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土谷愛さまインタビュー(全3記事)

成績ビリでも実力主義のベンチャーに転職したわけ 『適職はどこにある?』著者の人生遍歴

本企画、「キャリアをピボットした人の哲学」では、インタビュイーにこれまでの人生を折れ線グラフで振り返っていただき、その人の仕事観や人生観を深掘りしていきます。

今回は、『適職はどこにある? 夢なしOLの「転職・休職・副業・起業」実践ストーリー』著者の土谷愛氏に、今までの人生を振り返っていただきました。本記事では、就活で100社落ちしたところからスタートした同氏のキャリアや、成績ビリからMVPに登り詰めた営業スタイルについてお伝えします。

就活で100社落ちして絶望…『適職はどこにある?』著者の人生遍歴

——21歳の時に「就活で100社落ちして絶望した」と書かれていますが、今振り返ってみて、どんなところに苦戦されましたか?

土谷愛氏(以下、土谷):『適職はどこにある? 夢なしOLの「転職・休職・副業・起業」実践ストーリー』の中でも触れている部分なんですけど、就活がうまくいかなかった要因としては、大きく2つあると思っています。

まず「就職すること」に対して負のイメージが大きく、それを払拭しなかったことが1つ目の要因だと思っています。

当時は「社会に出たくないな」「こんな時期が来ちゃったんだな」とか本当に後ろ向きなスタンスで、みなさんがやられるような業界研究とか自己分析とかもまともにやらなかった記憶があります。

2つ目の要因は「自分」に対する負のイメージです。学生時代の成績などから「自分はデキない奴」というが根深いセルフイメージがあり、「就活だってどうせ自分はうまくいかない、とくに長所なんてないし」と斜に構えていました。

形式的に一通り本を読んで、自己PRを書き出すぐらいはやったんですけど、本当に入りたい会社や自分の長所を真剣に探したりしていたわけではなかったので、ただなんとなく周りと同じことをしているような状態でした。

——そういった中で、新卒では地方のお酒メーカーに営業として入社されたんですね。

土谷:はい。書類だけとかも含めたら本当に100社以上落ちていて、周りも就活が終わっている子が多い中で、私は1つも内定がない状態でした。とにかく焦っていたので、それまで見ていたような大手とか名前を知っている会社ではなくて、本当に誰も知らない競争率が低そうな会社とか郊外の会社を選んでエントリーするようになっていきました。

営業なんて性格的に向いてないと思っていたので、とくにやりたかったわけじゃなかったんですけど、一番求人が多いのが総合職の営業配属とかだったので。間口が多いという理由でエントリーして、たまたま内定をいただけたのがそこだけだったという感じです(笑)。

雑談ができず営業成績ビリに

——なるほど。営業職で入社された後は成績がビリだったと書かれています。そこでの苦労や、向き不向きを感じた部分があれば教えていただけますか。

土谷:周りのスピード感についていけなかったことと、コミュニケーションが円滑にできないというのが苦労したところですね。

私は物事をインプットするスピードがすごく遅いタイプで、1回教わったことを1回で理解できないとか、本当に5回聞いても10回と同じ 聞いてもミスをしちゃうみたいな感じなんです。だから同期よりも仕事の覚えが圧倒的に遅くて、いつも迷惑をかけてばかりで。そこに劣等感があるからか、人とのコミュニケーションもどんどん苦手意識が強まっていました。

なので営業も、正直1社目に入った時は、「もともと向いてないだろうとは思ったけれども、やっぱり向いてないな」って思いました。商談ではまだ「この商品について説明する」と決まっているので、それを覚えてしゃべって乗り切るんですけど、それ以外の「今日はちょっと顔を出しに来ました」といった雑談の部分がすごく苦手でした。

でも、そこができないと相手も距離を近づけてくれないので、仮に商談を上手にやれたとしても反応はいまいちでした。そういう対人面の苦手意識があって、営業は向いていないと思っていましたね。

実力主義のベンチャー企業に転職したわけ

——ご自身では「営業に向いていない」と思われたとのことですが、そのあとに広告系のベンチャー企業の営業職に転職されたとあります。ベンチャーというとすごく実力主義なイメージがありますが、成績ビリのところからこの仕事を選ばれたのはなぜですか?

土谷:本当ですよね、字面だけ見るとすごく無謀な転職に思えるんですけど(笑)。実は1社目で成績ビリになって悩んでいた時に、人生で初めてと言ってもいいぐらい、ちゃんと自己分析をしてみたんです。そこで自分と向き合ったことがきっかけでベンチャーに転職することを決めました。


就活の時にした自己分析は、がんばったことや自分の長所っぽいところを書き出すみたいな、本当に形だけのものでした。当時は自分に対する負のイメージが強かったので、当然しっくりくるような答えは出てこなかったんです。けれども営業ビリでどん底の状態まで落ちた時に、「自分って何のために働くんだろう」と考えるようになりました。

「こんなしんどい思いをしてまで働こうと思うのはなぜ? 何を目指してるんだろう」と考えた時に、まずは「お金稼がないといけないしな」という、表面的な答えが出てきたんです。でもそれを自分の頭の中で反芻した時に「そんなにお金を稼ぎたいんだっけ?」となりました。

