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トライセクター・リーダー公開対談 渋谷区長・長谷部健氏(全8記事)

「駅での挨拶は5秒広告」初選挙で1位当選した長谷部健氏のプロデューサー的思考

日本政策学校学長 金野索一氏と株式会社フロンティアインターナショナルが共催している「トライセクター・リーダー公開対談」。第6回は渋谷区長・長谷部健氏を迎え、企業、NPO、行政の3つの分野で活躍してきたこれまでのキャリアについて振り返ります。ゴミ拾いボランティアのNPOの「green bird」を設立した長谷部氏。今では海外も含めて80ヵ所で行われている活動ですが、green birdがそれほどまでに拡大した理由について語りました。

商店会の清掃活動に参加して見えてきた課題

長谷部健氏:そのキャリアを持って、今度は街のプロデューサーとして新しいキャリアを歩こうということで、30で会社を辞めて、31から区議会議員を始めるんですけど。その区議会議員をやるにあたって、選挙活動……。最初の頃に(同級生に)「お前の選挙ポスター、作ってやるよ」と言ってたわりには、どうすればいいんだろうということを思い始めまして。

「政党に入らず、無所属でやるということが条件です。それでも応援してくれるなら、僕やります」ということを商店会の人たちに言って、それで盛り上がってくれたので、無所属でやることになって。今までの選挙活動は、(関連)団体に行って挨拶したりとか、いろいろやるんですよ。でも、なんか違うなと思って。

とりあえず街を知ろうと思って、商店会の活動に参加してみようと思ったんですね。当時、青年部というのがあって、今もあるんですけど。清掃を5人ぐらいで、2ヵ月くらいやってました。(参加している)ほとんどの人たちがビル持ちの2代目とかだったりするので、けっこう午前中に時間があるんですよね、彼らは。こんなこと言ったら、言い過ぎかもしれないけど(笑)。それで掃除をしてたんですね、偉いなと。

それで参加したら、これがけっこう楽しくて。「なんかおもしろいじゃん」と思ったんです。ふり向いたら自分が掃除してきたところがきれいになってるし、道行くおばちゃんとかが「おはよう」「偉いわね」と声かけてくれるのもちょっと上がるし。やっぱり、自分の街をきれいにしてるという喜びみたいなのも感じるし。

朝の表参道って、10時くらいまでは人がそんなに出てこない街ですから、僕の子供の頃の景色とあんまり変わんないというか。けやきがあって、当時は同潤会があったんですけど。ノスタルジックな気分になって、リフレッシュできて、「これ、素敵だな」と思って。週に2回やってたんですけど、それを1ヵ月くらい続けてました。

でも、そのうちにやっぱり課題解決業が身に染みていたのか、いろいろ課題が見えてきたんですね。

表参道を1周すると2.2キロ、片道1.1キロある道ですから、2キロ強を掃除すると、45リットルのゴミ袋で20袋以上ゴミが取れるんですよ。途中でバンバンゴミ捨てたりしなきゃいけないんですけど、「やっぱりこれ、大変だな」と思ったのと、掃除終わって「ああ、終わった。よかった、よかった」と道具しまって帰る時に、また落ちてるんですよね。「これはイタチごっこだな」と思いました。

green bird立ち上げの経緯

彼らがなんで僕より先に掃除を始めてたかというと、掃除してる姿を見せて、ポイ捨てする人たちを抑制しようということで活動を商店会で始めたんですけど。週2回の朝やっただけじゃ、やっぱりダメで。

僕はそれをディズニーランド方式と呼んでるんですけど、ディズニーランドは(ゴミが)落ちてたら、常に誰かが行って拾って、きれいにして保ってるから、ああなってくるのであって。週2回じゃ足りないだろうと。結局、捨てるという行為にアプローチしなきゃいけないんじゃないかなと。自然と、コミュニケーションで解決する方法を考えるようになりました。

街のプロデューサーですから、ここで企画書を書いてみようと思って書いたのが、実はgreen bird(ゴミ拾いボランティアのNPO)だったんですね。本当は商店会向けに書いた企画書で、自分がやるとは最初思ってなかったんですけど。

