日本の新聞社は土着的

佐々木紀彦氏(以下、佐々木):記者の生産性の問題というようになってくるのでしょうかね。今1600名とおっしゃりましたけれども、フィナンシャル・タイムズが全世界で、整理部みたいな方もいれて、600、700名、それで世界中をカバーしてクオリティメディアとしてやっているわけじゃないですか。

そういうふうにいうと日本の新聞社というのは多すぎるというか、生産性が低いのでしょうかね? うん、とは言えないでしょうけれど(笑)。ソーブルさんどう思いますか(笑)。

ジョナサン・ソーブル氏(以下、ソーブル):いや。まず日本の新聞社の方に(笑)。

大西康之氏(以下、大西):それは、分業が遅れていますよね。なんでもかんでも自分で抱え込みたがる垂直統合型を全部やっている。

例えば、旭川に、朝日も読売も日経も全部支局が必要なんだってことを考えたときにそれをひとつでいいんじゃないのという考え方もあるわけですよね。

フィナンシャル・タイムズとかウォール・ストリート・ジャーナルとか、どこが自分たちのストロングポットなのかというところで絞っているんだけれども、日本のメディアはカバレッジでたくさんはりつけて、仕事に密着というような、それが販売でも結びついていたりするわけでしょう。

土着的な営業戦略とニュースカバレッジっていうのが一体になっているのが日本のビジネスモデルなんだけど、それは確かに重たいですよね。

分業することのメリット

佐々木:ソーブルさんから見てどうですか?

ソーブル:フィナンシャル・タイムズはおそらく昔から外国メディアの中でもわりと軽くやっているほうですね。ニュースはしっかりしていなければならないと思うんだけれども、世界の新聞としてやろうとしているんですよね。

それはかっこよく聞こえるかもしれないけれどもその理由は、ホームマーケットのイギリスは小さくて、それはもう外で勝負を持ちかけるしかない。なので、世界中密着型というのか、そういう主なニュースだけピックアップしているわけですから、そういう意味ではネットワークが軽くていいというわけですね。

ニュースもしっかりしていなければならないんだけれども、私がフィナンシャル・タイムズに7年いて感じたことは、オピニオンも社説もコラム内容も一般の記者が書くアナリスト記事も含め、分析やオピニオンのほうが強いんです。多分勝負しているところが違うかもしれないですね。

大西:ロンドンに4年いたときに思ったのはワールドワイドで見ると分業が効いていて、張り付けているのがロイターだったり、AP通信だったりなんですよ。

それはどこでクーデターがあってもどこの株価が暴落しても全部カバレッジしてて、そういう人たちと、フィナンシャル・タイムズとかウォール・ストリート・ジャーナルみたいに一次情報はカバレッジしていないんだけれども、上がってきたものをどう後で支出して、どういうふうにしてということをやっているメディアが綺麗にわかれているんです。

でも、日本の新聞のモデルっていうのは両方をやろうとしているんですよね。これは一方で今危険ですよね。世界の津々浦々で起きていることっていうのは一時的にどちらかに依存しているわけで、それは本当かっていう競争がだんだん無くなってきて、みんながこういう考えるほうにいっちゃって、現場から離れちゃうとメディアとしては大丈夫なのかなと。

一次情報の重要性

ソーブル:実際にロイターにいた人間として確かにそうだと思うんですね。ある意味ロイターで頑張っても、記者は無名な運命になっちゃうんです。ロイターで一次情報のニュースを書いて、次の日にそれがより広い視野でフィナンシャル・タイムズとかニューヨーク・タイムズに書かれる、その広い視野の記事を読んでいるとかっこいいけど、僕から言わせるとそんなの無かったと(笑)。

大西:そうそう。だんだんデジタルになっていくときにもそこは変わらないと思うんだよね。僕がロンドンにいるときに、ロイターから2、30人くらい送り込んでくるの。サウジにもUAE、イラン、イラクにも全部記者をつけるわけ。それも秒単位で打点していくのね。それをフィナンシャル・タイムズの深夜のライターはじーっと見てた(笑)。どんどんくるヘッドラインが無かったら考えるサインが無いんだ。

佐々木:そういう意味ではやっぱり私も昔記者が中心で最近は編集業界中心になるんですけれども、一次情報は1番おもしろいですね。取材してとってきたファクトとか、大西さんもその本を書くために相当の方に取材されてますよね。

