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トライセクター・リーダー公開対談 渋谷区長・長谷部健氏(全8記事)

「博報堂は人生の大きな転機だった」企業、NPO、行政を経験した渋谷区長・長谷部健氏がキャリアを振り返る

日本政策学校学長 金野索一氏と株式会社フロンティアインターナショナルが共催している「トライセクター・リーダー公開対談」。第6回は渋谷区長・長谷部健氏を迎え、企業、NPO、行政の3つの分野で活躍してきたこれまでのキャリアについて振り返ります。博報堂が人生の大きな転機だったと語る長谷部氏は、どんな広告マンだったのか?

3つのセクターを超えて活動してきた長谷部氏

金野索一氏:どうもみなさん、こんばんは。トライセクター・リーダー対談イベントということで、今日は第6回目です。

渋谷区長の長谷部健さんをお迎えしました。みなさん、拍手でお迎えください。よろしくお願いします。

(会場拍手)

このあと詳しくお話がありますけども、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、区長は原宿生まれ、原宿育ち、ですよね?

博報堂に入られて、いろんな大手企業の広告を手がけ、まさに広告業界で働いてきて。そのあと、NPOのgreen birdというかたちで、表参道のボランティアで清掃だとかゴミを拾ったりだとかで、非常に有名になりました。

NPO活動、非営利セクターでご活躍されて、そのあと区議になられて。1年ちょっと前、統一地方選挙で区長候補として出られて、区長になられています。まさにその3つのセクターを越えて、キャリアを積まれて今ご活躍されているということでございます。

本番に入る前に、「トライセクター・リーダー、なんですか、それは?」と、わからない方がいらっしゃると思います。今日のイベントの趣旨でもありますので、簡単にこの話をして区長のお話に進みたいと思います。

社会には3つのセクターがあります。政治家や公務員、要するに税金で機能している組織。パブリックセクター、公共セクターがあると。もう1つが、企業にお勤めの方多いと思うんですけど、企業セクター。それと、どちらにも入らない非営利セクター。イメージが一番つきやすいのはNPOです。場合によっては宗教法人とか、学校とか病院もものによってはこのへんに入ります。

今やこの3つのセクター、どのセクターにも通用するマネジメント、リーダーシップ、あるいは個のセクターを越えた人脈だとか、発想だとか。そういうことも含めて、3つのセクターの垣根を越えて、よりよい社会にしていく必要がある。

そういう時代が到来していて、こういったトライセクター・リーダーシップというのが重要になってきているのではないかというところで、今日のイベントがあるわけです。

トライセクター・リーダーとは?

では「なんでトライセクター・リーダーなの?」「なんで3つのセクターを越えてやってかなくちゃいけないの?」ということですが。(理由の)1つが、圧倒的に今までの人間の社会を動かしていたパブリックセクター、要するに国とか行政の部分が相対的に小さくなってきている。どんな国も逃れられない、少子高齢化ですね。

主義・主張とか生産国とか関係なくて、先進国はみんなそうです。中国とか、これから発展してきた国でも、どういう政治形態をとろうと、ある程度豊かになると、働く人が少なくなってシニアの人が多くなってくる。

そうすると、パブリックセクターも入ってくる収入、税収が減るわけですから、同じサービスをやるかぎり赤字になってしまうと。

ということは、ある程度税金の歳出を減らしていかなくちゃいけない。つまり、パブリックセクターは小さくならざるを得ない。

なんでもかんでもお役所とか政治、あるいは市役所とか国でも政府でもいいんですけど、「そんなこと、お上にやってもらったらいいんじゃないの?」「政府がやることでしょ?」ということでは、なかなか社会が回らないんです。企業もNPOも含めて、社会の課題・テーマという課題解決を、みんなでやっていかなきゃいけない。

そういう意味で、このトライセクター・リーダーが必要な理由というのが、一番大きな原因の少子高齢化。歴史上、唯一少子高齢化になっていなかった先進国のアメリカでさえ、今や少子高齢化が進んでいっているという中で、この3つのセクターを越えてやっていく。

今までは、例えば企業の人たちは企業という枠のなかでの視点・人脈・ノウハウを持って、いろいろお仕事をされてきたと思うんですけど、今や3つのセクターを越えて、仕事をしていく。そのことが、究極はビジネスにおいてもその会社を大きくしたり、新しい産業を作り出したりとなるのではないかなと思います。

最後に、具体的にイメージしやすくするために、いつもこの人たちの話をするわけですけど(笑)。

(スクリーンを指して)かつてこういう人たち、江副(浩正)さんとか小倉(康臣)さん。トライセクター・リーダーという言葉が影もかたちもない時代に、この人たちは日本を代表するトライセクター・リーダーだったんじゃないかなという気がします。

