ミクシィからスタンフォード大学客員研究員に

田中章雄氏(以下、田中):はい、皆さんよろしくお願いいたします。インフィニティ・ベンチャーズの田中です。今日はですね。私の隣に座っています、コロプラの千葉さんとスタンフォード大学客員研究員の朝倉さん。

多分ね、ミクシィの朝倉さんっていうイメージがまだ強いと思うんですけれども。彼はミクシィをすでに卒業しまして、現在はスタンフォード大学客員研究員としてシリコン・バレーに住んでいるそうです。

熊谷さん、ご存知かもしれませんが今回のセッションテーマは「挑戦する生き方―夢・目標を持って人生を生き抜く」という結構ヘビーなトピックなので。結構熊谷さん得意な分野だと思うんですけれども。よろしくお願いいたします。

熊谷正寿氏(以下、熊谷):よろしくお願いいたします。

田中:これでセッションを正式に始めようと思うのですけれども、ちょっと、学生の皆さんにアンケートを取ってみたいなと思うんですけれども。

これは毎回聞いているんですけれども、今起業しようと思ってここに来ている人はどれくらいいますか?

(会場挙手)

おお、結構多いですね。起業は無理かもしれないけれども、まずは、大企業よりもベンチャーに入って修行しようと思っている人どれくらいいますか?

(会場挙手)

採用予備軍いますので、皆さん頑張ってください。ありがとうございます。それではまず自己紹介も兼ねまして、千葉さんから順番に自己紹介と千葉さんにとって、挑戦とか夢ってなんですかという、いきなりヘビーなところから始まりますけれども、僕もまだ千葉さんの夢とか、聞いたことがないのでぜひ、教えてください。

6帖一間のオフィスからはじまった

千葉功太郎氏(以下、千葉):はい。皆さん、こんにちは。

会場全員:こんにちは。

千葉:コロプラ、副社長をしている千葉と申します。今日はよろしくお願いいたします。

初めてこの京都での学生イベントに参加します。いつも東京の慶應日吉のとか、SFCのはいつも出ているんですけれども……。

田中:千葉さんのイメージは毎回出ているイメージだったのですけれども、こっちは、初めてなんですね。

千葉:組み合わせ一緒だけれども、場所が初めて。

田中:なるほど。

千葉:すごい楽しみに来ました。皆さん今日はよろしくお願いいたします。今日来て気づいたのですけれども、今日のイベントの協賛、スポンサーを我々させて頂いて、うちの袋がいっぱいあって……。

田中:知らなかったんですか。

千葉:いや、スポンサーをするというのは知っていたんですけれども、何か結構目立つ感じですみません。恐縮ですが袋、中にお土産いろいろ入っていると思うので。クマちゃん、かわいがってください。

田中:皆さん、持っていますね。

千葉:スマートフォンのゲームを作っている会社です。「黒猫のウィズ」とか「白猫プロジェクト」とか、スマートフォンのゲームをたくさん開発、提供しています。我々ゲーミングカンパニーなので、とにかくスマートフォンの良質なゲームを世界中に提供していく会社で。

しかし、丸創業6年が終わって今、7年目に入ったばっかりのできたてほやほやスタートアップベンチャーみたいなものです。なので、皆さんさっきスタートアップという話ちょっとありましたが、皆さんと同レベルですよ。6年前まで。

うち6帖一間だったんで、6帖一間で馬場(功淳氏)と僕と2人でもくもくとやっていたところから、今ここなんで。

別にたいしたものでもなんでもなくて、とくに皆さん、普通にまっとうに頑張ってやれば全然できるのが、ITベンチャーのすごくいいところだなと。僕本気で思っています。

田中:すごく、さらっと言っちゃいますね。

千葉:本気で思っています。僕の夢なんですけれども、これからの次世代のベンチャーを支援していくことで、日本のネット業界に貢献できればと考えてます。そういう意味で、今日学生の皆さんと、会って未来の起業のお話をするというのが、僕の次のチャレンジなんです。

田中:皆さん、ちなみにコロプラのゲームとか、やったことのある方どのくらいいますか?

(会場挙手)

千葉:おお、有り難うございます!

田中:結構使われていますね。次は朝倉さん自己紹介お願いします! 

