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デジタル・ディスラプションが巻き起こす、働き方変革と日本再興(全2記事)

2018.07.26

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付加価値は自ら定義しないと創れない 落合陽一氏が語る、人口減少社会の勝ち筋

提供:株式会社セグメント

2018年7月4日、「RPA DIGITAL WORLD 2018」(RPA総合プラットフォームメディア「RPA BANK」主催)が開催されました。生産性労働人口が減少する現代、RPAを軸としたさまざまな業務改革や経営改革への取り組みが行われています。働き方改革などビジネスを取り巻く環境の急激な変化に直面する中で、各種最新テクノロジーを共有し、さまざまな課題を克服していく契機となることを目指したイベントです。本セッションでは、メディアアーティストの落合陽一氏とForbes Japan副編集長の谷本有香氏が登壇。人口減少社会における生産性の向上や価値の定義について語りました。

巷で「落合陽一現象」が起きている?

谷本有香氏(以下、谷本):さて、みなさま、このセッションをとても楽しみにされていらっしゃったかと思いますが、これより「デジタル・ディスラプションが巻き起こす働き方変革と日本再興」と題しまして、落合陽一さんにお話をお伺いしていきたいと思います。本題に入る前に、ぜひ落合さんにお伺いしたいのは、今、巷では「落合陽一現象」なるものが起こっていると私は思っていて。

落合陽一氏(以下、落合):本当に?

谷本:本当に。

落合:ありがとうございます。

谷本:それはどういうことかというと、私、最近、介護職のシニアの女性と美容職のシニア女性とそれぞれ別の機会にお話をしていたんですよね。その時に「落合陽一さんってね、なんかすごい人がいる」と。「なに言ってるか全然わからないんだけど、すごい面白くて気になるの。ぜひ落合さんが登壇する機会があったら行ってみたい」みたいなことをおっしゃっていて。

落合:ありがとうございます。

谷本:これって、なんか株バブルの前夜を彷彿させるな、と思ったんです。まさに靴磨きの少年が株式市場のことを目を輝かせて熱心に話している、みたいな感じがしていて。つまり、一定の知識層とかエリート層のような落合さんのことを話題に上げそうな方たちから、いわゆるそうではない層にまで、落合さんというものがトリクルダウンしてきていると。

落合:確かにそうですね。

谷本:これって、ご自身でどういうふうにご理解されていて、そのトリクルダウンされたものって、どういったこと、形で、現象化していくと思っていらっしゃいますか?

テクノロジーで社会福祉をより良くしていく

落合:僕、メディアアートと大学の教員と会社の経営などをやっているので、一般の方が僕の本を読んでも、100パーセントは理解できないんですよ。僕はあまりメディアコントロールをしないので、「誤解したなら誤解したなりでいいかな」って思ってるのがたぶんコツです。みんなが見たいように見ていただいているような気がします。

ただ、介護の人とかは最近、介護雑誌で連載を始めたのでご存じの方もいらっしゃるようなんですよね。介護にテクノロジーを入れていくのは、うちのラボのプロジェクトでけっこうやっていて。

問題なのは、やっぱり「テクノロジーを使って介護などが良くなること自体が、実は社会保障の一部なのである」という考え方を(どうやって)ご高齢の方に持っていただくか。我々の社会って、有権者の半分以上が65歳以上になってしまったら、イノベーション関連予算に対してお金をつけるって言ってる議員は、当選しなくなるんですよね。

そうなってくる前の10年間が勝負だと僕は思っています。平成も終わりますし、その10年でどのぐらいやれるかというところが、JST(科学技術振興機構)的には、文部科学省的には、そして国立大学の教員的にはミッションなんですけれども。そこは取り組みをやっていますね。

谷本:なるほど。でも、どんな業界の人たちにおいても、おそらく今のままでは成り行かなくなっていると感じているはずで、そんな中で、なんらかのソリューションがあるとするならば、そのヒントや鍵なるものを、落合さんの難解な言葉の中に見出しているのかもしれませんね。

落合:あとは現場にいることが非常に多いので。うちの会社は、イノベーション開発をやっています。それはワークショップとかをやるんじゃなくて、たぶんみなさんがよく知っているような大企業さん何十社と一緒に、実際に製品開発をやっています。

