自分で自分を決めなきゃいけない時代は、しんどいが楽しい

尾原和啓氏(以下、尾原):そっちに行っちゃうとマニアックな話になるので、戻しますと(笑)。ぼくが『プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる』の前に、幻冬舎の箕輪さんとつくった『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書』という本があるんですけれども。そこで一番シェアされた引用の部分が「自立するとは、何にも依存しないことではなくて、依存先をたくさん持つことである」という言葉で。

藤原和博氏(以下、藤原):オォー、はいはい。

尾原:この言葉がすごく響いて。その裏側にはですね、もともと『モチベーション革命』を書こうと思ったきっかけが、ぼくの中で藤原さん級に尊敬している人にタモリさんがいて。タモリさんが昔「今って、自分で自分を決めなきゃいけないんだね。ツライ時代だね」とおっしゃったことがあって。つまり、さっきの藤原さんの図ですよね。

昔ってのは、生まれた村で「あそこの庄屋の何兵衛が」ということで人生を決めてくれた。そのあとちょっと経つと、最初に入った学校だとか、最初に入った会社とかが「自分」を決めてくれた。ひとつの「自分」が最初から出来ている、ないしは、最初に選んで入れた○(丸)が「自分」を全部決めてくれたんですよね。でも今って、会社の寿命が自分の寿命の1/3になっちゃった。

藤原:うん。

尾原:という時代の中で、強制的に、周りの丸が「自分」を守ってくれなくなっちゃったから、そうすると自分で自分を決めるためには、複数の誰かとの関係性の現し身(うつしみ)の中で「自分」を創っていかなければいけない。

一方でいま、藤原さんがさらっとおっしゃったように「どの丸との関わり合いの中に、感情移入をすることで『自分』という現し身というものを結果的に創っていくか」っていうところが時代の違いで。それがゆえに、自由ってしんどいね、自分で自分を決めなきゃいけない時代ってしんどいね。でも、それと同時に、楽しいね、っていうことだと思っていて。

藤原:そうですね、最初からものすごく深いところから入っちゃったんだけれども。

尾原:めっちゃ深いところから来ますよね。

「処理力の時代」から「編集力の時代」に

藤原:左側の時代だと、要するに「完成品としての自分」がどこかに埋め込まれていたり、どこかに在るに違いないと思って探しに行っちゃったりしますよね。「自分探し」とか言っちゃって。

尾原:そう。

藤原:完成品を探すなんて、あるわけないでしょうと。誰も「正解」はないし。昔はモデルがあると思って、モデルを追っかけていたんだけれども。今は成熟社会に入って、右側のような時代になったから。だから、正解主義ではダメで、修正しながら「自分」というものを編集していかなければならない、と。

あらゆる人物やモノとの出会いや、モノを大事にするか使わないか、みたいなことを含めて、編集していかなければいけない。だから「処理力の時代」から「編集力の時代」に入っていますよ、と。共有していただいた資料のように、成長社会から成熟社会に入っている、と。

尾原:なるほど、そうか。編集するというのは変化の時代だから、正解が見えないので修正しながら行く未来もあるんだけれども、自分自身というものもそこで関わる人との関係性の中で自分が立ち上がってくるから、「何に取り組むか?」ということが、結果的に「自分」を編集することになっていくわけですよね。

藤原:というところが、とても大事なところだと思うんですよ。

尾原:やべぇ。

藤原:あまり、ぼくは本の中では「自分を編集することになるぞ」とまで書くと、すごく深くなっちゃって、ちょっと取っつきにくいじゃないですか。でも今日ご覧になっている方々は、ぼくや尾原くんの言説に慣れている人たちなので。思いっきりここまで突っ込んでみて、そこから具体論に行こうかな、と。こういう感じです。

組み合わせを変えていくことができる「レゴ型」の修正主義

藤原:いま見せていただいている資料は、ぼくが講演で使う資料で。成長社会から成熟社会へ移行しているから、情報処理力から情報編集力が大事になる。要するに正解の出し方よりも、自分が納得し、かつ、関わる他者をも納得させられる「納得解」を編み出していく、編集していくことが大事だよね、とこういう話ですよね。情報処理力を「ジグソーパズル型の学力」、そして情報編集力を「レゴ型の学力」と言っているんですけれども。これね、ちょっとせっかくだから見せてみましょうか。

尾原:はい。

藤原:ちゃんと用意しているんですよー。はい、ジグソーパズルですね。

尾原:しかも『トトロ』や。

藤原:これは、この図案がジブリから与えられているわけですよね。これはもう崩しちゃいけない、というくらいの図案なんだけれども。

尾原:はい、完成度が高い。

藤原:それをパズルにして完成される、というゲーム。これが、日本が敗戦後にアメリカをモデルにして。“アメリカンライフという図柄”を完成させるために、1億ピースあったのか、100億ピースあったのか、知りませんけれども。戦後50年間、ずっと走ってきた、と。

おそらく、これくらいまでは見えてきたんですよね。1980年代から90年代に見えてきたので、本当は次の世界観に行かなければいけなかった、と。国が提示してくれると思ったら、提示してくれない。自民党も民主党も提示してくれない。じゃあ誰が提示してくれるの? というときに、本当はそこで「自分が自分の世界観・人生観を創り出す時代、編集しなければいけない時代になったんだ」っていうことを、もっと強く誰かが言わなければいけなかったと思うんですけれども。

ぼくが1997年に出した『処生術』という本は、そういう提言をした本で。それなりに売れましたけれども、3万3000部くらいで終わりましたよね。これから大事なのは「誰かが完成形を示してくれたモデルを、みんなが正解の場所に組み込もう」というのではなくて、こっちの「レゴ型」ですよね。

