸運であったことを自覚し、他者を想像すること

バラク・オバマ大統領:次に、私たちがそれぞれ、自分自身の美や独自性、黒人の多様性を受け入れていても、我々アフリカ系アメリカ人をつなぐ絆は覚えていてください。それはかつての特別な不公正や不正義、苦しみに気づくことでもあります。人生を夢遊病者のように過ごすことではありません。歴史は無視できないのです。

与えられた当然の権利として世界と接することはできません。「裕福な社会でどうしてこのようなことが起こるのだろうか」と問うことなしに、ホームレスのそばを通ることはできません。「どうしてこの少年は子供時代からほかの選択肢がなかったのか」と問わずに、下層の麻薬売買人を刑務所に入れることはできません。

私たちには、私たちと同様に才能もあり賢い従兄弟や叔父さん、そして兄弟、姉妹たちがいます。しかし、そのなかでも、不公正で正義のない構造から落ちてしまう人たちがいるのです。世界のあり方に疑問を持つだけでなく、たまたま幸運でなかったアフリカ系アメリカ人のために立ち上がらなければなりません。というのは、みなさんが恵まれているのはよく勉強したからですが、それだけでなく、たまたま幸運であったからなのです。

しばしば私が疑問に思うことなのですが、成功してきた人は、彼らが幸運であったことに気づきません。それは神が祝福したことであって、みなさんがしたことではないのです。ですから、自分たちがしたことであるかのような考え方をするのはいけません。

想像の幅を広げて、あらゆる人々は苦しんでいるということを理解しましょう。苦しんでいるのは黒人の人々だけではなく、難民や移民、あるいは農村部の貧困層、トランスジェンダーの人々も苦しんでいます。誰もが恵まれていると考えますが、白人の中年男性もこの数十年間は、経済的、技術的変化に覆され、力がなくなっていると感じているのです。

情熱だけでなく、戦略も必要

そしてもう1つ。変革への情熱だけでなく、それ以上のものをもって人生を歩む必要があります。それは、戦略です。繰り返します。みなさんには情熱を持ってもらいたいですが、同様に戦略も持ってもらいたいのです。気づきだけではなく、行動を伴うようにするのです。ハッシュタグだけではなく、投票するのです。変革には、計画や組織化という、正義のための怒り以上のものが必要です。

1964年、民主党議会のファニー・ルー・ヘイマーは、身長が5フィート4インチ(約160センチ)でしたが、炎のようなスピーチを議会で行った後、ミシシッピの家に帰り、綿花採取労働者たちを組織しました。そして、彼女は気まぐれに運動を起こすだけの道具も技術も持っていなかったので、一軒一軒訪ね回ったのです。

黒人市民権を擁護するリーダーがこれを理解したことは誇らしく思います。「Black Twitter」や「Black Lives Matter」といった、みなさんのような若い世代の行動のおかげで、白人も黒人も民主党も共和党も、すべてのアメリカ人が、犯罪の審判システムなどの現実問題に目を向けるようになったのです。しかし、まだ変化が続いているものの、構造的な変化をもたらすには注目はまだ十分ではありません。

法律の変革も求められていますし、税制の変革も求められています。もし、大量投獄について問題にするのなら、みなさんに問うてみたいです。「では、どのように、議会の議員に、現在保留中の刑事司法改革法案を通すように圧力をかけることができるか?」。

もし、警察のことを気にかけるのなら、あなたの地方検事は誰なのか知っていますか。この国の検事総長が誰なのか知っていますか。この違いはわかりますか。

誰が警察長官を任命する人で、誰が警察のトレーニングマニュアルを書く人であるかわかりますか。彼らは誰であるか、そして彼らの責任はなんなのか知ることです。コミュニティーを動かし、彼らに計画を提示し、変革を実行するために一緒に共働することです。そこに至らない場合は、責任を自覚させるのです。情熱は不可欠ですが、戦略を持つことも必要です。

言い訳するな、投票へ行け

また、投票に関する計画もよいでしょう。時々ではなく、常に選挙で投票させるということです。1965年投票権法施行の50年後でも、投票させることはまだ多くの障壁があります。あまりにも多くの人々が投票に対して新たな障壁を立ち上げるのです。人々が投票するのが難しくなるのは、地球上でも民主主義の先進国のみです。そこには理由があり、過去の遺物があるのです。すべての投票にまつわる障壁を解体したとしても、アメリカは自由主義国のなかで、最も低い投票率であるということは変わらないだろうということは言わなくてはなりません。