そうやって事業をやっているときに、「実際にAIとかどうやって突っ込んだらいいの?」とか。逆にいうと、大学発の知財がどうやって社会還元されていくのかというようなところに関しては、非常に俯瞰的にものが見えてると思っています。それがゆえに、今の我々が抱えている課題については、年甲斐なく非常によく知っているような気がします。

生産性が低い組織と高い組織の違い

谷本:そうですよね。さぁ、では本題に入っていきましょう。本日は落合さんに、生産労働人口が減少してゆくなかで、テクノロジーが日本再興の足がかりになっていくとするならば、その先に見えてくるビジネスの未来像とはどういったものなのか?

また、そういった時代において、例えばロボットと人間が協働していくときに、人間や組織はどう変わっていくべきなのか? というようなお話を伺っていきたいと思っています。

今回、4つの大きな質問をご用意しておりまして、さっそく1枚目のスライドを出していただきます。日本は生産性が低いと言われており、OECDの先進国の中でもかなり低いと指摘されています。

安倍総理も「生産性を上げなければいけない」とおっしゃっていますけれども、そもそも、なぜここまで日本の生産性が低いのか。落合さんはどんなふうに分析されていらっしゃいますか?

落合:逆にいうと、生産性が高い組織ってどうやってお金を作っているかを考えるというアプローチの仕方もあると思います。この生産性というのは、たぶん1人あたりGDPの話だと思うんですけど。

先週までGoogleに行っていたんです。GoogleがGround Talent Campという、毎年世界中からサイエンティストを集めるキャンプをやっていて、ディスカッションテーブルに普通にラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンなどが座っているのでおもしろいんです。

(僕も)いつも行くんですが、そこで話してると、やっぱり多様なバックグラウンドをいっぱい持っている人たちの集まりというのは、議題にフォーカスするじゃないですか。対象の問題点にフォーカスして話す。しかも、ゴールが一致しているから、そこにジョインしているわけで、ゴールが一致していない人たちはジョインしないんですよね。

そこと根本的に我々のワークスタイルが異なっているのは、まずバックグラウンドが多様ではないこと。つまり、我々はたぶん共通の小・中・高・大学体験をしている。例えば、日本で非常に優秀な人材が集まるとされるコンサルティングファームだとか、投資銀行だとか、もしくは官僚機構は、おそらくはたぶん大学経験としてはほぼ同じような人材が揃ってくるわけですよ。

もちろん近頃では、海外の学位を取って日本で働いている方も増えていますけれども。でも、その方にとってはたぶん海外でそのまま働いていてもよかったと思うので、非常に稀でレアケースであると。

日本の生産性を向上させるカギは教育にある

落合:そうなってきたときに、我々は共通のバックグラウンドを持っている状態で議論すると、少なくも、それは政治的になってしまうということはあると思っていて。どういう意味かというと、お互いにしゃべるワードや、次の評価的な関係性(みたいなことに目が行ってしまう)。

つまり、「自分はどういう成果を出せば、ここで評価されるんだろうか?」みたいなこと。それは本質的なゴールではないじゃないですか? 

いいプロダクトを作ったり、対象の問題を解決することが本質的な問題なのにもかかわらず、そこに対してちゃんとアプローチできていないことが1点。

でも、それは人材の問題で、おそらく教育によってなんとかなるのかなと思っています。けっこうドラスティックな教育が必要ですけどね。そんなことができるのか知らないですけど、例えば、高校のとき3年ぐらい日本にいないとかね。ただ、そういった(人材の)問題がもちろんあると。

あと1点は、我々はモノづくりの時間が長かったので、富を生み出す仕組みとして、対象のプロダクトを相手に売るというスタイルがやっぱり身に染みついてしまっていて。「経済価値があるであろうもの、商材をソフトウェアで作り出す」という考え方に基づいて動いていないことだと思います。

それはどういう意味かというと、例えば、仮想通貨の規制とかも厳しくなってきてしまったんですけれども、対象のものに価値があるかどうかを人が判定して、それ(価値)が算定されている分には、それは生産であるわけですよ。必ずしもハードウェアである必要はないし、サービスである必要もないし、人が価値だと思ったものが生み出されることが生産性なので。

