人間から思考力を奪うには「選択式」が一番

——ここまで、「考える野蛮人」がロールモデルだという灘中・灘高の教育のお話、あまりに瑣末な知識を問う難問・奇問を入試に出す大学の問題などについて、いろいろとお話をおうかがいしてきました。

そこから抜け出すために、個人レベルで、また、教育の現場レベルでは、どのような取り組みが必要でしょうか?

鈴木寛氏(以下、鈴木):「考える」より「学ぶ・覚える」が中心になった元凶は、1979年に導入されたマークシート方式だと考えています。人間から思考力を奪いたければマークシートが一番ですね。それがだんだん普及していって、1990年にセンター試験になって、私大も参画して……今日に至るというわけですね。

津田久資氏(以下、津田):「文章を書けない人」でも大学に入れるようになった、と。

鈴木:ええ、その頃から日本人は考えなくなったんじゃないかと私は思っています。やはり記述式の試験というのは、相当な知的エネルギーを要します。「ものを書く」というのはすごく重要なことなんです。

だから私たちが注力している入試改革のカギは、「どれだけマルチプルチョイス(多肢選択法)の比率を下げて、記述式を増やせるか」なんですよ。

津田:その代わり、採点する側も大変になりますね……。

鈴木:おっしゃるとおり。いまは教員のほうもマークシートとか選択式の環境の中で育ってきていますので、なかなか難しい部分はあります。ただ、これまでこの悪循環を35年続けてきて、「考えない日本人」を量産し続けてきたわけですから、これを改めるのはそう簡単なことではないと思っています。

津田:そのためにはまず「書く」習慣ですよね。いや、ホントに社会人に文章を書かせるとひどいですよ。逆接の接続詞だとか接続助詞が入っているのに、まったく逆接になっていなかったりとか。

鈴木:そう、まずは書くことですよ。文章を書くと、自分の考えのあやふやなところに気づけるし、まさに書き分けられるようになりますから。

高校生にはひたすら文章を書く練習をしてほしいですね。そのためには、もっと学術書をしっかり分量読まなければダメです。クイズ番組みたいな難問・奇問に答えるために勉強するなんてつまらない。

かつての旧制高校の生徒たちのように「デカンショ(デカルト、カント、ショーペンハウアー)」みたいな難解な哲学書をわからなくても読んで友人と議論したり、自分なりの考えを書き留めるといった経験が、15歳から18歳くらいには必要なんですよ。

津田:そうですよね。昔はみんな寮生活でしたから、理系も文系も関係なく同級生や先輩後輩と話をしていた。

鈴木:そう、みんなで議論をしたと思うんですよ。そこでも、やはり基本になるのは「言葉と幾何」です。

津田:そうですね。研修なんかでも「考えるとは書くことだ」と何度も伝えているんですが、一方で「そもそも自分で正しい文章が書けているのか自体が判断できないんです……」という人もいます。なぜそんなことになってしまうかというと、そもそも頭のなかに「正しい文章」が入ってないから。

鈴木:読書してないからでしょうね。

津田:だから僕は、日本人というのはどこかで「外国語を学ぶように日本語を学ぶ機会」が必要なんじゃないかなと思っているくらいです。

鈴木:そうですね、論理日本語を学ぶ機会というのは必要かもしれません。

津田:まず「単語の意味」を徹底的につかむ必要があるし、さらには暗唱してしまうくらい「ちゃんとした文章」を読まないといけない。

鈴木:読んだだけでは頭に入らないという人もいるでしょうから、何度も何度も精読することです。1人でやっていては大変なら読書会をやるのもいいでしょうね。

本当の学びには「縦」だけでなく「横・斜め」が必要

鈴木:原理原則をしっかりつかむ方法として、もう1つ考えられるのは、教えることです。ラーニングピラミッド(学習ピラミッド)によれば、知識を定着させるうえでは「人に教える」のが一番なんです。

津田:本当にわかってないと誰かに教えられませんし、わかりやすく教えるには「言葉」の力が求められますからね。

鈴木:たとえば私は、東大と慶應でも教鞭をとっているんですが、ゼミの学生たちが「教え合う」ように仕向けています。思えば「精力善用、自他共栄」の精神が行き届いた灘高にも「教える」文化がありましたよね。

受験のときも個人技というよりは団体戦を戦っているようなイメージ。受験生同士が得意科目を教え合っていました。

津田:成績上位の人はもう「受かる」ってわかっているから、余裕があるんだと思いますが(笑)。

鈴木:あと、教えられる側にとっても、仲間から教わったほうが、わかりやすかったりするんです。

先生たちはもう何十年も前に理解したことを教えているわけだから、そもそも自分がどうやって理解したのかという「プロセス」を忘却してしまっているんですよ。

一方、同級生というのは、つい1ヵ月前くらいに理解したばかりだったりするから、理解までのプロセスをビビッドに覚えている。「このルートをたどり、この瞬間に自分はわかった」という体験が頭の中に残っているから、先生よりもうまく教えられることがある。

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