“結果目的的な人”が新しい場所で陥りやすい現象

柳田:今の話の流れで、持たざる者のプロセスエコノミーの例として、こんまりさんの話はすごいわかりやすい事例なんじゃないかなと思います。「こんまりさんはこんなかたちで(ファンを)広げていったよね」と。

本を読んでいない方もいるので、尾原さんが実際に本を書かれる中で、尾原さんなりに「こんまりさんの話をこう捉えている」とか、『プロセスエコノミー』の文脈に則って説明するとこんな感じというお話をお願いしたいんですけれども、よろしいですか?

『プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる』(幻冬舎)

尾原:プロセスエコノミーにおいて大事なことは、周りが「この人と一緒に冒険したいな」と思うことなんですよね。なので、「俺はプロセスエコノミーになりたい」という言い方はちょっとずれるんですよ。

どうしても日本人は「結果が出るまでは我慢します」とか、「結果に向かってみんないこうぜ」という、“結果目的的な人”が多いんですね。

でも、例えば『水曜どうでしょう』というテレビ番組がわかりやすいんですけど、目的地に行くことが目的じゃなくて、ただやっているだけで楽しいという「プロセス」自体を目的として歩んでいる。そうすると「なんか楽しそうに歩んでいるから、あいつと一緒に歩みたい」となるわけですよね。

さらにもっと大事なことは、結果目的的なものは、変化の時代の中だと新しいところにいかないとなかなか比較されない存在にはなれないんです。これはコンフォートゾーンというんですけど、新しいことをやろうと思うと、当然自分の今までの勝ちパターンが通用しなくなるので、最初に「本当に俺はこのままいけるのかな」と不安になるんです。ちょっと冒険していると今までの勝ちパターンが通用しなくなるから、辛くなってやめちゃう人が多いんですよ。

プロセス自体がおもしろくなる「プロセス目的的」な思考

尾原:これの典型例が「酸っぱいぶどう」という話で、自分がジャンプして届かないギリギリの場所にぶどうがあって、狐が何回も何回もジャンプするんだけど、だんだんジャンプして届かない自分が無能力なんじゃないかと思って、最後は「あんなぶどうは酸っぱいに違いないや」と諦めちゃうんですよね。

これが結果目的的に新しいところに行く時に陥りやすい現象で、これを超えるのが何かというと、「プロセス自体がおもしろいじゃん」という考えです。蝶々を追いかけていたら、お父さんお母さんから離れるのが怖いと言っていた子どもがいつの間にか遠くに歩いていた(ような話と一緒です)。

こういうことが起こるので、どうしてもプロセスエコノミーがバズワードだから「セルフブランディングにプロセスエコノミーを使ってやれ」みたいな、結果目的的なことを考える人が多いんですけど、プロセス目的的に「そもそもあなたが歩いているだけで楽しいと思うことは何か」、「そこに一緒に歩みたいなと思えるか」がすごく大事なんです。

こんまり氏の活躍の背景にある「自己中心的利他」

尾原:簡単にこんまりさんの話をすると、その時に大事なのが「自己中心的利他」という考え方だったり、「魂のごちそう」という考え方なんですね。こんまりさんは世界で1,200万部売れるくらいのヒット本を作ったり、「お片付け」がNetflixでグローバル番組になったりするんですけど、実は彼女は最初は掃除が嫌いだったんですよ。

掃除を何回やっても部屋が汚れてしまう時に、「ときめかないものはついついほったらかしにしてしまうので汚れてしまう。でも、自分の心がときめくものだけを残していくと、自分のときめくものしか置いていないから散らからない」という、お片付けという自分の強みに気づいたんですね。

そうすると、お片付けをやっているだけで(掃除をしなくても)まったく散らからないことが楽しくて楽しくてしょうがないから、自分の部屋をまず片付けるわけですよ。そうするともう散らからないから片付けられなくなっちゃうわけです。でもこんまりさんは片付けるのが楽しくてしょうがないから、兄貴の部屋とか家族の部屋を片付けるわけですよ。

そうすると家族の部屋は片付いちゃうから、もう片付ける場所がなくなっちゃうわけですね。そうするとどうするのかというと、近所の友だちの家とか、近所の友だちのお母さんのところというように、どんどん外に、自分がやりたいことを探すために出ていくという、まさにプロセス目的的に遠くに行くわけですよね。

ここで大事なのは、他の人から見たら、「なんでこんまりちゃんはわざわざ私の家を片付けてくれるの?」ということ。こんまりさんは自分が楽しいからやっているだけなのに、周りから見ると「こんなこともやってくれるの?」という利他に見えるわけですよ。

ただやっているだけで楽しい「魂のごちそう」

尾原:自己中心的利他だけど、こんまりさんからするとお金をもらうとか、名誉がほしいとかではない。こんまりさんは自分で片付けのことを「お役割」と言っているんですね。自分はお片付けをやるだけで楽しいから、天から自分のお役割として与えられたものだから。

