2024.12.24
「経営陣が見たい数字」が見えない状況からの脱却法 経営課題を解決に導く、オファリングサービスの特長
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宮台真司氏(以下、宮台):よろしくお願いします。
奥山晶二郎氏(以下、奥山):最初に、これ(『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』)を読まれた方は、今日何人くらいおられますか?
(会場挙手)
宮台:少ないですね。
奥山:そうですね。まあ、これを機に読んでいただければ。今日は、私から質問をすることで場面転換をしていかないと、たぶん宮台さんがずっとお話しされてしまいます。
菅野久美子氏(以下、菅野):(笑)。
奥山:それはそれで多分おもしろいと思いつつ……いろんな切り口があるテーマの本であると思うので、何個か質問を考えさせていただきました。一応それに沿って進めたいと思うんですが、盛り上がったら流れに身をまかせるというかたちでいきたいと思います。ただ、最初のところは楽屋の中でもむちゃくちゃ盛り上がって、核心とも言えるかもしれません。
「幸せな孤独死」と仮タイトルにつけさせていただきました。本の中には、セルフネグレクトという言葉が出てきます。自分でひきこもってゴミ屋敷になってしまったり、自分の意思でそれ(孤独死)を選んでいるという場面です。
「その人がいいと思っているんだったら、それでいいんじゃないか?」という議論もある一方で、私自身は「本当にそうなのかな?」と思いながら読みました。その点について、まず宮台さん。
宮台:ちょうど5年くらい前に、「恋愛できないんじゃなくて、恋愛しないんだ!」とか「一生結婚せず、恋愛もしないで、一人で生きる時代、いいじゃないか!」という発言が、インターネット上に目立つにようになりました。孤独死も同じでして、「独りで死ぬのも、いいじゃないか」などといった、僕に言わせると「クズ発言」が出てくるようになりました。クズであることは簡単に証明できます。
もし、みなさんに、心が豊かで親しい友達がいて、その友達がそういうことを言い始めたら、どう思いますか?
「こいつはなにか諦めて、それを後から正当化しているな」と必ず思うはずです。人間は認知的な整合化をする動物です。自分に不可能なことを望み続けると傷ついちゃうので、傷つかないように「もともとそういう望みを持っていないんだ」と自分を言いくるめるんですね。
そうすることで、叶わない望みを求め続けることによって尊厳が傷つくことを避けようとするわけです。精神科医や精神病理学者であれば、誰もが知っていることです。みなさんも御存知のはずですね。
「誰とも付き合わないで、独りで生きるのが気楽なのさ」と言っている人たちは、なにかを諦めざるを得ない状況に追い込まれているのだと想像しなければなりません。その上で、本当にそれを諦めなければならないのかを、考えるべきなのです。
菅野:私は『東洋経済オンライン』という媒体で、年末から複数回に渡って孤独死の記事を書いています。毎回、大きな反響があるのですが、Twitterやブログなどの反応を見ていると、「孤独死の何が悪い!」という反応が一定数あります。あとは「将来の自分が孤独死するかもしれない」というものも多いです。この孤独死がなぜ悪いのかという問いの答えを、宮台先生にぜひお聞きしたいです。
宮台:いま申し上げたことを、別の言葉で言うと、見たくないものを見ないことによってセルフイメージを持とうとする、浅ましい人たちが多いということです。「諦めたから、仕方なく一人で過ごすことを苦しくないように工夫しよう」というのであれば、マシです。自己正当化を自覚していないことが浅ましいのです。
逆に、浅ましくなくて、「孤独死は自分の将来の望ましくない問題だな」と意識できる人には、そのあとに「でしょう? だったらどうしたらいいと思う?」というコミュニケーションを続けることができます。ここにいらっしゃる方々がそうです。
だから、「幸せな孤独死」などと真顔で言うような自己欺瞞的な人間は、自らコミュニケーション回路を閉ざしてしまっていると言えます。残念としか言いようがありません。
奥山:この孤独死は「もしかしたら不幸かもしれない」と思いつつ、それ以外の選択肢がない。
宮台:だから「もしかしたら不幸かもしれない」という認識を欺瞞的に消去するわけです。最近、とりわけ男を中心として友達がいない人間が多いので、そうした自己欺瞞を友達から指摘されることもない。冒頭に「もしあなたに親しい友達がいたら…」と申し上げたのも、そうした背景を踏まえています。
奥山:追い詰められてしまう。お手本というかロールモデルとしての最後も、もしかしたら今の世の中では見えにくくなっているのかなという気がします。
宮台:友達を作れないという劣等感を、見ないようにしているわけです。あと5年、10年すると、メディカルサーベイランスのカメラが部屋にとりつけられて、孤独死しなくなります。でも、死ななきゃいいという問題じゃない。
セルフネグレクトという病的なあり方についてみれば、ゴミ屋敷にもモノ屋敷にもなるし、人間関係を完全に遮断した状態で引きこもることになる。今でいう「子ども部屋おじさん」の状態ですが、そうして自慰的なグッズに囲まれて生きることが尊厳に満ちていると言えるでしょうか。