一次情報はマネタイズしづらい

大西:そうですね。ただ、それをマネタイズすることがどんどん難しくなってる。そうするとそれはもう割に合わないから俺は後ろで考えるほうに下がるよ、ということをみんなが始めちゃったら誰が前線を支えるんですかっていうね。

今のオールドメディアとニューメディアで対決することで考えたくないというのは、そこが誰かがコストをかけて汗を流してやらないとメディアっていうのは成り立たないと思うんですよ。

みんなが綺麗なデジタルの世界で画面を見ながら頭のいい人たちが考えても、現実ははるかにその予想を超えてくる。張り付いているジャーナリストがいないと言い訳をしてしまうなという気はしますね。

佐々木:その境目が難しいですよね。今日先ほど伺ったんですけれども、ソーブルさんは今度ニューヨークタイムズに転職されると。おめでとうございます。ニューヨーク・タイムズっていうのはフィナンシャル・タイムズよりも大きくて、かといって日本の新聞社ほど大きすぎて大組織っていう感じでもないじゃないですか。ニューヨーク・タイムズくらいの組織の規模が世界のいろんなものをカバーして、しかもオピニオンだけでなくファクトもしっかりとってくる人がいるっていうのが適正規模なんですかね?

ソーブル:入ってみないとわからない(笑)。 確かにそうかもしれない。でも資源がアメリカに集中しているのも事実で、おそらく記者のネットワークはフィナンシャル・タイムズの倍くらいだと思うんですが、海外にいるネットワークだけを見るとそんなに差はないと思うんです。

特に日本では3人、ニューヨークタイムズでは2人。より細かい経済技術をフィナンシャル・タイムズに書いているのでそのプラスワンということになるのですが、そういう割合になるんじゃないですかね。

ターゲット層によって記者の適正人数が変わる

佐々木:そういう意味でいうと日本の経済ニュースを全業界カバーして、ちゃんと一次情報もとれるようにするっていう場合の最低の人数ってどのくらいだと思いますか。

我々3年後に100名となんとなく韻が良いので書いていますけれども、我々もちゃんといろんな業界をカバーできるようになりたいんですね。その時何人ぐらいを雇える収益をあげれば、我々はちゃんとメディアでやっていけるのかというのを悩んでいるんですけれども。

大西:それはターゲットよりますよね。上場企業に限るのか、例えば僕らホームページからで言うと、日刊工業新聞なんていうのは全国津々浦々に記者がいて、彼らが町工場を回っていますよね。

それはとても我々も真似できないレベルのカバレッジで、ここがこんなネジ作りましたよ、みたいな話が載っているんです。僕らも一生懸命それを読む。それも経済なんですよね。ひょっとしたらプロなんていうのは、日刊工業を読んでいるんじゃないかと。

そこまで日経には載ってねぇぞ、みたいなところをちゃんと新潟の部品メーカーならできるということまで探して発注してきている。経済ニュースっていうのもロングテールでおっかけていくと果てしなくあるわけですよ。そこにも一定の価値はある。

こういうメッキに技術を持っている富山のなんとっていう会社がありますっていうのがそれを必要としているメーカーにとってはとても重要な情報。それを追うのが大変。

一方で上場企業の計算発表をカバレッジしましょうだったら30人。気合い入れれば。そこはどこが適正なのかっていうのはターゲットをどこに置くかによりますよね。

朝日新聞の記事の訂正ついて

佐々木:そういった組織の話っていうのが大きくあるんですけれど、ちょうどニューヨーク・タイムズに行かれるっていうこともあって、ニューヨーク・タイムズは朝日とかと提携したりしてますけれども。

ジャーナリズムの考えで言えば朝日新聞で今話しているのは、特殊な例と言える部分もあると思いますし、いろんな構造的な部分も含んでいると思いますし、ばくっとした質問なんですけれども、朝日で起きていることはソーブルさんから見るとどういうふうに見えますか? 異常に見えますか?

ソーブル:今回の、訂正と再検証のことで私自身も、たたきのつもりはないですけれどニュースとして価値はあると思って記事には書きました。でも、再検証の記事を初日に見たときに、これでは埋まらないんじゃないかなと思ったんですけれども。

今回訂正となった以外のところにもまたこれから保守勢力がつっこんでいくのかなと思うんですが、でも今の日本の政治的状況を考えるとそれが起きることは読めたと思うんです。日本人のミドルにいる多くの人はバランスよく見てると思うんですけど、どうですかね?

