映画スターでも卒業スピーチは緊張する

デンゼル・ワシントン:どうもありがとうございます。私は見ての通り、整理整頓が苦手な人間なのですが……他のみなさんは原稿を素敵な箱に入れて持って来ているのに、私ときたら雑誌の中に挟まってるので。ちょっと待って下さいね。順番もぐちゃぐちゃですから、整理しないと。

(会場笑)

総長をはじめ、教員のみなさん、そして学生のみなさん。ご卒業おめでとうございます。今日ここに招いて頂いたことを光栄に思います。ペンシルベニア大学のキャンパスに来られて嬉しく思います。

息子がこの大学のバスケットボールチームでプレイしているので、よくここに来る機会がありました。息子はあまり試合に出させてもらっていないので、コーチにはお話ししたいことがあるのですが、それは後にしましょう。コーチの達成された業績を嬉しく思います。これからも頑張って欲しいと思います。

ここフィラデルフィア、ペンシルベニア大を訪れるたび、私はいつもあたたかく迎えて頂いています。ニューヨーク・ヤンキースの帽子をかぶっていた時は例外ですが。まるで命がけです。こう言われたこともあります。

「デンゼルさん、俺らはあんたのファンだけど、その帽子をかぶってる限り、あんたが誰だろうと関係ないぜ」

(会場笑)

というわけで、今日はヤンキースの帽子をかぶっていません。ヤンキースのソックス、Tシャツ、トランクス、肌着、使い捨てカイロを身につけていますが、帽子だけはかぶらないようにしました。

ただ、正直に申し上げておかなくてはいけません。私は緊張しています。卒業式という、このような大切な場面でスピーチをするということの重大さにドキドキしています。平常心を保つことが難しいです。

映画の中で雑役兵になったり、走る電車の上でアクションをしたり、マルコムXやルービン・カーターの役をやったりしてきました。私はそういうことは問題なくできます。

しかし、卒業式のスピーチはまったく別物です。とても厳粛で重要なものです。文字通り、数千人の人が今日ここにいます。人からは「あなたは映画スターなのだから、たくさんの人に自分のしゃべる姿を観られるのには慣れているでしょう」と言われます。

それは確かにそうなのですが、映画館に私がいるわけではありません。実際に観客を目の前にしているわけではないのです。わかりますか? お客さんが咳払いしたり、そわそわしたり、ポケットからiPhoneを取り出して彼氏にメールしたり、お尻を掻いたりするのを見ているわけではないのです。

でもこの演壇からは、みなさんひとりひとりの姿が見えます。なのでとてもドキドキしています。ですから、どうか私が話し終わるまで、iPhoneを取り出して彼氏にメールしたりしないで下さい。お願いします。お尻を掻きたい人は、ご自由にどうぞ。その必要性はわかります。

(会場笑)

ゴシップではなく真面目な話をすることに決めた

このスピーチで何をお話しすべきか考えていました。みなさんの興味を惹き付けておくためには、ハリウッドのゴシップネタを話すのがいちばんかとも思いました。私とラッセル・クロウが『アメリカン・ギャングスター』のセット裏でケンカした話などですね。

でも「いや、相手は高尚な知性をお持ちの学生さんたちだから、興味ないだろう。やめておこう」と思い直しました。違いますか?(笑)

(会場笑)

私が楽屋で遭遇した、アンジェリーナ・ジョリーのプライベートな話なども考えましたが……。でも「いやいや、相手はアイビーリーグの大学生だ。やめておこう。アンジェリーナ・ジョリーが裸で楽屋にいたからといって、そんな話を聞きたい人なんているわけがない」と思いました。

そんな人、誰もいませんよね。誰ひとり。なにせ天下のペンシルべニア大ですから。ドレクセル大にはいるかもしれませんけど。やばいこと言っちゃったかな……(笑)。ともかく、プレッシャーを感じた私は真面目な話をすることに決めました。

卒業スピーチを引き受けた理由

みなさんは「そんなにプレッシャーだったら、そもそもなぜスピーチを引き受けたのだろう」と思われるかもしれませんね。まず第1に、私の息子が通っている大学だからというのがあります。じゅうぶんな理由です。そして、私は払い込んだ学費がどのように遣われているのか常にチェックしています。

(会場笑)

会場にいらっしゃる親御さんは、私の今言ったことに共感してくださるだろうと思います。

また他にも理由があります。確かに私はアカデミー賞を受賞しましたが、この大学で有名な「マジック・ミートボール」という30分待ちの屋台フードを食べたことがありません。

私はオバマ大統領と直接話したことがありますが、スモークというバーで火曜の夜に下手なカバーソングを歌っていることで有名な、クイダーという男に会ったことがありません。

私は悪魔と戦う弁護士を演じたことがありますが、キャンパス内のリスの数がバカみたいに多い大学に行ったことがありません。寮の部屋を飛び出して構内を占拠し、あげく教科書を持って教室に行こうとしているヤツもいるそうですね?

というわけで、私はここに来なくてはいけませんでした。来る必要があったのです。たとえ笑い者になる恐れがあったとしても。いいえ、むしろそれが本当の理由です。私は笑い者にならなくてはいけなかったのです。どういう意味かって? つまりこういうことです。

失敗するときは前向きに倒れよう

私は、リスクを取らない人生など何の価値もないと思っています。何の意味もありません。何ひとつ。ネルソン・マンデラはこう言いました。

「小さく生きる人生、自分がやれること以下の生活で満足してしまう人生には、何の情熱もありえない」

今までのみなさんの人生の中で、例えば学校で大学を受験する時や、専攻を決める時、将来設計を考える時などに「失敗に備えておきなさい」とアドバイスされたことがあると思います。「うまく行かなかったらどうするの? ちゃんと考えておきなさいね?」そう言われたことがあるでしょう。

けれども私は「失敗に備えておく」というその言葉の意味を理解することができませんでした。もし私が失敗するとしても、自分の信念を持ち続けること以外、失敗への備えなどしたくないと思っていたのです。

倒れる時は後ろではなく、前のめりに倒れたいと思っていました。それなら少なくとも、何を目指して倒れたのかこの目で見ることができるからです。

前のめりに倒れるとは、こういうことです。レジー・ジャクソンはその野球人生で、2600回もの三振をしました。球史に残る最多記録です。でも、そのことを知っている人はほとんどいません。人は、ホームランの記録しか覚えていないのです。

倒れる時は、前のめり。トーマス・エジソンは実験を1000回失敗しました。知っていましたか? 私は知りませんでした。1001回目に電球を発明したのです。彼は前向きに倒れ続けました。ひとつ失敗するたびに、成功へひとつ近づいたと考えていたのです。

人生は失敗の連続、失敗を受け入れよう

リスクを取ることを恐れてはいけません。これはみなさんもおそらく聞いたことがあるでしょう。でも私は、リスクを取ることがなぜそんなに大切なのかをお話ししたいと思います。理由は3つあります。それが終わったらiPhoneをさわっていいですよ。

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