2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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井本陽久氏(以下、井本):端的に言うと、ふだん学校でやっている、いわゆる勉強とは、自分はどう思うかとか、自分はどう感じるかとか、ありのままの自分を発揮してはいけない勉強なの。だって発揮したら不正解になるんだよ。
土屋敦氏(以下、土屋):怒られちゃう。
井本:そうそう、自分のやり方でやったら間違えるでしょ。だから、やっぱりちゃんと習ったやり方でやる。マルをもらうにあたって、「これが正しいよ」と言ったものを使ってやるのが、学校でやる勉強。
だってみんなさ、子どもたちも今聞いていると思うけど、テストをやっていて、授業中にやった問題と、ちょっと数値が違う問題があるじゃない。それをやろうとした時に、「授業中はこうやったけど、俺はちょっとこうやってみようかな」と別のやり方でやろうとは思わないでしょ。
あるいは、「俺はこの問題、『足したら』と言うけど、足すより食べたらどうなるかのほうがおもしろいんじゃない?」と問題を変えて答えたりしないじゃない。
つまり、自分がどう思うかとか、感じるかとか、どこに興味が向くかを出してはいけない。つまり、自分自身を封じないと正解が出せない。言ってみればそれが勉強。だから、みんな「勉強ってなんかつまらない」となるわけ。
でも、勉強イコール学びだと思うから。学びと聞いたらみんな「嫌だ」みたいになるけど、学びって、実はもう君たちが生きていたらみんなしていることです。さっきのも学びだし、変な話、「暇だ。どうしよう」だって、ぜんぶ学び。
つまり学校のある間ではやらない学びとは、「自分自身であることに意味がある勉強」です。「自分はこうやってみよう」とか、「これおもしろそう」とか、「うわ、これはちょっとなんとかしたい」とか。「あれ、このやり方でやったらどうだろう?」とか、「こうやったらうまくいくのはわかるけど、あえて別のやり方でやろう」みたいな。まさに自分を発揮する学びが、学校がない期間だからこそできる学びだからね。
井本:この『キミが主役の勉強』でも、学びの本質とは結局……土屋がそれをうまい言葉で言ってくれたけど、やはり自分をよりどころにした学び。今自分が持ってる手持ちだけでなんとかする、別に九九を知らなくても、この漢字を知らなくても、知らなかったら逆にそれだけ自分が工夫しないといけなくなるから、逆におもしろいという学び。
土屋:それで、自分なりのやり方でやる。
井本:だから、学校で成績が悪くたってぜんぜんいいし、もっと言うと、成績が悪いのはラッキー。なぜなら、掛け算ができないということは、それに代わる方法を自分で考えないといけないから。それはめっちゃおもしろい。マッチがないから、火打ち石でなんとかしないといけないのと同じ。自分で工夫しないといけないから、学びがおもしろい。
そうなるとさ、「森の教室」なんてまさにそういう場だから、子どもたちの顔がものすごく落ち着いているじゃない。生き生きしてるというか。
土屋:学校はね、井本が言うように、将来のために何かやる。それも、誰も将来のことなんてわからないのに、なぜか先生たちは勝手に決めて、「将来こうなるためにはこれができないといけませんよ」「これをできるようになりましょう」と言う。結局、「できるようになりましょう」は、「君、できないよね」ということなんだよね。できないところばかりにフォーカスしているから、そりゃ楽しくないよね。
井本:実際、必ずとは言わないけど、でも、実は小さい頃からそういう自分を封じたような、いわゆる勉強をやり続けている。そうやったらいわゆる答えを出す勉強ができるようになるのかといったら、実はそうでもないんだよね。
