2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
提供:慶應丸の内シティキャンパス
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服部泰宏氏(以下、服部):みなさんのなかには会社にお勤めの方、あるいは経営者の方々など、いろんな人がいると思います。会社にお勤めの方は、ご自身のことを思い浮かべてください。経営者の方々であれば誰かを雇うときでもいいですし、あるいは、かつてお勤めになっていたときを思い出していただいてもいいです。
会社に入ったとき、契約書のようなものを交わしたことを覚えていらっしゃる方はどのくらいいますか?
(会場挙手)
半分いらっしゃるかな。ありがとうございます。では、どんなことがそこに書いてあったか、なんとなく覚えてらっしゃる方はいますか。
(会場挙手)
ありがとうございます。ちょっと人数が減りますかね。この雇用契約は、誓約書に近いかもしれませんね。法的にも微妙に拘束力があったりします。
私も大学に勤めるとき、一応これらしいものを交わしているんですよね。学部長室に呼ばれて、辞令を受け取るときに誓約書のような紙があり、「ちゃんと働きます」といったざっくりしたものを書かされるのですが。
この雇用契約みたいなものについて、しっかり考えていた研究者がアメリカにいます。それが、デニス・ルソーです。これが今日の「見えざる約束」についての、世界的権威の研究者です。
彼女はアメリカのトップスクールの1つであるカーネギーメロン大学のプロフェッサー(教授)で、非常に有名な方です。その方が、雇用契約は「不完全なものだ」というんですよね。
では、どんな意味で不完全なのか。まず1つ目は、私たちは会社に入ったとき、いろんな契約を結びます。そこで結ばれる契約に、両者が本当に交わしておきたい約束をすべて盛り込むことは無理ですよね。
例えば、従業員に対して「もう3年くらい居続けてほしい」、あるいは個人からすると「ちゃんと教育してください」と契約で結んでしまいたい。そんなことができたら、安心して会社に勤められますが、なかなかそうもいかない。
もし本気で契約書を書こうとしたら、タウンページのような膨大な契約書になりますよね。それも、書ききれるかどうか、わかりませんよね。
そのくらい、会社と私たちの間で結べる契約は、本当に結びたい契約のほんの一部でしかない。仮にタウンページ並の契約を結んだとしても、10年後、20年後、その内容は本当に有効ですか?
今のお互いの状況がわかっている範囲内で「これを守ってください」「競合他社に移らないでください」といったエッセンスな部分で契約を結んでいるに過ぎない。そういう意味では、「限定された合理性」に関わってくるんですね。
なぜ、私たちが会社との間で結ぶ契約に限界があるのか。私たちの集める情報の範囲、知りうる未来が限定されているからなんですよね。
どんなに一流の弁護士が契約書を作ったとしても、今の状況、しかも知り得た範囲内で大事なところしか結ぶことができません。
にも関わらず、面白いのは日本の会社というのは、契約書に書かれていないような、いろんな約束事がちゃんと守られているんですよね。このことを指摘したのは、1958年に書かれた『日本の経営』です。ジェームス・アベグレンによる、日本語で読める非常にすばらしい本です。日本的経営について海外で書かれたのは、初めてに近いですね。指摘したアベグレンは、もともとボストン・コンサルティング・グループだったかと思うんですが。
日本の戦後統治みたいなものをにらみながら、当時はアメリカの優秀な研究者が日本にやってくることがありました。そこで日本的な良さと問題点が発見された歴史があり、これもその動きの1つです。出版も1958年ですので、戦後間もない日本の地で見た、会社や町工場の様子、経営者や社員のやりとりが取り上げられています。
本のなかでは、いろんなものをつぶさに観察し、日本企業の特徴として、いわゆる三種の神器的なものを指摘しています。そのなかの1つが、個人と会社との「お互いを長期的に大事にする」という関係性。例えば、会社側は「一度雇った個人というものを大切にする」、個人側は「一度入った会社には居続ける」ですよね。