2014年、アメリカ人の36パーセントしか投票しませんでした。これは記録史上2番目に低い投票率です。みなさんも含む若者の投票率は20パーセント未満です。5人に4人が投票しなかったのです。2012年、投票に行ったアフリカ系アメリカ人は3人に2人でしたが、2014年には5人に2人しか行かなくなったのです。私が携わっている議会について、投票率の低下がどのような違いに生むか、考えたことはないでしょうか。

もし、50パーセント、60、70パーセントもあれば、この国になにが起こるのでしょうか? 人々はこの問題をとても複雑な政治的な事柄だということにします。まるで、どのような改革が必要なのか、そのためになにをすればいいのか、と。みなさんは知っているはずです。ただ投票すればよいのです。

これは数学です。ほかの友達よりも多く投票すれば、よりあなたが望む通りの世の中にできます。

(会場笑)

これは複雑なことではありません。言い訳はできません。投票の際に、ジャーに入ったゼリービーンズの数や、石鹸箱の泡の数を推測する必要がないのと同じです。1票を投じるのに、命の危険を冒すこともありません。それはすでに過去の偉人たちがみなさんのためにやってくれました。

みなさんの偉大な祖父や祖母は、今日ここに来ていると思いますが、もし彼らがこれらの問題に取り組んでいたとすれば、あなたはどのように言い訳できますか? 投票しないということは、自分たちの力を使用する必要がある時に、その力を剥奪するということになります。あるいは、いつか投票をしない人たちを改めさせるために力が必要な時に、それを放棄することになります。歳を取った人たち、貧しい人たち、かつては投獄されていて次のチャンスがほしい人たち、このような弱い立場の人々の権利を考えない人々を阻止するための力を放棄することになるのです。

クールな時だけでなく、大統領選挙の時だけでなく、なにかに影響を受けた時だけでなく、常に投票に行くことです。これはみなさんの義務です。

議会の議員を選ぶ時、あるいは市議会議員を選ぶ時、生徒会長を選ぶ時など、政治を変える、あるいは我々に責任を負うべき代表を選ぶ時は、投票に行きます。これは複雑ではありません。複雑にしてはいけません。

信じることを行うためには妥協することが必要

最後にお話しするのは、変革のためには、より多く話すこと、そしてより多く聴くことが必要だということです。とりわけ、みなさんに同意しない人の意見を聞き、妥協点を準備するということも必要です。私がイリノイ州の上院議員だった時、死刑裁判で自白をビデオテープに取るという、この国最初の警察の人種偏見に関する法を通過させる手助けをしました。そして私は、ごく早い時期から法の執行に従事していたために、これは成功しました。

彼らに向かって「君たちは人種差別主義者だ」と言ったわけではありません。みなさんと同様、圧倒的な多数の警察官は善良で正直で勇敢で公平で、彼らが奉仕している地域を愛しているということを理解していました。そして、例えそれがアフリカ系アメリカ人警官を含む、善良な警官の善意をもってしても、いくつかの腐ったリンゴは無意識の偏向を持ってしまいます。これは我々すべてについて言えることです。だから私はこれに尽力し、話を聞き、同意を確立するまで働き続けました。

そして、話を聞く時間を持ったことで警察にとっても都合がよくなるような法律に手直しできました。これは地域との連帯と信頼を改善したからです。これは地域にとってもよい策であり、彼らはそこまで不公平に扱われませんでした。ここは明確に言いたいのです。あのイリノイ州の警察組織の受け入れがなければ、あの法案を通すことはできなかったでしょう。

とても単純なことです。彼らはきっと妨害したでしょうから。重要なことは、民主主義においては同盟することです。それがよい方法なのです。時には、いらだちを感じたり、歩みが遅く感じるかもしれません。しかしながら、民主主義に代替するものは、それよりも悪いものであることは歴史が教えてくれます。これは、この国だけの真実というわけではありません。黒人のことや白人のことでもないのです。民主主義が一党独裁によって廃止されたいかなる国に行ってみても、国は機能しなくなるのがわかるでしょう。

そして、民主主義というのは妥協を必要とします。仮にあなたが100パーセント正しいとしても。これは、説明が難しいことです。完全に正しくても、それでも反対する人々を引き入れる必要があるのです。もしみなさんが前に進むために妥協しなかった場合、よい気分でしょう、モラル的に潔白であると感じるでしょう。しかし、それでは望むものを手に入れることができないのです。

