上場企業のエリート社員はなぜ孤独死したのか

菅野久美子氏(以下、菅野):そうですね。本で取り上げた孤独死した男性の事例でも、教育的虐待を受けていたせいで、本人はすごくモテていたらしいんですけれど、親の影響で内向的な性格になり、女性と付き合うこともできずに……。

超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる

宮台真司氏(以下、宮台):ああ、あの英語ぺらぺらの男ですね。

菅野:そう、英語ぺらぺらの(笑)。鹿児島の、仮名大介さんなんです。大介さんは、厳格な親の元で育って恋愛も億劫になり、一部上場企業には勤めてシカゴ支店にも栄転するほどの花形だったのですが、上司のパワハラでつまづいて、退職してそこから家に引きこもるようになっていたんです。部屋の中には、大好きなヘビメタのCDが異様なほどに積んでありました……。

私も彼が亡くなった現場に行きましたが、まるで、彼の心の壁を築いているようなすさまじい量で驚きました。彼には妹さんがいらっしゃるのですが、亡くなる数ヶ月前に、何十年振りにお兄さんに再会していたんです。

奥山晶二郎氏(以下、奥山):菅野さん、宮台さんのお話を踏まえて、彼が妹さんに心を開いたという場面は、どこが鍵になったと思われましたか?

菅野:家族の中でも、唯一妹さんだけが、自分の味方だった。大介さんは、親からもすごく期待されて地元の国立大学に進学した。私が大介さんの部屋に行った時も、東日本大震災で食料がなくなったのが恐怖感につながったみたいで、家にカレールーなどをタワーみたいに(山積みに)していました。米俵とかもすごい数があった。カビだらけで、異様なというか、すごいモノ屋敷でした。

妹さんが何十年振りにたまたま連絡して「ちょっと兄の家に行かないとまずいかも」というので行ったら、「まさかこんなことになっているとは」と、びっくりするんですよね。久々に再会した兄は、服も臭いし歯も全部なくて、まるで老人のようだった。そんなお兄さんの惨状を知って、立て直していこうという矢先に、去年の熱中症で亡くなってしまった。

他人をコントロールしようとすることで起こる悲劇

宮台:大介さんはエリート社員で、若いときはモテていた。でも、彼が育った家族を見ると、親が子どもをコントロールする「文化」に支配されていた。これは僕もたくさん目撃してきたケースです。ただし女ですがね。ということは、男女の区別なく、同じことが起こるということです。

僕は、コントロールの反対にフュージョンがあると思っていて、コントロール系、フュージョン系という言葉を使っています。誰だって人間関係をコントロールしようとする場面はあります。だから、そうじゃない場面を作れるかどうかがポイントです。さっきの「委ねる」ということも、フュージョンすることです。フュージョンの享楽を知っていれば、委ねることができます。昭和の時代に青春を送った人であれば、多かれ少なかれそれを知っているはずです。

でも、たとえ昭和に育っても、コントロールによって全面的に翻弄されてきた男は、コントロール以外のコミュニケーションの仕方が分からなくなるんです。そこから2つのことが分かります。第一は、母親にコントロールされてきた男は、女をコントロールすることでリベンジを図ろうとしがちであること。第二は、そうは言っても、よほどやり方を知っていないと、人をコントロールすることなんかできないということ。

だから、「恋愛=コントロール」だと思っている男は、結局は相手をコントロールしきれないので、恋愛が面倒くさくなっちゃうんです。デートをしても、相手をコントロールしきれないので、面倒くさいと感じちゃう。コンロールしきろうという発想自体がクズだとは思うんだけれど、彼らが悪くてそうなったわけではない。

「コントロールなんかしきれないので、もう女はいいです」「ばーか、コントロールなんかしねーんだよ」という感じですが、そんな当たり前のことを家族の中で学ぶことができなかった男は、フュージョンができないから、自分を委ねられないんですね。

大介さんみたいなタイプの人は、ワークショップを通じて多数見てきました。イケメンだし、スタイルもいいし、才能もあるし、モテる要素がいっぱいあるのに、心の働き方に問題を抱えているわけです。だから、周りが被害を受けるんですね。

