原体験にある「シリコンバレーの懐の深さ」

鶴田浩之氏(以下、鶴田):ラーメン屋で出会いがきっかけ……。普通はそういうのって、なんか六本木のバーとかであるんじゃないですかね。

村上臣氏(以下、村上):今だとそうかもしれないけどね。

彼らが「今、日本のお客さんに売り込みをしていて。決まったら日本とかやっている暇がないし、小さい会社だから、お前らを手伝ってよ」と言われた。

「ああ、いいよ。じゃあそのときメールしてね」と別れたら、半年後ぐらいに「決まったよ。日本の仕事が」と。「どこ?」って聞いたら、「DDIとIDOって会社だ」と言われた。むちゃむちゃでかいじゃないですか。今のKDDIですよね。

なので、いちベンチャーがそういう大企業の裏方的になった。だって「iモードの裏方を作ります」と一緒ですからね。

鶴田:そうですよね。

村上:そうですよ。俺の部屋にそういうゲートウェイサーバーを置いて。

鶴田:えっ。

村上:そう。検証機。当時、EZwebのスタート前は、検証サーバーってやるじゃない。だからiモードゲートウェイみたいなものが俺の部屋で動いていた。検証機は俺の部屋を通ってインターネットだったの。

鶴田:楽しそう〜(笑)。

村上:俺、部屋のサーバーからSMSを送り放題だったからね。俺の携帯と直接つながっているから。すっげえおもしろかった。

鶴田:今のエンジニアなんて、「クラウドだ」とかクールに言っていますけど、画面越しの黒い画面を見ているだけですからね。

村上:便利になったっちゃ便利になったんですけどね。

なので、そういうダイナミクスがあることを知ったのも、この時です。シリコンバレーのオープンさはすごいよね。若者のスタートアップに今でもやさしいじゃない? シリコンバレーは偉い人でも5分でも10分でも時間を取ってあげようとする。

鶴田:僕も4年ぐらい前に行った時も、誰ともアポなしでしたけど、最初に出会った人がどんどんつなげてくれた。GoogleもAppleも行けて、なぜかピクサーの人の家に勝手に入れさせてもらって、友達ができた。

村上:本当にフラットに、おもしろいなと思ったらもうどんどん紹介して、「それはあいつに話したほうがいい」みたいにつながっていくじゃない。それはすごい強さだと思う。

鶴田:じゃあ、そういう原体験的な感じになった?

村上:そうそう。

買収総額54億円! でも次の瞬間にITバブルがきて……

鶴田:ちょっと臣さん、このままいくと2017年を迎えられなさそうなので。

村上:なるほど、じゃあ巻きでいきましょう。

鶴田:2000年で、なにか語りたいことはありますか?

村上:2000年は、我々が買収された年。2000年8月。

鶴田:そうですよね。ヤフーにジョイン。

村上:ヤフーにジョイン。ここからスタートです。まだヤフー始まってなかった。やばいね(笑)。

(会場笑)

当時、買収総額が54億円。電脳隊というかPIM。今見てもまあまあのイグジット。

鶴田:そうですね。

村上:当時でいうと、たぶんベンチャーが大企業をバイアウトした金額でいうと3位ぐらいだったのかな。

鶴田:すごい。

村上:けっこう話題になりましたね。上場しなかったことと、バイアウトした金額が意外とでかかった。ただ、株式交換でやっちゃったから、その後にITバブルが弾けた。うちら2年間は売れないんです。日々、Yahoo!ファイナンスでF5をリロード。

(会場笑)

もうね、途中でF5を押すの諦めた。ダーンと下がっていって、当時は1株1億円ついた株価が、売れる時には10分の1以下です。

鶴田:そうですよね。

村上:なので、びっくりするぐらい儲からない。だからみなさん、買収はなるべくキャッシュ多めで。はい、スタートアップのアドバイスですね(笑)。

結局のところ、買収は運

鶴田:でも小澤(隆生)さんは、楽天に買収された時、キャッシュがよかったけど株式交換だったから、逆に2年間かけた。楽天の場合は逆。

村上:そう。小澤さんの場合は、逆にうまい感じに上がっていったからよかったんだよ。

鶴田:いろいろですね。

村上:結局、運だよね。

鶴田:運(笑)。

村上:だって、小澤と我々とほぼ同じ年に買収されている。かたやヤフー、かたや楽天。

鶴田:ヤフーの場合は落ちちゃった、と。

村上:そうそう。だから難しいですよね。

鶴田:ちょうどこの頃から、僕はインターネットユーザーになってきた。

村上:この時、何歳?

