「文化」と「観光」の力で社会的課題を解決する「京都モデル」

宗田好史氏(以下、宗田):2日間の国際会議(注:京都市にて12月12日と13日の2日間で開催された「国連世界観光機関/ユネスコ 観光と文化をテーマとした国際会議」)を終えまして、今日は専門家のみなさんにお集まりいただいてシンポジウムを開催します。先ほどの国連世界観光機関(UNWTO)のブトレールさんのお話にもありましたように、今、観光で世界を回る人は14億人。それが2030年になりますと、18億人。さらにどんどん増えていく勢いであります。

国際交流として、観光がとても文化的に良いということはよくわかるんだけれども、同時に(世界で排出される)温室効果ガスのうち5パーセントを排出したりとか、自然環境、それから文化遺産の破壊が極めて深刻。そのためユネスコと一緒に、「文化遺産を観光からどう守るか」という大きなテーマを抱えて、2日間の会議が行われました。

実は2017年にUNWTOは、持続可能な観光開発として「Travel」「Enjoy」「Respect」という3つの標語、つまり旅をすることは楽しみでもあるけど、地域の人々、それから地域の文化遺産に対して尊敬の念を持つことが大事だ、ということを言っています。

同時に、この会議の中でもビデオで何回も紹介していましたが、1つの旅はあなたの人生を変える。同時にあなたの周りの社会も変える。ふるさとに帰った時に、そのふるさとを変える力を持つかもしれない。だから、旅をするなら世界を良くしよう。世界に貢献する観光のあり方を、UNWTOによる非常に希望に満ちた言葉で、文化と観光のあり方を紹介しているわけです。

門川市長にこれからお話をうかがいますが、今回の会議では、文化と観光の関係を「京都モデル」として、京都の取り組みを大変高く評価していただきました。それは同時に、京都がオーバーツーリズム(注:観光客の過度な集中が地域住民の生活や自然環境に悪影響を及ぼすこと)で大変悩んでるということでもある。

ただ、京都は観光都市としての長い歴史もあるものだから、文化都市としての歴史と観光都市としての歴史を上手に調和させながら、今もその課題に取り組んでいる。その先進的な取り組みを紹介しつつ、京都のみなさんと一緒に世界の観光文化を考えていこう。そういう趣旨の会議だったと思います。

その意味でまず、「京都モデル」というキーワードが「観光・文化京都宣言」の宣言文の中に盛り込まれましたが、そちらをご紹介いただくと同時に、昨日のご講演で市長がご紹介された内容を、かいつまんでお話しいただければと思います。どうぞお願いします。

全国815自治体の「全国市区サステナブル度・SDGs先進度調査」で首位を記録した京都市

門川大作氏(以下、門川):はい、ありがとうございます。京都では年間約340回の国際会議が開催されています。たびたびいろんな会に出ますが、自然とこれからの明確な行動目標ができ、有意義な国際会議になったなと。これをしっかりと活かしていかなければならない。そんなことを感じております。

そして観光と文化の力で、あらゆる社会的課題を解決していく。世界で今、貧困・格差・紛争・環境破壊、さまざまな問題がございます。SDGs、誰一人取り残さない、そんな取り組みをしていこう。

京都は、文化を基軸とした都市経営を一貫して行ってきました。同時に観光も、おもてなしの文化に力を入れてきました。そして日本経済新聞が、全国815自治体の「全国市区サステナブル度・SDGs先進度調査」を74項目で調べられ、京都市はこの1月にSDGs先進度が一番という評価も得ました。なにも急に一番になったわけではありません。京都の地域力、文化力、歴史力、何よりもそれを支えている人々の人間力の賜物だと感謝しています。

その強みを全部活かそうということで、「京都モデル」という取り組みを、国際会議中の特別講演において紹介させていただきました。地域のコミュニティの力が、地域固有の文化を守る。そこに観光という要素が入ってきて、それをうまくプロモートする。観光客に来てもらうことによって地域固有の文化の評価が高まり、地域の人々の誇りになり、またその収益で文化が継承され、三者の調和のある関係を作っていく。こういうことが大事です。

その1つの例として、講演の中では、祇園祭で申し上げましたけど、京都には約2,000のお寺・神社がありますので、さまざまなお祭りがある。また地蔵盆とか、いろんな地域の催しがある。そのようなことを大事にしながら、コミュニティを破壊しない、逆にコミュニティを活性化し地域固有の文化を持続可能なものにする観光、ということを申し上げました。

京都の街を豊かにするための“3つの集中”の打破

門川:今、“オーバーツーリズム”ということが言われています。現在の京都という大きな多様性・重層性のある街を「京都はオーバーツーリズムだ」と、一言では言い表せられない。そこで私どもがやっていますのは、「3つの集中の打破」です。

