「国際女性デー」を新たな日本の文化行事へ

司会者:HAPPY WOMANは、女性のエンパワーメント推進と社会活性化を目的として、国連が制定した毎年3月8日の国際女性デーを新たな日本の文化行事として定着させるべく、「国際女性デーHAPPY WOMAN FESTA」を開催しています。2025年までに47都道府県での開催を目指しており、今回で4年目を迎えます。

これから始まるトークセッションは「国際女性デーに考えるジェンダー平等と日本の未来」をテーマに、さまざまなキャリアをお持ちの豪華なゲストの方々とともにお届けいたします。

司会者:では、ここからは島田由香さんに進行をお願いしたいと思います。

島田由香氏(以下、島田):はい、ありがとうございます。私も今日は進行のつもりではなく、たくさん話そうと思って来ております。今はとにかくいろいろなことが起きておりますので。そんな中で、目の前で起きていることをどのように前向きに捉えて、楽しく過ごしていくのか。

今、この会場には、ジェンダーとしては女性のみなさんがそろっているはずです。しかし、おそらく私たちにとって、それは得意なことなんじゃないかなとも思って、今から1時間弱、いろいろ話を聞かせていただきます。

今日は「国際女性デーに考えるジェンダー平等と日本の未来」というテーマです。それぞれいろいろな分野・業界でご活躍されてきた中で、今もなお、そしてこれからを見ていくときに、さまざまな体験や想いを持っておられるだろうと思います。それを今日、私も含めて、みなさまで活発な意見交換をしていこうというトークセッションです。ゲストのみなさまにいろいろなお話を聞かせていただきながら、そのためのヒントが得られる1時間にしていきたいと思っています。よろしくお願いします。

一同:よろしくお願いします。

人材育成・女性活躍支援を推進

島田:司会が聞いて答えるという形が続くのではなく、どなたかがおっしゃられたことに「え?」と思うことがあれば、どんどんいい意味で突っ込みまくりましょう。これもある意味、女性ならではのスタイルであり、女性の特権ではないかと思いますので、ぜひやらせてください。

では最初に、それぞれ簡単に自己紹介と、それから今日のトークセッションへの想い、「これはまず伝えたい」というお考えがありましたら披露していただけますでしょうか。では、小巻さんからお願いします。

小巻亜矢氏(以下、小巻):それでは先陣を切りますね。サンリオエンターテイメントの小巻です。ふだんの仕事は、東京多摩市にあるサンリオピューロランドと、大分県にあるハーモニーランドという、2つのテーマパークの経営をしております。

もともと長らく女性活躍支援や子育て支援をしておりまして、自分の専門分野として経営者というよりは、やはり人材育成が一番の得意分野です。

それもあって、こうしたHAPPY WOMANの活動や、SDGs推進の中でも次世代に向けての啓発活動と女性活躍支援に軸を置いて、さまざまなところに足や首を突っ込みながらやらせていただいております。

今の状況に関して、まさに先ほど島田さんがおっしゃったように、すごく柔軟さが求められていると思います。午前中に言っていたことが午後には覆り、「さっきはそういったじゃない」ということでは対応できない。

これから先、今の子供たちが未来において、突きつけられる前例がないことに前例を作れるか、大人たちが何を判断基準に協力しあって、どう柔軟に乗り越えていけるか、試されています。今起こっていることは、ネガティブであることには変わりはないのだけれども、そうした意味では、ここが私たちの得意分野なところです。

ポジティブに切り替えながら「こんなことを学んだね」とみんなで情報共有しながら乗り越えていければいいなと思っています。一旦以上です。

ピューロランド休園で子どもたちに伝えたいこと

島田:ありがとうございます。サンリオピューロランドは現状としては休園されていますよね(注:新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、2019年3月11日(水)より臨時休館中)。かつ、学校もお休みです。子どもたちからすれば、今まさにサンリオピューロランドに行きたいと思っている子たちも多いのではないかと思うんです。

小巻:そうですね。本当にお迎えしたい気持ちは山々ですが、やはりこれこそ、一丸とならなければいけません。世代や立場を超えて、何を我慢しなければいけないのかということ、それが何につながるのかということを(考えなければならない)。逆に言えば、「どうして勉強しなければいけないの?」という疑問にもつながっていくような気がするんです。

その「なんで?」ということを、私たち大人がきちんと「これにはこうした意味があって、今はお家にいなければいけない。理不尽なところもあるけれども、みんなが少しずつ我慢をすることで、こうしたことを学んでいるときなんだ」ということを伝えられるチャンスだと思うんですね。

テーマパークとしては、こうしたときだからこそ来て笑顔になっていただきたいと願う気持ちもありますが、みんなで協力して1日も早く収束できるように、ここは踏ん張りどころだと思っています。

島田:ありがとうございます。今まさに自分たちが前例を作っているときであり、もちろん子どもたちがそれを見ている。私たちも、わからないながらも毎日決めることが多いですよね。そんな時だからこそ、おっしゃられたように「何を大切にしていくのか」ということが鍵になると思います。