鶴田:9歳。

村上:プッ(笑)。

(会場笑)

鶴田:Yahoo! JAPANでしたよ。その時、パソコンを買ってもらって。

村上:Yahoo!きっず?

鶴田:きっずは使って……。

村上:あ、使っていない。なんだ、ませガキだな。

鶴田:小学校のパソコンのホームページはYahoo!きっず。

村上:そうだね。

鶴田:パソコン教室はそういう感じでした。なので、僕ら世代はきっと人生で初めて見たサイトはYahoo!なわけです。

「孫正義と関わるな」

村上:ヤフーに入ったその時は、まだ300人ぐらいしかいなかった。けっこうベンチャーノリで、ばんばんリリースして作るような感じだった。

だから僕も3ヶ月単位で、クオーター単位で動いてた。けれども、3ヶ月に3つぐらいガラケーのサービスをあげていた。Yahoo!グルメとか、Yahoo!検索作って……ひたすら書きまくっていた。

鶴田:超楽しそうですね。

村上:ひたすらガラケーを両手両足に持って、こうやって検証して。

鶴田:両足で(笑)。

村上:そうそう。

鶴田:この頃は、孫さんとは……

村上:いや。もうぜんぜん。

鶴田:ぜんぜん?

村上:うん。ぜんぜん。今のほうが孫さんと近くなっているかな。当時の社長が「孫さんと関わるとろくなことがない」と。もともと孫さんの社長室長で「自分の見えるところで自由になるべくやりたい」と言うので、あまり関わらなかったかな。

村上氏を緊張させた日韓ワールドカップサッカー

この時は、2002年に日韓ワールドカップサッカーがあって。

鶴田:そうでしたね。

村上:この時に、ドコモがオフィシャルスポンサーで、一緒にインターネットでリアルタイムで速報が見られるサイトとかを作った。それをヤフーとドコモで作った。

その時は俺、いちエンジニアとしてむちゃむちゃ緊張していた。だって1人300円の有料サイトだったし、試合がすげえ盛り上がってアクセスがぶわーっと来た。でも、今みたいにクラウドがないから。オートスケーリングがないから。

鶴田:物理サーバーみたいな。

村上:そう。人力でサーバーをさす。ある意味オートスケーリング。

(会場笑)

鶴田:再起動は、電源のスイッチ、コンセント。

村上:そう。だから試合の時は、コンソールを見て「やばい!」と。やばい時はもうあらかじめ電話して「ちょっとサーバー10台ぐらい入れといて」みたいな。そうやってました。

僕のエンジニア時代です。いろいろやって、Yahoo!モバイルは、おかげさまでガラケーのアプリサイトではナンバー1になった。

2006年、Vodafone Japanを買収して10兆円ファンドに

鶴田:変化が見えづらいですけど、2000年から2006年になった。この年は?

村上:2006年、これは僕にとっては大きな年でした。

鶴田:臣さんにとっては大きな年?

村上:そう。これわかったら玄人ですけれど。ソフトバンクがこの時、Yahoo! BBとかやって、通信やって、固定回線で成功し始めた。それで、2006年にVodafone Japanを買った年です。

2006年3月17日だったと思いますけど、モバイル通信にコミットした。なので、借金あるのにさらに大借金。当時2兆円以上。

しかも日本でまだめずらしかったLBO(レバレッジド・バウアウト)という方式でVodafoneを買っているんです。要は、そこに買うものの資産を担保にお金を借りる。人のふんどしにもほどがありますよね。

(会場笑)

鶴田:僕、ちょっと理解ができなかったんですけど。

村上:要は「買いたいです。この会社は儲かっています。なので、買ったらこの会社を担保にするから、あらかじめ金貸してね」みたいな。簡単にいうとそういう感じ。「あれほしい。あれすごい魅力的でしょ。ねえ? ねえ?」「あれ買いたいから、先に金貸して?」みたいな方式なんです。孫さんっぽいといえば、孫さんっぽい。

鶴田:確かに。それでできたんですか?