1つは「季節の集中」。15年前、2月と11月で比較すると、観光客は3.6倍の差でした。今、最繁忙月と最閑散月の差は1.4倍になりました。2月、170万人台だったのが400万人を超えました。11月、660万人を超えていたのが、400万人台になりました。

これは、外国人観光客の影響ではないかということを言われますが、京都の観光は8割を超えて日本人観光客であります。さまざまな閑散期対策を市民ぐるみで実施しました。季節の集中は、随分改善されました。

2つ目は、「時間の集中」。宿泊することによって、朝に観光、夜にも観光ができる。宿泊施設の誘致も含めて、泊まる人がこの10年間で1割増えました。3割が宿泊しているが、まだ7割が日帰りなんですね。

3つ目は、「場所の集中」。これは悪化しています。SNS、インスタ映え、人が人を呼ぶ、こんな現象になってきました。例えば、大原三千院は過去多かった時の3分の1にまで観光客が減っている。高雄もそんな状況です。逆に伏見のお稲荷さんは、10年前はお祭りの時しか行っておられなかったのが、いつも観光客でいっぱい。

これをどうするかと。あらゆる取り組みで、この3つの集中を打破していく。そしてそれぞれの地域の豊かさにつながる、そんな観光にしていこう。

観光に従事する人の「3K」を守るべき理由

門川:観光というのは、本当に「人あって」のものです。私、教育長をしていたんですけども、「教育は人なり」と言いました。ですが、観光こそ「人なり」です。観光に従事する方は文化の体現者である。そして、観光で担い手を育てるためには、観光に従事する人が豊かでなければならない。

「3K」。観光に従事する人が「休暇が取れる」「給料がいい」、そして「希望が持てる」。観光事業というのは今、7割の人が非正規労働だと言われていますが、それでは持続可能な観光に絶対ならない。

みんなが観光に従事する人たちに尊敬の念を持って、そして文化を創造し、発信し、体現者になる。そして生活も安定する。先ほど申しました、年間の観光客数の差が最繁忙期と最閑散期の比較で3.6倍だったら、季節労働にしかならない。これを1.4倍にすることによって、正規労働になっていく。こうしたことをしていかなければならない。そして今回の「京都モデル」を広めていこうという中で、やはり国連世界観光の倫理憲章をより補強して、行動規範に持っていかなければならない。

私どもは、混雑、マナー、急激なホテルの集中、という3つの課題解決のための50の取り組みを始めました。地域の文化、地域の安心安全に貢献できない宿泊施設についてはお断りすると。地区計画、建築協定、あらゆる都市政策の手法を使って、そうしたホテルについては進出をお断りして、今足りない若者向けのマンションとか、あるいはオフィスビルとか、そんなところに支援をしていきたい。

こういうふうに考えています。そうしたことも国際会議で発表させていただき、共感を得ました。

25年前、世界文化遺産に登録された「古都京都の文化財」

宗田:ありがとうございます。地域住民あって、コミュニティあってこその観光だということで。地域住民のみなさんが「嫌だ」と言うホテル・民泊は作らないということをはっきりとおっしゃった、1つの転換期と言ってもいいような取り組みではなかったかと思います。

市長もおっしゃったように、実はこの京都市民の取り組みは、確かに世界に評価を受けるような部分がある。

世界文化遺産に登録された、古都京都の文化財。実はこれ、1994年(に登録されて)、今年25周年を迎えます。25年前に、京都市で都市計画、景観政策の仕事を中心になって担当されたのが、今からお話をうかがう苅谷さんであります。

今日は日本イコモスの副委員長としてご紹介をさせていただきましたが、実は京都市から文化庁に移られて、建造物課で全国の文化財建造物、それから町並み保存、伝統的建造物群保存地区のご担当をされ、監査官をなさっていました。そして今は国際的に、イコモスを舞台に活躍しております。

その25年を振り返って、京都がどうだったかということをぜひうかがいたいと思います。元京都市職員の苅谷さんです。

苅谷勇雅氏(以下、苅谷):はい、元京都市役所の職員でありました、苅谷でございます。今、宗田先生もおっしゃいましたように、古都京都の文化財が世界文化遺産に登録されて25年経つんですね。本当にびっくりします。

ちょっとそのときの思い出みたいなことを言いますと……古都京都の文化財を世界遺産に登録するということで、準備作業は登録の2年ぐらい前から本格的になったんでしょうかね。そのとき、私は都市景観課の職員でした。

そのときに、文化財の保存そのものは、市の文化財保護課が中心になってまとめるけれど、周辺の景観を「バッファゾーン」という言い方をしていて、バッファゾーンの対策については景観担当がやれという話で。一生懸命バッファゾーンの境界線を引いた覚えがあります。