小巻:個人から家庭、家庭から学校や会社になり、社会になり、国になり、世界になり、ということですね。まさにSDGsの視点で、自分だけが良ければいいのではなく、やっぱり周りに対して広い視野をもつことが求められているのではないでしょうか。

島田:必ずすべてが戻ってくることが見えていますからね。

小巻:もちろん、もちろん。そうです。

医療現場における女性のキャリアを開拓

島田:ありがとうございました。それではぜひ対馬先生、お願いいたします。

対馬ルリ子氏(以下、対馬):私は医療現場で35年間ずっとやってきました。確かに現状は濃厚感染の可能性が高いです。しかし、基本的なことはきちんとやりながら、臨機応変にやっていくしかありません。

うちは女性医師25人を中心に、女性看護師、スタッフ、たくさんのインストラクターを含め、女性だけが働いている職場です。現状、「今日どうなるのか」はその日に来た人たちで話し合い、仕事を分け合い、協力しあいながらやっていくしかないといった感じです。

私はもともと医療をやりたかったというよりも、最初にまず自分が助けられたら人も助かるに違いないと思い、「女性を助けること」をテーマに選びました。

いまだに医学部女子差別問題がありますよね。「医学部には女はいらないんだ」という伝統がある中で、私は医学部に入りました。それも浪人して入ったので、「女は浪人する必要なんてないんだ」、「お嫁に行けばいいんだ」と散々言われました。

そして卒業して、女性を助けようという思いで産婦人科に行くと、「産婦人科は女が来るところじゃないよ」とあからさまに言われたんですよ。本当です。それが1984年ですから、男女雇用機会均等法の前の年代なんですよね。

産婦人科というのは、24時間お産があります。それからガンの手術などもやっていて、緊急手術や急患を見るということがザラですから、本当に大変で誰かがつないでいくという現場なんです。どこの大学からも女には無理ですといわれる中で、私が入った東大産婦人科は、100年以上の歴史の中で「そろそろ女も入れてもいいか」という感じでしたから、入れてもらえました。

医学部の女性差別がようやく問題視されるように

対馬:私は子どもを産んで育てながら仕事を続けてきたんですが、「昨日も一昨日も帰っていないし、今日はうちの子が熱を出しているのでそろそろ帰りたい」と言うと、「それなら仕事を辞めれば?」と自然に言われましたからね。

そこで「くっそー、今に見ていろ!」と。すみません、みなさんの前でクソなんて言ってはいけないのかもしれませんが(笑)。

(一同笑)

本当に「今に見ていろ!」と思った。やっぱり男の人しかいない医療現場では、女の人を見るときも、男からの目線でしか見えていないんですよね。やっぱり当事者である女性が入っていくことで、女性医療やほかの分野も、絶対に変わるだろうと思っているんです。

ようやく今になって、医学部の女子差別が問題視されるようになりました。もちろん女子だけではなく、浪人した人も公平にきちんとチャンスを与えるべき、きちんと公正に評価されるべきだと言えるところまで来ました。

これからはものすごく変わるべき時が来たと思うんです。男の人も今までのやり方だけではどうしたら良いのか分からなくなってきているから、ありとあらゆるいろいろな人の見方を色々出して、切り抜けていくということが日本でも出来るようになるということを今日、私たちで話しましょう。

日本のジェンダーギャップが121位でも、「それがどうした」「今までそれで困ったことがないし、これでいいんだ」という人たちが、ある一定層いるのではないかと思うんです。それも医学部の上のほうなど(笑)。そして政治や経済の上のほうなどにいるのではないかという気はしています。

島田:ありがとうございます。繰り返しちゃいますけど、「くっそー」とおっしゃっていても「なんてお上品なんだろう」と思いました(笑)。

(一同笑)

でも、ある意味すごく大事なことだと思います。

「女性の自由な生き方」を応援したい

島田:なぜ女性を助けたいと思われたのか、うかがってもいいですか?

対馬:それはやっぱり私が女性だから。「女の子で残念だったね」と言われながら育ってきましたので。「どうして女の子だと残念なの?」と思いますよね。

例えば「医学部に行きたい」と言っても、「いやいや、女は必要がないよ」「お嫁さんに行きなさいよ」と言われてしまう。小さいときには、余計なお世話だなんて言えないじゃないですか。でも「なんだか嫌だなぁ」と思っていました。

私がやりたいことをやることに対して、周りのみんなが応援してくれるようになってほしいと思ったんです。そうするためにはどうしたらいいのかと思ったときに、「私が女の人を応援する人になろう」と思ったんです。

そうすると、みんなが女の人をどんどん応援していき、それが普通になる。遠大な我田引水のような(笑)。結局は私のためにやろうと思ったんです。それが中学、高校くらいです。

島田:ファーストペンギンという言葉がありますが、そのときにはなにかをガーッと打ち立てたようには見えなくても、秘めていた思いで今が作られているんだろうと思います。先生は医学の分野ですけれども、今うかがっていて個人的にグッときました。

対馬:そうですか。ありがとうございます。

島田:なぜなら、自分であればそんなことを言われたらもう「続けられるかなぁ……」と思ってしまいます。そのあたりはまたあとでいろいろと聞かせてください。ありがとうございます 。

