ALS患者は未来を生きている

吉藤:本当に普通の人間よりフットワークがはるかに軽い。すごいですよね。私の知っている80歳のALSの患者さんなんかはね、ヘルパーとかみんな連れて、スイスへ旅行に行きました。OriHimeで、とかじゃなくて本当に生身でスイスに行っちゃうんです。

呼吸器つけている人……しかもね、車椅子というかでっかいストレッチャー型のベッドみたいなので旅行に来るなんていうのは初めてだから、スイスの人はみんな驚いて「日本やべぇ!」みたいな感じになって。

武藤:ALSって、運動神経だけは壊れているんですけれども、頭で考える能力や、感覚っていうのは残るんですよ。だからみなさん、いまだにご自身でアイデアを考えて、発想している患者さんがとても多いですね。

吉藤:もともと私がALSに私が出会ったのは4年〜5年ぐらい前かな。2013年なんですけど、それまでまったくALSのことなんか知らなかったし、「なんだそれ?」みたいな感じでした。

もともと「入院している子どもたちが、OriHimeを使って学校へ通えるようにしよう」ってやっていたところでALSの人たちに会って、その人たちを見て思ったのは「かわいそう」とかじゃぜんぜんなくて、なんか(ALSの人たちは)みんなが人としておもしろかったんですよ。

私の初めて会った人の話をしますけど、50歳の女性だったんですね。もともと体育教師をされていて、もう首から下が動かなくて、初めて会った時もベッドで寝たきりになっちゃっていたんだけど、ジョークとかも言うし、タバコは吸うし、酒は飲むし、豪快な人だったんですね(笑)。

ただし、自分の体がこうなっちゃっていることを他の人に見られたくないっていうことで、まったく友達を自分の家に入れない、インターフォン越しだけでしゃべるみたいな感じでした。そんな人を「じゃあOriHimeでどう外に出せるだろう」っていうので、「この人をバーベキューに連れて行きたいな」みたいな(ことになりました)。その人のことは人間的にすごく好きになって、すごく居心地よかったんですよね。

だから共通して言えるのは、私はいろんな病気の人と出会っていますけど、ALSの方は特に……呼吸器をつける選択をされるからなのかわからないんですけど、未来を見ていますよね。それで、ネガティブな言葉が本当に出てこないんですよ。

武藤:実際みなさん「未来に向けて、今できることに集中して、がんばればいいじゃん」っていうマインドの方がすごく多いです。そういう患者さんに会うと、僕らももう1回ポジティブな気持ちになりますし、そういう仲間が集まっていけば、やっぱり未来って変わっていくねって、今は本当に思うんですよね。

ALS患者の前向きな姿勢こそが1つのソリューション

吉藤:ALSの協会がイベントとかやっていますけど、行くだけでおもしろいので、ぜんぜん用はないけど、私はフラッと遊びに行くんですよ(笑)。そしたらなんか、元気もらって帰ってくるみたいな。

武藤:キャラの濃い人が多いですね。

吉藤:みんなキャラ濃いですよね。だから、あのイベントはやばいですよ。みんな寝たきりなんだけど、ぜんぜん、寝てないし。

(会場笑)

吉藤:「動きまくっとるやんけ!」みたいな感じで。

武藤:みんなハイテクなんだよね。みんな、視線入力装置とか、いろんな装置を使って、バンバン、コミュニケーション取るよね。すごいよね。

吉藤:ALSだけじゃもったいない気がするんですよね。だからALSの人たちのあの空気の中にいろんな人たちを連れてくると、みんなもう過去のこととか今のこととかじゃなくて「未来はどうなるだろう?」っていうワクワクしか生まれないような気がします。あれは本当に、イベントをやったほうがいい気がする。

さっき私は「あきらめない」って言いましたけど、それってすごく大事です。薬とかもなんでもそうだけど、やっぱり気持ちが大事です。「病は気から」じゃないけど、本当に気が滅入っていると何もできなくなっちゃうので、「病気と闘おう」とか「呼吸器をつけよう」も含めて、どうやったら生きることに前向きになれるかっていう。そこって実は、ALSのあの世界は1つのソリューションか、そういうものになっているんじゃないかっていう気がすごくしました。