こういうのを英語で「Calling」という言い方をするんですけれども、自分自身の魂のごちそうが年収だったり肩書だったりになるんです。自分が「ただやっているだけで楽しい」という魂のごちそうを見つけて、やる場所を広げていくと、必然的に他の人からすると滅多にやってくれないこと、つまり難しいことをやってくれるから「ありがとう」という言葉が自然に立ち上がってくる。そういうような循環を作っていくことが(大切です)。

さっきのサラタメさんの「持たざるもののプロセスエコノミー」に、この「魂のごちそう」とか「自己中心的利他」を重ねていくと、わりとプロセスエコノミーの場所を見つけやすくなるんですよね。

「努力の娯楽化」がプロセスエコノミーにつながる

柳田:「あざとくプロセスエコノミーを設計して」という話ではなくて、「身近なものから魂のごちそうをまず探してみましょう」というマインドでいればいいのかなと思います。

尾原:そうですね。一橋大学の楠木建先生が「努力の娯楽化」ということを言っていて、「そもそも本当に好きなものだったら努力と感じないはずだ」と。だから外側に探しに行くよりも、自分の内側の解像度を上げていくんです。

例えば「テニスをやっている時に、練習している時間を忘れる瞬間があるな」と。その時に「自分が努力を努力と感じなくなるくらい、むしろ娯楽に感じられることは何なんだろうと分解していけ」という話を言っていて。

例えばテニスで言うと、人によってはベースラインで相手がくじけるまでずっと球を拾い続けることが努力の娯楽になるかもしれないし、反射神経的にスパーンと、フロントでボレーをかますことが努力の娯楽化になる人もいるし、いろんな努力の娯楽化があるんです。

魂のごちそうは外側に探しに行くのではなく、自分の内側の解像度を上げて見ていくことがすごく大事だし、そうやって結果的に自分たちの魂のごちそうを、企業レベルで振り返って見つけていったのがスティーブ・ジョブズになるわけですよね。

柳田:なるほど、ありがとうございます。プロセスエコノミーに関していろんな方から質問をいただいているので、それに関連した質問もお聞きしていきたいなと思うんですけれども。

「役に立たなきゃいけないシンドローム」にはまっていないか?

柳田:まず1番「いいね」がついているのが、「プロセスを開示し続けていると、最終的にアウトプットが完成をした時に、そこで頭打ちになっちゃうんじゃないか」と。アウトプットはいつか完成するものだという頭打ち問題はどう考えればいいのか、いかがですか?

尾原:逆に言えば、本当にあなたはパーパスのために生きていますか、「Why?」のために生きていますかという話です。頭打ちすれば、逆にそれはみんながハッピーになる世界だから、なんでそこを不安に思うんですかというのが1個目ですよね。

2個目が、プロセスエコノミーはあくまで役に立つから選ばれる競争から、「あなたと一緒に冒険するからあなたを選びたいんです」という意味で選ばれるという(フィールドに行っている)。企業戦略的な言葉で言えば差別化ということになっちゃうんですけど。

結局はお客さまに選んでいただくことがマーケティングです。マーケティングのもう1人の神さま(であるドラッカー)の言葉に、「マーケティングとは売り込みをなくすこと」という言葉があって、僕はこれが大好きなんです。

結局「お前があいつより役に立つからお前を選ぶ」じゃなくて、「僕にとってあなたが意味を与えてくれているからあなたを買うんです」というのが本来なので、機能差別化をし続けることはそもそも「役に立つ競争にまだあなたは嵌っていますね」という話なんですよね。

それはサービスドミナントロジックが「トータルバリュー、サービスバリューに変わっていきますよね」と言っていたり、さらに言えば「バリュー」は供給者だけが作るものじゃなくて、使ってくださるユーザーだったり、それを届けてくださる中間のセカンドクリエイターの方だったりと一緒に作り上げるものだから。

やっぱり供給者脳なんですよね。一緒に作っていく脳みそじゃなくて供給者脳だったり、役に立たなきゃいけないシンドロームにまだはまっていませんかという話だと思うんですよね。

会社は「冒険」のための単なる手段

柳田:ありがとうございます。これもプロセスエコノミーに関連してかもしれませんが、「社員として自社を応援したいと思えなくなっているのですが、これは自分の会社を辞めるべきなのでしょうか?」というご質問をいただいています。

人それぞれかなと思いつつ、尾原さんなりに「こう考えればいいんじゃないか」というアドバイスがあればお伺いしたいです。

尾原:僕が思うのは、パタゴニアさんだったりAppleさんだったりのように、会社自体が意味ある存在としてユーザーの方と冒険の仲間になることが理想ですけど、必ずしもそうである必要性はなくて。

個人が作り手として発信力がある時代だし、製品単位でお客さまが一緒に価値を作っていく時代だから、会社はある種単なる手段です。自分がやっているサービスだったり、もっと言うと自分がサービスをやってお客さまに届けている人との間の関係だけでも、役に立つだけじゃなくて意味がある関係は作っていけると思うんですよね。