いろいろ考えていて、ポイポイ捨ててるやつを……。ローソンの前で高校生とおぼしき3人組が、タバコを吸って捨てていて。「これは注意しないと、僕の立場としてダメだな」と思って、「でも、オヤジ狩りにあったらどうしよう」なんて思いながら、気合い入れて「ねえ、ねえ」と。「そこにポイ捨てしてるけど、かっこ悪いと思うんだよね」と。「なぜかって言うと、僕いつもここ掃除してるんだよ」と。

そしたら、絡まれることもなく「すいませんでした!」と、ほかのゴミまで拾い始めて、きれいにしてくれた。

要するに、これ「おい、コラ、捨てんな!」と言うと、オヤジ狩りにあってたと思うんですよ。だけど、ちょっと価値を変えて、カウンターで「かっこ悪くない?」という感じと、「俺がここ掃除してんだぜ」というのが、きっと彼らにはエモーショナルに伝わって、そういう反応を起こしてくれた。なるほどと思って。

「コラー!」というコミュニケーションじゃなくて、「捨てるの、かっこ悪くない?」という価値の変換を、捨てる人たちに呼びかける。

さらに、自分たちも掃除する。掃除をすると、1度掃除に参加するとゴミを捨てなくなるんですよ。とくに、表参道はどこに捨てられてるかというと、植え込みに捨てられてます。これは、隠すように捨ててるわけですよね。冷静に考えたら悪いことしてると、どっかで思ってる、心理の奥で。だから、救いようがあるんじゃないかと思って。

そういう人たちにはコミュニケーションする価値があるんじゃないかと思って、green birdというマークを作りました。このマークですが、昔、ラブ&ピースのムーブメントがありましたよね? スマイルマーク、ニコちゃんマーク、黄色い笑顔のマークがあったと思います。70年代のアレ、みんなバッジにしたり、Tシャツにしたり、カバンにつけたりして。アレ持ってる人は、「僕はラブ&ピースだぜ」と表現してたんですね。

だから、「俺はゴミのポイ捨てしないぜ」という人が持つマークを原宿で開発できたら、意外と広がるんじゃないかと。そんなことを企画書に盛り込みました。掃除するウェアも最初は、じつは商店会とかに余ってたトレーナーとかをアパレルの人からもらってきて、Tシャツ(にマークを)手ずりで刷って、そこから始めたんですけど。そのマークを広めるというのが、企画書でした。

NPO法人にしてからどんどんスポンサーがついた

マークの名前も考えて、今となってはgreen birdになって本当によかったなと思うんですけど、「ゴミポップ」とか「表参道なんとか清掃隊」とか、いろいろ考えてたんですよ(笑)。

(会場笑)

よかった、そういう名前にしなくて(笑)。green birdにしたのは、マークにしやすい名前だったから。幸せを運ぶ青い鳥、街をきれいにする緑の鳥、かわいいいかなと。そんな程度だったんですけど、そういうをの決めて、企画書を書いて提案して、商店会にそれを見せたところ喜んでくれて。だけど「誰がやる?」という話になって、「おいおいおいおい……」と。

だけどこれ、うまくいったらスポンサーつくんじゃないかなとか、プロデューサーとして街に広告作ってきたけど、地元にそういう作品を残してないので、自分としては作品を作るつもりで、キャンペーンを「じゃあ、僕がやります」という話になって。それが2002年の11月くらいですね。

年が明けてずっと掃除してたら、今度はナイキの人と出会って。ナイキの人が「この活動はおもしろいし、およそボランティアしてそうな人たちに見えない」と。僕もそうだったかもしれない、僕も軍パンはいてたし。相棒のマツモト君という人は、金髪でピアスしてたし。「そういう人たちが掃除してる姿がいいんだよね」と言ってくれて、「なにか協力できることある?」と言ってくれました。

「ウェアがほしいんです」という話をしたら、グリーンのビブスがちょうどあると。これは今だから言えますけど、東京ヴェルディは当時ナイキがスポンサーをしてて、ヴェルディからビブスの発注がたくさんあって、生地がたくさんあると。

そういう出会い、ナイキがついたというのが最初大きくて。でも、その時はNPOにするつもりはなかったんですね。ナイキから「企業としていきなり縁もゆかりもない任意の団体に企業として寄贈するというのは難しいから、なにか法人格を持ってくれ」と言われたんですね。