武藤:みなさんもご存知の方も多いかと思うんですが、まだALSの抜本的な治療方法っていうのは確立されていないんですね。でも、4年前のアイスバケツチャレンジや、本当に多くのみなさんの行動によって今、少しずつ治療薬や希望が生まれてきています。

でも本当に、ALSの患者一人ひとりが「ALSが治る未来を本気で実現していける」とみんな信じているので、みんなが信じた夢は、必ず実現できると思うんですね。だからこうやって今日この場で、同じ時間を共有してくださるみなさんとも、必ずALSが治る未来に向けて、行動し続けていければなぁと思っています。

樋口:なんかね、締めみたいな感じになっちゃいまいた(笑)。

(会場笑)

樋口氏が振り返る、武藤氏の熱意が伝わった瞬間

樋口聡氏(以下、樋口):そうなんだよね。本を作っていたときに武藤さんに張り付いていたので、埼玉のALSの交流会があって、我々もそこへ取材に行かせてもらったんですね。

その時、僕は初めて武藤さん以外のALSの方を間近に見て、やっぱり最初はすごくインパクトがありましたね。そのインパクトがあって、武藤さんがお話をされてという中で1つ、ちょっと印象的なエピソードがあってね。

武藤さんが「僕はとにかく前を向いて生きていくっていうことを実践しているんだ」っていう話をされた途中の質問でね、1人のALSの方が「いや、武藤先生」って言ってね。「そんな、限界超えていくって言うけれども無理ですよ」って言うんだよね。その方は奥さんといらしていて、おいくつぐらいの方ですかね? けっこうご高齢の方ですよね?

武藤将胤氏(以下、武藤):70代後半でしたかね。

樋口:ですかね。「今、奥さんと来ているけど、気管切開なんかしたらこれ以上迷惑をかけることになる。だから、僕は気管切開するつもりなんかないんだよ」みたいな話をされて。武藤さんはそれに対して「でも、もう僕だってそうですよ」「日々、一歩一歩なんです」みたいな話をしていました。

それで、その後なんですよね。その方が、ツツツーッとうまく来てね。武藤さんに、「でも、がんばってくださいよ」って。明らかに武藤さんの話を聞いて啓発をされているんですよね。着火している。あのおじさんも「自分もやっぱり前向きに生きていこうかな」って思ったよね。

だから、そういう行動をし続けていくっていうことの大事さっていうの? 今オリィさんが「あきらめないこと、生きること」っていうことをおっしゃったけど、それはやっぱり、誰かがやんなきゃいけないんですよね。

武藤:ちょっとでもそういう力が生まれるのであれば、僕はどこにでも行って、一緒にお話しして、乗り越えたいですよね。だからあの場でお会いできたからこそ、一緒に前を向けたタイミングでもあったなら、行けてよかったですね。

「アイスバケツチャレンジ」を武藤氏はどう見たのか

樋口:そういうふうに「とにかく前を向いて生きていくんだ」っていうのが、やっぱり我々とまた違うニュアンスじゃないですか。オリィさんはもう最初から「ALSの方たちはおもしろい人だ」っていって飛び込んでいくんけれども、まぁ、なかなかね。

アイスバケツチャレンジっていうのはすごく大きなムーブメントであったけれども、やっぱり「水をかぶる」っていうところだけが一人歩きしたじゃないですか。募金はすごく集まったっていう点で意味はあったけれども、そこって難しいですよね。どういうふうにイメージを持っていったらいいのかって。

吉藤オリィ氏(以下、吉藤):ちなみに、武藤さんはアイスバケツチャレンジに関してはどんな印象を持たれていますか?