よりよい社会を目指すため、世の中の枠を超える

江副さんという方はもちろんリクルートを作った方ですけど、もともと行政のサービス……要は職安ですよね、職業公共安定所。仕事を失業した方、あるいは転職含めて、どんどん(企業に)紹介していく。

紹介していくことは、パブリックセクターが独占してたわけでしょ。ただ、どうしても公務員だけでやっていると、なかなか行き届かない。サービスされる側、受ける側もなかなかサービスに満足してないというのがあったわけです。

江副さんが登場して、民間企業、企業セクターがそこに突っ込んでいって、ビッグビジネスを作っていく。そのことで、非常に暗いイメージの失業とか職安とかいうのが、とらばーゆとかB-ingとか転職なんていう言葉が出てきて、まったく世の中が変わって、もっと前向きなものになり、ビジネスとしても大きくなってきたわけです。

そういうかたちで、企業セクターの側が職というところで、大きく社会を変えていった。そのことは郵便局に対するクロネコヤマト、小倉さんも同じようなことが言えるかもしれません。NPOでいうところの石川治江さん、日本で初めて……、石川治江さんというのは日本で初めて、東京の小金井市というところで「ケア・センターやわらぎ」という、いちNPOを始めた人ですけれども、初めてケアマネージャーという概念を考え出しました。小さなNPOで地道に。

ケアマネージャーはシニアの方1人にケアマネージャーが1人ついて、総合的なケアプランを考えて、その人のライフスタイルとか年収の状況とか、介護がどのように必要なのかというところまで踏まえて、ケアプランを考える。そういうことを考えた人なんですが、そのNPOに厚生労働省の方々が一生懸命通って、2000年の介護保険の導入の時に、ケアマネージャーという制度を、ある意味で国家の制度として取り入れていった。

これもNPOの石川さん、パブリックセクターの官僚であった厚生労働省の方々、まさにセクターを越えて、社会のために協働して連携して今の国の制度、ケアマネージャー制度というものの原型を連携して作り上げていった。

そのようなかたちで実際にこういうセクターを超えてやってきた人は、昔はほとんどいなかったんですけど、こういう貴重な人たちがいて、今の社会に繋がっているということがあるわけです。

そういう意味で、このトライセクター・リーダー対談は、そういうセクターを越えて、区長のように活躍していく人を少しでも増やそうという。そのロールモデルになるような、先輩というか、そういう人たちの話を聞いて、過去には元リクルートの藤原和博さんとか、藻谷浩介さん、前回はユーグレナの出雲(充)さん、安倍昭恵さんもシンポジウムに来てもらいましたけど。

そういうことを通じて(活動している人たちのなかで)、もともとトライセクター・リーダーを目指そうといってやってる人は1人もいなくて、結果として、世の中の枠を越えて活動されてるということなので。

しかし、これからはそういったことも意識しながら、この考え方をやっていくことで、公務員の人も政治家もビジネスマンも、よりよいソーシャルな社会を目指していく。協働してやっていくということに繋がればと考えて、この対談をやらせていただいています。

ということで、私からの話は以上でございます。最初にまず区長から、この3つのセクターを、今までキャリアを積んでこられた自己紹介的なかたちで、ご自分のキャリアについて簡単にお話をいただいて、そのあと対談というかたちにさせていただきます。

じゃあ、区長、お話よろしくお願いします。みなさん、拍手で。

(会場拍手)

原宿生まれ、原宿育ちのメリット

長谷部健氏:みなさん、こんばんは。ご紹介いただきました長谷部です。

トライセクター・リーダーと言われて、ちょっとワクワクしました。かっこいいかもしれないと思ったんですけど(笑)。

(会場笑)

正直言うと、自分ではそんな意識はないです。ただ、確かにお話を聞いてると、企業経験もあればNPO経験もあり、今は政治活動してるということで言えばそうなのかなあとも思いました。今日は、自分のキャリアというか、今までどういうことをしてきたかという話をさせていただきます。

渋谷区で生まれて、渋谷で育っています。先ほどお話にあったように、原宿で生まれて原宿で育ってるんですけど。生まれがそこにあったということで、けっこう得したことが多いなと思っています。

小学校の時にはぜんぜん気づかなかったんですけれども、家の周りがよくテレビに出てたり、ドラマや雑誌の撮影があったりしてまして。けっこうそれが普通だなと、小学校の頃はあんまり気にしてなかったです。