特に小さい頃なんかそんなこと気にしないでさ、自分のやり方でいろんなことをやってみて。しかも正解することを目的にしないで、自分の好奇心だったり、関心の向くままにいろいろやってみる。そういうことがすごく大事。
土屋:大学に入ってからの勉強はそんな感じだもんね。
井本:本当にそうだったよね。
土屋:研究になるのかもしれないけど。
井本:だからこそ、こういう2人が立ち上げた「いもいも」がこだわっているのは、自分をよりどころにした学びを、本当にやるところだよね。掲げるだけじゃなくて、本当にそれをやる教室。
土屋:「そうは言っても成績は上がったほうがいいですよね」みたいなのは一切ないので。潔いところです。
井本:それを本当に授業でやる。もうちょっと砕いた言葉で言うと、自分で考えることがどんどん楽しくなる授業、教室。実はそれって、そんなに難しいことではないんだよね。いわゆる学び場を作る、子どもに寄り添う我々次第だから。
そこをある意味、本で伝えるのはなかなか限度があるんだけれども。ただ今回は約1年、我々がことごとく「いや、こうしましょう」「ああしましょう」「いや、問題の答えを出す必要ない。そこは大事じゃないから」みたいなことを言ったのを、Z会さんがことごとくちゃんと受け入れてくださって。社内で調整してくださったのかわからないけれども。
土屋:ご苦労されたのかもしれません。映ってないけど、なんか(司会の方が)苦笑いしていますけどね(笑)。「答えなしで」ってなかなかできないですよね。できると思わなかったぐらいです。
井本:それがいもいもでやっていることで、本当はいもいもの授業を見てもらうのが一番わかってもらえるんだけどね、子どもたちには、できる・できないって関係ないんだってことが。むしろ、失敗したほうがおもしろいみたいなさ。そういうところを少しでも知ってもらえればと思ったんだよね。
土屋:そうだね。また共有していい? ちょっと待ってね。最近、これ森でおもしろかったんだけど、映ってます?
井本:本当に良い所だね。
土屋:ここはめちゃめちゃ良い所で、こういう所で今やっています。この写真はもう1人が見えていないけど、4人で川を下り始めて、それだけで楽しそう。
この川の真ん中の岩に乗っている、この子の謎の姿勢に注目してほしいんです。(別の写真で)ただ岩にみんなくっついて笑ってるみたいな、めちゃめちゃ良い顔してるんですよ。(写真の謎の姿勢は)なぜかというと……ちょっと回転飛び込みの写真が入ってしまうんですけど、これもすごく良いでしょ。この後、動画があるのかな。
【学ぼうとせずして学ぶ】
— 井本陽久 (@imony_imoimo) August 29, 2023
いもいも森の教室。
滑りやすい岩ひとつで、たくさんのことを学びとる。しかも頭だけでなく、まずは一人一人が五感を目一杯使って体で感じとる。その結果、自然と穏やかな対話が生まれる。
学びの土台は読み書きでもドリルでもなく、これなんだよなあ。
Video by 土屋敦 pic.twitter.com/YJc6ghKlsU
土屋:この石がなぜかツルツルなんですよ。ただそれだけなんだけど、それがめちゃめちゃおもしろくて。1時間ぐらいかな? ひたすら上に乗っていた。水をかけるとツルツルになる。登ろうとしても登れていない。僕もやったけど、実は見た目よりぜんぜん登れない。
井本:そんなに簡単ではないと。
土屋:そう、すぐ落ちちゃう。で、この子は余裕で乗れました、「私は乗れますよ」と。だけど、こうやってすぐ落ちちゃう(笑)。これめちゃめちゃ学びだなと思って。ある種、井本がやってる数理とかにもものすごくつながる感じがするんだよね。
井本:めっちゃそうね、これ学びでもう1つすごく大事だなと思うのは、大事っていうか自然に彼らが学び取っていることなんだけど。普通、勉強というと頭を使って考えるもの、と思う。それって実はぜんぜん違っている。