武藤:僕はちょうど、先ほどお話ししたように、ALSの宣告を受けた年だったので、あの氷水をかぶるのがスマホに出てくるのも、すごく嫌だったんですね。それは「自分がもしかしたらこの病気なんじゃないか?」っていう思いもあって……。

寄付金がこれだけ集まったことや、ALSという病気の名前が広がったことにすごく意味があったんですが、どういう病気なのかっていうのは、理解をしていただくまでの活動になかなか至らなかったなっていう印象があったんです。

じゃあ僕たちは、ALSとともに生きていく中で、みなさんにちゃんと認知から理解までしていただける活動を続けていかないといけないなという、今のWITH ALSを立ち上げた原点にはなりましたね。

吉藤:今のWITH ALSのキャラクターもあれ、そうなんですよね? どこかにないかな、今見られるところにない?

樋口:本の中にあるんですけど……バケツの?

吉藤:そうそう。みなさん、よかったら本の中で探してみてください。バケツをかぶっている、かわいいキャラクターがいるんです。最後のほうです。

武藤:ずっと頭の中にいたキャラクターを作ってみたんですね。というのも、4年前にアイスバケツチャレンジというキャンペーンがあって、これ自体はもう終わってしまったけど、僕たちのゴールはALSが治る未来を作ることだったよね。

ならば、僕がアイスバケツをかぶり続けるよっていうことで、WITH ALS KIDっていうキャラクターでのコミュニケーションを行いたいと思って、キャラクターデザインを行ったんですね。僕のEYE VDJのプレイ中なんかも、よくこのキャラクターが登場します。

吉藤:ちなみにね、私にもバトン回ってきたんですよ。IT系社長たちの間でけっこうブームになっていて(笑)。

樋口:アイスバケツね。

吉藤氏は「遠隔操作」でチャレンジ!

吉藤:私も当時、長野でバカンスをしていたら急に「24時間以内にやれ」みたいなのバトンが回ってきてね。でも、私は普通にALSに関わっているし、OriHimeを使ってくれている患者さんである仲間もいるから、これはちょっとスルーできんなと思って。

でも、アイスバケツチャレンジをやることに対してやっぱり賛否いろいろあったんですよ。「俺はもう、バトンが来てもやらない」みたいな人たちもいて、どういうスタンスを取るか悩んだんです。ただ、(ALSの)当事者が「それ、おもしろそうだ」って言ってくれたんですよね。

実はそういうのがあって、「じゃあ一緒にやろうよ」っていう話で、寝たきりの80歳のALSの仲間がいたんですよね。その人に、まだその時はちょうど開発途中だったんですけど、「OriHime eye(オリヒメアイ)」というシステムで、目線で、目だけでOriHimeを遠隔で操作してもらって。

夜だったんですが、私の家の中は2階建てで吹き抜けがあるんですけど、そこを全部ビニールシートで囲んで。そこにOriHimeを置いて、OriHimeの動かし方で「なんでやねん!」っていうツッコミができるんですけど、この「なんでやねん!」をやると横にあるまな板が落ちて、そのまな板によってカッターが降りて。それによって紐が切れて、上にあるバケツがひっくり返って、バーンとかぶるみたいな。そういう「ピタゴラスイッチ」を作って。

(会場笑)

武藤:遠隔で?

吉藤:そうそう、遠隔でぶっかけるシステムを作って遊んでいましたね。あれは盛り上がった。そうそう、武藤さんには申し訳ないんですけど、その時はうちらの中では完全にお祭り騒ぎになっていて(笑)。

アウトプットの仕方は人それぞれでいい

武藤:でも本当に、アウトプットは何であれ、僕はいいと思っています。大事なのはゴールに向けて、KEEP MOVINGし続けていくかどうかだなぁと思ったんですよ。だから今僕にできる行動、挑戦っていうものを続けていこうっていう意味で、今年は「KEEP MOVING」っていうテーマで本を出版させていただいたんです。

