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作家、連続起業家、M-1グランプリ出場… “圧倒的異能”で突き進む、安野貴博氏のエンジニア人生(全4記事)

17歳で「全自動画像命名サービス」、19歳で「授業情報共有SNS」を開発 “圧倒的異能”安野貴博氏の学生時代

それぞれの分野で輝かしく活躍しているエンジニアは今までどのような人生を送ってきたのか。「エンジニア人生の折れ線グラフ」は、インタビュイーにこれまでの人生を折れ線グラフで振り返っていただき、その人の仕事観やエンジニア観を深掘りしていく企画です。 第1回目の今回は、作家、連続起業家、エンジニアとして活躍する安野貴博氏に、今までの人生を振り返っていただき、人生のターニングポイントや影響を受けた人物などについておうかがいしました。全4回。

ーー最初のほうからおうかがいしたいなと思っているんですが、「15歳の時に自我を獲得」という(笑)。

安野貴博氏(以下、安野):(笑)。

ーーどんな子ども時代を過ごされていたのかおうかがいしたいのですが、何がきっかけでエンジニアリングに興味をお持ちになったんでしょうか?

安野:きっかけは9歳くらいの時かな。小学校3年生くらいの時に親が初めてWindows PCを買ってくれて。「Windows 98」だったかな……買ってもらって、それをいじっていたのが最初ですね。

それまでもけっこう機械っぽいことは好きで、たぶん初めて見た映画が、『ターミネーター2』だったかな、その時に「おっ、機械っていいな」みたいなことを思いまして。

あとは、部屋の中のコンセントとか、電子機器とかそういうのが好きで、コンセントの縁を触りながら入れると感電するみたいなことを覚えて、すごいなと思ったりしましたね。

ーーコンセントの中に手を入れる方が一定いて、そういう方は天才……でしたっけ(笑)?

安野:なんか、ありますよね(笑)。エンジニアで感電したことある人の率がすごく高いみたいな。感電教育するといいんじゃないですか(笑)。

ーー(笑)。もともと電子機器に興味があったということですが、PCを買ってもらって、すぐにプログラミングを始めたんですか?

安野:そうですね。最初は、そのパソコンの中に入っているソフトを一つひとつ開いていって、「これは何かな?」と見ていました。「Excel」がプログラミングに近いところがあって、「Excelはけっこう奥が深いな」みたいな。「Word」は文字が書けるだけだけど、Excelはいろいろなことができるぞというのに気づいて。

マクロというExcel VBAの機能があるんですが、それをやるとさらにすごいことができるぞということに徐々に気づき、そこからですね。なので、Visual Basicが最初の言語になりますね。

ーー小学校3年生でExcelを開いてVBAに興味を持ったんですね。周りに同じようなお友だちはいましたか? 

安野:周りはあんまりいなかったですね。ただ、VBAで作ったゲームをCDに焼いて友だちに配ってやってもらうみたいなことをやっていて、自分が作ったものをやってもらう経験ができたのはよかったなって思いますね。

ーー小学生の時にゲームを作っていたとおうかがいしましたが、17歳の時には、全自動画像命名サービス「ねみんぐ!」を開発されたんですね。

安野:はい、そうですね。

ーー開発のきっかけはどういったものだったのでしょうか?

安野:これはRubyで作ったWebサービスで、画像をアップロードすると、名画風のそれっぽい名前をつけてくれるサービスでした。顔の写真を上げると「すべての始まり」みたいな(笑)、それっぽい日本語。

これはマルコフ連鎖で作っていたんですけど、公開してみたら、意外と「この画像にこのタイトルをつけるのか。おもしろいな」みたいな感じでバズりまして。

高校生とか中学生とか同世代の、三重と熊本に住んでいる人と「はてなダイアリー」を書いているうちに仲良くなって、3人で遠隔で作りました。今はリモートで開発することが普通にありますが、当時は、それなりに新しかったかなと思います。

ーー開発する中で、「ここは難しかったな」というところはありましたか?

安野:当時はプログラミング力もぜんぜんなかったので、どんなふうにすると自然になるかなというところでパラメーター調整をいろいろやってみたり、ユーザーが使いやすいようにしたり、というところですかね。

ーー学生時代に影響を受けた人物はいますか?

安野:何人かいて、まずはゲームクリエイターの小島秀夫さんですね。『メタルギアソリッド2』を中学2年生くらいの時にやっていたんですよね。あれも世の中がすごくデジタル化していって、技術によって人間の社会全体がコントロールされるのだ、みたいな価値観があって。

そういったところは、フィクションのストーリー作りにも、自分の世界観的なところにも影響を与えているかなと思います。

あと、高校1年生とか2年生くらいの時に、『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』という本を読んだのですが、「これからどんどんソフトウェアがインテリジェントになっていって、人間より賢くなり、シンギュラリティが来るんだ」みたいなのは、「すげぇ」と思った記憶があります。

ほかにすごく影響を受けた人物は吉浦康裕さんというアニメーション作家の方。『イヴの時間』とか、最近だと『アイの歌声を聴かせて』。

彼も一貫してアンドロイドや機械と人間がどうコミュニケーションを取りながら世の中を作っていくのかということをやられていて。高校生ぐらいの時に『イヴの時間』を見て、「やはりAIと人間は仲良くならないといけないな」みたいなことも思いまして(笑)。

その後、松尾先生の本で、『人工知能は人間を超えるか』という新書が出たんですけど、吉浦監督の帯が使われて、めっちゃ売れていて、いろいろなところでいい影響をすごくいただいているなと思います。

ーー19歳の大学生の時に「授業情報共有SNS」を開発されましたね。これは、いったいどういうものなんでしょうか?

