【3行要約】
・決済サービス「Jamm」は、カード不要、顔認証のみで銀行口座から直接支払える手軽さが特徴です。
・創業者の橋爪捷氏はニューヨークで育ち、白人社会の中で「ずっと少数派」だったと語ります。
・日米の文化を背景に持つ起業家の視点が、日本の金融サービスに新たな風を吹き込む可能性に注目です。
起業家の物語を発信する「Startup Now」
稲荷田和也氏(以下、稲荷田):「Startup Now」。資金調達を実施されたばかりの起業家の人生や事業を紐とくPodcast。MCの、おいなりです。
本日は、株式会社Jamm代表取締役CEOの橋爪捷さんにお越しいただきました。Jammさんは、デジタル現金払い「Jamm」を提供されているスタートアップで、シードラウンドで4.96億円の資金調達を発表されました。橋爪さん、よろしくお願いします。
橋爪捷氏(以下、橋爪):よろしくお願いします。
稲荷田:橋爪さんはですね、実は「Startup Now」と(ポッドキャスト番組の)「START/FM」でコラボして。
橋爪:1年ぐらい前?
稲荷田:そうですね。ちょうど1年ぐらい前ですね。それも確かIVSの、一応プレイベントでさせていただいた「Tokyo Innovation Base」での公開収録にお越しいただいたという接点がございまして。確かあのタイミングも調達直後……。
橋爪:そうですね。少しあとぐらいだった気がします。
稲荷田:そのタイミングで確かプレシードという話があったと思うんですけど。今回あらためてシードのタイミングで、けっこう前もってご連絡いただきまして(笑)。
橋爪:そうですね(笑)。
稲荷田:とてもうれしかったですし、かなり進んでいらっしゃるんだなということも感じられたので、今回話を聞くのを非常に楽しみにしておりました。
橋爪:私もめちゃくちゃ楽しみにしておりました。
決済サービス「Jamm」の強み
稲荷田:ありがとうございます。前編では事業に少し触れさせていただきつつ、以降は橋爪さんの幼少期から起業に至るまでの人生そのものに迫っていきたいと思います。まずは現在展開されている事業について、1分程度で教えていただけますでしょうか?
橋爪:はい、ありがとうございます。株式会社Jammの代表の橋爪です。弊社の事業は「Jamm」という決済サービスでして。例えばPaidyさんとか、PayPayさんとかと同列になるようなサービスです。
オンラインで会計する時に、いろんな決済手段が出てくると思うんですけど、「Jamm」を選んでいただくと、自分の銀行口座から直接払えるところが特徴です。イメージですが、クレカとかがなくても自分の銀行口座から、その場で顔認証するだけでサクッと払えちゃうところが、他の決済サービスと少し違うところになります。
稲荷田:なるほど。ちょっとデビットカードとかに近いんですか?
橋爪:そうですね。デビットカードの番号もカードもなく、顔だけで自分の携帯端末で利用できるような(イメージです)。あと、申し込みとかも必要ないので、その場で家のソファに寝転がったまま、自分の銀行からサクッと物を買ったり、サブスクに登録したりできるサービスです。
稲荷田:なるほど。ありがとうございます。今、「非常に使い勝手が良さそうだな」って印象もありましたけれども。なぜ、それをこのタイミングでできたのかとか、他の決済サービスとの違いは後編で触れたいなと思います。
実家はニューヨークの居酒屋
稲荷田:橋爪さんのご本人についても聞いていきたいので、生い立ちだったりとか、これまでのキャリアっていうんですかね? そのあたり1、2分ぐらい自己紹介的にいただいてもいいですか?
橋爪:わかりました。けっこうバックグラウンドが特徴的かなと思っていて。生まれが1995年なので、まぁ2025年で30歳の代なんですけど、ニューヨークで生まれました。
稲荷田:かっこいいですね。
橋爪:ミッドタウンっていう、日本の会社の支社がいっぱい集まっているようなところの近くにある居酒屋が実家でして。
稲荷田:居酒屋なんですね。へえ。
橋爪:日本の商社だったり、銀行の方が深夜2時とか3時とかに生ビールを飲みに来るような居酒屋で育ちまして(笑)。
稲荷田:(笑)。へえー。
橋爪:そこから18歳までずっとニューヨークにいました。
ニューヨークにいながら、居酒屋を手伝う日々
稲荷田:それはお父さまが日本居酒屋をやられていたんですか?
橋爪:そうですね。父親がアメリカに渡って、領事館の料理人をやっていて、そこから独立して居酒屋を始めたらしいです。
稲荷田:めちゃ起業家ですね。
橋爪:そうですね。そういう意味では、父親もずっと医者家系で育ったらしいんですけど、いきなり料理人になって、アメリカに行って居酒屋を始めるところは、確かにけっこう起業家メンタリティがあるのかもしれないです。
稲荷田:確かに。めちゃくちゃおもしろいですね。それで先ほど来られた来客者層も非常にエリートの方々が来られていて、けっこうその方々とのコミュニケーションとかで、受けている影響ってあるんですか?
橋爪:そうですね。たぶん中学生ぐらいになってから、たまに従業員が熱とかで休んだりする時に(親から)電話がかかってきて、「ちょっと、暇?」とか言われて。
稲荷田:(笑)。「暇?」(笑)。
橋爪:そのまま店に走って行って、いきなり生ビールをめちゃくちゃ提供するみたいな感じではあったので(笑)。そういう面では日本の、けっこう古典的なワークカルチャーを、ニューヨークにいながらも身近に見つつ育ったのかなと思います。
マイノリティとして過ごした幼少期
稲荷田:客層は日本人ばかりなんですか?