樋口:そうですよね。そこからKEEP MOVINGっていうタイトルにさせてもらったよね。それでちょっとね、本の話もしたいんですけれども。

前向きに見ていくという武藤さんの、「前向きにしていきたい」「ビジュアルを入れていきたい」っていう命題を受けて、我々も「さて、どうしたものか」って、ずっとひっついて本を作っていたんです。

それで、お父様のお話をこの中に入れていてですね。お父様は最後に、この「KEEP MOVING」っていうテーマに対して、「武藤将胤さんがKEEP MOVINGできなくなっていく」っていう二重、三重の意味というのは非常に深いというお話があってね。

僕らもこれ、「本」を作ったんですよね。でも武藤さんはこの「本」を開くことはできないんですよね。だから今電子書籍を作っているんですけれども、そういうダブルミーニング的なものをね、僕らも最後に背負いながらこうやって作っているんです。

じゃあ、武藤さんはこれどうやってこの原稿をチェックしていただいたのかっていうとね、そのあたりもちょっと、お話しできますか?

武藤:ずっと原稿の出し戻しをさせていただく中で、Googleドキュメントに原稿を書いていって、僕はだいたいスマホかPCで、今動く自分の親指だけですべて文字も入力を行っていったんです。かなり気の遠くなるような作業ではあったんですが、チームのみなさんとずっと意見交換をしながらようやく実現できたから、良かったですね。

樋口:だから、武藤さんの新たなコミュニケーションの1つ、アウトプットの1つとして今回は本というものに挑戦したというところがあります。それで、武藤さんには原稿確認の段で初めて読んでいただきました。我々の意図を伝えたのは、その時がたぶん初めてだったと思うんですよ。

僕は聞いてないので、ちょっと聞いてみたいんだけども、武藤さん、この本はどうでしたか? どう思いました?

武藤:今の挑戦と、自分が生まれて幼少期から過ごし、どんなことを考えて育ったかっていうのを、生まれて初めてこれだけさらけ出したんですよね。なので、すごく恥ずかしくもあり、さらけ出したからこそ、「あっ、だからこいつはこんな挑戦を今やっているんだ」って、みなさんに知っていただけたらなと思いました。

それで、どこかにみなさんも共通点を感じていただけたらうれしいなと思います。それをきっかけに、みなさん一人ひとりにとっても、「今ある行動や挑戦を、もう1回がんばってみようかな」とか、「さらにがんばってみようかな」っていうことのきっかけになるようなものにしたいと思って作ったので、それはさらけ出せてよかったですね。

本の製作を通じてわかりあえた親子

樋口:あとね、もう1つ聞きたいのが今回、「武藤さんの目線」と「武藤さん以外の人の目線」っていうのを入れたんですよ。これは、本当にチャレンジだったんですけどね。本当に、どの方にお話が聞けるのかっていうのがわからなかったんですけれども。

武藤将胤っていう非常に興味深い男を本に落とし込むには、何か方法はないかって知恵を絞った結果、将胤さんに近しい人に話を聞くっていうのも1つの取り組みなんじゃないかと思い、将胤さんにアテンドしてもらって、奥様、お母様とお2人とも来ていただいています。

あとは、学生時代・大学時代のお友達、今のWITH ALSという事務所で闘っている方たち、最後にお父様にお話を聞いたんですよね。

その時は、将胤さんはいらっしゃらないんです。我々が取材をしている時には、将胤さんはいらっしゃらないんですね。だから将胤さんは、何を聞いて、何をやっているのかっていうのはわからないんですよね。

武藤:面と向かっては絶対こんな話ができないだろうなっていう内容のインタビューをしていただいているので、原稿になってみた時に、本当に本音の言葉ばっかりで……。

樋口:どうでした? たぶん、我々が送ったword(の原稿)で初めて見たと思うんですけど。

武藤:正直、これだけ本音の言葉を聞ける機会って、なかなかあるようでなかったんですよね。でも僕は、原稿チェックの段階で、何度もすごく涙を流しましたよね。「あっ、こんなふうに考えていたんだな」っていう本音の部分を知れたので、すごくありがたい機会だったんですね。

