2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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吉岡:僕がミャンマーの村でどんなところでやっていたかいうと、僕が診ていた村が4カ所あるんですけれども、NHKの『ETV特集』に出たときにその一部が映像化されていますので、それをちょっとお見せします。
<映像>
(ナレーション)ミャンマーで活動するジャパンハート。村の巡回医療を続けていました。ジャパンハートは国際医師実施研修という考え方を掲げています。発展途上国の臨床の現場に身を置くことで、医師としての技量が高められるという考えです。
現地の人:今出産が難航しているので、すぐ診てください。
吉岡:今出産があるみたいですね。
(ナレーション)難産の女性でした。前夜からずっと激しい陣痛が続いていますが、お昼を過ぎてもまだ産まれません。
吉岡:開いているの、下は。
(ナレーション)助けてほしいと頼まれました。
吉岡:どれぐらい開いているの。全部開いている。全部開いているけど、出てこないの。僕上がって支えましょうか、こうしといてほしいな、重力、これ胎盤とかどうなっているのか、わからへんのでしょう。はい、もう一回、もう一回、はい、休んで休んで。
(ナレーション)ここでは帝王切開はできません。
吉岡:はい、いくよ。
(ナレーション)直接おなかを圧迫して出産させることにしました。
吉岡:力入れて。
ナレーター:若い安井医師にとって、こんなことは初めてです。
現地の人:頑張れ、頑張れ。
吉岡:生きているかな、大丈夫かな。
(ナレーション)検査も手術もできない中での戦いでした。健康な女の赤ちゃんです。迅速な対応が母子の命を救いました。
<映像終了>
吉岡:はい、ありがとうございました。今見ていたようなところで、ずっとやってきたんです。さっき見た子ども産まれたところも、ボロボロのところでしょう。あそこも僕が行っていた1カ所だったんです。こんな感じで、ずっとやってきまして。
ですけど、例えばこの子は13歳の女の子なんですが、もうこの顔ですから、やっぱり差別されるわけですよ。差別されて、そして学校へ行かないんです。貧しさもあって、無理して親も行かせない。だから産まれてから死ぬまで、ただひたすら農家をやって死んでいくわけですね。
さっきこの子と同じような病気の子の写真出しましたけど、この子もそうですけど、やっぱり暗いんですよ。この顔で生きていますから、みんな暗いんです。話しかけても声が聞こえない。彼らが背負ってきた人生ですね。
そして僕がこの子たちの手術をするとですね、全然、この子たちの表情が明るくなっている。声も大きくなって、そして元気に上を向いて歩いて帰っていくので、これがこの子たちの人生なんだな、本当の姿なんだな、と今ではわかるようになりました。本当にこういう子どもたちが次から次へとやってくるんです。
たった30歳、医者になって4、5年目の僕が、例えばこの病気1つとっても、やったことなんか無いんです。僕は日本で大人の外科を少し勉強して、子どもの外科を勉強して、産婦人科も勉強しましたけど、やったことないんですよ。非常に形成(外科)の中でも難しい手術を、僕はやらなければならない。でも、何もないんです。それでどうしたものかと、最初はビクビクしながら始めたわけですね。ですけど、やっぱりうまくいかない。子どもたちには申し訳ないんだけど。
そしてあるとき、まだ30歳の頃ですけど、途方に暮れていまして、その時首都のヤンゴンというところに戻ったんです。そして町の中ウロウロウロウロしているときにですね、1冊の本を発見したんです。
「Surgery」という本ですね。これは外科医のバイブルみたいな本ですけど、当時軍事政権だったミャンマーには外国の書物なんかほとんど入ってこなかったのですけど、この本が書店にあったんですね。これは外科すべてに渡る内容が書いてあるんです。
そして、それをパラパラパラとめくっていたら、2042ページに、たった1つだけ、手術のための図が、この治療のための図がでてきたんです。表面的なことしか書いてないですけど、この図を僕は2042ページに発見したんですね。そしてやったこともない手術を、この図を頼りに始めたんですよ。
