最終プレゼンテーションはFringe81・田中弦氏

田中章雄氏:そして、今回最後のプレゼンテーションはFringe81の田中さんです。もちろんご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、田中さんは過去にLaunch Padにも参加してるんですね。

今までのプレゼンテーションはサービスとかプロダクトの説明がメインだったんですが、田中さんは、彼のベンチャー経営の中から生み出した人生観とか経営論とか、少しディープな内容で我々を楽しませてくださるということで期待しています。田中さん、準備はよろしいでしょうか。

田中弦氏(以下、田中):大丈夫です。

田中章雄氏:僕ら、聞いていて泣いちゃってもいいんですか(笑)。

田中:ちょっと、期待値上げないでください(笑)。

田中章雄氏:それでは、Launch Padスタート!

広告事業で戦い続けたFringe81の10年間

田中:Fringe81の田中です。今日は、「Fringe81の“HARDTHINGS”」ということで、カッコ悪い話をしようと思っています。みなさんのプレゼンを聞いていたら、カッコいいなと思って、僕はちょっとカッコ悪い話をしようと思ってるんですよ。

我々、Fringe81は10年やってまして、なんと昔はRSS広告というところをやっていたんですね。これは我々の最初のホームページです。

「ネットエイジグループ、ブログ事業を積極的に展開」とか、恐ろしいことが書いてありますけど、この市場は創業2ヵ月でGoogleが入ってきちゃったんですよ。もう大変ですよ、これは。よくよく考えると、これは記事と記事の間に広告を挟むというやつなんですが……みなさん、これよく見てください。

今、絶賛流行っているインフィード広告なんじゃないかなあと。

フィードとフィードの間に挟まるということなので、技術的にはまったく一緒なんですね。これが10年前です。まあ、10年早すぎたなと正直思ってまして、とってもつらかったです。

ところがこの市場は小さかったので、Googleが撤退しちゃったんですね。これ、撤退すると何が起こるかといいますと、残存者利益というものが発生しまして、いつの間にかザクザク儲かるというふうになりました。

二度のLauch Padへの挑戦

ただ、やっぱり伸びないので非常につらいわけです。ただ、この大量の配信技術というのをこのとき身につけましたので、これをちょっと応用できないかなと思って、2010年の「IVS Spring Sapporo」で、「多変量解析バナー配信システムiogous」というものを持ち込みました。ちょっと、その時使ったビデオがあるのでご覧にいれます。

これはどういうものかというと、バナーのパーツをバーッと入れ替えて5000個くらい作って、遺伝的アルゴリズムで生き残らせるみたいなことをやっていました。これはもういいんですけど、これ結構イケてそうな気がしません?

結構、アルゴリズムが真似しにくかったりですとか、学習効果があったりですとか、「ディスプレイ広告がこれからくる」みたいに言われていたので。後から計算してみると、これの開発に手元現金の半分をブッこんでいたんですね。

まさにLaunch Padで、ドーンと目立って、資金調達しないと終わるみたいな感じだったんですよ。これは3位でした。

まあ、ロボに負けましたが、3位になったと。

でもみなさん、これよく見てください。これ、今絶賛流行っているCriteoっぽいものなんですね。

ただ、これはCriteo日本進出の1年前にやってまして、DSPとかそういうのがまったくない時代だったので、やっぱり早すぎたなと。これは全然ダメでした。またもやつらいという思いになるわけですね。

でもここでめげてもしょうがないと思って、この広告配信システムを効果測定サーバに改造しようと思って、1年後にもう1回チャレンジしようと「第三者配信アドサーバー iogous*mark」という名前のものになりました。

度重なるGoogle・Yahoo!の参入

この時Launch Padに出たんですけど……また3位で。今度はすごい負けるという感じだったんですね。それで、「今度こそ市場シェア、ニッチシェアナンバー1になるぞ」と思ったんですけど、またGoogleが入ってきまして、本当に血みどろみたいな状況になってしまって、またつらいねといった感じになりました。

ただこれも、Googleさんと一応シェアを分けあって、3強の一角ということで何とか生き残れました。5年間ずっとこのビジネス続いています。ちなみにRSS広告もいまだに続いています。そうすると、「やっぱり残存者利益最高!」という感じになってきました。

まあ、僕らはRSS広告で始めたんですけど、気づいたらアドテクの会社になってたんですね。それで、アドテクこれからくるだろうということで、どんどんソフトウェアを作ろうということで。

タグマネジメントシステム、およびDMPというのを開発しました。ところが、このタグマネジメントシステム、これも数千万かけたんですけど、GoogleとかYahoo!が「これ無料です」って出してきちゃったんですね。もう本当につらいという状況になりました。

歯を食いしばって10年続けた結果は…

ただ、やっぱり僕、あきらめず歯をくいしばって、2回残存者利益をとったんですね。それで今10年やっています。そうするとですね、こうなりました。

棒グラフが売上高で、今数十億円くらいまできました。2014年から2015年くらいで従業員数が2倍くらいになってるんですけど。見ていただくと、要はLaunch Padは僕らの未来には関係なかったということかもしれないんですけど。まあLaunch Padがあったからこそこういうふうになれているのかなあと思います。

よく「撤退基準とかどうしているんですか?」という話って出るじゃないですか。撤退基準とかクソだなと僕は思ってまして、撤退しなくて本当によかったなと。結局、何が一番よくなかったのかというと、あきらめるということが最大の敗北なんだと僕は気づいたんですね。

もうずっとやってみると。10年目で爆発する会社ってやっぱりあるんだなって僕は思ったんです。ベンチャーキャピタルのみなさん、償還期限とかそういうのがあると思うんですけど、10年経って爆発する会社もあるんで、大目に見ていただくことも……あんまり言い過ぎるとヤバいですね(笑)。

10年間で蓄積して磨き続けてきたもの

それで、どうしてこうなったかということを小林(雅)さんに聞かれて、まじめに考えてみたんですけど。

やっぱり蓄積可能な打ち手を磨き続けて、やり抜いたというのがその理由なのかなと感じているところです。こんな感じでですね、

2005年から2015年まで、何をずっと蓄積可能なものを磨き続けてきたかというと、まず2006年に5人の社員しかいなかったときに新卒採用を始めちゃったんですね。

今、毎年採ってまして、社員の半数が新卒出身者になりました。新卒比率が30パーセント超えたときと、50パーセント超えたときに、文化的に、事業的にもブレークスルーがあったということが僕が感じていることです。

あとは大規模配信・分析技術とかも、もう気が狂ったように出すと。GoogleさんとYahoo!さんが無料でやっていて、うちだけ有料ですみたいな状況でも、もう気が狂ったように出し続けるというのをやり抜くとこんなふうになりました。

ちなみに、社名変更とビジョン変更とMBOもやっているので、最近わけわかんなくなってるんですけど。次に僕らがやりたいと思っていることは、正直アドテクはもう飽きたと。

なので、あと20年くらいこの会社を許されるのであれば、経営したいなと思っていまして、そうするとこういった新しい地球の未来を創れるような会社を、20年あれば2回くらい爆発できる会社が創れると思っているので、やりたいと思っております。

あと30秒くらいあるんですが、僕はもうこれで。あんまり泣けるプレゼンじゃなかったかもしれないんですけど、終わりたいと思います。ありがとうございました。

(会場拍手)