また自分自身については、たぶん1人の人間として自分が思っていることだけではなくて、相手にどう思われているかっていうことも含めてさらけ出せたのは、本当に本ならではのコミュニケーションだったんじゃないかなと思いますね。

樋口:本当にね、特に大学時代のお友達とかね、もう「マサLOVE」でね。「マサLOVE」。それしか言わないぐらいの感じだとか、あと今日もいらしてますけれども、WITH ALSの今闘っている人たち。それぞれにそれぞれの「将胤さん像」っていうのがあってね。それぞれ夢に向かっていっているっていう感じがありましたね。非常に興味深かったですね。

武藤氏が初めて見せた涙の裏側

樋口:それで、あとちょっと聞いておきたいのが、お父さんのお話です。今この本の特設サイトというのを作っておりまして、そこで今カメラを撮っている男が「撮影日誌」というのを書いているんですね。

最近のやつかな、ちょっと印象的なエピソードがあって、お父様のインタビューが終わった後、表紙かカバーなんかの打ち合わせをしていた時に、武藤さんがね、初めて涙を見せたんですよ。あんまり細かくは覚えてないんだけれども、それまで見せてなかった涙を初めて見せたっていうことに僕らはすごくグッときたんですよね。

さっき「さらけ出した」っておっしゃっていましたけど、武藤将胤という男をどうやってさらけ出させるかっていうのについては、僕らも仕事だったわけだから「嫌なところ」がほしいんですよ(笑)。「嫌なところ」が。だけど、なかなか出てこないから、どうなんだろうっていっていた時に、初めて(涙を)見せて、泣いたんですよね。あの時のことって覚えてらっしゃいます?

武藤:すごく印象的に覚えています。初めてインタビューの原稿を読んだ時ですね。なかなか親父なんて、本音のコミュニケーションを取れる機会はないよね。本当に本音のインタビューを見れて、よかったなと思った。この機会がなかったら、もしかしたらお互いに伝えられなかった思いかもしれないなっていうのを感じて、もう本当にこの本があったから、父からの思いに……。

樋口:本当にね、あの時の時間っていうのはありありと覚えています。だから僕ね、武藤さんに「お父様のインタビューって取れないですか?」「お話聞けないですかね?」っていう話をちょっとしたんですよね。ずっと武藤さんに取材していく中で、お父様にもお話聞きたいなって思って。

お父様はメディアには出ない人だって聞いたから、ちょっと言ってみるかっていう感じで言ったんだけど、ある日突然、「取れます」っておっしゃっていただきました。

武藤:珍しく受け入れてくれたっていうのは、僕的にもかなり驚きでした。たぶん、僕が本当に人生かけてチャレンジをしていることには、親父なりに協力するよって言ってくれたんだと思うんですよ。だから本当に、この本を通じて本音の部分が聞けてよかったなと感じています。

1人の男の話だが、家族の話でもあり、親子の話でもある

樋口:将胤さんにはお伝えしたんですけど、お母様とお父様は一緒にインタビューさせていただいたんですが、僕らが時間いただいているからということで携帯がずっと鳴っていても、お父様は出ないんですよ。

ずっと出なくて、1時間ぐらいでインタビューが終わった後に初めてハッと見た時に、「あっ、ホーキングが死んだ」って言ったんですよね。ちょうどその日だったんです。今、非常になんか演出感があるんだけど、それで全部僕ら持っていかれましたね。実はお父様は昔に、ホーキングさんをCMに起用したことがあるというお話をいただいてね。この本の中にはそういう話も載っているんです。

だから1人の男の話であるし、家族の話であるし、親子の話である、っていうところになんとか近づけられないかなぁと思ってやったんだけれども、よかったですか?

