リーダーとして大成できるかどうかを左右するポイント

君島朋子氏(以下、君島):島田さんご自身が歴史からどういうことを学ばれたのかも、うかがっていいですか。

島田太郎氏(以下、島田):小学2年生の時に、父親が買ってきた吉川英治の『新書太閤記』を読みました。それ以来歴史にどっぷりはまって、吉川英治や司馬遼太郎はほとんど読みました。

日本の歴史教育は極めて偏っているので、絶対に違う人の歴史書を読んだほうがいいです。これは本当に人間の原点に近い。また読む年代によって感じ方やわかることがぜんぜん違うんですよ。

本当にすばらしい本は、30代に読んだ時と50代に読んだ時で感じるところがぜんぜん違う。まず原点を学ばないといけない。例えば堀(義人:グロービス経営大学院大学学長)さんも好きだから言わないといけないんですけれど、シーザーですよね。そして、ソクラテス。みなさん、『ソクラテスの弁明』を読みましたか。読んだことある人?

ほぼ0。なんてことだ。ちょっと堀さん、これはなんとかせなあきませんよ。

君島:どうもすみません。

島田:これは問題です。「リーダーになりたい」と思っているなら、そういうものを読まなければいけない。絶対最後に間違いますよ。刑務所に行くようなことになってしまう。ソクラテスは最後、自分が死を賭して正義を通すわけです。読まないとよくわからないと思いますけれど、これは読んでください。

その時に彼は「私は死を恐れない」と言っています。深井さんがこの後言ってくれると思いますが、実際に歴史上の人物でそうやって殺されたり死んだりしている人のパターンがあるんですね。そういう人たちの多くが偉人として存在している。それはなぜかを考えねばならない。

君島:もう一言、浅学非才な我々のために、死を恐れないソクラテスから島田さんがどんなことを……。

島田:それはさっき僕が言ったことを覚えていればわかるんですけど、死を恐れることはせこいこと。最後に自分の得になることをしちゃっているんです。だから話はコンプリートしていると思ったんですけど(笑)。

君島:わかりました。そう、つながりましたか。

島田:そういうことですね。これはものすごく大事なポイントです。例えば、自分のお母さんと一緒にテレビを見ていて、経営者の不正や政治家がどうのこうのといったニュースを見るじゃないですか。

お母さんが「なんであんなに偉い人が、こんなアホなことをすんのやろうな」と言う。なんでかということですよ。おかしいでしょ? 東京大学やハーバードとか出て、なんでそんなことをするんですかと。

僕は、自分はリーダーとして大成していないと思いますが、ここが大成できるかどうかの重要なポイントだと思っています。それは死を恐れないということなんです。

リーダーが持つべき「大欲」とは

君島:死を恐れない。リーダーとしての自分の在り方に照らしてみると、せこくなっちゃいけない。損得で判断しちゃいけない。そんなちっちゃい判断じゃいけないんだと。それが島田さんが一番ソクラテスやシーザーから学ばれたことなんですね。

2人のリーダーにお話を振ってみたら、まったく違うお話が返ってきました。これがお二人のリーダーシップの在り方の違いだと思ったんですけれども、この二人のお話から何を感じとられたのかを、ぜひ深井さんにうかがいたいと思います。

今のお二人のリーダーのお話から、それぞれのどこに歴史的に普遍的なリーダーとしての在り方があったと思われますか。

深井龍之介氏(以下、深井):そうですね。僕もちょっと島田さんに乗って脱線するかもしれないんですけど(笑)。

せっかく京都に来たので、今朝、お寺に寄ったんです。実は今、お寺で仏教哲学を勉強しているんですね。今日まさにお寺でお坊さんとその話をしてきました。仏教哲学の中に大欲と小欲という考え方がある。今朝聞いたからなんですが、僕はお二人の話を聞いてそれを思い出しました。

大欲と小欲は何かと言うと、島田さんがおっしゃった「せこさ」は、小欲に入る。自己顕示欲や自分だけの利益であるとかですよね。個としての自分をまったく超えない欲求です。例えば「お金持ちになりたい」「社会がどうなってもいいけど自分が評価されたい」そういうのは小欲になります。野望が少ない。

本当に持つべきなのは大欲であると。大欲とは自我を超えている。もっと広い自我を持った状態で出てくる欲求のことです。それが大欲に従っている状態だという話を、ちょうど今朝、お坊さんとしてきたところだったんです。お二人の話を聞いて、その話を思い出しました。

君島:大欲と小欲、大きな欲と小さい欲というキーワードをいただきました。せこいやり方、小さい欲を持っているのはリーダーとしてはいけないと。

大きな欲、自我を超えるような欲の持ち方、我々の言葉で言うと志ですかね。それを持たなくちゃいけないんだと。そんなところを照らしていただきましたね。

間違いがわかったら「ごめんなさい」と謝って次に行く

君島:山口さん、いかがですか? さきほどの話の中で山口さんが部下を思いやる、部下に共感される。でもやっぱり経営として正しい方向を照らしていく。それは大欲だなと聞いていてお考えになりますか?

