巷で「落合陽一現象」が起きている?

谷本有香氏(以下、谷本):さて、みなさま、このセッションをとても楽しみにされていらっしゃったかと思いますが、これより「デジタル・ディスラプションが巻き起こす働き方変革と日本再興」と題しまして、落合陽一さんにお話をお伺いしていきたいと思います。本題に入る前に、ぜひ落合さんにお伺いしたいのは、今、巷では「落合陽一現象」なるものが起こっていると私は思っていて。

落合陽一氏(以下、落合):本当に?

谷本:本当に。

落合:ありがとうございます。

谷本:それはどういうことかというと、私、最近、介護職のシニアの女性と美容職のシニア女性とそれぞれ別の機会にお話をしていたんですよね。その時に「落合陽一さんってね、なんかすごい人がいる」と。「なに言ってるか全然わからないんだけど、すごい面白くて気になるの。ぜひ落合さんが登壇する機会があったら行ってみたい」みたいなことをおっしゃっていて。

落合:ありがとうございます。

谷本:これって、なんか株バブルの前夜を彷彿させるな、と思ったんです。まさに靴磨きの少年が株式市場のことを目を輝かせて熱心に話している、みたいな感じがしていて。つまり、一定の知識層とかエリート層のような落合さんのことを話題に上げそうな方たちから、いわゆるそうではない層にまで、落合さんというものがトリクルダウンしてきていると。

落合:確かにそうですね。

谷本:これって、ご自身でどういうふうにご理解されていて、そのトリクルダウンされたものって、どういったこと、形で、現象化していくと思っていらっしゃいますか?

テクノロジーで社会福祉をより良くしていく

落合:僕、メディアアートと大学の教員と会社の経営などをやっているので、一般の方が僕の本を読んでも、100パーセントは理解できないんですよ。僕はあまりメディアコントロールをしないので、「誤解したなら誤解したなりでいいかな」って思ってるのがたぶんコツです。みんなが見たいように見ていただいているような気がします。

ただ、介護の人とかは最近、介護雑誌で連載を始めたのでご存じの方もいらっしゃるようなんですよね。介護にテクノロジーを入れていくのは、うちのラボのプロジェクトでけっこうやっていて。

問題なのは、やっぱり「テクノロジーを使って介護などが良くなること自体が、実は社会保障の一部なのである」という考え方を(どうやって)ご高齢の方に持っていただくか。我々の社会って、有権者の半分以上が65歳以上になってしまったら、イノベーション関連予算に対してお金をつけるって言ってる議員は、当選しなくなるんですよね。

そうなってくる前の10年間が勝負だと僕は思っています。平成も終わりますし、その10年でどのぐらいやれるかというところが、JST(科学技術振興機構)的には、文部科学省的には、そして国立大学の教員的にはミッションなんですけれども。そこは取り組みをやっていますね。

谷本:なるほど。でも、どんな業界の人たちにおいても、おそらく今のままでは成り行かなくなっていると感じているはずで、そんな中で、なんらかのソリューションがあるとするならば、そのヒントや鍵なるものを、落合さんの難解な言葉の中に見出しているのかもしれませんね。

落合:あとは現場にいることが非常に多いので。うちの会社は、イノベーション開発をやっています。それはワークショップとかをやるんじゃなくて、たぶんみなさんがよく知っているような大企業さん何十社と一緒に、実際に製品開発をやっています。

そうやって事業をやっているときに、「実際にAIとかどうやって突っ込んだらいいの?」とか。逆にいうと、大学発の知財がどうやって社会還元されていくのかというようなところに関しては、非常に俯瞰的にものが見えてると思っています。それがゆえに、今の我々が抱えている課題については、年甲斐なく非常によく知っているような気がします。

生産性が低い組織と高い組織の違い

谷本:そうですよね。さぁ、では本題に入っていきましょう。本日は落合さんに、生産労働人口が減少してゆくなかで、テクノロジーが日本再興の足がかりになっていくとするならば、その先に見えてくるビジネスの未来像とはどういったものなのか?

また、そういった時代において、例えばロボットと人間が協働していくときに、人間や組織はどう変わっていくべきなのか? というようなお話を伺っていきたいと思っています。

今回、4つの大きな質問をご用意しておりまして、さっそく1枚目のスライドを出していただきます。日本は生産性が低いと言われており、OECDの先進国の中でもかなり低いと指摘されています。

安倍総理も「生産性を上げなければいけない」とおっしゃっていますけれども、そもそも、なぜここまで日本の生産性が低いのか。落合さんはどんなふうに分析されていらっしゃいますか?