我々はたぶん、「カタチないものはすべてフェイクである」とか、そういったものの価値づくりをなんだか胡散くさく感じてしまうところがある。それは、おそらくは教育によって成り立っていて。

それ(カタチあるものにこだわること)は、非常に生産性が悪い。だって、ハードウェアを動かすのは、いくら経っても限界費用は発生するわけですし、そうではなくて価値が作れるようなものがある状態がまさしく理想なんですけれども、その点では非常に弱いなと思うわけです。

生産性を上げるには「価値の定義」を見直すべき

落合:そういった面でいうと、“我々の国民性”という意味で、例えばベンチャー企業をやって、ファンドレイズして、エクイティ型のマネジメントでお金を稼ぐというようなワークスタイルにどれだけ人が馴染んでいるかといったら、あんまり馴染んでいない。給与所得のことを考えて人が生きているかぎりは、たぶんこのGDPが下がっている状態は上げることができない。

つまり、人が価値だと思ったものが価値であり、その価値をどうやって定義してきたのかを考えれば、エクイティベースに変わったほうが絶対お金は儲かるんだけど、そうじゃないスタイルになっていることが問題の1つだと思いますね。

もちろん「解雇規制」や、この「『時間』と『質』」「組織の在り方」みたいなものもそうだし。逆にいうと、この「組織の在り方」というところが多様性の問題なので、これは「時間」と「質」というよりは、ビジネスモデルの質だと思いますけどね。

谷本:今回、おそらく様々な業界の方々にお越しいただいていると思うんですが、その労働生産性の分子になるところの価値の定義ってすごく難しいじゃないですか。業界によって違うかもしれないし、まさに時代によって変わっていくところでもある。その「アウトプット」する「価値」に対する定義づくりをするならば、どんな風に考えればよいでしょうか?

落合:例えば、コーポレートベンチャーキャピタルを立ち上げるって流行っているじゃないですか。それでイグジットさせて回収するという投資スキームにしても、日本はまだまだ弱いですし。弱いというのは、これは伸び盛り(ということ)だから、僕はいいと思ってるんですけど。

逆にいうと、そういったところで価値づけされたものがなんなのかを考えたときに、それは成長性であって、物質的な製品が出てきているかどうかではないじゃないですか? その考え方があんまり馴染んでないのかなというところがちょっとあると。

でも、そういう調達の仕方や、価値づくりの仕方をしていかないかぎりは、我々の社会は、もう1回ハードとソフトを混ぜこぜにした革新的なプロダクトを出していくにはあまりに資金がない。その調達をどうやって考えるかは1つ考えないといけないわけですし。

付加価値は自ら定義することで作り出すもの

落合:あと、我々の社会は生産労働人口が減っているので、僕が今現場でやっているところだと、例えば建築現場とかだったら、このままいくと、あと10年したら平均年齢ってたぶん60代とかになってしまうわけですよね。そうなったときに新しい建物が建つかといったら、建たなくなってくるわけじゃないですか。

「じゃあオートメーションをどれだけ入れるの?」という話になったときに、オートメーションを入れて解決していくべき(だということ)は、全員がわかっていると。でも、そのオートメーションをやっていくべきソフトウェア開発を、今まで通りのハードの品(質保)証に従ったルーチンで考えていくと、たぶんプロダクトが出てくる前に、ソフト設計が間違った状態になってしまう。

どっちかというとソフトウェアは、おそらくは使い方を直していったり、複数のプロジェクトを同時に走らせたりしないといけないんだけど、そういうワークスタイルになっていないところはあると思いますね。

谷本:ありがとうございます。では、次の質問に移っていきたいのですが、実際にテクノロジーなどを入れて、生産性を上げていかなければいけないということはわかりましたと。そういったときに、生産性の分母部分へのアプローチ、つまり、どれだけインプットを削減できるかというようなことが語られ難いですが、それが企業や個人の本義じゃないですよね。

おそらく本義というのは、クリエイティビティを生み出すとか、付加価値をどれだけ創り出せるかということだと思うんですけど、その部分はなかなか語られない。ここに答えを見出せないからなのでは?