ふだん我々は、大人も含めて、生きている時はいろんなことを判断したり、決めたりする。実は自分は機械を使った論理思考をずっとテーマにしてやっていたんだけど。そこで、「人はどう考えるのか?」とずっと自分は掘ってきた。基本的に、人って考えて判断しないんだよね。
土屋:先だよね。
井本:ほとんどのことは、感じてサッてそのまま判断に移る。だから、ひとことで言うと感性なんだろうけど。
井本:人が考える時はどういう時かっていったら、何かをやってうまくいかなくて、「えっ!?」とびっくりした時とか。あるいは、ものすごい考えられないぐらいできすぎな美しい場面、うまく行きすぎな場面に出くわした時に、「えっ!?」となる。間違った時と、すごく驚いたり、綺麗なものを見た時に、「えっ!?」ってなる。
その時に、いわゆる考えたり頭を使うけど、実はほとんどは感じるんだよね。「これが気持ちいい」とか「これはなんか苦手だな」とか、あるいはそもそも考える一番最初のモヤモヤだって「感じ」じゃん。「これうまくいってるんだけど、なんか違うような気がするんだよな」とか。
土屋:このへんが気持ち悪いみたいな感じだよね。
井本:そうそう。それって間違いなく、小さい頃からあらゆるものに五感で触れて、いろんなものを感じる経験。要するに、五感を通して心がたくさん動くというか。
さっきのツルッと滑るのだって、言ってみれば摩擦の話じゃん。摩擦という感覚をまったく知らないで、摩擦を学ぼうとするのは無理なわけよ。だって、言語化はできても、ものとものが合わさって動く時に、そこに力が働きます、「あ、そういうものがあるんだ、力が働くんだ」。だけど、そんなのではぜんぜん理解できないんだよね。
実は数学とか物理なんて、まさに小さい頃から五感を通してある感覚を繰り返し体験することでそれが気付かぬうちにそれが概念化されていて、その状態でそれが学校の授業でポッと先生によって言語化された時に、「そう、摩擦ね」とわかる。それは摩擦の説明を読んで理解したのではなくて、もう知っていたということ。
だから、いろんなことを五感を通して感じ取ることは、実はたぶん学びのほとんどを占めているよね。
土屋:問題に向き合った時、最初に感じるのは、違和感とかだよね。まず湧いてくる「あれ?」という感覚からスタートする。それってまさに自分をよりどころにしていないとできないことだから、自分の感覚を殺してると絶対出てこない。まず、五感みたいな。
井本:そうそう。それこそ「森の教室」を見ていて、昔の自分は、毎週のように川遊びをやっていない。もっと言うと、過去に川遊びしたことあったっけな? というぐらい。それを「森の教室」では毎週やっている。もっと言うと、週3回ぐらい来てる子は、週3回あそこで、あの場で学び尽くしているんだよ。しかも環境抜群。すごい経験だなと思う。
土屋:逆に、物理とか数学のおもしろさみたいなのも、ああいう森でこそわかる気がしていて。さっきのツルツルも、井本は摩擦と言ったけど、いろんな力学だったり。
井本:重力もそうだね。
土屋:重力もあるし。シンプルにあそこの岩は、たぶん秋になって、冬になってきたら、ツルツルにならなくなると思うんですよ。冬に行って、「あれ? ツルツルしない。なんでだろう?」と、たぶんなると思うんだよね。そういうのもぜんぶ学び。
井本:「あの岩だ」と行ってみたら、「あれ?」みたいな。
土屋:そうそう。「あれ?」と絶対になる。それも楽しみにしていて、ここでタネを明かしたくなかったかもしれないです。
それもいわゆる学問。それこそ、この「なぜ?」。例えば、流れの上から木を流すと、どこに行くか予想するなんて、完全に数理だったり物理だったり、シミュレーションの世界になる。それができるかどうか、あらゆるパラメータからアルゴリズムみたいな世界にもなってくるので、そういうところも含めてすごくおもしろい。
土屋:あと、この間おもしろかったのが、流れた木が、ある瞬間逆流してくるんだよ。川を遡っていく。これ不思議じゃん? めっちゃ不思議なんだけど、そうすると、葉っぱを川に流したら上から下に流れるのが当たり前だよねと思った時に、そうではないことはいくらでも起こりうる。