京都の未来は、京都市民が自分たちで選び取った

苅谷:ただちょっと申しますと、そのときも今もそうなんですが、バッファゾーンという言い方はちょっとおかしいんじゃないかと。中心の文化財があって、その周りの環境を整えるというんですが、無理やり犠牲になるようなニュアンスで、上から目線のような感じがしたんですね。

だから「緩衝地帯」とか「バッファゾーン」という言い方じゃなくて、もっといい言い方があるんじゃないかな、とそのとき思ったんですけど。残念ながら未だそういう言い方をしています。

で、そのちょっと前くらいから、京都は本当に景観問題が大変で。私ぐらいの歳の人はよくご存知だと思いますが、京都駅とか京都ホテルの改築、その他のビルの建築等で、大変大きな問題がありました。

それで改めて京都の景観をどうするかという市民的な議論があって、最終的には世界遺産登録の翌年3月に、京都市景観整備条例というのを市街地部分対象でできました。風致地区等の条例とか、それから屋外広告物の条例とか、あらゆる景観対策をかなりグレードアップして作ったんですね。

私自身はその原案作りの一部を担っていて、成立するか非常に心配していたんですが、市民にそれを了解していただいたし、議会にも承諾していただいたんですね。それからどんどん、またあとでも話が出てきますが、京都市の景観行政や文化財行政が発展してきているわけです。

私は、京都市民はそういう京都の未来を、自分たちで選び取ったんだと思うんです。「京都がやや我慢しなくてはいけない部分があるんだけど、そのことによって京都の特性・魅力を維持できるならば、私はそういう京都が好きだ」というふうに、市民が納得したんだと思います。

そういうことで、京都の文化財行政あるいは景観行政が発展したんじゃないかなと思います。

その地に住む人々や町並みも含めて世界遺産である

宗田:ありがとうございます。1990年代、バブルが崩壊した直後で、その頃は地価も急速に下がるとか、企業の倒産も続くとか、それから大学も外に行くとかっていう、非常に厳しい状況でした。その中で景観政策に向かって、あるいは世界文化都市としての可能性に大きく舵を切ったわけですが。

京都も大きく変わりました。実は1992年に日本は世界遺産条約を批准したんですが、それからもう27年経ちまして、世界遺産の世界も随分変わってきた。

稲葉先生は以来ずっと世界遺産委員会にご出席されている、日本でも珍しい世界遺産の専門家です。その25年、世界と京都の関係についてちょっとお話をいただければと思います。

稲葉信子氏(以下、稲葉):ありがとうございます。筑波大学の稲葉信子でございます、どうぞよろしくお願いいたします。

京都が世界遺産になったとき、私は文化庁の職員で、世界遺産条約を担当しておりました。ですので、推薦書を作成するお手伝いをさせていただきました。そのときに京都市にいらしたのが、苅谷さんで。タイのプーケットで開かれた世界遺産委員会に一緒に出席いたしまして、そして京都が世界遺産になったときに同席というか、それを見届けさせていただきました。

その数年後に、この京都で世界遺産委員会を招致いたしました。そのときの出席者はわずか200人を超えるぐらいだったんです。その後、現在ですね、世界遺産条約の加盟国は190ヶ国を超えて、ユネスコの加盟国に迫る数になりました。それだけユネスコの中でも世界的に非常に人気がある、著名な条約になりました。本当に、世界遺産条約が世界条約になっております。

そして京都が(文化遺産に)登録されてから25年ですよね。この25年の間にそれだけ加盟国が増えたことで、世界遺産委員会での議論も大きく発展をいたしました。

まずは「世界遺産はエリートのものではない」ということ。文化遺産は地域の多様性、文化の多様性、そして遺産の多様性そのものも考えなくてはならない。町並みも、そして工場も庶民のものである。「それらも含めて世界遺産である」ということで、まず大きく世界遺産が舵を切ったときだと思います。

世界遺産の価値は、どこか1つの組織が決めて押し付けるものではない

稲葉:その後ですね、苅谷さんもご専門の「景観」。景観は美しさだけではありません。景観は周りに住む人たちでありますから、周りの人と一緒に生きるということはどういうことなのか。

世界遺産というのは、いわば文化と人が一緒に生きる大事なモデルなんですね。そのモデルであることはどういうことなのか。アフリカや南米の国など、世界中のたくさんの国が加盟する中では、その国の中でできることを考えていかないと、(一様に世界遺産を認定するのは)まず不可能なことです。

そういうことを考える中でいろいろ……京都にも文化的景観はありますよね。そういう地域の産業・生業と生きることは、何ということなのか。そういうことを考えるようになった。

それからもう1つ、「HUL」。Historic Urban Landscapeと言って、歴史的都市景観と生きることはどういうことなのか。そして今一番大事なことは「HIA」、Heritage Impact Assessment(文化遺産の持つ価値への開発等による影響度合いの評価)。これが今、私たちが考えなきゃいけない作業なんです。