対馬:今日は根性がある人たちが……。

(一同笑)

島田:時間通りには終わらないかもしれませんね(笑)。ありがとうございます。

“女子アナ”からの脱却を目指す理由

島田:では小島さんお願いします。

小島慶子氏(以下、小島):よろしくお願いします。私は1972年に生まれて、1995年に就職しました。ですから雇均法のあと。ただ1995年に就職する私の世代は、就職しても25歳ぐらいで辞めて専業主婦になる人もまだまだ多かったので、私自身があまり働き続ける人生を想像したことがなかったんです。

ただ失恋したときに、どうして悲しいのだろうとよく考えてみたら、実は「銀行に内定していた彼氏に振られちゃったこと」が悲しかったんですね。

対馬:エリートだったんですね。

小島:そうなんです。自分が将来をともに歩んでいきたいというパートナーを選ぶときに、その人の就職先や経済力などを最優先に見なくてはいけない現状があったからです。

それであれば、相手に求めるのではなくて自分がそれをクリアすれば、相手を経済力以外の基準で見ることができるのではないだろうかと思い、男性と対等な待遇の仕事を選ぼうと思ったんです。

それから25年が経ち、今は状況としては良くなっている部分もありますが、まだやっぱり女の人と男の人のさまざまな待遇の格差や、今のお話にもあったように、周りから「女の子はこれが限度だよ」と言われてしまう刷り込みなどにより、夢を諦めている女の人もたくさんいると思うと、私もなにか言ってあげたいと思うんですね。

放送局でアナウンサーの仕事をやっていると、いまだに“女子アナ”という俗称で呼ばれたり、女性のキャリアの勝ち組のように言われたりもしますが。私はやっぱりメディアの中にはいろいろな役割の女性がいてほしいと思っています。

“女子アナ”というかたちで女性が脚光を浴びることが最初は必要だったのかもしれませんが、今後はもっといろいろなかたちで活躍する人が、テレビの中に増えてほしいと思い、そうしたことを文章に書いたりもしています。

状況を変えてくれるのを待っていられなかった

島田:なるほど。私と慶子さんはほぼ同じ世代。私は1973年です。

小島:では、ほぼ同世代ですね。

島田:お話を聞いていて、確かに私も最初のころは、うちの母が24歳で結婚をしているので、なぜか24までというものがあった。そのころは“クリスマスケーキ”などと言われていた(笑)。

小島:今考えると失礼ですよね。女の人は25歳から価値が下がるなどと言われていた時代。

対馬:医学部に行くと6年間でしょ。だからそれだけでもう婚期を逃すと言われたんですよ。

小島:年齢的にね。そうした時代でしたよね。

島田:だから言われてみると、そういえばキャリアを歩もうなんて別に思っていなかったということに気付かされました。

でもやっぱり今聞いていて、みなさんにおそらく共通しているのが、自分がその前例になろうという決意。ここの一歩を、おそらく私たちは歩んで来たんだろうと思います。「それならば自分がやってみよう」と。あとで、何が自分のエネルギーになったのかを聞いていきます。

対馬:日本人は「周りの人と同じにしておこう」と思いがちじゃないですか。それをなぜ、自分は違うことをしようと思ったのか、ぜひ聞きたいです。

小島:せっかちだったんですよね。待てなかった。ほかの人が変えてくれるのが待てなかったんです。

実は会社に入ったあと、9年間労働組合の執行委員をやり、7年間副委員長を勤めました。ずっとワークライフバランスの制度づくりをやっていたのですが。それも待っていても変わらないから、それならば自分が変えようという思いです。せっかちだったことが、今思えば結果としてはプラスだったという気もします(笑)。

島田:それはとてもよく理解できます。私もどちらかと言えば、おそらく一緒だと思います。待てない。

小島:「では自分が」という感じ。

島田:やっぱりそうなっていたかもしれませんね。

管理職になれば、今より好きなことができる

小島:自分が経営者側に行くことは想定していなかったんですか?

島田:いや、ぜんぜんありませんでしたね! すみません、私の話になってしまって。人事部長にはなりたいとは思っていました。なぜなら、好きなことができるから(笑)。

小島:いろいろと改善したいところとか?

島田:そう。いろいろ上に全部おうかがいを立てるのではなく、制度も人のことも組織も「こんなふうにしたいんだ!」ということを、一番やれる人だと勝手に思っていたんですね。

対馬:裁量権があるから、なろうと思った?

島田:そうです。

対馬:そうしたロールモデルだったんですね。

島田:管理職やリーダーになりたくないという方によく質問されることがあります。そのときに私がいつも言うのは、「(管理職になれば)いまより好きなことができます」ということ。もちろんやろうと思えばできるんですが、承認をもらわなければいけない人が減ると、本当に好きなことができる。

その好きなこととは、自分のためだけではなく、やっぱり組織にいる人をみんなハッピーにしたいと思っていたんですよね。

ありがとうございます。メディアのお話は、ぜひあとでもうすこし聞きたいと思っています。