そこで調べたのがNPO法人で、これが僕らの活動に一番適していると。社会貢献については非課税だし、設立についてはお金がかからないし。定款作ったり、申し込みしたりするのけっこうめんどくさかったですけど、手弁当でできるということで申請しました。

そうしてスポンサーがついたら、次はサントリーがつき始めたり、JTがついたりタワーレコードが応援してくれたり、どんどんスポンサーがついて。

一方で、そんなことしてたら「これ、区議会議員にならなくても、街のプロデューサーになれるな」ということを思い初めて。その年の4月が選挙だったんですけど、2月くらいにまた迷い出したんです。というのもやっぱり、自分の顔がポスターになって街に貼られるというのがすごく嫌で。なんか落書きしやすそうな顔じゃないですか、おでこも書きやすそうだし(笑)。

(会場笑)

それを自分がガキの目線から見たら「カモだな」みたいな感じで。嫌だなと思ったんだけど、でも商店会の人にチラッと言ったら、「お前、ここまで来てふざけんな」と。確かに自分でも、博報堂の人たちも応援してくれたし、家族もやっと納得してくれたし。そうもいかないだろうなと思って、選挙も立候補しました。無所属で。

議会での質問はプレゼンの場

最初は泡沫候補と言われてましたけど、やっぱり選挙についても、自分がおかしいと思ってることをちゃんと話してコミュニケーションしようと思ったんです。だから、意味のない名前の連呼とかあるじゃないですか。「最後のお願いです、男にしてください!」とか(笑)。

そういうことを僕は言わないし、常に「こういうことをやりたいから、僕はやってるんだ」ということを。なるべく自分がしゃべるようにしたし。朝、駅に立って「おはようございます、おはようございます」と言ってる人もいるけど、挨拶だけしてれば印象に残ると思って、選挙の人もやってるんだけど、これは5秒広告だなと思って。みんな通り過ぎていくから、忙しいから。

「街をきれいにすることをやりたいんです」ということを、フレーズをつけて変えながらしゃべったり。車で回るのも迷惑だなと思ったんで、名前の連呼を止めて、辻々に止まって「大変お騒がせして恐縮です、90秒だけお話聞いてください」と言って。自分の中では90秒広告というつもりで、やりたい政策を全部話して「お騒がせしました、失礼します」と。「もしよかったら、応援してください」と、低姿勢でいなくなって。

ほかの政治家たちからは「あいつ、もしよかったらとか言ってる(笑)、ダメだな」とか、笑われてたんです。でも、フタ開けたら1位当選だったんですね。これはやっぱり、そういうことをわかってくれる、共感してくれる人が大勢いたと思うし。

(支持者の)名簿もなにも持っていないし、今でも持ってませんけど。浮動票と言われてる人たちなのかわからないですけど、そういう人たちにちゃんとアプローチできるコミュニケーションができたんじゃないかなと、選挙として最初に学んで。

それで区議になって、たぶん……。だけど、自分で勝手に自意識過剰に思ってるのか、一応1等賞でいったので、ちょっと注目されるんですよね。しかも誰だかわかんない、始めて渋谷区で無所属として出た人間が1等賞で、「あいつ、誰だ、誰だ?」という感じで、みんな話しかけてくれたりしたんで。スタート地点としては恵まれてたんですよね。

だから最初、「あいつ、なにを言うんだろう?」とたぶん、みんな思ってたと思うんです。そこまで注目はしてないかもしれないけど。議会での最初の質問の時も、ここはプレゼンの場だと。相手を説得するとか批判をすると絶対ディフェンスになると思ったから、ポジティブに「今、こういうことあるけど、こうしたらもっとよくなりませんか?」とか、そういった企画をどんどん、企画書を1つ提案について書くつもりで。

「なにしてもいい公園」を作った

その時は企画書も作ったんです、原稿じゃなくて。それで提案をして。前の区長の桑原(敏武)さんが最初の時に採用してくれたのが、今の代々木公園の西側にある「(渋谷)はるのおがわプレイパーク」という、なにしてもいい公園というのを作ったんですね。

当時、僕が1つ行政の悪いところが全部公園に出てるなと思っていたのは、公園ってなにしても禁止なんですよ。水遊びダメ、火遊びダメ、柵のなか入っちゃダメ、木に登っちゃダメ、キャッチボールしちゃダメ、サッカーしちゃダメ。

