2024.10.10
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バークリー音楽大学 1999 卒業式 デヴィッド・ボウイ(全1記事)
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デヴィッド・ボウイ氏:ありがとう、ありがとう。
ロッカーズ(ギターを演奏する真似)。
ジャジーズ(ウッドベースを演奏する真似)。
サンプラーズ(両手で悪魔の角の真似)。
昨晩はすばらしいコンサートでした。
(会場拍手)
ウェイン(注:ウェイン・ショーター。ジャズのサックス奏者)と僕は、自分たちの曲が、君たちの耳と技術で演奏されるのを聞くために来たような気がする。感謝してもしきれないほど、本当にすばらしかった。
昨日の晩、僕は学生たちとおしゃべりしていて、その1人に今日のスピーチで使えるジョークがなにかないか聞いたんだ。彼はビビりながらもこう言った。
「そうですね、チューバ奏者が電話に出てなんと言ったと思います? 『はいドミノ・ピザです』」
(会場笑)
ありがとう。そうだ、今日のイベントが終わった後に、ウチの妻とリトル・スティービーズ(注:バークリー音楽大学のそばにあるピザ屋)に行くけど誰か行くかな? その後ダンキンドーナツとか。
(会場笑)
僕とちょくちょく仕事を一緒にする、ここの卒業生でもあるリーヴス・ガブレルスから、大学への伝言を預かったんだ。読んでみよう。
「俺は最後の学期に借りた900ドルの奨学金は忘れていない」これは1980年の春のことだね。
「最近Allegroで読んだが、大学は未請求小切手としてティン・マシーン(注:ボウイとリーヴスが所属していたバンド)の頃までさかのぼって持っているらしいな」それなら30ドル程度でチャラにできるかな。
(会場笑)
長年ミュージシャン、アーティスト活動をしていても、こういう機会になにを話せばいいのかいつも困ってしまう。ミュージシャンへのアドバイスのリストを作ろうものなら、結局は「ウズウズしだしたなら、医者に診てもらえ」となってしまうんだ。そういうリアルな話じゃないよね。
(会場笑)
時折一緒に仕事をするブライアン・イーノは、自分のことを「ノンミュージシャン」と言っているんだ。実際、彼は自分のパスポートの職業欄にもそう書いている。
「(税関の声真似をしながら)ノンミュージシャン? CD出してるんじゃないの?」
「(イーノの声真似をしながら)違いますって。れっきとしたノンミュージシャンですよ」
僕の場合、ある意味ノンミュージシャンなところもあると思う。授業でリトル・リチャードの映像を見たんだ。そのころイギリスで一番のバリトンのジャズ奏者はロニー・ロスだった。
僕が14歳の頃に彼に電話をしたんだ。電話帳で番号を見つけてかけてみると、とても親切に出てくれた。
(メロディを口ずさむ)
ジョージ・レッドマンが作ったんだけど……60年代西海岸のバンドなんだけど……みんなは知らないかな。
(メロディを口ずさむ)
こう口ずさもうとするとこうなる。
(うまく口ずさめない真似)
正確に真似したり、正しく表現したりすることは、どうやら得意じゃなかったみたいだ。
実際のところ、僕が得意だったり本当に楽しめることは、「もし~だったら」という遊びだね。
もしブレヒトとヴァイル(注:共にドイツの劇作家)のミュージカルドラマにR&Bで音楽をつけたらどうなるだろう?
フランスのシャンソンとフィリーサウンド(注:ソウルミュージックの1ジャンル)を合わせてみたらどうなるだろう?
シェーンベルクとリトル・リチャードはうまく組み合わせられるか?
ハギスとエスカルゴ料理を同じ皿に盛りつけられるか?
うまくいかないかもしれないが、なかには最高の結果になるものもあるだろう。僕はサックスとギター、それに「作曲家にとってのピアノ」があれば、自分のアイデアをここにいるみんなのような最適なミュージシャンに伝えられるんだとわかった。
僕が思うに、その時からこれまでにないロックを生み出す旅が始まったんだと思う。
ジョン・コルトレーン、ハリー・パーチ、エリック・ドルフィー、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジョン・ケージ、ソニー・スティットを僕は尊敬している。アンソニー・ニューリー、フローレンス・フォスター・ジェンキンス、ジョニー・レイ、ジュリー・ロンドン、レジェンダリー・スターダスト・カウボーイ、エディット・ピアフ、シャーリー・バッシーも残念ながら大好きだ。
シャーリー・バッシーについて少し話そうか。
ジギー・スターダスト(注:ボウイの5作目のアルバム)が出て間もない頃、僕たちは「ワーキングマンズクラブ」と呼ばれていたクラブでよく演奏していたんだ。ナイトクラブみたいなものだけど、安くごはんが食べられるし、家族連れで来てたり、ビールも飲めるし、ロックも楽しめる。ストリッパーも。全部一緒くたの時もあるけどね。
ある晩、バックステージで僕はトイレがどうしても使えなかった。全身をTokyo-spaceboyの格好で覆われて、底上げの靴を履いて今にも鼻血が出そうだった。
僕はプロモーターのところに、よちよち歩きで行って聞いたんだ、「トイレはどこだ?」。
彼はこう言った。「通路をまっすぐ行ってください。突き当りの壁にシンクが見えるでしょ? そこでどうぞ」。
「なんだよ、シンクでおしっこしろっていうことか?」。