武藤:それは本当によかったですし、本をとおして本音のコミュニケーションができたのは宝物になりました。

樋口:最後の、校了の前の前の日ぐらいまでね、ずっと事務所に通いつめてやりましたよね。

武藤:それはギリギリまでやりました。そして、この場をお借りして(お礼を言いたいです)。この本では僕がデザインにものすごくこだわってしまったことで、みなさんにかなりお力をお借りしたと思うんですね。だから、これだけちゃんと自分らしいクリエイティブも表せられました。本当にありがとうございました。

樋口:先日かな、Amazonにいろいろ書いていただいた方がいて、その方が、本当に我々が考えていた意図を、まさにサクラなんじゃないかぐらいの勢いで書いてくれているんです(笑)。

帰りがけか、戻った時にでもお読みいただけるといいんですが、この本の造りだとか、構成だとかね、どういう意図でやられているっていうのを受け取ったっていうお話が書いてあるんです。ぜひ、お読みいただければと思いますね。いいレビューですよ。

武藤氏の「むっちゃいい」にたどり着くまで

樋口:本の感じを言うと、こんなところですかね。あと、オリィさんにもちょっと本の感想を聞いておきたいんだけれども、どうですか?

吉藤:私ね、武藤さん家に行ったら、発売前に「本ができたよ」って言われました。本に書いていることは知っていたので、「あっ、できたんだ」と思って、その場でパッと開いて、パラパラパラっと見せてもらったんですけど、その瞬間に、「あぁ、武藤さんらしい」っていうかね(笑)。あの本から武藤さんを感じました。

武藤:ちょうどね、本ができた日は打ち合わせでしたね。

吉藤:そうそう、本当にありがたいことに、その場で読ませてもらいました。やっぱり、凝り性ですよね。すごく「とことんやり抜きたい」というか、すごく「自分を表現したい」というか。……「自分を表現する」じゃないかもしれないな。

本が文字だけじゃないところにメッセージ性があるなっていうのを、すごく感じました。私もけっこう凝り性なので、そのへんはわかるというか。「おー!」みたいな。

だから武藤さんのこの服もそうだし、車椅子WHILLもそうだし、EYE VDJもそうだし、そういうところで今までやってきた武藤さんが本を出したということで、すごく連続した世界感を感じるような、1つの作品に仕上がっているなというのをすごく感じましたね。

樋口:そうなんですよね。聞いていたんですよ。周りの方にインタビューしていた時に、「いや、しつこい男なんだ」っていうのは……。

武藤:デザインは相当、大変でしたよね?

樋口:そう。でね、武藤さんはいい時って「むっちゃいい」って言う。見た瞬間に「むっちゃいい」って言う。だけどね、なかなかもらえなくてね。

(会場笑)

樋口:本当に最後の最後ですね。表紙のリテイクかなんかを出したときに「むっちゃいい」って言ったんですよ。覚えています?

武藤:だから相当、大変な思いをさせてしまいました。でも、納得いくものができあがりました。

「せりか基金」とのコラボレーション

樋口聡氏(以下、樋口):そうなんですよ。それでこの本にはもう1つポイントがあって、小山宙哉さんが描いている『宇宙兄弟』という漫画の中に出てくるキャラクター(伊東せりか)に由来して、ALSを啓発している「せりか基金」というものがあります。小山宙哉さんが中心となって、「せりか基金」という募金をやられているんですよね。

吉藤オリィ氏(以下、吉藤):今日もせりか基金のTシャツを着て下さっている方がいますね。

武藤将胤氏(以下、武藤):ねぇ。ありがとうございます。

樋口:そこにこの本の売り上げの一部が募金されるって言ったらいいのかな? そうしています。

武藤:ALSの治療薬の研究開発費を集めるファンドですね。僕たちWITH ALSも、「せりか基金」のみなさんと一緒にALSの治療薬開発費を集める活動をしています、みなさんにご購入いただいた(代金の)一部がALSの治療薬の研究開発費用に寄付されます。本当にみなさん、買ってくださってありがとうございます。

樋口:あんまりしゃべりすぎちゃうとあれなんですけど(笑) とにかく僕にはもう、本当にすさまじい体験だったんですよ。本当にすごい体験だった。それで、そのことを取材終わりに、一緒に取材していた人に「こう思った」とか「どうなんだ」っていうのはよくよく言っていたんですけど、とにかくすごいインパクトであったことは間違いないんです。

それで、自分の目線っていうんですか、それを変えるっていうのはやっぱり難しい。けれども、それを意識する、知るっていうことの大切さ。武藤さんは「想像力」ってよくおっしゃいますけれども、その大切さっていうのを本当に学びましたね。どうですか?