そしてもし、長い間、望むものを手に入れられなかったら、最終的にすべてのシステムが膠着しているのだと考えるでしょう。そして、それはより皮肉めいたものになり、人々の協力は少なくなるでしょう、そして、より絶望や怒りを感じ、不公正のスパイラルに降下していくでしょう。これは決して進歩の源泉にはなりません。だましだまし進歩を勝ち取る必要があるのです。

偉大なアイデアをアイデアのままで終わらせないために

キング牧師の祈り、バーミンガム刑務所からの手紙、彼が率いた行進を思い出してください。彼はまたジョンソン大統領と共に、公民権法、投票権法を通過させました。2つの参議院法案は、どちらも完璧ではなかったのです。ちょうど、解放宣言が自由を明快に宣言する文書でしかなかったように。

我々の進歩の一里塚は完璧ではありませんでした。彼らは何世紀にもわたって、ジム・クロウ法や奴隷制度の代替になるものを生み出すことはできなかったのです。人種主義者差別法を除外し、40エーカーとロバ1頭を与えることはできなかったのです。彼らはしかしながら物事を改善していきました。

ご存知のように、私はいつも「ベター」をとることはご存知でしょう。私はいつも自分のスタッフに言っています。ベターであるほうが得たものを確固たるものにでき、より強い立場へと向けた戦いに移行できるからです。

ブリタニー・パックネットは、「Black Lives Matter」運動のメンバー、「キャンペーン・ゼロ」運動のメンバーであり、ファーガソン黒人少年射殺事件の抗議運動の組織化を行いました。彼女は「21th Century Policing」の作戦部隊にも加わりました。

彼女の仲間のアクティビストのうち何人かは、この作戦に加わるべきか疑問を持っています。彼女は気合いを入れて袖をまくり上げ、検察官と大都市の警官と同じテーブルに座り話し合いました。それによって、専門委員会の推薦を作成できました。これらの推薦は、国中で採用されています。これは多くの抗議者たちが求めたことです。

もし、ブリタニーのような若いアクティビストが、主義としての純粋さから参加を拒んだなら、これらの偉大なアイデアはアイデアのままで終わったでしょう。しかし、彼女は実際に参加したのです。

変化というのはこのように起こるのです。アメリカは、広大で騒々しく、また、かつてないほど多様性に満ちています。学長はネパール人の重要な使節団がハワード大学に来ていると言いました。これは予期できませんでした。みなさんは相互につながっています。多くの場所から多くの人々が集結しても、必ずしもお互いに同意を得るというわけではありません。ハワードの卒業生、小説家ゾラ・ニール・ハーストンを引用しましょう。「神がこれまでに複数の人に同じものを作ったことはない」。

たゆまぬ努力で分離政策を覆した人物

考えてみましょう。だから民主主義は、暴力や一党多数派の支配の代わりに、投票やアイデアや議論を出して話し合うプロセスを考え出したのです。人々を締め出してはなりません。たとえ、あなた方に反対していようとも。この国には、異なる論点の話し手や、政治集会の議論にも勇気をもって対峙するという傾向があります。彼らの口からどれだけ攻撃的で馬鹿げたことが出てこようとも、です。私の祖母がこのように言っていました。馬鹿げた話し手というのは、彼らは自分の無知を宣伝しているだけなのだと。彼らに話させておくのです。

もしそうしなかったら、彼らを犠牲者にさせてしまうだけで、すると彼らは責任を逃避してしまうからです。これは、彼らに挑戦すべきではないという意味ではありません。自信を持って彼らに挑戦してください。その自信というのはみなさんの立場の正当性からくるものです。

みなさんの核となる価値感や整合性について、妥協すべきでない時もあるでしょう。不公正に対抗してなにかを申し立てる責任を持つときもあるでしょう。しかし、大事なのは、聞くこと、引き込むこと。相手の立場に立って、彼らから学ぶのです。もし、彼らが間違っていたのなら、そこに反論し、教え諭します。理念という戦場で彼らを倒しましょう。そして、みなさんが今それを実行するのなら、1つだけ確かなことがあります。無知や愚かさ、人種差別主義者、悪意やつまらない大衆を相手にせねばならないということです。

(会場笑)

人生のどの段階でもこれらの人々を相手にしなければならないでしょう。これは公平ではないかもしれませんが、人生というのはそういうものなのです。みなさんに水晶の階段を約束できる人は誰もいないのです。そして、もし人生を公平にしたいのなら、世界をそのまま受け入れるべきです。それは、私のアドバイスです。