「シャーリー・バッシーならできたんだから君だってできるよ」。
(会場笑)
僕がそこから学んだのは、悪い要素といい要素を混ぜあわせるのが一番おもしろい結果になるんだ、ということだ。端的に言えば、「フォークやR&B、バラードを歌えればいい」では満足できなかった。
僕は僕自身をどう表現するかということより、どういう見せ方をするかということのほうに惹かれていった。50年代後半に始まったポップアートを持ち込んだり、70年代の始めごろまでにはイギリスの著述家サイモン・フリッケが述べた「アートポップ」になっていたよ。
僕が周囲からなにを感じてきたかということよりむしろ、周囲は僕からなにを感じてきたかということだ。簡単に言ってしまえば、僕の英国人としての居場所はロックンロールにある。
なかなか共感されにくいことかもしれないけど、CDですばらしいソロの演奏がフェードアウトしていったとしよう。僕はボリュームを上げていって、最後の1音まで聞こうとする。まさに僕の人生そのものだよ。
僕にとっての師匠、ジョン・レノンに触れずして、僕はポピュラーミュージックについて語れない。
(会場拍手)
彼はありとあらゆる面で僕をかたち作っている。ポップミュージックの構造のイロハや、どうやってほかのアート分野から要素を取り入れるか。時にそれは目を見張るほど美しく、力強く、もの珍しさすら取り込んでいた。
ジョンはときおり、なにかの問題を取り上げてまくし立てたり、僕に意見を言ってきたりした。僕はすぐに共感したよ。さながらビーバス・アンド・バットヘッド(注:アメリカのTVアニメ)で2人が激論を交わしているみたいだった。
ジョンの魅力的な点は彼のユーモアのセンスだろう。シュールすぎることに、最初僕たちは1974年にエリザベス・テイラーの紹介で出会った。
テイラーは僕を映画で共演させたがっていたようだった。ロシアに行く話で、赤や金、透明だったりする服を着せようとしてきた。それは気乗りしないなんてものじゃなかったよ。なんていう名前だったかは覚えてないけど、『On the Waterfront』ではなかったね。
僕たちがLAにいたある晩、彼女が開いたパーティに僕たちは招待されたんだ。思うに、その時はお互い、とても歳の差があるかのような丁寧な物腰だった。実際は数歳しか離れていないし、同じロックンロール世代だったけどね。
ジョンは「新しいやつが来たな」と思っただろう。僕は「ジョン・レノン! なにを話そう。バカにされるからビートルズがどうとかだけは言わないようにしないと」って思ってた。
彼は言った、「やあデイブ」。それに対して僕は「あなたが作ったものは全部持ってますよ、ビートルズ以外ですけど」と言っちゃった(恥ずかしがるポーズをする)。
(会場笑)
それから2日後の晩のグラミーで、僕たちはアレサ・フランクリンに賞を渡すためにバックステージにいた。授賞式が始まる前、僕はジョンに、「アメリカは僕にこんなことさせてくれないと思ってた」って言ったんだ。もちろん誤解だよ。その頃まだ20歳そこそこなんだから。どうかしてるよ。
(会場笑)
そしてその時が来て、僕は封筒を開けてこう読み上げた「受賞者は、アレサ・フランクリン」。アレサは一歩前に踏み出して僕にちらっと目をやると、トロフィーをひったくって「みなさんありがとう。私はデヴィッド・ボウイにキスしたいほどに幸せです」と言った。言うだけだったけどね。
(会場笑)
それから彼女はステージの右へさっさと退場して、僕はステージの左に、トボトボ出ていったよ。ジョンは僕を抱きしめてキスの素振りを見せながら、「見たろデイブ。アメリカは愛してくれてるよ」。
その後も目が回るほど忙しかった。彼は一度、グラムロックをロックンロールが口紅を塗っただけだと表現した。もちろんそれは間違いなわけだが、とてもおもしろい。
70年代の最後ぐらいだったかな、僕は休日に香港に行って、主夫モードになってたジョンに会ったんだ。2人で裏通りを歩いていると、ある子供が走り寄って来て「ジョン・レノンですか?」と聞いてきた。
彼はこういった。「違うよ、それぐらい金持ちだったらと思うけど」。僕はそのセリフをすぐに自分のものにした。「デビッド・ボウイですか?」「違うよ、それぐらい金持ちだったらと思うけど」。めちゃくちゃ使えるセリフだったね。
その子供は「ごめんなさい、人違いでした」と言って走っていった。僕は、今まで聞いたなかで一番役立つセリフだなって思ったよ。
ニューヨークに戻って2ヵ月後、ソーホーにいた時「デビッド・ボウイ?」って聞かれたんだ。僕は「違うよ、それぐらい金持ちだったらと思うけど」って答えたら、「嘘つけ、僕ぐらい金持ちだったらと思ってるんだろ」。
目の前にいたのはジョン・レノンだったんだ。
(会場笑)
これは僕の人生でほんのわずかな出来事だ。この話をみなに贈りたい。この10分間、話す機会をくれてありがとう。楽しめたかな。
音楽は40年以上にわたって、僕に素晴らしい経験をさせてきてくれた。
人生の辛いことや、悲劇的なことが、音楽で少なくなったとまでは言えない。それでも、一人ぼっちの時に誰かと関わりを持つ機会をくれたし、いろんな人と触れ合うための最高のツールにもなってくれた。
音楽は、知覚の扉であると同時に、住むための家でもあったんだ。
最後に、僕にとってそうだったように、音楽がみんなの生活を彩り豊かに元気づけるものであることを願っています。
ありがとうございました。
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