大西:そこがちょっと危ういですよね。特にネットの中で起きている現象を見ると、相当感情的になっているし、右も左もないんだろうけど、あえて言えば右にくねっている。

やっぱり朝日頑張れと思ったよね。ざまぁみろとは全然思わなくて、朝日がそこまで劣化していたかっていうのがオールドメディアのオールドガイとしては割とショックなんだけれども、もう少し臨床能力があるんじゃないかと思って競争してきたのでね。

マスメディアと読者の垣根がなくなっている

大西:それがオールドメディアの実力だと思われてしまう、ジャーナリストそのものが疑われてしまうというのは非常に怖いことだと思うし、それなりの訓練をうけてスキルをもってモラルを保って行動している人たちがいるんですっていうことはわかってもらわないと、そもそもこの業界自体が成り立たなくなってしまうんですね。

経済っていうのは読者のリテラシーがどんどんどんどん上がってきているんですよね。ごまかしがきかなくなっているんですよ。その業界にいるその中のプロがコメントしているでしょ?

それと僕らアウトサイダーのコメントを並べられると見劣りしちゃう。俺たちはマスメディアで、あなたたちは読者、っていう境目がもはやなくなってきている。その中であえて際立つ記事をかける記者っていうのが今どれだけいるのかというのが今、問われていると思いますね。

佐々木:そこは難しいところですね。我々記者って第三者っていう強みがあるじゃないですか。取材対象者とばっかり一緒につくる関係だと距離が近くなりすぎて客観的記事が書けなくなってしまう。そこが難しい。

ジャーナリストに高度な専門知識が求められる時代に

大西:王様は裸だって言えるのは素人の強みなんだけど、いやお前も素人じゃん? と言われると確かにその通りですっていうところがあって。

玄人が俺にも言わせろと出てくる時代でもあって、玄人が玄人の中だけで議論しちゃうとすごく狭い話になっちゃって、これが正しいんだっていうことが社会にとっても正しいのか? っていうとそれはまた違っちゃうんで、集団的自衛権の話にしても原発の話にしても、あらゆるものがそうなんだけれどもプロフェッショナルに委ねちゃいけない話なんですよね。

プロフェッショナルの話を俺たちがインタープリートして普通の人たち、おじちゃんおばちゃん子供まで巻き込んで議論できるところへおろしてこなきゃいけない。

それが僕らの役割なんだけれども、ただ今までは僕らの商品しか並ばなかったんだけれども、その横にプロフェッショナルが出てきちゃうとちょっときついな、簡単に言うともっと勉強しろっていうことなんですけれども。

佐々木:ジャーナリスト自体の職業っていうのが伝統的なものを引き継ぐところもあると思うんですけれど、最低限しなければならないことってあるんでしょうかね。例えば、今までは最初に自分たちがアクセス権を持つっていうところが独占的だったのでそこに価値を見出す部分があったじゃないですか。

けど、そこが弱まっていく中でどのようにしたらジャーナリストとして付加価値が出せるのか。それともジャーナリストに求められる要素って今後もそんなに変わらないものなのか。そこのところソーブルさんどう思われますか?

記者は自分をどうスペシャライズできるかがカギ

ソーブル:今までの一次情報とディストリビューションの在り方との違いですから、何らかの形で一次情報っていうのが無いとその上に築くものがないわけですから、そっちのほうはあまり変わらない。

アメリカのジャーナリストスクールに14年ぐらい前にいたのですが、もうすでに当時は主流な考え方としては、将来のジャーナリストはやはりオールマイティーでなければらない。

新聞記者になりたいと思っているかもしれないし、テレビのジャーナリストにならなければならないと思っているかもしれない。もうその考え方は古い。すべてやらなければならない。けど新聞社に入社するやつは、もちろん記事を書かなきゃならないんだけど、カメラを持ちながらネットに詳しくて自分でグラフィックを書いてもうオールマイティーじゃないといけない。

特に、これからフリーランスでやっていく人は確かにそういうところはいると思うんですが、記者会見に行くとオーディオレコーダー、カメラとか全部持っている人がいるのはいるんだけれど少ない……色々できると組織の中にいる人もスペシャライズできると思うんですね。