吉藤:そうですね。それもあるし、私が今すごく気になっているのは……ちなみに今回の本という作品、何ヶ月ぐらいかかっているんですか?

樋口:えっと、結局半年ですか? 急ピッチで、半年。

吉藤:すごいですね。いや、なんか武藤さんの、次の作品を次々出していく速度っていうのがどんどん早くなっているなぁっていうのを感じています。もともとですか? 聞きたかったんですけど、ALSという病気があることによって、その病気が進行するからなのか、それともやっぱり今までどおり(の速度)で、もともと武藤さんが作品をバンバン出していくタイプだったのか。

武藤:きっとALSという病気の前に、1人の武藤将胤っていう人間として、ALSになる前と今も、きっと根底は変わらないですね。でもALSになった時に、当たり前だけど、「時間ってこれだけ有限なもので、じゃあその時間を何に自分は費やすべきなのか」っていうのを突きつけられた時から、さらに挑戦するスピードが加速したのは間違いないと思う。

WITH ALS ホームページのカウントアップの意味は

吉藤:今、1,350日ぐらいでしたっけ?

武藤:1,340日。

吉藤:武藤さんのWITH ALSのHP見ていただくとわかりますが、あれは武藤さんが(ALSだと)診断されてからでしたっけ?

武藤:ALSの宣告を受けた時からの時間を、WITH ALSのサイトにカウントアップしているんですね。ALSとともに挑戦し続けていくんだっていう覚悟のもとにデザインしたんです。よかったら時間ある時に、ぜひ見ていただけたらと思います。

吉藤:これってね、1つの……なんて言うのかな。普通に生きていたって、病気じゃなくったって、時間って絶対に有限なんですけどね。

樋口:本当にそうなんですよね。

吉藤:意外と意識しなくなることってあるじゃないですか。私はよく病気になりがちなのと、私の本にもあるんですけど、私は本当に「30年計画」で生きていたんですよ。

樋口:そうですね。オリィさんはそうなんですよね。

吉藤:そうそう。私、今年で30歳になったので「よし、いけた!」みたいな。それで、ちょっとこのままじゃまずいから、「40年計画」にして、10年更新したんです。絶対にどこかで更新できなくなる時が来るとは思っていて。だから私もいろんな人たちと普段会っていて、「終わり」というかね……。

有名な話で、車椅子でサッカーをやっていた、特別支援学校の小さい子どもたちがいたんですけど、最近筋ジストロフィーの子どもたちって、呼吸器が発達して、もう40歳、50歳、60歳まで生きられるようになっちゃったから……。

それまでって、20歳になったらもう亡くなっちゃうかもって言われていた時は、「じゃあ(人生は)短いけど、どうやったら太く生きられるだろう」っていうことをお母さんたちと考えて、かっこいい、ごっつい車椅子を作って、ガンガンぶつかったりしていたらしいんですよね。

それが「寿命が伸びてよかったね」ってなったけれど、そうなると、やっぱりまだまだ寿命というか、先が長い。だから、お母さんも本人も「やっぱりケガしちゃダメだよね」とかいったことで、挑戦をあんまりしなくなったって車椅子メーカーが言っているんですよ。そういう意味では、私と武藤さん1つの共通する部分です。

「あきらめない」を実践した友人のエピソード

吉藤:あと、武藤くんとも面識があったというか、私と一緒にやっていた親友がね、去年28歳で亡くなったんですね。そいつは頚椎損傷ではあったけど進行性じゃないから、これから彼の世界はさらに広がっていくんだろうなと思っていたら、29歳の直前で亡くなるっていうことがありました。

