2024.12.24
ビジネスが急速に変化する現代は「OODAサイクル」と親和性が高い 流通卸売業界を取り巻く5つの課題と打開策
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土屋尚史氏(以下、土屋):では、ここからトークセッションにいきたいと思いますけど、僕、常時ハッシュタグを見てますので、聞きたいことがあればその都度言ってください。直近も「グッドパッチさんめっちゃかっこいいな」というのに速攻ファボしました。ということでいきたいと思います。
僕ら1983年、84年の生まれで、完全に同世代で。いま働いている会社もクックパッドとグッドパッチって、だいたい語呂が似ていて、SNSとかでカタカナが並ぶとよくわからなくなる感じなんですけども。まず(会場にいらしている参加者が)学生さんが多いということなので、どんな学生時代を送っていたのかからお話したいと思います。成田さんの出身はどこでしたっけ?
成田一生氏(以下、成田):出身は愛知県ですね。
土屋:愛知県。愛知県で、大学が?
成田:大学は名古屋大学なんですけど。僕は豊田高専という工業高等専門学校に入りました。僕は高校に行く代わりに高専に入って、5年間情報工学を学んで。大学3年次編というんですけど、名古屋大学3年生に編入して。そこでも大学院でも情報をやって、そのまま就職をするという。土屋さんに比べると普通に勉強やってきて、普通に就職をしています。
土屋:高専に行くというのを、中学卒業のときに決めないといけないわけじゃないですか?
成田:そうですね。
土屋:高専に進むというのは、どういう感じだったんですか? どういう選択だったんですか?
成田:けっこう変な目で周りから見られましたね(笑)。僕は小学校のときから、けっこうパソコンやっていて。
土屋:小学校からパソコンやってたんですか? 僕ら世代で小学校からパソコンやってるってなかなかいないですけど。
成田:かなりいないです。今みたいなパソコンじゃないです。
土屋:ですよね。Windowsの前ですよね?
成田:Windowsがないんで、うちにあったのは一番古いやつはカセットテープで、こう読み込むみたいなやつ。
土屋:カセットテープ? マジすか?
成田:そうです。うちは実家が建築やってるので、当時はめちゃくちゃ高かったらしいんですけど、構造計算したりするのに昔からいわゆる家庭用のコンピューターが。
土屋:すごいでしょ。
成田:それを親が使っているのを背中で見ていたので、それの影響を受けて、プログラミングを家でやってました。
土屋:えっ? プログラミング? 小学校ですか?
成田:小学校のときも、やったというのもおこがましいぐらいですけど。参考資料見ながらポチポチ打ち込むみたいなのは、やってましたね。
土屋:マジですか?
成田:親がゲーム買ってくれなかったんで、意地でも自分で作ってやろうと思って、すごくしょぼい字がチコチコ動くだけのゲームみたいなやつを「これじゃねぇんだよな、作りたいのは」と思いながら(笑)。
土屋:わりと生粋のエンジニアになっていくようなキャリアというか、最初からそういう感じですね。
成田:そうなんですよ。だから僕は将来パソコンポチポチやって、プログラミングを書いて生きていくことしか、キャリアイメージがなかった。
土屋:最初から。それはけっこう稀ですね。
成田:迷ってないんですね。そうなるもんだとずっと信じて疑わずに生きてきたので。だから大学に入ると、けっこうみんな将来迷っているんですよ。いい大人で、20歳超えているのに「自分はあんまりプログラミングとか好きじゃないかもしれない」って情報工学の学生が言ってて「今言っているの、そういうこと?」って。僕はもう10年くらいやってきているから。
土屋:え〜、それけっこう稀。これはあんまり参考にならない。
成田:確かに(笑)。
土屋:その時点でずっと将来はコード書き続けるのは、もう疑いもしなかった感じですか?
成田:疑いもしなかったですね。ただ予想外だったのは、僕の社会人というかエンジニア人生、意外と短かったなって最近思っていることで。
土屋:社会人になってからか。
成田:マネージャーとか経営やっている時間のほうが長くて。
土屋:もう常に。
成田:そうです。コード書く手を止めてから長いですね。
土屋:なるほど。
成田:ちょっと辛い気持ちなんですけど。
土屋:でも子どもの頃から書いてますしね。
成田:書いてますしね。だからセミだと思っているんです、僕。セミって幼虫の時代が長くて。1週間しか外で生きられないじゃないですか。
土屋:死んでいるの?
成田:(笑)。エンジニアの時期、僕短かったなと思って。
土屋:なるほどね。ちなみに僕は学生時代が短くて、大学は中退をしていまして。短くはないか。僕は関西の関西大学という大学に18歳で入ったんですけども。
1年生の第2言語の中国語。みなさんやると思いますけど、テスト勉強めちゃくちゃがんばったんです。前期の必修のチャイ語ですね。めちゃくちゃがんばって夜通しがんばって、パっと起きたら、テストが終わった時間だったんです。
(会場笑)
1年の前期で必須のチャイ語を落とす事態になりまして。その結果、2年生から大学に行かなくなるという(笑)。
成田:それで留年が確定しちゃうんですか?