当時は実家暮らしでしたし、趣味とかにめちゃくちゃお金をかけているわけでもなかったので。そんな生活なのに「お金を稼ぎたい」って、ちょっと世間に合わせているだけというか、自分の本音じゃないんじゃないかなと思いました。

なりたい姿は「肝っ玉母ちゃん」

土谷:じゃあ本当は月いくらあったら自分はいいと思っているのかといったら、初任給は手取りで20万円ないぐらいでしたけど、それくらいでぜんぜんよかったんですよね。

もし本当にお金のためだけに働いているんだったら、今20万円稼げているから満足しているはずなのに、当時はしんどかった。たぶん「お金をもらえてるからOK」というのじゃなくて、「自分は本当はこうなりたい」という理想とのギャップがあるからしんどいんじゃないかなと思いました。

じゃあどういうふうになりたいんだっけ、と何回も問い続けていたら「肝っ玉母ちゃんみたいな人になりたい」というワードが出てきたんです。具体的なロールモデルがいたわけではなかったんですけど、自分の尊敬する人たちを何人か思い浮かべて、それぞれの良いところを取っていったら「肝っ玉母ちゃん」のイメージになったんですよね(笑)。

——自己分析の時に、「何をやりたいか」よりも「どういう自分になりたいか」から逆算して考えられたんですね。

土谷:そうです。定義は人によって違うかもしれないんですけど、私がイメージする肝っ玉母ちゃんはとにかく優しくて、愛情深くて人のことをすごく思いやれる一方で、どーんと構えて、何事も落ち着いて対処できる人。

あとは私はもともとネガティブだったんですけど、肝っ玉母ちゃんはつらい状況でもとにかく「ガハハ」と笑っているようなイメージがあって(笑)。そういう、愛情深さと、冷静さと、前向きさみたいな3つの要素が、太陽みたいですごく憧れたんです。

もちろんお金も必要なぶんだけは稼ぎたいんですけど、それ以外の働く理由としては「こういう人を目指すために働くんだろうな」と思えたんです。

——なるほど。今の3つの要素を満たせるような仕事を考えた時に、ベンチャー企業の営業職を選ばれたんですね。

土谷:まさにそうでした。この「自分がなりたい姿」ともう1つ、自己分析をして「奨学金を20代で完済したい」という目標ができました。そこで、自分が成長して問題解決力が身につくとか、前向きに物事を進めていく環境を考えた結果、どちらかというと年功序列な会社よりは若手が中心のベンチャーで、いっぱいチャンスがもらえて成長できるような環境のほうが……。自分に合っているかは置いておいて、なりたい姿には近づける環境なんじゃないかなと思ったんですね。

成績ビリからMVPに登り詰めた営業スタイル

——自己分析をした結果、自分が成長できるようなベンチャー企業を選ばれたという経緯だったんですね。この2社目のベンチャー企業では、成績ビリから営業のMVPにまで登り詰めたと拝見しました。営業で成績ビリだった時期と比べて、具体的にどんな部分を変えられたのでしょうか?

土谷:ビリからMVPになるまでには1年ちょっとかかっているんですけど、その間に具体的に変わったのは、「自分に一番はまる営業スタイルを見つけた」というところだと思います。それまでは1社目の名残りもあって、雑談をできるようにならないといけないとか、商談でいかに流暢にしゃべるか、商品の魅力をどれだけプレゼンできるかみたいな。

営業ができる人をイメージして練習していたんですけど、私は本当にそういうのが苦手で、どうしても成果を出せませんでした。でもほかにやり方を知らないので、会社の先輩にひたすら特訓してもらっていたんですけど。ある日その先輩が「そんなにしゃべる練習して意味ある? 君ってそんなにうまくならないと思うよ」みたいなことをズバっと言ってくれたことがありました。

「君ってしゃべるよりも、人の話をじっくり聞いたり引き出したりして、それに沿った提案をするほうが得意なんじゃないかな。傾聴力って強みだと思うんだけどね」みたいなことを雑談の中でさらりと言われたんですが、自分の中ではすごくインパクトが大きかったんです。

2つのインパクトがあって、1つは「営業ってしゃべれなくてもいいの?」という、営業のイメージがちょっと変わったことと、もう1つは「私って聴くのが得意なの?」ということ。

「しゃべるのが苦手」ということばかりに意識がいっていた状態から、「その裏側には得意なこともあるのかもしれない」と自分の見方を変えられたのがけっこう衝撃でした。そこで、それまでは商談で私が8割ぐらいしゃべっていたのが、2割しかしゃべらないようにやり方を変えました。

8割相手の話を聞くやり方にしたらすごくうまく場が和むようになって、成約もすごく取れるようになったんです。それを積み重ねていってMVPまでいったという感じですね。

——苦手意識のあった「話す」スタイルの営業から、自分の長所を活かせる「聴く」スタイルに変えたことで、うまくいくようになったんですね。ありがとうございます。



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