だって「誰のために働いているんですか」って、もちろん給料とかは会社からもらっているからしょうがないけど、究極はお客さまと一緒に、パートナーさまと一緒に価値を一緒に作っていくという、冒険をすることが楽しいからやっているわけです。もっと言うと目的論じゃなくて、結果論としてそうやってお客さまだったりパートナーの方と「意味のある関係」になっていくと、結果会社として評価せざるを得なくなるはず。

だから「あなたは誰に選んでもらうことに喜びを感じるんですか?」、「その物語をあなたは生きていますか?」ということだと思うんですよね。それが邪魔されてできないんだったら外に出てもいいと思うんですけど、大企業は便利ですからね。

自分たちのビジネスサイズで展開する「セカンダリーブランド」の台頭

柳田:そうですね。もしかすると今の回答の中に、次の質問の答えがかなり入ってしまっているんじゃないかなと思いますけれども。

「顧客側で全部設計が決まっちゃって、落ちてきたスペックをただ自社が作るだけになっちゃっている関係性なんです。プロセスエコノミーを取り入れて価値を出していくのは、こういう関係性の場合どう考えたらいいのだろうか」というご質問をいただいています。これはいかがでしょうか?

尾原:最近アメリカとかもDtoC、つまりメーカーが直接お客さまにお届けする世界では、「セカンダリーブランド」がけっこう出ているんです。実はIKEAに納品しているんだけれども、そのパーツとかを使いながら別の文脈を作って、例えば「障がいを持っているディスアビリティな方々に使いやすい製品を提供します」というところでマイノリティの方(に向けた商品を作って)選ばれたりしています。

ネットの良さは何かというと、小分けにしてそれをつなぐことです。自分たちのビジネスのサイズとして、IKEAレベルで考えるということ。

もちろんIKEAもマイノリティの方、ディスアビリティの方へのアレンジメントはすごい会社らしいんですけど、どうしても大企業はマスをお相手しなきゃいけないという宿命にあるので、逆にその下請けの方々は、自分のサイズに合った方から選んでいただければいい。

「ワークライフバランス」ではなく「ライフワークバランス」を考える

尾原:もっと言えば個人にもよく言っていることで、『モチベーション革命』で言わせていただいているんですけど、「ワークライフバランス」じゃなくて「ライフワークバランス」を考えようという言い方をしています。

自分のワークとプライベートのライフの量の差を考えるんじゃなくて、ワークの中に自分がお金をもらえなかったとしても「この仕事ができていて幸せ」というライフワークは何パーセントありますかという、ワークの中のライフワークが何パーセントあるかということが、僕は仕事人生を豊かにすると思っていて。

そういう意味では、さっきのセカンドブランドのように、自分たちのサイズにフィットする、僕らだけだから満足に提供できる、一緒に冒険できる小さいグループを作る。例え売上15パーセントであれ、そこで利益が出なかったとしても、会社の中のライフワーク比率が上がってくれば幸せになれるんじゃないかなと思うんです。

なんでライフワークができるかというと、大手の方の下請けをやって、スペックが磨かれているから。そのスペックをうまく使って、僕らでしか一緒に冒険できない小さいサイズの方と一緒に冒険しようということもできる。

もちろんエクスクルーシビティ(契約)とかいろんな難しいことはあるんですけど、だんだん副業が解禁になったように(流れができてくると思います)。Starbucksですらアメリカとかでは、Starbucksに納品しているコーヒーのメーカーがセカンダリーブランドをすることを許すような流れになっているので、そういったものを追い風にして。さっきの部品メーカーだとしても、これは同じだと思うんですよね。

小さきものに対するビジネスの作り方は「わらしべ長者」

柳田:下請けの中小の町工場で、新たに自社のブランドを作って、販路を開拓していくやり方は日本でも出てきたりするので、そんな話ももしかしたらこの質問をされた方の参考にもなるかもなと思ってお聞きしてみました。

尾原:昔は広大なマーケットを開拓するというイメージじゃないですか。でも今はソーシャルの時代で、1人でもその物語の中の冒険の同伴者が見つけてくれれば、その人が周りの同じような悩みを抱えている人に「これやばいんだけど」と言って広めてくださるわけですよ。

ただ「目の前にいる人の中で、自分が持っているスペックで、自分が持っているサイズだからこそ幸せにできる相手はどなたなの?」と考えるんです。多少はあざといんですけど、これからの小さきものに対するビジネスの作り方はわらしべ長者だと思うんですよね。

その方の周辺ですでに愛されている方、選ばれている方も一緒に物語に乗りたくなるということをやっていくと広がっていくので。小さいものと小さいものが、遠くにあるものがつながりやすいことがインターネットの良さなので、そういった物語の力を信じて仲間を募っていくことが大事なのかなと思います。