このようにして、物事を変化させるのです。変化というのは、4年おき、8年おきに訪れるものではありません。変化はみなさんの信条を特別な政治家に預けることではなく、みなさんが足を1歩踏み出し、このように言うことです。「オーケー行こう」。変化は、それに従事する市民の努力であり、自分たちよりも大きなワゴンを引っ張ろうとする市民の努力であり、日々の戦いをすることにあります。

サーグッド・マーシャル(注:アフリカ系アメリカ人初の最高裁判事)も理解していたように。彼はハワード大学の法学部を出ていますが、ボルティモアの家に帰り、法律事務所を始めました。彼の指導者のチャールズ・ハミルトン・ヒューストンが分離政策を覆すために尽力したのです。彼らはNAACP(全米黒人地位向上協会)で、何十という訴訟を提出し、何十という裁判を戦いました。おおよそ20年間の努力の後、サーグッド・マーシャルは、ついに彼の道義的な正しさの根拠を最高裁判所に提出し、ブラウン対教育委員会裁判で判決を得ました。分離政策をした教育委員会は決して平等ではなかったのです。

20年間、マーシャルとヒューストンはこれがたやすいことではないと知っていました。簡単にできることではないとわかっていました。彼らの前にあらゆる種類の障害が立ちふさがっていました。勝利したとしても、平等へと続く道のりの最初であることもわかっていました。彼らには修養があり、忍耐があり、信念があり、そしてユーモアのセンスもありました。彼らはすべてのアメリカ人の生活を改善しました。

問題にしっかり向き合い、挑戦せよ

そして、私は、みなさんが彼らの特質を分かち合ってほしいと思います。今日ここを卒業する若い人たちの何人かのことを知りました。みなさんと一緒に卒業するシエッラ・ジェファーソンという若い女性がいます。彼女を例に出してみましょう。シエッラはデトロイトに育ち、自動車工場で週7日間働くシングルマザーの元で育てられました。一時期、彼女の家族には家と呼べる場所がありませんでした。

彼らは、受け入れてくれる家族や友人の間を行き来しました。最終学年になると、シエッラは毎日5時に起きて、課外活動のジャグリングの練習やボランティア、そして彼女の妹の世話をしました。しかしながら、彼女は教育によってよりよい生活を送ることができるということを知っていました。彼女は決してあきらめず、エクセルに向かいました。組み立てラインで働くシングルマザーの娘である彼女は、ハーバード大学への奨学金を断り、ここのハワードに来ました。

(会場拍手)

今日、みなさんの多くと同じように、シエッラは家族のなかで初めて大学を卒業するのです。サーグッド・マーシャルがそうであったように、彼女の故郷に戻ろうとしています。そして彼女が育った労働者階級の人々が医療を受けられるようにするのです。変革の代理人となって、自分が成功したように人々を助けるでしょう。そしてシエッラのような人々がいるかぎり、私はアメリカの将来について楽観的です。

ジェームズ・ボールドウィンはかつてこう書きました。「面と向かったすべてのものが変わるわけではない。しかしながら自分が向かうまでなにも変化はしないだろう」。

卒業生のみなさん、我々は今ここにいます。というのは、誰もが自分のための挑戦に向かい合ったからここにいるのです。我々のために犠牲になり、苦しんだ誰かがいるからここにいることができるのです。サーグッド・マーシャルの物語のように、シエッラの物語、あるいはみなさんの物語のように。これらはアメリカの物語なのです。

この物語は綿花畑のなかで奴隷労働者たちによって囁かれ、セルマの血の日曜日事件において歌われ、キング牧師の夢や、リンカーンの影として語られた物語です。新しい世界に漕ぎ出した移住者の祈りでもあり、投票権を望んだ女性たちの叫び声や、アメリカを建設した労働者たちの叫び声、自由のために海を越えて血を流した米兵たちの声です。

今やみなさんの番です。新しい知らせというものは、みなさんが準備するものです。

みなさんの旅程というものは、あまりにも困難であるように思えるかもしれません。信じ続けるのは愚かなことだ、ほかのことができるのではないか。あるいは諦めるべきだという皮肉の合唱のなかを進むとき、この台詞を言ってください。私がこの8年の間、常に身近に置いてきたこの言葉です。

「Yes, we can」。

おめでとうございます。2016年の卒業生のみなさん!