落合:「答えがないか」と言われればそんなことはないとは思うんですが、自分の側に(付加価値の)定義がないと、おそらく付加価値って作れなくて。

それをもうちょっと詳しくいうと、定義とはなにかといったら、たぶん日本がナンバーワンだった時代は、我々が定義をすることによって付加価値を作れたわけですけど、我々は今、輸入した定義に基づいて付加価値を作ろうとしている。それは本質的には、胴元じゃないから損をしているわけですよね。

日本はデジタル植民地になっている

落合:これは一見すると、みんなあんまり意識しないと思うんですけど。僕はたまに本に書くんだけど、例えば僕らがApple Storeで買い物したり、Androidを使ってお金がかかったり使ったりするかぎり、それは手数料が抜かれているわけです。我々の世界は、もはやデジタル植民地になっているわけですよ。

つまり、カリフォルニアイデオロギーの2つのでかい帝国があって、そこはなにもしなくても限界費用0でお金が儲かる仕組みができていて、我々がそれを使い続けているところは実は大いなる矛盾です。

それに早めに気がついたのが中国で、グレートファイアウォールを敷いた。あの頃、我々のインターネットでは馬鹿にしてたじゃないですか。「あそこはグレートファイアウォールで(隔離したりして)、マジでIT後進国だ。本当によくない」とか言ってたんですが。でも、そのブロックは正しくてですね。

要は、我々は国内でプラットフォーマーと同業種のサービスを提供できるかといったら、おそらく提供できるはずなんですよね、今。例えば、類似の動画サービスがたくさん立ち上がっていますと。SHOWROOMがあったり、ニコ動があったり、まぁいろんなものがあると。ニコ動は昔からあるけどね。

でも、そういうものがYouTubeに比べてサービスが劣っているかと言われたら、おそらく劣っていないわけですよね。

はたまた、世界各国でUberを苦戦を強いられているときに、それがなぜかといったら、Uberが今提供しているサービスそれ自体には、技術的優位性がないからですよね。

同様のコミュニティサービスをほかの第2、第3のタクシー型コミュニティサービスが行えば、その差分はおそらく、別にUberにお金を払わなくてもコスト低下をもたらすことができるわけですよ。

じゃあ民泊開放によってAirbnbを使うかといったら、Airbnbを使う理由はないわけですよね。それは窓口としてAirbnbを使うという安心感をユーザーに持たせているかもしれないけれど、空港から降りるにあたって、そこで(Airbnbがスマホに)インストールされればいいわけですよね。そういった施策にどうやって勝てるか、というのが1つキーワードなので。

技術的優位性がないプラットフォームを使い続ける矛盾

落合:つまり、我々は、プラットフォームと同様な価値を享受できるものがあるにもかかわらず、なぜか外国の製品を使ってしまうんですよね。これはなんか矛盾しているなとはちょっと思っていて。

別に今から「一太郎」を作れと言っているわけではないのですが、技術的優位性がないプラットフォームをわざわざ使い続ける理由はとくにないので、それは適材適所で考えていかないといけない状態にはなっていると。

そういったときに、我々が付加価値づくりをするための適切なサイズのチーム(はどういうものか)。例えば「0→1が得意な人間」とか(パネルに)書いてますけど、0→1が得意なのは、別に人間というよりは、シーズを生み出せるような教育を受けた人間だと思うんです。

例えば、テクニカルシーズを生み出す研究者とか。例えば、ビジネスモデルやスキームを生み出すようなコンサル出身の方とかだったら、そういうもの(0→1を生み出すこと)に長けているかもしれない。

そういった人材が今社会にいないかといったら、いることはいるんですよね。でもそれが、社会制度なのか、リスクを取らない習慣なのか……。例えば大学教員になって、起業するっていったら、「せっかくテニュア取ったのに大学辞めるの?」みたいな話をするわけじゃないですか。

そういうメンタリティって、どうして作られちゃうんだろうなと思って。それをなるべく変えていこうと思って、まったく効率的ではないですが、そういうことを伝えたくて僕は本はよく書いています。

谷本:なるほど(笑)。まさにこういった時代、もしくはこれからの時代に必要な人間に求められる素養を考えてみたいのですが。

例えば落合さんの場合って、問題点や課題を見つけるというアーティスティックな視点と、そのあとに解決策を見つけ出せるという科学者的な視点があって、さらにそれを実装できるという実業家の視点もある。その3つの視点がちゃんと備えられてるから、いわゆる付加価値を生み出していらっしゃると思うんですよね。

