世界最高峰の教育がコストフリーで受けられるようになっていく

早田吉伸氏(以下、早田):話をもうちょっと大きくしてしまって、教育のための大学だけではなく、「そもそも大学というのは何のために地域にあるか」というところも含めて。大学のこれからの役割は、教育だけではなく研究、そして社会貢献を含めた知の拠点であるとも思うんですね。今いろんな大学がなくなっている中で、広島県では新しい大学を作って、まさに地域のため、社会のために役立とうと思っているわけなんですけれども。

山口さん、この大学というものの役割。もちろん教育は最も重要なファクトの1つであるのは間違いないんですけれども、教育に限らず、どうあるといいと思われますか? 質問がちょっと大きすぎますか?(笑)。

山口周氏(以下、山口):そうですね。僕は教育者でも大学教員でもないのでなかなか……(笑)。差し出がましい答えを言うのはあれなんですけども。大学の役割……そうですねぇ。

教育ということを考えたときに、今グローバルの大きな流れとして、仮想空間シフトということが起こっているわけですよね。

どういうことが起きているかと言うと、例えばシンガポールとか、あとは東南アジアの国でも、要するに英語さえできればほぼMITやハーバードなどの大学の授業が得られるようになっているわけです。まさに限界費用ゼロ社会ですね。コストはゼロで、あらゆるコンテンツが学習できるようになっているわけです。

教育というのは本来的にはビジネスの側面がありますから、コンテンツがフリーになって、しかもある意味では、世界最高峰の教育を受けられるものがどんどんコストフリーになっていくわけですね。ここ50年くらいの間に、おそらくほとんどフリーアクセスができるようになるんだと思うんですね。

そうなったときに大学の役割を考えると、ただ単に人の脳にコンテンツをダウンロードするだけではないと思うんです。ある種の学習というもののサイクルを考えたときに、自分がなにかシステムに働きかけることによって、システムがどういうパフォーマンスや反応をするか。そのフィードバックを受けるという自己学習の問題だとか。

教育機関としての大学の役割は、知識を実践する場

山口:あと、なんと言っても大きいのは、どういう仲間と出会って切磋琢磨できるかということでもあると思うんですね。それはたぶん私自身が一番大学に期待していることでもあって。例えば、どこかの僻地でハーバードの授業やMITの授業を受けて、それはコンテンツとして頭に入れることはできるわけですけれども。

陽明学でいう知行合一(知識と行為は一体であり、本当の知は実践を伴わなければならない)ということを考えると、一番難しいのは知っていることを実際に実践してみることで、社会の文脈やある状況において、どういう知識に基づいて行動したときにどういうことが起こるかということを学んでいくわけですね。

それこそが学習の本質なんだとすると、わざわざ物理的にある程度人が集まって学ぶのは、単なる知識のダウンロードではない、ある種の知行合一の行の部分ですね。

あとは仲間と刺激し合うこと。例えば、先ほど構想力というキーワードが出てきましたけれども、非常に問題意識を持って世の中を眺めて「こういうことをやってみたいんだ」と言ってる人がいるとすると、その人から受ける刺激は一般的な意味での教育ではないわけです。

「あ、なるほど。そういうことを考えているやつが俺と同年代でいるのか」「これはちょっと負けてられないぞ」ということは、やっぱりものすごく大きなエネルギーになると思うんですね。

もちろんコンテンツ教育、知識をダウンロードする、教え込むことも必要になるわけですけれども、教育機関としてはより体験値というものをどうインストールしていくか。

ですから、プロジェクトみたいなものをやっていくことも大事になってくると思いますし、仲間とのコラボレーションや協働、ダイアローグ(対話)みたいなものも、非常に重要性を増していくんじゃないかなと……ちょっと瞬間的には思いました。今投げられたボールにポンと返しただけの、いい加減な答えで申し訳ないんですけど(笑)。

早田:ありがとうございます。まさに行の部分がすごく重要だというのはそのとおりですよね。行を実現するためには大学が閉じている空間だと難しい。社会から受け入れられる大学でないと、学生だけが閉じた空間の中だけで行をやろうとしてもなかなか難しいんだろうなと。まさに叡啓大学では今そういった準備をしているところでもあるんですけれども。

大学は地域社会における共創拠点になっていく

早田:今の話を受けて有信さんはどうですか?

有信睦弘氏(以下、有信):いろんな点ですごく刺激的な話だと思います。環境がいろいろ変わって、ある意味で東京にいなきゃいけないという必要性もだんだん薄らいでくる。あるいは会社に出てまとまって仕事をしなきゃいけないということも薄らいでくる。

そういう中で大学に期待されているのは……これは実は文科省の中でもいろいろ議論をしていて、新しい考え方を全体として打ち出そうとしています。要するに、大学が地域社会における共創拠点、今はイノベーション・コモンズという言い方をしています。

イノベーションの理解解釈はさまざまに広がっていくと思いますけれども、共創というのは共に創る「共創」ですね。大学がその共創の拠点になるという観点で、これはいろんな階層でそうした大学の施設を整備していきましょう、という方向性を打ち出そうとしています。

そういうことをベースにしながら考えていくと、やっぱりもう東京にいる必要はないわけですよね。しかもICTが発達していれば、それこそ会社にいなきゃいけないということもないし。

さっき山口さんが世界中のコンテンツを自由に得て自分で勉強できると言われましたけど、要するに地域と国際社会、海外というものが、別に東京を経由する必要はまったくない話になりますので。ダイレクトに国際化ができる状況にもなってきます。山口さんの話とだんだんズレてきちゃってるんですけども(笑)。