落合:逆にいうと、生産性が高い組織ってどうやってお金を作っているかを考えるというアプローチの仕方もあると思います。この生産性というのは、たぶん1人あたりGDPの話だと思うんですけど。

先週までGoogleに行っていたんです。GoogleがGround Talent Campという、毎年世界中からサイエンティストを集めるキャンプをやっていて、ディスカッションテーブルに普通にラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンなどが座っているのでおもしろいんです。

(僕も)いつも行くんですが、そこで話してると、やっぱり多様なバックグラウンドをいっぱい持っている人たちの集まりというのは、議題にフォーカスするじゃないですか。対象の問題点にフォーカスして話す。しかも、ゴールが一致しているから、そこにジョインしているわけで、ゴールが一致していない人たちはジョインしないんですよね。

そこと根本的に我々のワークスタイルが異なっているのは、まずバックグラウンドが多様ではないこと。つまり、我々はたぶん共通の小・中・高・大学体験をしている。例えば、日本で非常に優秀な人材が集まるとされるコンサルティングファームだとか、投資銀行だとか、もしくは官僚機構は、おそらくはたぶん大学経験としてはほぼ同じような人材が揃ってくるわけですよ。

もちろん近頃では、海外の学位を取って日本で働いている方も増えていますけれども。でも、その方にとってはたぶん海外でそのまま働いていてもよかったと思うので、非常に稀でレアケースであると。

日本の生産性を向上させるカギは教育にある

落合:そうなってきたときに、我々は共通のバックグラウンドを持っている状態で議論すると、少なくも、それは政治的になってしまうということはあると思っていて。どういう意味かというと、お互いにしゃべるワードや、次の評価的な関係性(みたいなことに目が行ってしまう)。

つまり、「自分はどういう成果を出せば、ここで評価されるんだろうか?」みたいなこと。それは本質的なゴールではないじゃないですか? 

いいプロダクトを作ったり、対象の問題を解決することが本質的な問題なのにもかかわらず、そこに対してちゃんとアプローチできていないことが1点。

でも、それは人材の問題で、おそらく教育によってなんとかなるのかなと思っています。けっこうドラスティックな教育が必要ですけどね。そんなことができるのか知らないですけど、例えば、高校のとき3年ぐらい日本にいないとかね。ただ、そういった(人材の)問題がもちろんあると。

あと1点は、我々はモノづくりの時間が長かったので、富を生み出す仕組みとして、対象のプロダクトを相手に売るというスタイルがやっぱり身に染みついてしまっていて。「経済価値があるであろうもの、商材をソフトウェアで作り出す」という考え方に基づいて動いていないことだと思います。

それはどういう意味かというと、例えば、仮想通貨の規制とかも厳しくなってきてしまったんですけれども、対象のものに価値があるかどうかを人が判定して、それ(価値)が算定されている分には、それは生産であるわけですよ。必ずしもハードウェアである必要はないし、サービスである必要もないし、人が価値だと思ったものが生み出されることが生産性なので。

我々はたぶん、「カタチないものはすべてフェイクである」とか、そういったものの価値づくりをなんだか胡散くさく感じてしまうところがある。それは、おそらくは教育によって成り立っていて。

それ(カタチあるものにこだわること)は、非常に生産性が悪い。だって、ハードウェアを動かすのは、いくら経っても限界費用は発生するわけですし、そうではなくて価値が作れるようなものがある状態がまさしく理想なんですけれども、その点では非常に弱いなと思うわけです。

生産性を上げるには「価値の定義」を見直すべき

落合:そういった面でいうと、“我々の国民性”という意味で、例えばベンチャー企業をやって、ファンドレイズして、エクイティ型のマネジメントでお金を稼ぐというようなワークスタイルにどれだけ人が馴染んでいるかといったら、あんまり馴染んでいない。給与所得のことを考えて人が生きているかぎりは、たぶんこのGDPが下がっている状態は上げることができない。

つまり、人が価値だと思ったものが価値であり、その価値をどうやって定義してきたのかを考えれば、エクイティベースに変わったほうが絶対お金は儲かるんだけど、そうじゃないスタイルになっていることが問題の1つだと思いますね。

もちろん「解雇規制」や、この「『時間』と『質』」「組織の在り方」みたいなものもそうだし。逆にいうと、この「組織の在り方」というところが多様性の問題なので、これは「時間」と「質」というよりは、ビジネスモデルの質だと思いますけどね。

谷本:今回、おそらく様々な業界の方々にお越しいただいていると思うんですが、その労働生産性の分子になるところの価値の定義ってすごく難しいじゃないですか。業界によって違うかもしれないし、まさに時代によって変わっていくところでもある。その「アウトプット」する「価値」に対する定義づくりをするならば、どんな風に考えればよいでしょうか?

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