それからやって、あるとき形成外科医が来て、僕があまりに下手だったんでしょうね。「先生、もうやめたほうがいいんじゃないか」と言われたんです。日本の形成外科医ですよ。本当にやめようかなと何回も思いました。難しい、誰も教えてくれないから、だけど僕の代わりに今僕にクレームを付けている医者が来てくれて、そしてこの子たちを治してくれるならいい、と。
だけど僕は思ったんです。そうじゃないならば、例え少しでもこの子たちがこの親が、この子どもが「自分がちゃんと治療を受けたんだ」と満足してくれるんだったら、僕はやり続けなければならないんじゃないかと思ったんですね。
そしてやり続けました。今では、おそらく数だけは、僕はたぶん日本でトップクラスに入るぐらい(この手術を)やっていると思うんです。なぜかというと、この国の今でこそ国を開いて、たくさんの医療のチームが入ってきていますけれども、それまでは外国の医療のチームなんか入って来られなかったんです。鎖国でしたから。その中で僕はやってきたので、苦労しながら、だんだんと治療がうまくできるようになったんです。
僕は医者になるときに、医者なんて命を救ってなんぼのもんだと思っていました。だから外科医になり、命を預かる外科医になりたいとずっと思っていた。ですけど、この子どもたちと接していくうちに思ったのは、この子の人生が、この後ガラッと変わっていくんです。
この子はおそらく、ミャンマーの農家の子がそうするように、この後、このまま村に帰って、今度は学校に行き始めて、そして結婚して、ここからまた子どもができて、その子どもがまた子どもを生んで……そうなんだと思ったんです。
医療というのは、こうやって人の人生の質を変えることにあるのかもしれない。そうすると、僕がもしこの子を治療しなかったら、この子はたぶん一生そのまま独身で生きているだろうと。だからこの子の命を助けたことにはならない。でももしこの子があのまま生きていたら、このまま生きていたら、決して産まれなかった命を僕はこのあとを生み出すことができるかもしれない、と思い始めたんです。
ここから100年経ったら、この女の子から何人の子どもたちが、子孫が受け継がれているかわかりません。そういうことなんだと。医療というのは、こうやって人生の質を変えることによって、未来に何かを繋げていく仕事なんだということを、ミャンマーの子どもたちを治療する中で僕は悟っていったんですね。やめなくて良かった、中傷はいろいろあったけれども、止めなくて良かったと思っています。
実はミャンマーは、世界で1番長い内戦をやっている地域があるんです。「カチン」といって、中国との国境ですが、そこのところへ僕は行きまして、この「KIA」というんですけど、このゲリラの人のほうの地域に住む子どもたち、それからミャンマー側のほうに住む子どもたちをどんどん受け入れまして、この病気の手術を一気に何十人とやって帰ってくるようにしています。
この間、そこのトップの人、ゲリラのほうのトップの人ですよ、と会って話をしてきました。
そしたら、私たちはパスポートも持てない人間だと。村では医療が求められていて、あなたたちに来て欲しいけど、あなたたちはミャンマー政府との契約で動いているから、来られないこともよくわかっている、と。しかし、村ではマラリアとかデング熱で、ジャングルの中でたくさんの子どもたちが死ぬ。その地域のある一帯だけで、去年は40人の子どもたちが亡くなったんだ、と言われたんですね。
それで僕はこう言いました。それならば僕のところに、その村のジャングルの中で医療をやっている人を、僕にちょっと渡してくれないかと。点滴をしたりなんとかしたりすれば、半分ぐらいは助かるようになる。それを彼らに教えて返すから、ということで。
今度その地域から、僕の今やっているところまで、数百キロあるんですけれども、看護婦さんたち、ジャングルの中で医療をやっている人たちがやってきます。また今、その地域の若い女の子たちを集めて学ばせているんです。そしてその子たちが村へ帰っていったら、そこに僕らが薬をどんどん渡していって、今度はその子たちにも治療をやらせていく、ということを今やっています。