これを、彼は「ライフタイム・コミットメント」あるいは「ライフロング・コミットメント」という言葉で表現した。これが実は、今言われている終身雇用の意訳なんですよね。
私の師匠の師匠にあたる神戸大学の占部都美先生が、『日本の経営』を翻訳されたときに、アベグレンが言う「ライフロング・コミットメント」「ライフタイム・コミットメント」に、終身雇用という言葉をあてたんですね。
ある意味、ちょっと意訳なんですけど。というのも、「雇用」という言葉は個人側ではなく、会社側が「個人の終身を大事にする」を表すことになります。
しかし、「ライフロング・コミットメント」「ライフタイム・コミットメント」などに使われるコミットメントという言葉は、「両者が強い関係にある」を表わします。ニュアンスとして、双方向なんですよね。
別に師匠の批判をしているわけじゃないんですけど、若干のニュアンスの違いがあるということです。個人も組織を、組織も個人を、この両方の矢印が、まさに日本の経営の強さであり、特徴を表わしていた。
大事な雇用契約の中に書かれない終身雇用が文章化されて、そこに弁護士や裁判所も介在する。そうじゃなかったとしても、ちゃんと守られてきた。これは日本企業のすごいところである、と。
だとしたら、雇用契約のいわゆる法的な意味での契約は、個人と組織との関係もその一部に過ぎないのではないか。これは、まさに私たちの今日のテーマですね。「書かざる約束」を結んでいるんじゃないだろうか、ということです。
「ここにこそフォーカスしていかないと、個人と組織の思惑のズレや時代の変化への適用などを理解できないのではないか」という考え方なんですね。これが、非常に大事なデニス・ルソーの指摘です。
しかし、デニス・ルソーは日本のことを研究したわけじゃないんですよ。アメリカの、それこそIBMやKodak、ジェネラルモーターズなどの会社を観察したなかで、こういう現象を見い出したんです。つまり、どちらかというと日本的と言われてきた終身雇用みたいなものが、実はアメリカの文脈でも、程度の差こそあれ、成立していることを指摘したんですね。
「アメリカ人が、これ発見したんだ!」「でも、極めて日本的だよね」。なんか、このへんが非常におもしろいと思います。では、なぜ「書かざる約束」なのに、これがちゃんと守られているのか。
契約違反であれば、捕まっちゃう。罰金があるから、守るわけですよ。ですが、終身雇用を破っても、「おいおい」と言われるかもしれませんが、判例上、必ずしも怒られるとは限らない。そもそも法律そのものがなかった。ただし、今となっては、判例が蓄積されてきますよね。
では、なぜ守り続けるのかというと、これが「評判効果」と言われているものです。つまり、日本の社会という限られた労働市場のなかで、人を雇っている上でリストラなどをやっていると「あそこは人を大事にしない」と噂が広まります。
しかも、周りのみなさんも雇用を守っている状況で、1社だけがそういうことをすると、非常に損をするようなメカニズムにもなっています。この「悪い評判がたつ」効果が、実はこの約束が守られてきた、1つのメカニズムだったんじゃないか。
そういう意味で、デニス・ルソーは「契約は、必ずしも法的に文書がなくても、私たちが頭のなか、心のなかで相手に期待してることだ」と説明しています。
図式的にいうと、こんなかたちです。今言ったかたちをほぼそのまま、なぞらえているだけなのですが。私たちと組織、もしくは会社の間には、1つの文章化された契約があります。でも、それだけではなく「書かざる約束」もありますよね。
心理的契約の考え方では、この両方をちゃんと見ている。必ずしも、文章化された契約を無視するわけじゃないんですね。リーガルなものがあったとしても、個人に意識されなければいけない。
先ほど、みなさんに手を挙げていただきましたけれど。会社に入ったときに雇用契約がなされてるかどうか覚えてらっしゃる方、その中身を覚えてますか? ちょっと手が下がっちゃった?