でも、おそらく多くの方たちはそうではないであろうと。そういうときに、人々は、それぞれどういった素養、スキルセットを身につけるべきなのでしょうか。 

自ら付加価値の定義や問題提起をする

落合:アートというのは価値づくりの根本みたいなもので。

油絵を描いて、数百万で売れたときに、「原価はいくらですか?」って言ったら安いわけじゃないですか。労働時間はどのくらいですかって。人によっては労働時間がすごく短いわけですよね。

そういったものを考えるときに、「なにが価値で、なにが美なのか?」というような定義から考えていくことはもちろん大切なことであって。その定義が自分の内側、自分たちの国の内側にないかぎりは、おそらくは猿真似しか出てこないわけですよね。

戦国時代のことを考えてみましょうと。千宗易(千利休)とかはむちゃくちゃなことをしているわけですよ。勝手に「わび茶がいい」ということを戦国大名にインストールしまくって。

谷本:そうですよね(笑)。

落合:それによって、勝手に高いものができるんです。原価は安いですよ。もちろん、なかなかできない形みたいなものを出すには、何回も試行錯誤が必要だけど、価値基準自体を見直して作ってしまうようなことが、昔の乱世にはよくあったわけですよね。

そういうことを考えると、アーティストの持っているアート的な価値観は、一般人が考えるというか、我々が学校教育で受けてきた「アーティスティックなものはクリエイティブなものなのだ」というよりは遥かに戦略的であるということが1点と。

あと研究者って基本的には、僕はサーベイ能力がベースになっていると思っている。今この世の中にどういう問題があって、誰がどう取り組んでいて、それでその時代性のある解決というのはなんなのかをいろんな人がやっていて。たまに運良くイノベーションが起こって、それが評価されることが非常に多いんですが。

我々の国は、そういうことを俯瞰してみるような教育スタイルにはなっていないというか、Ph.D.の人が評価されない社会は僕はあんまり正しくないと思っていて。我々の今持っている文脈の中で、対象のなにが問題かを定義するのはもちろん重要なことだし。

そういう付加価値(の定義)や問題提起を自分で行えるようにすることが、ロボティクスを考える上でも重要だし、生産性を上げる上でももちろん重要なことだと思います。

エンジニアリングは社会実装されてこそ価値がある

落合:はたまたそれをビジネスサイドに落とし込んでいくときに、研究者の血に染まると、なんか日本の研究というのは科研費が降ってくると思ってるんですよ。そんなことはまるでなくて。だって、我々はなんらかの対価を得られないかぎりは、研究しても意味がないわけですよ。

研究というのは高度に文化的なことで、かつ、そういう研究を持っていることが社会の重層性を増やすという考え方も、もちろん正しいと僕は思うのですが。それは文系の研究とか、はたまたもっと審美的な研究も正しいですけど、ことエンジニアリングに関していえば、社会に実装されてこそ価値があるわけで。

社会に実装されるものを遊ばせてよかった時代は、労働人口が増えていって、かつ、国内の生産性が放っておいても上がっていくとき。そういうときは、税金を再投下して、そこで出てきた人材を社会にもう1回還元することで、研究というのはもう1回社会に出てきたわけですよね。

それはつまり、放っておいても、そこから偶発的に出てくる人々はイノベーションの種になったわけですよ。大学発のイノベーションが出てくることが、今の時代は、人口が減少していくとどんどん減っていくわけですよね。

あと、そういう産業が主体になっていない。人口減少社会の状態になったら、逆をいうとビジネスで稼いで大学に持ってこないと、なんにも成立しない。

だから、その枠組みが崩れているのにもかかわらず、高等教育機関はいまだ旧態依然としているのが問題であるところはもちろんあると、僕は肌感では感じてますね。

谷本:なるほど。次に伺いたいのは、この議論って本当によくあって、たぶん落合さんもあんまり好きじゃないと思うのですが、「人間vs機械」みたいな質問って、いっぱいあるじゃないですか?