そういう中で大学の役割を考えていくと。伝統的には、大学はアカデミアだとか、知の拠点だとかさまざまな言い方があります。たしかにその中で一番重要なことは何かと言うと、知識がどこからでも得られること。

一方で、逆に言うと山口さんの主張の中でもあった、実は価値そのものがどんどん変わってくる中で、知識の価値はまた別の意味で重要になってきているわけですね。

ありたい社会をつくるための訓練

有信:これはどういうことかと言うと、もともと20年以上前からずっと議論している話ですけれども、データから情報へ、情報を知識化していくという、いわゆるプラットフォームという考え方があります。データ、情報、知識、知恵という階層があって、これらのプラットフォームをいかに作るかということはずっと議論されてきています。

例えばデータから状況を得るための手段として、データマイニングなどさまざまな技術が開発されてきているわけです。ところが日本は、個別の技術開発は非常に優れていたんだけれども、全体をプラットフォームと捉えて構築する技術がなかったものだから、今は結局、GAFAなどがすでにプラットフォーマーという言葉まで作ってしまっているわけですね。

こういうかたちで、ある意味「新たな価値の偏り」を作ろうとしている中で、各地域が本来持っている個別の知識のプラットフォーム……知識というか、何て言えばいいんですかね。データから知識、知恵に至る全体のプラットフォームをそれぞれに作り上げていくような母体になっていければいい、ということなんだけど。

学生たちが社会に出たのちに、物やデータから得られる知識・知恵の価値を自分たちでうまくハンドリングできて、新しい提案ができて、自分たちがこうあったらいいなという社会を設計するための訓練。

あるいは、社会全体を設計するほど大層なことはできないかもしれないけども、社会システムの中のある部分はこういうふうにやるべきだとか。そういうかたちで社会に対して自分たちが学んだもの、あるいは自分たちが身につけた能力、知識、スキルを使っていけるようにする。そういう大層なことをいろいろと考えてはいるわけなんですね。

早田:ありがとうございます。まさに共創のプラットフォームとして大学。それがもちろん教育につながってくるし、地域社会にもつながってくる。そういう意味での知の拠点という大学の役割があるんだろうなと、今の有信さんの話を聞いていて思いました。

アメリカの後追いをしてきたメリットとデメリット

早田:わりと抽象度の高いお話がここまで続いてきていて、「この講演は若い人たちも聞いてますよ」と最初に言っておきながら、若干抽象度のレベルが高かったかなとは思うんですけれども。ここからはいくつか質問にお答えいただきたいなと思っています。

これは山口さんへの質問になるかもしれないですけれども。山口さんがたぶんTwitterで「日本がターゲットとするのは北欧だ」というふうにつぶやかれたみたいなんですけど、これは具体的にどういうことなんですか? 今の会話と関係するのかどうかということもあるんですけど。

山口:僕は備忘録のつもりで書いてるんですけど、Twitterって乱暴なのでね。逆に言うと「アメリカというものを追いかけるモデルをちょっと考え直しませんか」という意味なんです。

日本は1945年に太平洋戦争に敗戦して、国土が灰塵に帰したわけですね。とくに広島というのは本当に悲惨なことがあったわけですけれども。そのときに本当は、いろいろな国家モデルというもの、あるいは社会モデルというものを考えるいい機会だったんですけれども。

GHQが入ってきて、ほぼアメリカの主導だったせいもあって、ある種既定路線としてアメリカのあとを追いかける……あと当時は共産主義というものがあったので、とくにアメリカにとっては防共の拠点という……「防共」というのは共産主義を防ぐという防共ですね。アメリカ型のいわゆる消費社会というものを作って、アジアで資本主義の繁栄をある種の宣伝塔として見せていくことを担ったわけです。

当時は物質的な不足というのも非常にあったし、それはアメリカ的な高速消費社会を目指すことで、一種の社会的な課題を解決することにもつながったんですけれども。

現代日本の課題を解決するヒントは北欧型の社会モデル

山口:先ほどもちょっと話をしましたけれども、日本は今、物質的には非常に恵まれた水準になっていて、いろんな統計を見るとだいたい9割くらいの人は物質的な不足を感じてないわけですね。

ところが一方で、1割の人は物質的不足を感じているということなんですね。例えば子どもの貧困率を見てみても、今の日本は13.5パーセントです。これはOECD諸国でダントツの最悪な数字なんですね。しかも年々高まっています。

ですから、一部の人の物質的な課題はもうほぼほぼ解決できたんですけれども、逆に言うと1割の人が物質的不足を感じている状態は、実は80年代と今とでずっと変わらないんです。1割の人はまさに「Left behind」なんです。

私たちに残されている問題は、この人たちをどうするのか。あるいは格差の問題をどうするのか。やっぱり私は個人的には、今の小負担中福祉という在り方から中負担中福祉、あるいは高負担高福祉に持っていく時期に来ていると思っているんです。ここはいろいろ議論のあるところで、あんまり乱暴な結論は出せないんですけれども。

少なくとも、今までのアメリカ型の大型消費社会というものと、それによって格差が一時的に広がってもトリクルダウンで下にいる人も救われるという考え方の延長線上には、日本の社会は描けないんじゃないかと思っています。ただ、これはあくまで個人的な意見なので。

そう考えると、やっぱりアメリカのような社会よりは負担をもう少し上げて、全体で傾斜をならす方向に社会を持っていかないといけない。そうなったときに1つのモデルになるのはスウェーデンやフィンランド、デンマークのような北欧型の社会モデルなのかな、とちょっと考えて。それでたぶんそういうツイートをしたんだと思いますけれども。

早田:ありがとうございます。まさに社会システムデザインの1つのモデルですよね。

山口:そうですね。

早田:そう思います。ありがとうございます。