村上:それでやった。だから日本だとLBOでたぶん当時最大のディールじゃない。ファイナンステクノロジーがすごいよね、ソフトバンクは。

鶴田:そうですよね。今も続いてますけど。

村上:そうだよ。10兆円も集めちゃったもんね。

鶴田:10兆円ファンド。

村上:びっくりするよね。

鶴田:世界のすべてのVCファンド総額を超えるという……。

村上:そうそう。ついにオイルマネーに手を出した。僕なんか怖くてしょうがない。どう飛び火してくるか、わからないから。

鶴田:(笑)。

「5年間で数百万人って、お前、ちっちぇなあ」

村上:僕はこの瞬間に「お前はモバイルやっているから」とバーンっと出向させられたんですよ。Vodafone Japanに。

この時が一番、孫さんと近かった。もともと2005年に電波の新規割当があって、総務省が新規参入を募集したんです。3キャリア寡占になっていたから、自由化したいと。当時、手を挙げたのがソフトバンクとイー・アクセスだった。イー・アクセスは、イーモバイルというモバイルWi-Fiのサービスをやって、自力でやった。

ソフトバンクも自力で参入しようと思ってやったけど、当時2005年にそのプロジェクトに入っていて、順調にユーザー数を伸ばしていくシミュレーションして、孫さんにピッチをしたんです。でも、「こんなもん?」「5年間で数百万人って、お前、ちっちぇなあ」みたいな感じで、なんか「う~ん……」みたいだったんですよ。

その時に、実は裏であるものを買っちゃおうぜと思っていたらしくて。裏でVodafone Japanの買収ディールをやっていた。なので、その時のアイデアや、Yahoo!モバイルはけっこううまくいっていると聞いて、なんか「いけるかもしれない」と思って買ったわけです。

僕が聞いたのはディールの直前です。その時にヤフーも一応出資している。そのスキームに乗って1,200億円ぐらい。当時、ソフトバンクはあまり金がなかったので、一応貸付みたいなかたちで株を担保にした。

鶴田:当時、Yahoo! JAPANが稼ぎ頭だったんですよね? ソフトバンクグループで。

村上:そうですね。当時の社長に呼ばれて、「実はVodafone Japanいくらしい。うちもちょっと金を出すことになった」「1,200億円出す」「代わりにどういう条件つければいい? ソフトバンクに」って言われて(笑)。

その時に言ったのは、「ボーダフォンボタン」ってあったじゃない? ボーダフォンライブにつながる……要はiモードボタン。「あそこをYahoo!にしてください」と。「ワンタッチでYahoo!につながれば、それだけでたぶん元が取れるんじゃないですか? わかんないですけど」みたいなことを言って。

鶴田:(笑)。

村上:「広告の事業はうちでやらしてください」と。いくつか条件があって、MOU(Memorandum of Understanding、基本合意書)を結んで、買収のディールをやっていました。

そこからずるずるっとモバイル産業にどっぷり入った。当時、ガラケーのハードウェアの設計のところもやっていた。もちろんやっていたのはソフトウェアだけど、ヤフーとソフトバンクモバイルを行ったり来たり。なので、キャリアをやりつつ、上のサービスも作ることをやっていたのがこのぐらい。

25歳で初のリーダーに。「役割だけ、人として自慢できることはない」

鶴田:ちょっと聞きたいんですが、プログラミングが好きでギークオタク少年から始まって、ヤフーに買収されて、急に大きなお金だったりマネジメントになった時は、ちょうど僕ぐらいの年ですか? 20代後半?

村上:そうだね。最初にリーダーになったのは25歳の時だね。

鶴田:状況がすごく変わるなかで、自分自身で心境が変わったところって、なにかあったんですか? この時期。

村上:もう走りながら勉強するしかない。最初にリーダーになったのが25歳。マネジメントもしたことがない。それこそ本を読んだり、先人の知恵を一生懸命アレンジして、自分なりに解釈して、なんとなくやっていった。

鶴田:なんとなく?(笑)。

村上:そうそう。あとはチューニングしながらやるしかないから。

心がけていたのは、人の意見を聞くこと。とりあえずリーダーになると一応タイトルがつく。なんか自分が偉くなったと勘違いしちゃうこともある。権限は持っているけど、別に偉いわけじゃない。人として。それは今でも心がけている。役割として今、執行役員をやっているけど、別に人としては、どっちかというとクズ。

鶴田:(笑)。

村上:ぜんぜん人として自慢できるようなことはない。だから、人の意見は素直に聞かなくちゃいけないし、単純に与えられた役割をやっているだけ。「だから偉いんだ。なんでもしていいんだ」はちょっと違うと思う。それは当時からリーダーになって部下を持つと、むしろ余計に謙虚に出ようと心がけていたかな。

鶴田:そういう20代だった?

村上:そうそう。