橋爪:初期においては本当に90パーセント以上は日本人で、たぶん後半の2000年代、2010年代ぐらいになってくると、他の国の方々も日本食や居酒屋(メニュー)を食べるようになってきたんですけど。それでもまぁ、6、7割ぐらいは日本人でした。
お店の予約を取る時も、「居酒屋力(りき)です」っていうふうに日本語で取っていたので、ほぼ日本人しかいない感じでしたね。
稲荷田:そうだったんですね。橋爪さんご自身の話でいくと、小学校、中学校、高校とかでもいいんですけど、どんなことをされていらっしゃったとか、どんな子だったとか、そのあたりとかはどうですか?
橋爪:やはりこう、けっこうニューヨークの、白人がものすごく多い地域で育っていたので、小学校の時から、おにぎりを学校に持っていくとめちゃくちゃイジメられるとか。
稲荷田:へー。
橋爪:そういうのはけっこうあったので、かなりアウェイな幼少期を過ごしたのかなと思います。なので、マジョリティに属したことはあまりなくて、ずっと少数派で(笑)。自分がどんな者で、ちゃんと「怪しい者じゃないですよ」みたいなところは毎回レピュテーションを築きながら、小、中、高とやってきた気がします。
大学まで現地校で過ごす
稲荷田:へー。じゃあちょっと肩身の狭さはあるけれども、逆に言えば自分のアイデンティティを問う機会はけっこうあったんですかね。
橋爪:そうですね。まぁ、小学校でもありましたし、高校とかでも学年で100人ぐらいしかいなかったんですけど。
稲荷田:少ないですね。
橋爪:同級生の半分は4年間、アジア人なのであまり話してもらえなくて。
稲荷田:えー。
橋爪:アメリカンな小・中・高時代は過ごせていないかもしれないです。
稲荷田:それはいわゆる日本人学校ではなかったということですか?
橋爪:そうですね。小・中・高・大学まで、そのまま現地校で。
稲荷田:大学まで!?
橋爪:はい。
日本文化が身近な生活環境
稲荷田:え、じゃあ日本に来られたのは、いつですか?
橋爪:2017年なので、2025年で8年終わって、ちょうど9年目に入る感じですね。
稲荷田:それぐらいいらっしゃると、なんなら日本語が不自由な方もいそうですけど、なんでそんなに話せるんですか?
橋爪:家の中では、もう完璧に日本語でしたし、当時は『SMAP×SMAP』とかをビデオカセットで流して。
稲荷田:ビデオカセットで(笑)。
橋爪:はい。当時はまだカセットだったので、VHSを流して家で見ていたので。家の中では放送されているNHKを見て、バラエティとかもたまに見ていたので、外の環境を除いてはほぼ日本みたいな感じだった気はします。
稲荷田:あー、いいですね。バランスが良くて「そんな育ちができたらいいな」って、ちょっと羨ましい気持ちにもなりました(笑)。
橋爪:逆に英語のほうが苦労した気がします。
稲荷田:あ、そうなんですね。現地の学校に通われても、そこはやはり壁があった。
橋爪:まぁ、現地の人たちは家の中で英語をしゃべっている環境なので、そこと比較すると英語力がかなり劣っている気はしましたね。
稲荷田:そうなんですね。なるほど。学生時代は部活とか、何か「こういうのをやっていました!」って、どうですか?
橋爪:4歳から卓球をしていて、今も週1ぐらいでずっとやってます。それもけっこうマイノリティなスポーツなので「なんでアメリカで卓球しているんだよ」っていう感じはあるんですけど。
稲荷田:そうですよね。なんなら台とかもなさそうなぐらい。
橋爪:でも、けっこうどこにも中国人コミュニティみたいなものがあるので、中華街の卓球場に行ったりとか。今でも東京で中国人しかいない卓球場に練習しに行っているんですけど。
稲荷田:(笑)。そうなんですね(笑)。
橋爪:はい。ポケット的におもしろいコミュニティではあるので、アメリカに行った時も、そういう人と一緒に卓球していたりしました。
ペンシルベニア大学で金融を学んだ理由
稲荷田:なるほど。大学は、どういう学校・学部とか、海外事情がぜんぜんわからないので教えていただきたいんですけど。
橋爪:はい。高校の時に、周りのお金持ちの子たちがみんな、お父さんが金融業だったりしたので、ペンシルベニア大学ウォートン校というところで金融、ファイナンスを専攻していました。ただ、それって高校の時に、「なんでそんなにお金があるの? これを理解しないまま社会に出るのは良くないだろう」って思って(笑)。
大学で金融を学べそうなところを探した時に、ビジネススクールに行ってファイナンスを学ぶのが、こう、自分がほしい情報を一番得られる気がしたので、そこを第1志望にして受けました。
稲荷田:おぉ、それは無事に受かったんですね。
橋爪:そうですね。高校の時は(テストの)点数がぜんぜん良くなかったので、めちゃくちゃたまたまだったんですけど。入試のエッセイとかが「なぜ資本主義が歪か?」みたいなことを書いていたりして、「なんでこんな奴がビジネススクールを受けるんだよ」って思われていたと思うんです。たぶん、そういうところもおもしろがられて取っていただいた気はします。