そして中学校の時から「あれ?」と思うようになったのは、原宿中学校という中学校だったんですけど、名前だけ聞くといい感じじゃないですか(笑)。普通の公立中学なんですけど。僕はバレーボールを中学の時にやっていたんですが、渋谷区では強かったもんですから、東京都の大会でもいつも上位に入っていて、ほかの県やエリアの学校と試合すると、試合のあとに「原宿中」と書いてあるハチマキが盗まれることが多くて(笑)。

それは「僕らが強いからかな?」とか、「俺、モテてんのかな?」と思ってたらそうじゃなくて、その名前がやっぱりよかったということなんですね。そういうことされると、うれしい面もありました。「どこに住んでんの?」と聞かれて「原宿」、「何中?」、「原宿中」と言うと、「いいなー、いいなー」と言われたり。

高校は佼成学園という学校に行ったんですけど、いろんなところから集まってきていて。大学もそうです。専修大学ですけど、日本中から集まってきていて。「どこに住んでるの?」と聞かれて「原宿」と言うと、十中八九というか、もう100パーセント「いいなー」と言ってくれて。それはやっぱりうれしくて。

それが高まっていって、今大切にしているシティプライドというのは、そこから育まれてきたのかなと思います。だから、やっぱり当然街になにかお返ししたいし、やんちゃもけっこうしてきたんで(笑)。お詫びという気持ちも多少あったり……。今はそんな気持ちです。

博報堂で迎えた人生の転機

初めて社会人になって、博報堂という広告会社に入って、そこは1つ人生の大きな転機でした。

やはり広告代理店はいろんなクライアントを持つので、悪く言えばですけど、虚業というか、他人の土俵でふんどし借りて相撲とってるようなところがあるんですね。人の会社の広告作ったり、そこの会社の指針を決めたり、そういうことをアドバイスしていく仕事ですから、究極のところ、やっぱり他人の土俵でふんどし借りてというところがあったんですが、たくさんいい経験をさせてもらいました。

入社したころ、最初の丁稚時代はローソンを担当してました。1年目の頃はCMを作ってたんですけど、その頃のローソンのCM、覚えてる人もいるかもしれません。高嶋政伸さんが店長役をやっていて、中山美穂さんとか森高(千里)さんとか、いろんな人が代わる代わる出てきて。あのCMを作ってました。

これはよくできていて、「ローソン通り」というセットをスタジオに作っちゃって、ローソンのコンビニもあって家もあって。

それで3週間に1本新しいCMを作ってくんで、タレントさんのスケジュールを合わせるのが難しいみたいな。大勢キャストがいて、そのスケジュールで出られそうな人というのを集めて、そこで「今回は焼き肉弁当だから、焼き肉弁当でストーリーを考えよう」とか、そうやって回していったCMでした。

でも、その頃はやっぱりすごい忙しくて、残業だけで240時間いってる時があったりとか、まあむちゃくちゃだったと思うんですけど。でも嫌だという思いはなかったし、新しいことを自分でいっぱい経験してるし。ミーハーなところもあって、「あ、芸能人だ!」みたいなところもあったりとか。自分が考えた企画とか言葉が広告に乗っていくということにも、少し喜びを感じていて、がむしゃらにやっていました。

働きながら1つ転機になったのは、ローソンの仕事しながらディズニーの仕事もするようになったんですよ。これもきっかけはローソンなんですけど、ローソンの景品というか。『ワールド・オン・アイス』という、今『ディズニー・オン・アイス』というんですかね? 氷の上のミュージカルとしてやってるのが、「3,000円以上お買い上げの方に抽選で」みたいなキャンペーンをして。そこで初めて、ディズニーの仕事をやりました。

当時の僕が段取りしたのは……©ビジネスですから、ディズニーは。オリエンタルランドとか、ディズニーランドもありますけど、本山は©を持ってるウォルト・ディズニー・カンパニーという会社があって、そこの仕事をするようになりました。

最初は売り上げがなかったんですけど、その後、僕の先輩と一緒にやって。その人、今、実は副区長をやってるんですけど、彼と2人で売り上げ0から35億くらいまで持っていって、けっこう大きな仕事になりました。

その経験も非常によかったです。というのは、丁稚時代だったのがとうとう3年目くらいになって、わりと態度がいつもLLだったんで、新人にあんまり見えなかったんですね(笑)。得意先の人もすごい最初は言うことを聞いてくれて、「えー、お前入社3年目なの!?」とバレた瞬間に、上から目線で「ああでもない、こうでもない」と言われるようになりましたけど。

でも、一人立ちし始めたころで。そうやって得意先と直接、自分の意見を交わして。それで会社戻ってマーケティング部門だったり、制作部門だったり、スタッフといろいろ話をして、企画を作って持っていく。そんな日々を送ってました。そのころまではまだ、がむしゃらにいろいろがんばれていた感じです。

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