安野:2009年、2010年当時「Twitter(※現「X」)」が流行り始めていて、「tsudaる」という単語があったんですね。

津田大介さんがやってたんですけど、いろいろなところに行ってTwitter上で様子を実況をする、みたいなのが流行っていて。「授業を実況しよう」「授業をtsudaろう」みたいなムーブメントが大学の中の一部ではあったんですよ。

シラバスをクロールした上で、「どのアカウントがどの授業をフォローしているか」の情報をまとめれば、そこから勝手にタイムラインを逆算して、「第何回のなんとかの授業の実況タイムライン」みたいなのをバッと出して情報を集約するサービスができるんじゃないかと。

その授業のページの上にノートとか試験対策のプリントとか、そういうものもアップロードしてどんどん情報を集めていくと、なんかいいよねというので、サービスを作って公開したんですよね。

当時、大学の1学年が3,000人くらいしかいなかったんですけど、登録者数が1,500人くらいで、意外と大学内アクティブ率は高かった記憶があります。これがある意味初めて自分で作ってリリースした本格的なサービスかなと思いますね。

ーー画期的なサービスで、反響がすごくあったということですが、大学の教務課に呼び出されて怒られてしまったということで(笑)。

安野:そうですね……なんか突然メールが来て、「ちょっと来てください」みたいな(笑)。

ーー(笑)。

安野:教務課に行ったら、シラバスに著作権があると主張をされた気がしますね。

ーーそのサービスは残念ながら閉じてしまったんですか?。

安野:そうですね。すぐ閉鎖しろとは言われなかったんですけど、モチベに影響はありましたね。

ーー確かに、ここでモチベーションがマイナス20まで下がっていますね。

安野:そうなんですよ。でも、当時1、2年くらいサービスをやっている中で、3人くらいに「俺の留年が回避できたのはお前のおかげだ」みたいな感謝の言葉をいただいたので、自分のプログラムで人の人生を1年変えることができるんだなとは思いましたね。

ーー21歳の時は、工学部の松尾研究室に進学されましたが、ここではどういったものを研究されていましたか?

安野:当時、ディープラーニングなどがまだ流行っていなかった頃なんですけど、2つくらいやっていたかな。1つは、国会の議事録を全部データとしてスクレイピングしてきて、誰が何を言ったかを全部データベースに蓄積していく。

そうすると、「あっ、この議員はこのキーワードについてよく発言しているな」みたいに、その議員の興味関心がすごく可視化できるんですよね。なので、それを分析して一覧で表示していくものを作っていました。

もう1つは、クラウドソーシングについてですね。当時からいろいろな仕事が受注・発注できるようになっていたんですけれども。

けっこうレビューシステムが壊れていたんですよ。基本的には星5つをつける文化なんですよね。なので、どの会社どの個人が仕事がどれくらいできるのかがよくわからないという状況になっていたんですよ。

地雷の人は見抜けるんですけど、だいたいの評価が星5つで、「本当にどれだけ満足してたんや?」というのがわからなかったんです。「誰がどれくらいの評価してるんや?」というところをGoogleのページランク的なやり方でもうちょっと重み付けしました。

同じ星5の中でも、すごく評価されている発注者の星5はより重くつける処理をかけてあげると、もうちょっとうまくいくねと。より仕事ができる人をあぶり出せるね、みたいなことをやっていましたね。

ーーその後に、シリコンバレーのデザインファームで学生インターンをされたということですが、なぜ、デザインファームでインターンされたのですか?

安野:やはりシリコンバレーには1度行っておいたほうがいいんじゃないかと思ったからです。当時デザインファームのbtraxという会社が、日本から大学生インターンを募集していて、アメリカってビザを取るのがけっこう難しいんですけど、Jビザというインターンビザがあって、それのビザの発行もサポートしてくれるというところで、これはぜひ行くべきだろうと、7、8ヶ月くらい行きました。

ーーここではどんなことをされていたんですか?

安野:わかりやすいところだと、アプリのデザインとかWebのデザインとか。シリコンバレー文化の発信をする自社メディアを持っていたので、日本の会社とアメリカのテック企業とをつなげたりとか。

ここではインターン生として満遍なくいろいろやらせてもらいました。Webサイトを作ったこともありますし、古のFlashのメンテナンスをしたこともありましたし、日本企業の人がシリコンバレー視察に来るのをアテンドしたこともありました。

ーー実際にシリコンバレーに行ってみて、印象は変わりましたか?

安野:そうですね。本当にエンジニアの方が多くて、ミートアップ、勉強会的なものとかもいろいろ行われていました。

あとは、見たことあるWebサービスがいっぱい集積していて、そこらへんの倉庫で適当にやっていた会社がいきなりどんどん大きくなっていくのをその8ヶ月間くらいの間でも感じたことがあったので、ダイナミズムはすごく感じましたね。

(次回へつづく)

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