山口明夫氏(以下、山口):まあ、そうかもしれないけど、その前に島田さんの話を聞いて「自分はせこいなぁ」と思いましたね。

(会場笑)

うちは社長に任期がないんですよね。社長になった時新聞に名前を書いていただき、お客さまから「おめでとう」と祝電や胡蝶蘭をいただきましたが、正直申し上げてここを3ヶ月でクビになったら「家族に悪いな、恥ずかしいな」という。だからさっきの島田さんのお話だと、きっと死を恐れていたんですよね。そう考えると、私はリーダーとしてまだ成長の余地があるなと、けっこうまじめに思いました。

島田:ちょっとフォローしていいですか?

山口:いいですよ。

島田:そんなことを、本当にできる人なんかいないですって(笑)。

(会場笑)

たぶん堀さんもシーザーが好きなのはそういうことなんですよ。あの人は自分のやりたい放題だよね。人にはあげまくるし、借金をしまくるし、もう関係ない。でもやっぱり大義はあるわけですよ。

だからそんなのはサステナブルじゃない。人間である以上は一定程度自分の欲もね。

山口:まあね。

島田:ただ最後にどっちをとるかなので。だから山口さん、そんなことはぜんぜんないと僕は思う。

山口:いや、別に文句を言っているわけじゃないんですけど。

(会場笑)

すごく勉強になるなあと思って。今、自分で経営者をやっていて、常に覚悟は必要だなと思うんです。もう1つは、いろいろな判断をしていくんですが、この先誰かに「あの時なんで山口さんはああいう判断をしたんですか?」と聞かれた時に、常に「こういう理由で判断をしたんです」と自分で言えるようになっていこうと思っています。

でも、すべての条件が完璧じゃない。「こういう条件だから、こういう判断をした」ということもある。自分に知識がないから、ひょっとしたら間違っていたかもしれない。それがわかったら「ごめんなさい」と謝る。それで次に行くという。

努力はしますけど、等身大の自分でそういう覚悟で判断をしながら前に進めていくしかないかなと、日々やっています。まったくもって自分は完璧だと思わないし、優秀な部下もいっぱいいるし。お客さまや、色々な人に教えてもらいながらやっている感じですね。

幼稚園のお遊戯会、王女役も動物役も舞台を降りたら同級生

君島:我々からしたら、IBMさんにも東芝さんにもすごく頭のいい優秀な人がたくさんいると思うんですよね。その優秀な人たちの中で「どうして自分がリーダーなんだろう?」「自分がリーダーでいいんだろうか?」と思われないですか? どう思われますか? 

島田さんから怒られそうではありますが、お二人がどう思っていらっしゃるのかうかがってみたいので、山口さんからぜひ。

山口:自分でいいのかって? そんなの「社長をやれ」と言われた時に最初に思いましたよ。「私が社長になったらIBMのブランドを汚すんじゃないか?」ぐらいのことを本気で思いまして。また“せこい”に戻ってしまうんですけど、ある意味それも自分の怖さかなと。

でも、何をもって優秀かはやっぱりあると思うんですよね。私が今思っているのは、経営者や社長、それから新入社員も、エンジニアもコンサルタントも、みんなロールだなと思っています。

わかりやすい例で言いますと、幼稚園の年長さんのお遊戯会があって、「あなたは王女さまの役をやりなさい」「あなたはタヌキの役をやりなさい」「あなたは桜の木の役をやりなさい」と。

舞台でそういうことをやっているようなものなのかなと。「完璧な演技をやろう」とみんなで努力をしているわけです。だけど舞台から降りたら、みんな同じ年長さんの同級生なわけですよね。

最終的には人と人とのつながりの中で仕事をしているので、みんながそれぞれのロールを遂行するだけで、別に社長だから偉い、新入社員だから偉くないんじゃない。みんながお互いをリスペクトして一緒にできればいいと思っています。そうやって仕事を始めると優秀とか優秀でないという定義も何なんだろうなと思ったり。

結果的に人と人のつながりでしっかりと仕事をすることが一番いいし。そうすると、みんなと仕事しながら本音で会話ができて、楽しい。そんな感じです。

君島:ありがとうございます。幼稚園児に例えていただいたんですが、いろいろな個性のある方がいて、みんなそれぞれに優秀で、でも役割にしたがって一緒に事業をやっている、そんな仲間なんだ。自分もその一人として今、社長役をやっていらっしゃるという心持ちなんだなと。