「なにして遊ぶんだろう?」「そりゃあ、公園で子供がピコピコゲームして遊ぶぜ」と。そういうことに対して、「じゃあ、なんでそうなっちゃうか?」と考えると、あれもダメ、これもダメと言う人に政治を合わせるからですよね。

行政としては、言われた人たちにフェアに対応しなきゃいけないというのが当然ありますから。でも、そういうことばかり言ってくる人はたぶん人口の2パーセントとか3パーセントとかだと思うんです。

だけど、ノイジー・マジョリティという言葉もありますけど、過度に反応する人たちの意見も聞かないといけないから、どんどんディフェンシブになってくるんですよね。

でも、僕にも娘がいますけども、自分の娘が木から落ちて骨折ったとして、別に行政のせいにしないし。僕みたいに思ってる親はいっぱいいるんじゃないかということを提案して、その代わり、自分の責任でなにしてもいい公園というのを作りましょうと。

それで作ってもらったら、どんどん(人気が)上がって今は渋谷区で一番、代々木公園を除いて子供の来る公園になってますね。そういうのを周りの人たちも見てくれて、「こいつの言ってることはそういうことなのか、ポジティブなのか」とわかってくれて、どんどん提案が通るようになってきて。常に議員の時に意識していたのは、NPO活動を並行してやっていたので、やっぱりコミュニティの力が大切だなと思っていました。

その公園も、(渋谷区から運営費として)お金は払うんですけど、地元のお母さんたちが運営をやってるんですね。お母さんたちが、地域の子供たちを自分の子供を見るようなつもりで。あとは、そこでバイトも雇って、遊びを教えるというよりは見守る大人みたいな、そういうのをつけてやってます。常にそこにコミュニティができるわけですね、公園ができると。

green birdのカギを握るコミュニティリーダー

それ以外にgreen birdはもちろん、地域にいろいろなコミュニティを作って、発展していくんですけれども、それぞれの街が好きな、それぞれの街のコミュニティリーダーを作ってるんですよ。そこにやっぱり人が集まってきて。NPOの運営の肝として思っているのは、中心にいる人たちはそれで生活するような給料をとってもいいと思ってるんです。

でも、ボランティアの力を集めて、そういうみんなのボランタリティを集めて運営しているのがNPOだと思うので、そこに参加してくれてる人たちからは、労力というか汗、green birdでいうとゴミ拾いをしてもらう。

それは楽しくやってもらう必要があるなと思ったので、表参道とかは「朝の合コンですよ」とか言って、「ゴミを拾って愛を拾おう」みたいな若者を呼ぶためにいろんなコピーを考えて広告作って呼んだりして。

歌舞伎町のチームは、渋谷のパートナーシップの証明書発行に関わってくるんですけど、実は当時、性同一性障害の女の子、今は男になりましたけど、彼が始めたんです。歌舞伎町なので多種多様で、ホストも来るわ、SMの女王さまは来るわ。そのなかで性同一性障害を抱える、体は女だけど心は男性という人たちがたくさん集まってきて。それで、そういう人たちで掃除をしている。

でも、掃除だけしてるとなかなか盛り上がらないんで、表参道とかは掃除が終わったあと、みんなでお昼ご飯食べたり。鎌倉のチームはライフセーバーが代表をやってたんで、海でバーベキューをする時があったりとか。普通ではできないことをやらせてもらったり。歌舞伎町のチームは、オープン前のホストクラブでシャンパンタワーやったりとか(笑)。

(会場笑)

あとは吉祥寺のチーム、これは「Bank Band」と言って。昔、小林武史さんとミスチル(Mr.Children)がやったプロジェクトなんですけど。そこのコーラスをやっていた男がいて、ミスチルファンが集まってきたり。それぞれの地域に個性を感じるリーダーがたくさんいて、それがどんどん広まって。

自分なりに学んだのは、この増やし方は、コンビニ的に、パッケージ的にどんどん増やしていくというよりは、創業者の意志をちゃんと理解してくれて、おもしろおかしくコミュニティリーダーをやってくれる。だから項目はたくさんあるんですけど、面接したり会ったりして、「この人、いいな」という人にだけのれんわけするというようなかたちで。

ゆっくり10年かけて。もうすぐ15年になりますけど、今は海外も入れて全部で80ヶ所に広まる活動になりました。

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