騎手の道をあきらめ、東京大学に入学

朝倉佑介(以下、朝倉):はい。朝倉と申します。よろしくお願いいたします。簡単に自己紹介ということですが、今年の6月まで株式会社ミクシィという会社の代表を務めておりました。

ちょうど事業の節目というか転換期にあったものですから、会社の再生に2年ほど取り組んできました。ざっと生い立ちといいますか経歴をご説明したほうがイメージを持って頂きやすいかなと思うのでお話します。

もともと兵庫県の西宮市というところで育ちまして、中学を卒業した後に競馬の騎手になろうと思って、オーストラリアに行きました。オーストラリアに行ってずっと馬の世話をして競馬の騎手になるためのトレーニングを受けていたんですけれども、身長が伸びすぎまして。

あの世界は大体体重が47キロぐらいに抑えなくてはならないんですね。

ぐーんと175センチに伸びて減量していたら体脂肪率が3パーセント、消費税より低い(笑)。これはちょっとさすがにやばいなということで辞めて、16~17歳の時に北海道に行きまして、競走馬の調教をやっていました。

そうこうしていたら交通事故に遭いまして、左足を粉砕骨折して、要はボロボロなんですけれども、ちょっとこれはもう肉体労働できないなということになりました。

中卒だったものですから、とりあえず大学は行かなきゃなぁということで3年間ほどの専門学校を経て東京大学に行きました。

そのあと、マッキンゼーという会社に行ったんですけれども、3年間ほど過ごした後にもともと大学時代に仲間と一緒に作っていたベンチャー企業があったんですね。

ネイキッドテクノロジーという会社なんですけれども、ちょうどそこが資金調達するタイミングで戻ってきてくれないかというお話を受けて、戻りました。戻ったらこの会社も結構大変だったんですけれども。

代表を替わって、1年でミクシィに売却をしまして、そういった経緯でミクシィに入社しました。ですので、今日こちらにいらっしゃる千葉さんや熊谷さんとの違いという点でいうと、僕はファウンダーではないというところは大きいかなと思います。

ミクシィはもともと僕も学生時代にすごい愛用していたSNSだったんですけれどもひょんな縁でその会社に入っていわゆる、SNSのミクシィからの転換点に立ち会いました。外部でもさまざまなサービスが勃興してきており、会社をさらに再成長させなきゃいけない、そういうフェーズでした。

そのタイミングで代表を引き受けまして、幅広い施策に取り組んできました。モンスターストライクというゲームをやった方、どの位いらっしゃいます?

(会場挙手)

ありがとうございます。結構……。

田中:(コロプラの)「黒猫」が勝ちましたね。

朝倉:残念。

千葉:今、数字で負けているのでね。謙虚に……。

朝倉:そういった新しいサービスを作る体制を整備し、促進してきました。1年経ったところで企業も再生フェーズというところから再生成長期に入ったところで、任期で退任しました。

11月からはスタンフォードの客員研究員をやっています。当面はそこにいる予定でして、今回はIVSのために帰ってきています。

コツコツ人より努力すれば必ず夢は叶う

朝倉:今日このセッションを僕は一番楽しみにしていて、僕、学生時代に『一冊の手帳で夢は必ずかなう』という熊谷さんのご著書を読んでいたものですから(笑)。自分の話をしにきたというよりは、一番いい席で熊谷さんのお話を伺いにきました。よろしくお願いいたします。

一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法

熊谷:よろしくお願いいたします。

田中:では(笑)、元祖、熊谷さん。よろしくお願いいたします。

熊谷:はい。皆さんこんにちは。

全員:こんにちは。

熊谷:GMOインターネットグループの代表の熊谷正寿と申します。今私どものグループは、東証一部上場企業3社を含む上場企業が今月もう1社上場しますので8社。グループ全体で81社関わっている仲間の数が4100人。

売上高が今期12月決済なのですけれども、業績予想のとおり売上約1050億、利益は125億円は達成見込みです。ようやく売上1000億を達成できる規模のくらい出る企業グループに成長させて頂きました。僕がインターネットの事業を開始して今月で約20年になります。

95年から事業を開始しておりますので、20年になりました。お客様が継続的なお取引を頂いてる方が約600万件、日本のインターネットのインフラを中心としてネットの金融事業とかメディアの事業、あと、ささやかながらゲームをちょっと。