「とは限らない」を考える時に、ある種大事な、「AならばBではなくて、AならばBとは限らないよね」みたいな観点は、めちゃめちゃつくだろうなとは思うんだよね。
井本:まさに今の話でいうと、例えば、数学の問題ができるのは、解き方は論理的な破綻を1つもなくやっていけば正解にたどり着く。だから、物事を考える時は、そうやって「頭を使って考えろ」という。
でもね、実際に現場で子どもたちがいろんなものを解決していくのを見ると、それも違うんだよ。例えば、木をこうやってさ、小さい子もよくやるじゃん。木を川に流して、「あ、流れていった」みたいな。で、途中岩とかに邪魔されずにできるだけ遠くまで流れるようにしようと、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら投げるわけだけど、全然論理的に考えているわけではなく、掴みどころのない感覚に向き合っている。で、最後には本当に上手く流せるようになる。
あれって、たぶん大型コンピュータとかスーパーコンピュータでシミュレーションしたって超難しいんだよ。
土屋:そんなのできないよね、絶対。
井本:そう。だって何がその要因、影響する要因として。
土屋:要素がありすぎるよね。
井本:要素が多すぎて。
土屋:計算はまだできない。
井本:そう。だから、そこをぜんぶ入れ込めないから、予想外の、想定していない要因もあったりして。そこが絶対うまく想定できない。たぶん、我々が科学的にしてるいろんな予測なんてそうなんだろうけど。でも、あれは小さい頃から当たり前のように川で遊んでた子ができちゃうんだよ。それって頭ではないんだよね。
土屋:ほとんど同じなんだけど、葉っぱが落ちるじゃん。あれも正確にすべての要素を入れて計算したって、絶対予測できないじゃん。
井本:そうだね。
土屋:今のコンピュータでは、何兆年かかるかわからない。絶対にできないんだけど、わりとみんな予想できるんだよね。「ここ落ちるよ」と言ったら、そこに落ちて「えー!」みたいな。人間がインプットしてるデータとか、無意識とか直感で判断して出している答えのとんでもなさ。
井本:本当にそうなのよ。
井本:一番最初に自分が言った話じゃないけど、大人になった我々、今保護者のみなさん、あるいは先生方もいるかもしれない。どうしても、いわゆる頭を使って正確なものを出すのを、「なんとかみんなができるようにしないといけない」と思って一生懸命やる。だけど、実は死なずに今まで生きている、それで使っているものはほとんど頭ではないんだよ。
頭ではなくて、感性なんだよね。しかも、自分でもよくわからない。これって、数学の問題を1つ解くことだって、まさにそうなの。特に自分がわからない次元でできる子なんてそう。今自分がいもいものスタッフで一緒にやっているスタッフたち、数理の子たちも、もう普通で言うとちょっと飛んじゃっている子たち(笑)。特殊なコミュニケーションをする子たちだけど。
土屋:すごいよね、本当に(笑)。
井本:あの子たちのわかり方は、もうぜんぜん違うもんね。答えが先に見えてしまう。それは単なる当て勘でもなくて、いわゆる「ここらへんに投げたらあそこの流れをちゃんと通るんじゃないか」みたいな感覚で、後から頭で説明をしてくれるみたいな。
だから、実は一生懸命勉強させよう、そのためには、「もう旅行には行けません」とか「遊びに行ってはダメです」と言うけど、それは一番、未知のいろんな力を引き出してくれる機会を奪うようなものだから。宿題なんてまさにそうでしょ。だから、夏休みは宿題はやらなくていい。
土屋:みんなリアクション押すところなので、お願いします(笑)。
井本:しなくていい(笑)。
土屋:本当に押してくれてうれしいね。
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