早稲田大学や日本代表でコーチを歴任

中竹竜二氏(以下、中竹):僕の簡単な自己紹介をさせていただくと、マネジメントとコーチングが専門です。

一応ラグビーをやっていたんですけど、もう最近はぜんぜん面影がなくて。選手のほうから「中竹さんってラグビーやっていたんでしたっけ?」と言われたりして。ラグビー素人感が満載なんだけど、一応、学生時代はキャプテンをやっていました。

サラッといきますね。これ『Number』の表紙です。その後、母校に戻って、早稲田大学の監督を4年間やりました。有名な選手でいうと、五郎丸や畠山選手を指導し、そのあとU20の監督になりました。そのあと、日本代表ヘッドコーチの代行を2ヶ月ほどやりました。

実際はコーチだけではなくて、コーチを指導するコーチのコーチもやっています。これはちょっと特殊な仕事なんですけれども、すごく大事なんですね。僕自身、初代のコーチングディレクターという役職で、これがコーチにとって大事なんですよ。なぜかというと、コーチは成長しないといけないから。

この役職をたくさん増やさないといけないなということで、僕はメインにコーチのコーチのコーチをやっている。なにをやっているんだかわからなくなりますが、これは非常に難しい専門的なスキルがいります。役職としてはコーチングディレクターというものですね。

今日こちらで共催させてもらっているスポーツコーチングJapanという団体は、他競技へのコーチ育成も展開しています。例えば、私や今田というコーチディベロッパーは、日本バスケットボール協会のS級・A級・B級、要するにトップの階級のコーチ指導にあたっています。僕はバスケットのことは一切わからないんですけどね。

プロバレーボールのチームも教えていますし、球技とは違うんですけど、100メートルランもあります。

あとオリパラ(オリンピック・パラリンピック)で現場に立つリーダーたちをトレーニングしています。そのオリパラのトップは、自分の競技のところで1万人ぐらいボランティアスタッフを使わなきゃいけない。その人たちがどう自分のリーダーシップやマネジメント力・コーチング力を伸ばして、最終的に成功させるか。ここへの支援を行っています。

そういうことをやるのがスポーツコーチングJapanなので、みなさんもコーチングを始めようというところがあれば、ぜひお声がけください。

「どうやったら人が育つか」をテーマに10年以上取り組む

スポーツでいうと、構造的に当然Playerがいますよね。Playerを教えるのがCoachです。Coachを教えるのを、コーチディベロッパーと学術的にはいいます。Coachを教える。ラグビー界では、コーチをコーチするのがEducatorで、コーチのコーチのコーチがTrainer。これは国際ライセンス制度です。

僕自身はこの国際ライセンスを持っていて、ほかの国に行ってCoachやEducatorを教えないといけない。そういうミッションがあります。僕はアジアであったり、太平洋のアイランド系が管轄になるので、そこで海外のコーチを教えることが仕事となっています。

今聞いてわかるように、もちろん経営でも同じですよ。そんなに規模は大きくないですけれども、僕自身で会社を経営したり、当然社外の活動もします。あと 政令都市のアドバイザーなんかもしていますが、やっていることはほとんど同じです。要するに「どうやったら人が育つか?」「どうチームをマネジメントできるか?」ということを10年以上やっています。

早稲田大学のラグビー部史で、補欠の主将は中竹氏だけ

(スライドを指して)ラグビーの話に戻すと、これが僕のラグビー経歴になります。僕のラグビー歴、どうですか?

参加者8:いや、もうトップレベルのもので。

中竹:無理やり言わせた感じですみません(笑)。

参加者8:いえいえ。

中竹:これだけ見ると、けっこうすごいじゃないですか。僕の本来の経歴としては、早稲田ラグビー部のキャプテンをやったんですけど、下手くそだったんですね。3年まで補欠ですよ。早稲田の歴史は100年ぐらいあるのですが、補欠でキャプテンになったのは僕だけです。

中竹:その頃160人ぐらい部員がいたので、2〜3軍で1軍になれないとかじゃないです。9軍とか10軍ぐらいまであった。僕は浪人もしていますし、推薦とかはもらえなかったので、普通の学生で入って、2軍とか3軍でうろちょろしている時に、4年目でいきなりキャプテンになったんですね。そのとき、一応最後に試合に出たんですが、決勝戦で敗れて優勝できませんでした。

清宮監督の鶴の一声で、最年少監督に就任

ラグビーはうまくなかったので、その後、まったく関係ない道で英国留学し、文化人類学をロンドンで学び、最後にレスター大学で社会学を学んだ。それで帰国して何をやっていたかというと、三菱総研でまったくラグビーと関係ない仕事を普通にやっていたんですね。

そしたら突然ですよ。コーチ経験なしで母校の監督に……まぁ今の経歴ではコーチ経験なんてないじゃないですか。一切教えたことはない。そもそも最終的にラグビーを途中で嫌いになっちゃったから、10年ぐらい離れていたんですけど、前任者の清宮(克幸)という監督が「おまえやれ」と。僕は32歳だったので、圧倒的な最年少ですよ。しかもコーチ経験なし、プレイヤー経験ほぼなしで、監督になりました。

そうして4年やったら、選手たちがむちゃくちゃがんばってくれて、優勝したんですね。それで日本協会に呼ばれて、代表経験はなかったんですけど、ヘッドコーチをやったりして。

あと一番大きな仕事はコーチングディレクターですね。僕、36歳で初代コーチングディレクターだったので、僕が教える相手は、指導歴20〜30年のベテランですよ。日本の重鎮たちを教えることになりました。これも経験がなかったんですね。

選手と相談しながらプランを練っていた

中竹:なにが言いたいかというと、経験概要として、能力なくトップになってきたということが書いてあるんです。じゃあ、なんでそれでやれたかというと、僕自身は能力が低くてもリーダーをやることは可能だと思うし、実はここにコーチングのエッセンスがあると思っています。現役の時からそうです。

僕は一介の選手、キャプテンですので、「これやれ」「お前らやれ」と言ったことはないんですね。基本的に問いかけからです。監督の時も、ほぼ選手に考えてもらいます。なぜかというと、自分で教えられないからです。圧倒的に選手のほうがわかっているわけですね。

たまたまその頃、前任の清宮監督から教えてもらった良い選手たちがいたので、彼らに聞きながらやりました。「俺の作ったプランがちょっとショボそうなんだけど、どう?」「ショボいっすね」みたいな。「どうしたらいいと思う?」「これをこうしたほうがいいですよ」というのを選手みんなで考えてもらいました。一軍の人間たちがすごくがんばってくれた。そういう経緯があったんですね。

そういう意味では、自分が専門性と力をもってグイグイ引っ張ったというよりは、基本的に学生の時から能力がなかったので、能力のある人の力を引き出す。だから成果を挙げられると。

コーチングディレクターは日本では初で、誰もノウハウを持っていなかったので、僕と同じポジションの海外の重鎮たちに会いに行って。僕が一番若くて、英語もそんなにできないから、かわいがってくれた。そうして、いろいろなところに連れていってもらって、引き出して学んだというだけの話です。