尾原:すごい(笑)。

藤原:これがおばらっちだったりさ。これが藤原島の「朝礼だけの学校」の中での会話だったりして。それを、こんな感じで組み合わせながら。「最終形をどんな風にイメージするか?」というのをイメージしてもいいんだけれど、どんどん変更することはできますよね。このレゴというのは。

尾原:その場その場に合わせて、組み合わせを変えていくことができる。

藤原:最初に「こういうのを作ろう」とイメージしていてもいいんだけれど「ちょっと違うな」とか「時代が変わってきたな」とか。自分の持ち手に「この車輪は無いな」と思ったら、そうじゃないパーツを代用することはできるわけで。そういうのが修正主義。レゴが修正主義というものが分かりやすい、と思うんですよね。

誕生当時のコンセプトをどんどん修正していった、スタバの例

尾原:“正解という絵”が見えている中で決めていこうよという「埋める速さを競う競技」から、そもそも未来ってまだ何が当たるのか分からないから、そのときその場に合わせてレゴを組み合わせていけば、いろんな形に対応していけるし。

何よりも、さっきの「自分」という話に戻ると。自分というパーツに対して「おっちょこちょいだけれどヒラメキ型の尾原」と「じっくりちゃんと立体的に説明してくださる藤原さん」がレゴで組み合わさるみたいな。新しい組み合わせによっても「自分」が生まれてくる、ということですね。

藤原:そうですね。これだけ変化の時代、すべてのものが多様化して複雑化して変化が激しくなるとね、最初に分析を徹底的にやっていって、完成形を完全にイメージしてから、帰納的に「これがこうだったから、3年後にこの姿にするためには、今こうだよね」っていうのは、そういう行動パターンというのは無理だと思うんですよ。スターバックスの例を出すと。尾原さんは知っていますよね。アメリカで生まれた時には強烈なイタリアンカフェで「エスプレッソしか飲ませない」と。

尾原:そうですね、元々は。

藤原:立ち飲みで、シガーをくゆらせて、そのシガーを床に捨てて踏み潰していく、と。イタリアンオペラが強烈にかかっていて。そういう、ものすごくイタリアンなカフェをイメージして作って、最初は受けたけれど、結局、客はつかなかったそうなんですよね。それをどんどん修正していった結果が、今のスターバックス。コンセント付でパソコンも充電できるし、Wi-Fiでスマホも見られるし、ミーティングもできるオシャレなカフェになっているわけで。

尾原:そうですね、サードプレイスだと、途中から気づいたんですよね。

藤原:そうそう。今のあの姿を最初から構想して作っていったわけではない、というところがミソだと思うんですよ。いかにユーザーをプロセスの中に巻き込んで、ユーザーがイメージするものをいろんな資源をもとに形作っていくか、という。そっちが大事になってきている、こういう話です。

元はレンタルビデオ屋だったNetflix

尾原:シリコンバレーの成功したスタートアップでも、最初に描いたビジネスが、そのまま行っている事例ってほとんどなくて。

藤原:やっぱりそうですか。

尾原:ビジネスを転身するっていうことを「ピボットする」と言うんですけれども。このピボットの平均回数って2.7回なんですよ。1回で90度回転していたら、250度とか270度とか変わるくらい、違うことをやっているんですよね。

でも、そうやって時代時代に合わせて柔軟にやっていくから、時代と自分たちがやりたいことがタイミングが合った時に「ドンッ!」と行くと、スターバックスみたいなことも起こるし。Netflixも実は途中でピボットピボットして、たまたまブロードバンドの時代に来たから動いた、みたいなことがあって。

藤原:Netflixは、元々、レンタルショップだったんですよね。

尾原:そうなんです。最初はレンタルビデオ屋さんだったのが、当時はブロックバスターという競合があったので、

藤原:しかも、ブロックバスターに買われそうになったんだよね。

尾原:そうですそうです、300万円くらいで(笑)。そこから逃げて郵送型にして。でも郵送型だとお客さんがお金を払ってくれないから、月額型にして。月額型にしたら「どうせなら見なきゃ損だ!」にユーザーが変わるので「この監督の作品を全部見てみよう」「藤原さんの本を全部読んでみよう」みたいに、「愛しているものを全部見たい」っていう粘着性が高いユーザーに使われるって気づいて。「じゃあここを強化しなきゃ」ってデータベースを拡張して。そうしたら「ブロードバンドで、ストリーミングで映画見放題」というところでむちゃくちゃ相性が良くなって、Netflixの進撃が始まる。

藤原:でも、ブロードバンドの未来を読み通してレンタルショップをやったか? というと。

尾原:全然全然。たまたま。

藤原:だとすると、今、これを見ている30歳の人がいるとして。35歳、40歳を強烈にイメージして「こうだ!」と決めてやらなくても。まぁ2〜3年のイメージやビジョンを持って、まず踏み出しちゃったほうが、いいってことになりますよね。

尾原:そうですね。最初に決めすぎた戦略は「かえって戦略にフタをする」という言い方をしていて。むしろ、途中で楽しみながらやっているときに見えたもののほうが「戦略として時代に合ったものになる」という言い方を、ヨーロッパのほうではしたりするんですよね。

藤原:でもね、踏み出してチャレンジしている奴を、人々は応援したくなるわけで。

尾原:おっしゃる通りです。

藤原:やりもしないで、何か知らないけれど「戦略を練っている」とか「いま考え中です」という人って、応援しようがないんだよね。何が具体的に足りないの? お金が足りないの、人が足りないの、っていうことで助けが来るわけで。