本当に人生の有限性と、だからこそ本当にできるうちにっていうことと、本当に自分が命を賭して何ができるだろうということを、すごく意識します。

武藤:最後に彼から「約束された明日はない」「今この一瞬一瞬に自分がどう行動するのか」っていうのをすごく学んだんですよね。だから「今、自分がどういう道を進むのか」っていうことの重みを、僕は彼から学びましたね。

吉藤:バンダっていうんですけど……本(吉藤氏の著書)にも出てくるんですけど、私の親友のバンダはあの本を書いた後に亡くなっちゃったんですよね。

彼は「俺は本当に『明日1日でも長く生きるために、今日何もするな』って言われ続けて、今までの24年間、特別支援学校も行かずに、4歳で頚椎損傷になってからの20年、ずっと病院の中にいた」と言っていました。でも彼は、本当にあきらめなかったんですね。彼のすごいところ、私が本当に彼を尊敬しているのは、まったくあきらめなかったということです。

体がまったく動かなくなって、ただあごを使ってコンピュータを動かして、それでHP作ったりとか、Facebookも投稿しまくったりしていました。でも、誰も教えてくれる人がいないから失礼な内容をいっぱい送っちゃって。みんなから無視されていくっていう中で、たまたま私と出会って、意気投合しました。

OriHimeは彼と一緒に作ったんですけど、彼は「長生きすることが目的じゃない」と言っていました。みんなからは「そういうことを言うな」「明日死ぬとか、死にたいとか言うな」って言われるけど、でもバンダは「今まで生きていた実感があんまりない」「生かされてきただけだ」って言っていました。

「生かされていた」自分を「生きていた」自分にするために

吉藤:だから、「生きていた」じゃなくて「生かされていた」だけで、本当の意味で「生きた」っていうのは、「本当に明日死んでもいいから、今日、自分の意思で何をしたかっていうことをちゃんと振り返れることだ」みたいにまとめていましたね。それで「俺は会社を作る」って言い始めて、本当に活動して。

私は音楽についてあんまり詳しくないけれど、彼は音楽が大好きだったから、武藤さんのDJ(のイベント)にめちゃくちゃ行きたがっていましたね。

武藤:僕とオリィくんとバンダくんがOriHimeを通じて一緒にテーブルに並んで、「未来にこんなアイデアを形にすべきだよね」っていうのを、すごく楽しく話しかけてくれた時のことが、僕もいまだに(記憶に)よく残っています。彼と出会えたから「一緒にこれからもアイデアを形にし続けていこう」って思えた部分は、やっぱり大きかったと思います。

吉藤:なんか死ぬことってタブーみたいな(風潮が)、あるじゃないですか。病気になったこととか、あんまり相手の障害に対して触れることって、ちょっとなんか、もしかしたらすごく傷つくんじゃないかって。

確かに傷つくこともあるかもしれないけど、すごくタブーすぎて、「あっ、その車椅子かっこいいっすねぇ」って言いたいけど、ちょっと言えないみたいな。そのタブーっていうのって、すごく世の中に蔓延しているんだけれども、それって固定観念的な部分もあると私は思っているんですよね。

武藤:うちの事務所のメンバーなんかでは、僕がトイレに行っている隙に「あっ、車椅子がない!」って思ったら、みんなが遊んで乗り回していたりとかしていますが……。

(会場笑)

武藤:いい意味で心のバリアがまったくないので、フラットな関係性で仕事ができているっていうのはすごくうれしいんですよ。ハード面のバリアフリーだけではなくて、心のバリアフリーって意外とあると思う。

僕たちもあんまり遠慮されすぎたりとか、気を遣われすぎたりするよりも、フラットにどんどんコミュニケーションを取れたほうがやっぱり楽しい。なので、僕らはそういう心のバリアフリーっていうのも、徐々に垣根をなくしていきたいなと思うんですよ。

吉藤:そういうマインドを持っておくといいよね。

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