例えば、意識されていなければ、リーガルなものであっても、契約として必ずしも機能するかどうかわからない。
もちろん、破られたとき、消えそうなとき、契約書は証明にもなります。いずれにせよ大事なのは、私たちは会社と約束を結んでいることを、頭の隅に意識として置いてあるということです。
これが、実は大事です。そういう意味では、「上も下も、本質的には変わらないよね」という考え方なんですよね。組織と個人がお互いにどういうことを求め合っているのか。双方にとっても大事です。
会社に対して一方的に「こうしろ、ああしろ、約束を破るな」と言うだけじゃなくて、私たちも会社からいろんなものを要求され、期待され、「お金を払ってる代わりに、働きなさいよ」も含めて、要求されているわけです。
そういった相互の期待についての具体的な内容、着目したコンセプトから、組織と個人のかたちを記述していきましょう。というのが、90年代のアメリカから始まっています。
日本では、2000年頃に守島(基博)先生などが比較的はやく、新しいコンセプトとして指摘、研究し始めていたと思います。
さて、この心理的契約はどうやってできあがってくるのか、結ばれてくるのか。シンプルに言うと、日本はネゴシエーション文化(交渉文化)ではないので、明確に「期待します」とできないので、どちらかというと、会社側が発信してくる。
先ほどの会社の社長のメッセージも含めてですが、会社側のメッセージを個人が受け取っていて、勝手に理解していく側面があるんですね。これが心理的契約の力強さであり、怖さでもあるんです。ちょっと、そのことを考えてみたいと思います。
例えば、これは研究のなかでわかっていることですが、入社当初の若い人たちは、だいたい最初の数ヶ月から、2〜3年の間に、もっとも多くの情報収集活動をします。
情報収集活動とは、例えば会社に馴染もうとして仕事のことや、そのほかのことを聞こうとする。
「職制上以外で誰に力があるのか」といった、パワーポリティクスみたいなものがあるじゃないですか。誰に取り入ったら出世するのかも含めて、いろんなものを調べようとする期間が最初の数週間から2〜3年くらいだと言われています。
これはある意味怖いんですけど、その期間を過ぎると頭のなかが固定されて、新しい情報収集が行われにくくなる。考え方がリバイスされなくなる。これを「キャリアの停滞」「キャリアルーチン」と言います。
人間は、最初は一生懸命に目や耳を使って情報を集めます。しかし、時間が経つと目も耳も閉じていく。安定に持ち込もうとする。大事なのは、最初の数ヶ月から数年間で一生懸命、情報摂取しようとすることです。
そのときのソースが、例えば、雇用契約です。これは、わかりやすいですね。雇用契約には、自分が会社になにを期待できるのか、会社からなにを期待されているのか、明確なメッセージが書かれています。これは1つの参考になります。
とはいえ、忘れられがちなことは、先ほどのみなさんのアンケートでわかります。
2つ目は、人事制度です。給与のほとんどが年功ベースで、そこに成果主義が何パーセントか入っている。
人事制度は、個人からすると「自分のなにを評価されているのか」「どんな人が優秀と思われているのか」が明確になります。そうすると、心理的契約の中身を探っていく重要なソースになるんですね。同じ効果があるものに関しては、経営者の発言やミッションステートメントも典型的ですよね。
こういったさまざまなミッションや情報発信、人事制度を解釈することで、社員は「あ、こういう約束が成立しているんだろうな」「こういうことが期待できるんだろうな」を、会社に入ってから少しずつ理解していく。
雇用契約は最初に結んでしまいますが、心理的契約は、実はじわじわ理解されていって、2〜3年くらいすると固まってくる。そういった性質を持っているということですね。
そのため、契約とはいえ、少し性質が違います。おもしろいのは、ズレが生じる余地がたくさんある。理由は簡単です、解釈が狭まるからです。
先ほど言ったように、学生たちがグローバル企業を志望していて、会社として「グローバルな人材になっていただきたい」というメッセージがあれば、「そうか、この会社はグローバルなのか」と理解されるんですけれど。
実際には、学生たちがそう解釈しただけです。その背後には違う思いがあったとしたら、現実と解釈の間に、ズレが生じていますよね。
このあたりの現象については、先ほどの一橋大学の守島先生が絶妙な表現をしています。「心理的契約は、ある意味で当事者の思い込みみたいな性格がある。だけど、ただの思いこみじゃなくて、ちゃんとした”根拠のある思い込み”である」。
つまり、なにかの情報をもとにそう理解しているのだから、単なる思い込みよりも強力ですし、ある意味でエビデンスがある。しかし、思い込みであるからこそ、それが破られたときの衝撃は非常に強い。
例えば、優良企業とされてきた会社ですら、1990年代の日本においてリストラクチャリング(事業の再構築)が行われていた。このとき、日本の社員さんたちは怒りの声を上げ、「正社員のカテゴリーが崩壊する」という議論がありました。
このとき初めて、長い間「この会社で一生勤められるんだ」「大事にされるんだ」の思い込みが崩壊した瞬間でした。思い込みであるからこそ、非常に衝撃が大きかった……という側面が強い。
そういう意味で、心理契約には契約がない。リーガルな契約がないところで、組織と人の関わり合いをちゃんとコントロールしていく。非常に有望な見方ではあるんだけれど、質が悪い側面もあるんじゃないかということですね。
慶應丸の内シティキャンパス
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