ここ10年間くらい活字のジャーナリストが適当にビデオを撮ったものを見ていると思うんですけど、これ非常にびっくりして。組織としては確かにオールマイティーでなければならない。海外のメディアも日本もそうなりつつあると思うんだけれども、新聞社のウェブサイトを見ると文字だけじゃないんですね。

インターネットグラフィックもうまく使ってきていると思うんですね。みんなスペシャライズでやっていいんです。そっちのほうが効率がよくてクオリティも高いから。記者としては昔ながらの情報がとれて、それを頭のなかで整理することがうまくて、説明することがうまい。

その基本的なスキルは変わらない。過去ほどにそういうスキルを持っている人を同じ記者として、ビジネスとして雇えるかどうかっていうのは別の話なんですよね。記者の数がこれからメディアが支えられるプロの数っていうのは変わるかもしれないけれど、基本的なスキルは変わらないですね。

これからのジャーナリストに求められる2つの価値

佐々木:スペシャライズできるからこそ、ソーブルさんもフィナンシャル・タイムズで日本担当をして、またニューヨークタイムズで日本担当をして、日本ってスペシャリティになるわけじゃないですか。

日本のジャーナリストの悲しいところっていうのはスペシャリティを極めるっていうことが組織構造上できない。しても、なかなか外に有用性のあるマーケットが無いので、スペシャライズできない人が1番悲しいことだなと思うんですけれども大西さんどうですか。

大西:偉くなろうと思ったら、ジェネラルに行かなければいけない。自分にキャリアパスを積んでいこうと思ったら、広く浅くジェネラルにいって最後にお前何やっているの? と言われたらよくわからねぇみたいなことになると。

中にはとどまってここをやるぞ、という記者もいますね。今の話のひとつ前に戻りますけれど、これからのジャーナリストの価値ってなんなのというと、ひとつはソーブルさんも言ったけれど昔も今も変わらない。

読者が見たいものを読者に成り代わって見てくる。読者が入れないところまで踏み込んで、リスクを追って入って、そこを見てくる。一次情報。で、その人が書かなければ、未来永劫世の中に出なかったようなものを引っ張りだす。これがひとつね。

もう1つは、怪しくなってくるんだけど、徹底的に勉強して金融の話を書くんならアナリスト以上のリテラシーだったり、ITを書くにしても、極めて高いリテラシーを持ちながら、それでいて素人の常識を持っている人。

今まではどちらかといえば、素人の常識で四の五の口を出すなと、俺はジャーナリストだと、細かいことまで知らないと。だけど、これは間違っていると言うと、世の中はそうだなと思ってくれたんだけど。

今はそうやって一方的に断ずると、えーという声があっという間にネットのあちこちから出てきて、それ違うんじゃないかって言われてしまう。やっぱり、玄人と素人をうまく混ぜていかないといけない。

スペシャリストになった記者は、記者をやめる?

ソーブル:そこで生まれてくる1つの問題は、そこまでアナリスト以上の知識を持っていたら記者はいるのか。そこまで熱心に1つのことにプロフェッショナルになったら、もっと金になる仕事があるのでは。

というのも、私は10年ぐらい前にダウ・ジョーンズという通信社にいたときに、当時ダウ・ジョーンズは経済の方に通信社として総力をかけてる、特に当時は為替などのマーケットを強みと思っていたんだけれども、もっと価値を作るためにはスペシャリストなサービスを創りましょうってなったんです。

一時はプラスαな有料サービスとして、ニュースだけじゃなくて、数字のきちんとしたアナリストレポートのようなダウ・ジョーンズの記者兼アナリストから受けるサービスをスタートしたんだけど、最初思ったのが、その書いてる記者の給料は同じような投資銀行の中で同じようなリポートを書いているアナリストの10分の1ぐらいだったから、誰がそんなことをするのかなってなって。結局そのサービスは長持ちしなかった。

佐々木:それは、引き抜かれちゃいますよね。そういう意味では、ネットメディアの給料が低いという問題も大事ですよね。やっぱり日本の場合、その差が大きいことは人材の質を担保する意味として大きいわけですよね。というわけで、我々がどう稼ぐかという話は次のセッションでマネタイズをどうするかということで話していただきます。