孤独死も中高年ひきこもりも、8割近くが男です。彼らは死なないかわりにそういう自己欺瞞的な状態を何十年も永続させます。死ななきゃいいという問題じゃない。僕はもうこの本を二度読んで、幽体離脱のような変な感じになってきて、他人事として読めないんですよね。それは菅野さんの文体もあるなと思います。
冒頭に「自分と孤独死することの間が地続きだと感じている」ということから始まって、そのあと、部屋がゴミやモノであふれることがセルフネグレクトの徴候として語られます。読者の誰もが、一時的に自分がそうなった経験を持つので、自分事に感じられます。誰にでも一時的に生じるセルフネグレクトが、アンラッキーにも回復の手がかりを失った結果、ひとつところに留まっちゃうんだな、だったら自分にもありうるな、と思わざるを得ないんです。
「こうなるか、ならないか」というのが偶然のアンラッキーなのかどうか。僕は、菅野さんの事故物件についての本やエッセイを読んで、前もって危険を自覚していなければ、いざという時に自分でコントロールできない問題だろうと感じざるをえません。菅野さんの文章はその意味で、テーマは違っても人間の弱さを描きつづけています。
菅野:いろいろありますね。
宮台:僕は、菅野さんの本やエッセイをたくさん読んできているので、相当に免疫があります。だから、イベントで「お前ら、そのままだと独り寂しく死ぬぞ!」とずっと言ってきています。これはあとから話したいことですが、「早いうちから、どんな生き方を心がけていれば、セルフネグレクトの状態を長期化させないで済むだろうか」ということを、早くから学ばなきゃいけないと思うな。
その意味で、本を読んだ第一印象は、孤独死を特殊な現象として描いているのではなく、誰もが自分事として納得ができるようなユニバーサルな問題として描き出しているな、ということ。誰もが「すでに」向き合っている切実な問題を告げ知らせてくれます。つまり、死ぬかどうか以前に、尊厳を失ったアローンな生活を続けている膨大な数の人々。ウヨ豚とか糞フェミとかはほとんどがそうだという印象があります。
この間も、ニコ生のコメントを1個1個全部拾って、「友達いないだろう」「あんたみたいなクズを恋人にする人はいないぜ」「ひとり寂しく死ね」と罵倒していきました。相手の反応を引き出すためによくやる手です。すると、「そうだよ! 俺は孤独だよ! 独りで寂しく死ぬんだ!」と大勢が返してきます。
「お前のために死んでくれるやつはいるかい?」「いないよ!」みたいな感じ。結局、ウヨ豚は価値観じゃなく症状ですが、こういう症状を呈するようになったら、もう手遅れだと思います。
菅野:手遅れ(笑)。
宮台:劣等感から来る不安を排外的な言葉で埋め合わせる営みは、神経症です。神経症である間は、尊厳を回復することはできない。でも、神経症であることを認めるのは劣等感に向き合うことだから、つらい。恋愛ワークショップを何年やって思ったことですが、その意味で男の大半はもうダメです。そこまで年をとる前、たとえば小中学校の段階であれば、どうとでもできます。
女については楽観できます。社会学でいうジェンダーロールが日本には色濃く残っていて、それ自体は大問題ですが、そのぶん女は「自分は委ねても頼ってもいい」と思えるんですよね。委ねることで、自分で尊厳を回復できるようになることがあるのです。
菅野:なるほど。
宮台:でも、男の多くはダメ。とはいえ、僕のゼミに来るような男であれば、かなりが回復できます。そういう意味で、ここにおられる男のみなさんは若い方が多いから、すぐにでも新しい構えで生きないと、尊厳を失った中高年時代を送ることになります。でも、ここに来られる男の人は辛いですよね。
奥山:今からいろいろ対策をしなきゃいけないという意味でいうと、貧困問題のように見えるようで、本(『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』)を読んでいると、そうでもないところもあるのが、すごく根が深いのかなという気がしています。
お金があれば大丈夫かというと、けっこう浪費をして、開けていないスーパーの商品で、部屋が埋もれちゃっている人もでてきたりします。
宮台:それは菅野さんから紹介していただいた方がいいね。
菅野:そうですね。セルフネグレクトについて、まずご説明します。自己放任と呼ばれていまして、「緩やかな自殺」という別名があります。ゴミ屋敷だったり、医療の拒否だったり、あとは猫屋敷のように、ペットを飼えないほど集めてしまう、これはアニマルホーダーと呼ばれています。これもセルフネグレクトの一種ですね。
宮台:自暴自棄という言い方があるでしょう? でも、これってすごくテンポラリー(一時的)なことだと考えられているけれども、“自暴自棄がデフォルトになった状態”と考えるといいかもしれません。
菅野:はい、そのご説明は、とてもわかりやすいですね。孤独死の8割が、このセルフネグレクトだと言われています。部屋がゴミ屋敷だったり、尿を溜めたりしているお部屋が圧倒的に多い。孤独死で亡くなった人のほとんどはそういうお部屋の状態で最後亡くなっているということです。