菅野:そうですね。お部屋も被害を受けていますね(笑)。

現実的な処方箋は、親に子を支配させないこと

奥山:ちょっとお時間が割といい感じになってきたので、とりあえず締め的な。だいたいあと10分弱くらいでこのテーマをお話いただいて、質疑ができたらなと思っています。最後、特に締める必要もないんですが、締め的な……。

宮台:締めないと、夜中までやるのはきついですよね。

(会場笑)

奥山:これは多分、永遠に語り尽くせないテーマだと思いつつ、あえて孤独死前提の社会みたいな課題、仮テーマを挙げた場合に、先ほどの「委ねる」「フュージョン」というところが1つキーワードになってくると思いました。「委ねるという扉を開けてもらうためには、喫緊でなにかできることはあるのか。あるいは中長期的なスパンだったらなにかできることはあるのか」 は、どうお考えですか?

宮台:僕が恋愛ワークショップをやめて、親業ワークショップに一本化した理由は、現実的な処方箋がそれしかないと思ったからです。つまり、歩留まりが悪すぎるんです。確かに、毎週1回会って、2年も3年も付き合うことができるならば、僕にもかなりのことができるだろうという自信があります。しかし、いまどき社会人を相手にして、そんな関係性を作れないでしょう。

そうすると、現実的なのは、親が子どもを育てるプロセスに介入することです。つまり、親に子を支配させないという方向で、親をコントロールする実践です。拙著『ウンコのおじさん』でも書きましたが、「あなたがたはすでに劣化した親なので、あなたがたが子どもたちを抱え込んだら、あなたがた以上に劣化した子どもたちができあがります。だから、子どもを抱え込まず、親以外のまともな大人に預けて、委ねてください」ということです。

子育て指南書 ウンコのおじさん

“言葉の外でつながれる子ども”を育てるために必要な体験

親以外のまともな大人が「ウンコのおじさん」です。そう呼ぶ理由は本を読んでいただくとして、ウンコのおじさんには2つを期待したいのです。第一に、子どもと一緒に森で遊ぶこと。森で爬虫類や昆虫や魚類と戯れることは絶対必要です。すべての理由を話す時間はありません。

1つだけ言います。目が合うか合わないかで愛の強さが変わることを学べます。バッタは目が合わないけれど、カマキリは目が合うでしょう。だから、カマキリがバッタを食っても、バッタをかわいそうがらないんです。カマキリは目が合うから、名前までつけちゃう。その事実を子どもに気づかせる。

すると、目が合うことが絆にとって大切だと学べます。たくさんの中の1つの例に過ぎないけど、それを含めて森に連れていって、昔から人がしてきた体験をさせてくれるような「ウンコのおじさん」に子どもを委ねることです。子どもは「言葉の外で、法の外で、つながれる人間」に育ちます。

第二に、昔のコンテンツ。今のように劣化したコンテンツじゃなくて、60年代のコンテンツ。これらは勧善懲悪ではありません。悪にも理由があるし、善はほとんどが偽善なのだ、と教えてくれます。

『ジャングル大帝』も、悪いのは猛獣ではなく人間。『ゲゲゲの鬼太郎』も、悪いのは妖怪ではなく人間。『ウルトラマン』でも、悪いのは怪獣ではなく人間。そういうコンテンツを3歳から順序立てて見せると、小学校に入るまでに勧善懲悪が嫌いになります。ウヨ豚や糞フェミみたいに、敵味方図式にはまるクズにはなりません。

でも、それは親にはできない。すでに劣化していて資質を失っているからです。だったら、子どもを資質がある大人に委ねるんです。僕に委ねてくれたら、手で虫や爬虫類をとる名人だから、森にも連れていくし、コンテンツ研究は僕の仕事ですから、最良のコンテンツも見せられます。

でも、個人が抱え込むのは数に限界があるから、将来的にはITも使って、親がなにをすればいいのか、誰に委ねればいいのかを、劣化を自覚する親に提示できればいいなと思います。

自分が心を開ける相手がいる幸せ

奥山:その辺は、菅野さんはあらゆる現場を見てきた中でどう思われますか。

この記事は無料会員登録で続きをお読み頂けます

既に会員登録がお済みの方はログインして下さい。

登録することで、本サービスにおける利用規約プライバシーポリシーに同意するものとします。

SNSで会員登録

メールアドレスで会員登録

パスワードは6文字以上の文字列である必要があります。