文化遺産の価値は上から降ってくるものではない。世界遺産の価値はどこか1つの組織が決めて、それを押し付けるものではない。「世界遺産の価値は、自分たちがまず考えるところから出発するんだ」ということが、世界遺産委員会の中での大きな変化だったんですね。

価値を自らきちんと考えて、その価値と生活、あるいは生業や景観とがどういう関係になっているのかをしっかり分析して、それを制度に落とし込んでいく。そういうことが大事な作業だと、私たちは今考えております。

そういう意味で言うと、実は世界遺産委員会が先を進んでいるわけでもなくて。世界遺産委員会、あるいはユネスコの職員は、パリのデスクに座っているだけでは何もわかるわけではありませんから。世界で何が動いているかということに注意しながら反映させていかなければならない。京都市は、そうしたことをずっと長いこと着実に考えて、それを制度に反映させてきた。

最初はどこにも正解はない。それぞれが自分で考えることが大事である。それを制度に落とし込んでいくことが大事である、ということです。“The answer”はない、と私たちは考えています。

文化遺産の保存・継承のカギは「地域住民の尊重と参加」

宗田:言い方を変えますと、京都で我々が悩んでいることは、世界中で同じようにみなさんが悩んでいる。それは保存もそうだけども、観光がまさにそうであって。これが課題解決先進都市としての京都のあり方で、その課題を解決するのは、市民のみなさん一人ひとりだということだと思います。

ちょっとご説明いただいたので補足いたしますと、1994年に世界文化遺産に古都京都の文化財、17の社寺が登録されたのち、1995年に「オーセンティシティに関する奈良宣言」が出て。98年にこの会場で、世界遺産委員会が開かれました。

そのときに、今でも印象に残るのは、当時のユネスコの文化財保護部長(ムニュール・)ブシュナキさんが、京都市内で3回講演されたんですが、伊勢神宮のことを紹介されました。文化遺産の持つ無形の価値、それから地域のみなさんがその伝統を受け継いでいく。20年おきに式年遷宮されるということで、親から子に、子から孫に伝わることについて、非常に重要なことをおっしゃいました。

2012年に、世界遺産条約40周年記念の国際会議の最終会合が、やはりこの国際会館、京都で開かれました。そのときは「コミュニティの参加」、地域住民の尊重・地域住民の参加による保存ということが、大きなテーマとして語られたわけであります。

京都市はその意味では、世界自由都市宣言を定め、永久に新しい文化都市であり続けるということを、世界平和のために使っていくと宣言されているわけであります。

昨日・今日の会議の中で、門川市長のご発言で非常に印象的だったのは、「観光を担う人が文化を担う人でもある」と。これは京都に住む、とくに若い次世代の人たちのことを指しておっしゃっているわけですが。この重要な意味を、ぜひ門川市長からもう一度うかがいたいと思います。

サービス業を軽視しがちな日本が抱える、“観光の担い手”教育の遅れ

門川:私は、日本社会が大好きです。いい面はいっぱいあるんですけど、ものづくりは非常に尊重される。しかし、サービス業はものづくりより下に置くような雰囲気がある。例えば、文化庁が京都に機能を強化して移転してくるときに「生活文化を大事にしよう」と。食文化も文化としてようやく、2年前の法律改正で位置付けられました。

そして、京都で日本料理アカデミーを発足させた一人の村田吉弘さんが、料理人としては初めて文化功労者になられた。お茶碗を作っている人はいっぱいいるし、人間国宝や文化勲章をもらっている人もいるけど、料理を作っている人はなかったと。これは不思議なことなんですね。あえてこういう言い方をすると誤解があるかもしれませんが、サービス業を下に見るような。こういう雰囲気がある。

しかし、観光というサービスを営む人が一番尊ばれるような社会にしなければ、文化の継承も、そして文化観光立国も成り立たない。このように思うんですね。みんなで尊び、そしてその人たちが社会的にも処遇をきっちりされる。そのことが文化と観光の良い関係を作り、持続可能なものになり、それぞれの地域が文化と観光で元気になる。そして世界にも貢献できるということです。

極端に言いますと、日本に大学はたくさんあるんですけども、アメリカなどに比べると観光の担い手を育てるところがなかなかないんですね。京都大学の経営管理大学院に、やっとMBAコース(専門職学位課程)に観光経営科学コースができたんですけども。そういうことも含めて、大学のまちです。担い手を育てる、それは文化の担い手である。こういうことをしっかりと取り組んでいかねばならないな、と改めて思いました。

宗田:担い手というのはとても大切で、第2部でも、まさにその担い手である社寺のみなさん、あるいは観光の分野で活躍されている方のお話をうかがいます。