健全な生活を送っていて、たまたま見つからなかったケースは2割くらいだと思っていただいて大丈夫です。ほとんどがセルフネグレクト、緩やかな自殺に向かっている状態で亡くなっていることになります。
貧困自体は、私も(孤独死との)関連性があるのかなと思って、いろんな取材をしています。例えば、生活保護受給者の方に孤独死が多いのは事実としてあるんですけれど、取材していると必ずしもそうではなくて、一般の方が陥るケースも多い。
貯金が2,000万円以上あって新築のマンションに住み、駐車場にはピカピカのBMWがそのままだったという男性の例もある。この男性は、親の遺産で食いつないでいて、経済的には何も不自由してなかった。しかし死後6ヶ月も見つからず、ペット7匹といっしょに共倒れしてしまったんです。
男性の部屋の郵便ポストには、車のディーラーと、動物病院からのハガキしかなかった。人とのつながりを示すものが、ほとんど見つからなかった。孤独死という結果を迎えてしまった人は、それぞれに孤立した原因が無数にあって、それは必ずしも貧困だけが要因じゃないなと思うのが実感です。
宮台:いまの話にもあるように、金があろうと、若かろうと、SNSが途絶えても誰も訪ねてきてくれない男など、ざらにいます。加えて、本当に人と関われない引きこもり状態になることだってあり得ます。どんな心の状態なのか、いくつかケースを知っている僕にも、よくわからないんです。こんなにも周りが助けたいと思っているのに、すべて遮断してしまう。この本に登場する人たちの多くがそうです。
おーちゃんとか。手を差し伸べているのに消えていく。「みっともない」「恥ずかしい」とかは、気持ちとしてはわかる。でも、生きるか死ぬかというときに、そういう問題じゃないでしょう。普通は優先順位を考えるけど、そうじゃない人たちも大勢いるわけですね。僕には心の動きがフォローできないところがあるけれど、大勢いることは確かです。
人とつながれば助けてもらえるという、誰もが知るイメージをあえて現実化しないのは、なぜなのか。セルフネグレクトの一つの方向性としてあるのは、あえて自壊することです。映画などの主題にもなります。麻原彰晃もそうかもしれません。自分を崩壊させる引き金を、あえて引く。想像でしかないけれど、自意識の消失を望むことなのかもしれません。
場合によっては自殺よりも理不尽な、生きながらの自己崩壊の選択。「崩壊するな!」と一生懸命止めようとしているのに、「私は崩壊したいんだ!」みたいに拒絶するケースがあまりにも多いことを考えると、貧困による尊厳の喪失よりも、むしろ貧困でないケースに、孤独死の本質が隠れているような気がします。
奥山:麻原氏の名前も出たのでひとつ。先ほどのおーちゃんも、宗教のエピソードがありました。家族というコミュニティとの接点がなかったときに、日本だとなかなか宗教を持っている人が世界に比べると少ないところもあるかもしれないんですが、コミュニティとしてはセーフティネットとして働く余地があると思われますか? 宮台さん。
宮台:宗教にもいろいろあります。
奥山:そうですよね。
宮台:截然(せつぜん)と線は引けませんが、都市的宗教と呼ばれるものがあります。幕末新宗教以降を見ても、立正佼成会のように農村でいろんなしがらみを背負った人を対象にするものもあれば、創価学会を含めて都会で生活する孤独な人々を対象にして増えるものもあります。
都会には孤独がつきものだから、必ずしも悪いことだとは言えない。けれど、人の孤独につけ込むような悪いことも起こりがちです。その場合にも、教団としてよりも、人の在り方の問題に注目するべきです。
古い映画で『さらば青春の日』という1972年公開の映画があります。天才的な小児科医と恋人の話です。小児科医であれば患者の死は避けられません。でも、彼は医者としては天才なのに、すごく優しいので、死んでいく子どもを見ることが耐えられず、ドラッグにはまっていく。ジャクリーン・ビセットが恋人役で、一生懸命引き戻そうとするけれど、彼の救いはドラッグだけなので、どうにもできない。
結局、彼は廃人化して、バッドエンドで終わるんです。この映画には実在のモデルがあったそうです。菅野さんの本の中でも描かれているおーちゃん。後ろから2番目のエピソードです。本の中でも中心的ですが、似たものを感じます。僕も、統一原理を含めて、カルトにはまった人を引き戻そうとした経験が何回かあります。
うまくいったケースが多いのですが、王手はかけているのに、『さらば青春の日』のように、最終的には断念せざるを得ない状況を突きつけられることもありました。そこでは、家族や恋人や僕みたいな友達と、ドラッグや宗教との間で、激しい綱引きをしている感じになります。
「こんなにがんばっているのに力が足りないのか!」と、じれったく感じている間に、ずるっとドラッグや宗教に持っていかれてしまうという経験でした。それを思い出すと、宗教が、家族を含めた人とのつながりの代わりになっている状態とは、ちょっと違う感じがしますね。むしろ、人とのつながりと、そうでない何かとの間の、戦いです。
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