医療があるのは本当にありがたいことだ、と僕はいつも思うんです。また、日本人を治療している時でも現地の人にしている時でも、いつも思うことがあります。もしこの子が助かるならば、僕は苦労して医者になったけれども、もう元を取った、思えるという経験が何回もあるんです。この子ども1人助けただけでも、僕は医者になって満足だったと。後はもうどうでもいい、ということがあるんですね。
医療者と患者の関係というのは一期一会なので、向こうに1万人いても100万人いても、やっぱり目の前の1人にどれほど僕がコミットできるか、ということになるんです。その時に、もうそれで元取ったって思えることが何回もある。そしてその子どもをミャンマーで助ける、カンボジアで助ける、ラオスで助けるたびに思うことは、医療があるというのは、本当にありがたいことなんだな、と思うんですよね。
例えばこの子どもは、おなかパンパンなのがわかると思います。人間というのは産まれたときから、大人と同じ病気があるんです。心臓が悪い子もいる。腎不全の子もいる。脳腫瘍の子もいる。白血病の子もいる。そして同じように、この子は腸が悪い、生まれつきの腸閉塞なんです。
産まれて2日目ぐらいからお腹がパンパンに張ってきます。そして、そういえばうんこ出てないじゃん、と思うんです。おしりの穴見てみたら、おしりの穴がどこにもないんですから。食べ物は食べられるけど出ないから、結局お腹がこうやって腫れてくるんです。そしてこのあと何が起こるかというと、腸が破裂して、破れて腹膜炎起こして死ぬんです。あるいは電解質が狂って死ぬ、感染を起こして死ぬ、わかりませんけれども、ひどい子は最後に口からうんこ吐いて、その状態で死んでいくんです。
そしてこの親は、子どもの状態がこんなふうになってきたから慌てるわけです。産まれて3日目ですよ。お母さんも普通に産んでいまし、まだ大変だと思うんですけれども、産まれて3日目なのに子ども抱いて、旦那さん、それからその人のお母さん、3人で満員のバスに飛び乗るんです。満員のバスと言ったって、例の、バスの上まで山のように人が乗っているあのバスですよ。あれに揺られて8時間、ようやく最初の大きい街にたどり着くんです。
そして医者に診せたらこう言われるんですね。「いや、この街ではこんな子どもは診れない」と。「もっと南の、1番大きな町へ行け」と言われるんです。そこからまた5時間です。そしてその病院にたどりついた時にはもう夕方。やっと小児科がある病院へ着いて、そして診察を受ける。そのときに必ず医者から言われることがあるんです。
それは何かというと、「この子は手術が必要です。いくらお金を払えるのか」と聞かれるんですね。母親が訪ねます、「先生、この子を治療するために、いくらぐらい払えばいいですか?」。「このくらいかかる」と言われます。でも払えないんです。払えないと、この人たちはどうするかというと、もう一度子どもを抱きかかえて、静かに村に帰っていく。そして子どもが死ぬのを待つんです。
この親も同じようにしようとしたときに、向こうの医者が「ちょっと待ちなさい」と呼び止めたんですね。この大きな川、イラワジ川というんですが、その向こうに今、日本の医療チームがいると。あなたたち、この子が村へ帰って死ぬ前に行ってみなさい、もしかしたら治療してもらえるかもしれませんよ、と言われて、やってくるんです。
やってきてすぐに手術をしました。すぐに手術をして、うんこを大量に出して、人工肛門を作るんです。でも僕は最初、ダメかなと思ったんです。本当にもう口の中からうんこのにおいがしているし、状態も悪かったから。だけど無事手術は終わって、今こうやって退院していきます。
この2年後ぐらいかな、1年半後ぐらいかな。今度はそのおしりの穴を、腸を下ろしてきて作る手術をして、そして最後、人工肛門を閉じるともう普通の子のように生きていけるということです。医療があるというのがありがたくて、こういう子を1人助けたら「これでいいや」って、いつも本当に思うんですよね。
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