やっとトントンぐらいになっているゲームの事業もやらせて頂いてたりしているんですけれども、実は会社を潰しそうになったり、たくさんの苦労もありましたけれども、今の会社を立ち上げたのは20代の頃で。

さらにそれをさかのぼりますと、皆さんと同じぐらいの時に僕はお金もない、時間もない、夢も希望もないという状態だったんですね。

その時にちょうど皆さんと同じぐらいの時に手帳に書いた、1行の夢がありまして「何かの分野でナンバーワンの青年実業家になりたい」と書いた件、それを淡々粛々と未来の自分の年表に落とし込んで、優先順位をつけて、コツコツやってきた姿が今の事業グループのベースになっています。

皆さんは優秀な大学で今たくさん勉強をされていらっしゃると思うんですけれども、私は高校2年で中退をしておりまして、高校2年の中退の男が今このような事業グループの運営をするに至っています。

ですから、実はさまざまな経験をしたんですけれども、そんなことをこの1時間の中で、皆さまにお伝えできたらなと。夢を持てば何でも叶う。コツコツ人より努力すれば必ず夢は叶うということが、今日お伝えできたらなというふうに思っています。熊谷です。どうぞよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

田中:ありがとうございます。早速なんですが。ここに集まっている皆さん、20歳前後の学生さんがほとんどだと思うんですけれども、じゃあ、皆さんその頃、夢とか自分の人生におけるチャレンジだとか、具体的に当時はどういう夢を持っていたか、ちょっと思い出して、語って頂けますか。

ちょっと、さっき朝倉さんの話は、一部出てしまいましたが、千葉さんから、20歳の頃、夢とか、チャレンジとかありましたか?

千葉:夢はなかったんですけれども、チャレンジはしていましたね。

田中:その当時のチャレンジはなんだったのですか?

慶応SFCはオタクほどモテる

千葉:僕は慶応大学のSFC環境情報学部というところに皆さんと同じ20歳ぐらいの時に在籍していて、非常に恵まれていたんですね。

すごく恵まれていたなと思って、僕が在籍していたのが1993年から1997年の4年間だったんですが、インターネットが来る前夜だったんですね。まだ、ブラウザもなくて、インターネットという言葉を日本人はだれも、知らないぐらいの時ですね。

田中:ちょうど、GMOグループが始まった頃なんですね。

千葉:95年、僕が大学生の時、すごいなと思って……。ブラウザが初めて出てきたのは、93年の12月とかで、94年にやっと、Mosaicとか一部ブラウザとかが出てきたぐらいのインターネット環境だったので。

本当に僕は恵まれたのは、その頃にインターネットを謳った大学のキャンパスに若かりし頃に入学し、技術も良くわからない若者にサーバーの管理から、プログラミング、インターネットの知識を、村井純先生などの授業を通して教えてもらえました。

理系文系関係なく、全員に教え込まれたので、インターネットなるものを使って学内の女の子と仲良くなるというのをですね、すごいモチベーションで頑張るというところに繋がっていく訳ですね。

田中:それがチャレンジだったんですね。

千葉:チャレンジだったんです。どうやったら、モテるんだろうかと……。当然、皆さんもそうだと思うんですが、モテたいという若い欲求をインターネットを使って実現していくチャレンジをするようになる訳ですね。

田中:それは、実現できた訳ですか。インターネットの力を使って……。

千葉:そうですね(笑)。そのためにはいろいろネットの勉強もしなくちゃならないし、プログラムも作らなくちゃならないし(笑)。いろいろな創意工夫がある訳じゃないですか。

やはり、人間の成長って何か強いベースの欲求があって、金持ちになりたいか、モテたいか、というそういうベースの欲求がやはり、若かりし時代には、すごく大切なんだろうなと思って。

お金も欲しいな、女の子にも飯をおごりたいなとかそんなことを思っていたのがまさに大学の頃で、そのためにはとにかくあの大学ではネットが強くないと、モテない。

オタクほどモテるという、プログラミングがバリバリできて、課題をやってあげるような男子は、女の子からモテるみたいな感じの中で育って、本当にラッキーだったなと。

その副産物として学生の頃、友達と会社を作って、いろいろなビジネスをやっていたんですけれども、まあ、儲かりますよね。とりあえず、夢とはいえませんが……。チャレンジが成功していた、いい時代だったと思います。

田中:ありがとうございます。