落合:はい。

谷本:そのときに、例えば組織として、おそらく生産性が高くてなにか価値を生み出しやすい機械のほうが投資をするに値すると。であるならば、経営側としては、人間に対して投資することをやめてしまいそうな気がするんですよね。

そういう人間と機械が並列化して語られる時代に、人間が自分自身で成長していくというか、付加価値を生み出していくのって、ある意味すごく難しいのではないかと思うんです。もちろん独学とかやり方はあるんでしょうが、そのとき、人間はどう伸びしろを作っていけばいいのでしょうか。

機械と人間がそれぞれに得意とする領域

落合:そうですね。うちのラボはAIをやっているラボというよりは、AIアプリケーションを最適化することでアプリケーションをどう解けるかということに取り組んでいるので、どのアルゴリズムが使えるかを常に考えるラボなんですけど。これはなかなか根本的な問題の1つで。どういう意味かというと、まず2つありますと。

人間が得意なことってなにかといったら、「その品質保証は何シグマでやるの?」ということを考えるじゃないですか。「何シグマでやるの?」と考えたときに、例えば今我々が共同研究をしている(提携)先だと、ちょっと会社名など具体的なプロセスをいうと怒られちゃうので言えないんですけど、人間が判定するものに関して機械の精度が高くないんですよね。

それは、state of the artの今最先端のアルゴリズムを使っても、人間より高度に判定できる機械はなかなかないと。いや、もちろん速いし、ササッとできるんですけど、不良品を見つけるとか、よっぽど発生しない確率のものを発見するのは、Deep Learningとかだとやっぱりきつい。

それはもちろん、なんらかの判定基準があって、それをやってくれる機械があれば判定基準は上げられるんですけど、Deep Learningで出てくるような入力・出力器の関係性というのは、熟練工になかなか勝てないんですね。

人間が何人かでやったほうが、結局のところ率が高いという状態になっていると。99パーセントはいくけど、99パーセント以上はなかなかやるのけっこう大変です、というようなことがよくあります。

逆にいうと、ザーッとやって、弾いた1パーセントを人間がもう1回見るぐらいなら、それはすごくうまくいくと。それはもういろんな工場で応用されていることですし、我々もそういうことに取り組んでいるところです。

そのようなことを考えていく上で、そういうタイプの人間ができる仕事はもちろん大切です。あと、もちろん熟練工が、生産プロセスとしてまだ何回も回っていないようなものを判定するというのも大切なことですよね。

はたまた、新しいイノベーションモデルとか新しいクリエイティブなスタイルみたいなものを提案する人間が必要ももちろん必要ですと。

それは、機械が「この人とこの人とこの人を見つけてくれれば、うまくいく事業体が作れるかもよ」という予測を出してくれるかもしれませんが、結局人間が動くわけなので、そのチームづくりなどはやっぱり人間が大切だよねと思いますね。

AIを使わざるを得ない社会で何が自動化されるか

谷本:そもそも人間とデジタルというか、機械と共存していくような社会ができたときに、組織や国のあるべき姿ってどうなっていくのでしょう。そもそも、自立分散的な世界が成り立っていくときに、国とか企業とか言っていること自体がおかしいのかもしれない。

しかし、あえてそういったカテゴライズされた枠組みが存在し続けるとするならば、AIのような技術が主流になっていくなかで、どういったビジョンや、ロードマップ、方向性を練っていけばいいのでしょう?

落合:我々の社会は人口減少なので、移民を入れるか自動化するかというのは絶対正義なわけですよ。そうじゃないかぎりは、国民国家の枠組みを維持するのはなかなか難しい。

そうなってきたときに急には変わらないし、社会が全体を一気に変えるようなプロセスでは我々は生きていないというか。1つの大きなイデオロギーに基づくようなアプローチを取るよりは、多様なイデオロギーが生じるような世界観を作っているわけですよ。

そうなってきたときに、我々の社会がAIを使わないでいけるかといったら、おそらくは(やって)いけないと。人がやってるかぎりは、誰かがやったルーチンはなんらかの限界費用を下げたかたちで作っていかないといけない。それはプラットフォームだってそうです。

それがどういう意味かというと、地元のローカル局だったら、YouTuberのほうがフォロワーが多いかもしれないわけですよね。つまり、ヒカキンさん1人のほうがどこかの放送局よりも遥かに影響力があるかもしれない、みたいな状況をひたすら生み出していると。