土屋:留年というか、2年次も必修を取らなきゃいけない。「だるいな〜」と思ってしまって、行かなくなる状態になりました。その結果バイトにはまりまして、カラオケ屋のバイトリーダーに。
成田:(笑)。
土屋:バイトリーダーから完全に社員になる気満々だったんです。「俺、大学辞めて社員になるわ」とずっと言ってたんですけども。当時21歳だったんですけど、僕の目の前には、カラオケ屋のバイトリーダー、社員、副店長、店長、エリアマネージャーというキャリアパスがきれいに広がっていまして。
なので、カラオケ屋のバイトリーダーになるつもりでいました。それが、21歳のときに実は僕、病気になってしまいまして。わりと有名な病気になりまして、即入院でした。入院生活を余儀なくされるという事態に陥りました。そこで死の危険というか、死に直面して。運良く出てこられたんですけれども、出てきたときに「これ、普通にカラオケ屋の社員になれないな」と。
(会場笑)
土屋:ずっと大学は休学していて。1回戻ろうかなと思って、5年生のときに大学に戻りまして。そのときにたまたま受けた授業で「ベンチャー企業論」という授業がありまして、孫(正義)さんとか三木谷(浩史)さんとかホリエモンたちの起業家のケーススタディを学ぶ授業でございまして。
実は孫さんも26歳の時に生死にかかわるような病気をしていたりだとか。三木谷さんも、もともと銀行マンなんですけども、その後ハーバードのMBAに行って、普通だったらマッキンゼーとかゴールドマンサックスみたいなところに行く人ですけども。
なぜ起業したかというと、三木谷さんは神戸出身で95年に阪神大震災があってですね。それで親戚のおじさんが何かが亡くなってしまって、それがきっかけで「自分は明日死んだとしても後悔しない人生を送りたい」というのが、三木谷さんの起業家になるきっかけだったんですね。
なので、僕もその授業を受けたときに、自分自身も長く生きられるかどうかわからない病気だったので、自分が生きてる間にちゃんと世の中に生きてきた爪痕を残したいと思って。起業家になろうと22歳のときに決めた、というのが学生時代の話でした。
なので僕も、学生時代にキャリアはある程度先を見てて。30までには起業家になると決めたのは、そういう感じでしたね。大学はそのあと卒業まで3年かかると言われて、中退したんですけども(笑)。
土屋:じゃあ次、キャリアの選択肢として、エンジニアの道とデザインの道があると思うんですけれども。成田さん、エンジニアの道は早々に決まっていたじゃないですか。
成田:そうですね。
土屋:名古屋大学で院まで行って、最初の就職先を選ぶのってけっこう考えると思うんですけど、どこを選んだったんでしたっけ?
成田:ヤフーに入りました。2008年の新卒なんですけど、今から11年前。就活してたのは12年前なんですけど、そのときの選択肢があんまりなかった。というのも、僕はインターネット好きだったし、インターネットやSNSの研究とかもしてたんで、Webサービスを自社でやっている会社に就職したかったんですね。
当時そういうところで新卒採用している会社って、本当に数えるくらいしかなくて。その1つがヤフーだったんで、ヤフーに行ったんです。
土屋:なんでですか、それ?
成田:ヤフーは知ってたからという感じですかね(笑)。ソシャゲバブルがその2年後くらいに来るじゃないですか。
土屋:来ますね。だんだん給料とかも上がっていきました?
成田:そう。国内のエンジニア水準を、DeNAさんやグリーさんがガンガン上げていって今にいたるんですけど。それが起こる前なので、世の中的にはぜんぜん普通だったし、めっちゃ安い会社というわけではなかったです。
土屋:僕は就職2006年で、成田さん2008年なんですけど。当時、僕ら世代のエンジニアって、2006年ぐらいはまだけっこうブラックな職業だった時代でして。まず夜帰れない、職場が汚いとかですね。3Kって呼ばれていた時代ですけど。それでもエンジニアにもう決めていましたからね。
成田:そうですね。ヤフーは超いい会社なので、ぜんぜんブラックじゃない。定時に家に帰れる。めちゃくちゃいい会社なので、そこは信頼していいと思います(笑)。
土屋:就職してヤフーに入ったとき、同期ってどれくらいいるんですか? 当時。
成田:同期300人いましたね。
土屋:300人。うちエンジニアどれくらいなんですか?
成田:エンジニアは確か200人くらいだったと思います。
土屋:エンジニア、そんなに多いんですね。
成田:多かったですね。100人が技術職、200人がエンジニアだったかな?
土屋:すごいですね。
成田:ざっくり、それくらいの人数でした。
土屋:最初に配属されたところってどういうところなんですか?
成田:僕はYahoo!メールというサービスのバックエンド側をやっていたんです。そこに配属されました。土屋さんの前でUIとかUXとか言うの恥ずかしいんですけど。もともと学生時代はUIの、いわゆるWeb制作屋さんのバイトをしていたんですね、そこでhtmlとかFlash、Photoshopとかイラレとかやってたんですけど、それがけっこう楽しくて。フロントエンド系の仕事できたらいいですねみたいな。
フロントエンド系の開発がしたいという希望を持ってたんですけど、配属されたのはゴリゴリのバックエンドで。Webのバックエンドでもないんですよ。メール配送のバックエンドなので。htmlの開設じゃないんです。
土屋:使う言語は何なんですか?
成田:使う言語は、PHPとCとRあたりがメインで。いろいろ歴史的に入り乱れてます。超裏方の裏方なんだけど、とにかくサイズがでかいんですよ。メールの量もユーザーの数も、もう信じられないぐらい多くて。1万分の1の確率でしか起こらないバグみたいなものもバンバン起こる。こんなことも起こるの? みたいな。それはくじを引く回数が多いから。
土屋:確かに確かに。
成田:それがめちゃくちゃおもしろくて。超大規模なところで。
土屋:それ、結局おもしろかったんですね。
成田:なんかやってみたらすごいおもしろいなと思って。「フロントエンドより自分はこっちなんじゃないか」、と。そのときに変更した感じですね。
土屋:じゃあ、もともとはフロントやりたかったけど、最初のキャリアでサーバーサイドで。なかでもわりとコアなところですね。
成田:そうですね。裏側で、画面のない。黒い画面のやつなんですけど。
土屋:逆にそれがはまってしまった、という感じなんですね。
成田:そうですね。おもしろかったです。
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