しかしながら、ヒカキンさんがYouTubeになにかをポストするときにかかる限界費用は、極めて下げられていると。そこでかかってくるのは、人が動くコストなわけですよね。

その人が動くコストを減らして、1人のクリエイターが自分の番組を作るには十分に機械化されているし、高度に生産性が上がっていると。しかしながら、ヒカキンさんは必要なんですよね。ヒカキンさんはすごいクリエイティブで。

そのクリエイティブな人材が必要で、残りのサポートしてる人材がいるかといったら、おそらくそこは自動化されると。そういうプロセスになってくるのだと思いますけどね。

テクノロジーの負の側面にどう対処するか

谷本:人間と機械が共存していくという未来像は、もちろんポジティブな文脈で語られなければいけない話だと思うんですけれども、あえてテクノロジーの負の側面を先に知っておいて、それに対処していくとするならば、どういったところに目を向け、組織や個人はどのような備えをしなければいけないですか?

落合:個人はテクノロジーの持つ負の側面にたぶん非常に敏感だと思っています。なぜかというと、集団から考えれば、テクノロジーを取り入れて会社が成長するようにするべきじゃないですか。もちろん、ディスラプティブなテクノロジーの驚異に対して、自分たちがどういうマーケットを守っていくのかは考えないといけないわけですけども。

それとはまた別で、個人の生き方としては、近代教育が生み出した我々のマインドセットやモノを作る考え方自体が棄却されるときが来ている状態だと、僕は思っていますけどね。つまり、近代教育で学んだことの半分ぐらいが役に立たなくなってる。

谷本:では、その近代教育を受けてきた、おそらく本日たくさんお越しになっている、管理職や経営層の方は、こういう時代に、当然テクノロジー的な文脈というか、最先端でなにが走っているのかをわかっていなければならないと思うのですが、必ずしも今々はそうではなかったりするじゃないですか。

そういった方たちは、どうやってそれらの知見を付加していくのか。また、そもそもどういうリーダー像、経営層でなければいけないと思われますか?

落合:僕は大企業を経営したことがないので迂闊なことは言えないんですけれども、僕の会社とかでやっているアプローチから考えると、どうやったら小回りが利く意思決定の速いチームをデジタルテクノロジーを使って醸成するかだと思います。

それは、今まで我々の会社……僕が「我々」と言うとき、「僕」を指しているときと社会全体を指しているときがあって、混乱しやすいんだけど。

谷本:(笑)。どちらでしょう?

日本ではプロフェッショナル性が逆転している

落合:我々の社会が持っている課題として、やっぱり人が人の承認をしてきた意思決定プロセスの中で動いている。今でも紙に印鑑を押してるのはちょっとよくわからないんですけれども。そういった中で、社会を維持するために必要だった人の数は、たぶん減っているはずなんですよね。

そういったときに、そこで人を使わないでも、本質的にチームを作って対象の問題に向き合う。最初に多様性の話をしましたけど、そういうチームづくりができる経営層が求められているし、それをサポートするための人材はどのぐらい必要なんだろうとか考えないといけない。

優秀なクリエイティブというのはプロフェッショナルになりますから、それはすごく重要ですと。例えば、この前うちの大学の学長が話してて。うちの大学って、教員が1,500人ぐらいいたら職員は1,000人ぐらいなんですよね。わかります? でも、教員が800人ぐらいいたら職員が3,000人ぐらいいるところもあるんですよ。つまり、1人の教員に対して、サポートする人の数が3倍ぐらい必要なわけです。それが当たり前です。プロフェッショナルだから。

そのプロフェッショナル性が逆転しているのがこの国なので、知的生産の価値観においては、プロフェッショナルをどうやって支えるかということを組織全体が考えていないといけないわけですよね。

谷本:なるほど。今、大企業が非常にアジャイルに動きにくいといわれている。そういうときにもう少しチーム性というか、小さいグループ化して、その俊敏性を上げていくということが重要なのかもしれませんね。

落合:もしくは社外のベンチャー企業を使う。

谷本:なるほど。そういうことなんですね。

落合:今までだったら舵切りだけすればよかったから、言いにくいことはコンサルに言ってもらえばよかったんですけれども、これからはそれ以上に動く人が必要なわけです。

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