世界中で300億円を売り上げた「AIBO」

池澤あやか氏(以下、池澤):本日のゲストは、株式会社モフィリア代表取締役の「AIBO」の育ての親、天貝佐登史さんです。

菅澤英司氏(以下、菅澤):よろしくお願いします。

天貝佐登史氏(以下、天貝):よろしくお願いします。

菅澤:前回、AIBOはテストマーケティングでめっちゃ売れたと聞きました。天貝さんがプレジデントになって、AIBOを売るために何人ぐらいの部隊を作ったんですか?

天貝:人が足らない足らないと、どんどん増えていったので、ピークの時は200人を超えていたと思います。私が最初に拝命した時は、ほんの数十人でした。ソニーの中で「来たい人は来てください」という、手を挙げてソニーの中で応募ができるシステムを何回使ったかというくらい頻繁に使って、どんどん人を集めましたね。

菅澤:人が足りなかったんですね。

天貝:本当に足りなかったんだと思います。

菅澤:結局、合計で何台売れたんでしょうか?

天貝:売ったのはたぶん15万台ぐらいです。

池澤:メチャメチャ売れている。

天貝:平均すると20万円ぐらいだったと思うので、そうすると300億円ぐらいの売上げでした。今の「aibo」じゃなくて、初代の「AIBO」ですね。それをグローバルで売りました。世界中といっても限定的な地域でやったんですけど。

池澤:なんでここまで人気に火が付いたんだと思われますか?

天貝:今になって思うと、その頃はほかになかったんだと思います。今は遊びやエンターテインメントの選択肢がものすごくありますよね。そういう意味では、今までにない新しいマーケットで「これしかない!」みたいなところはあったんだと思います。

やっぱり人間は、ペットもそうですが、動くものに愛着を感じるんですよね。いろいろな事情で本物の犬とか本物の猫が飼えない人がいるので、そういう人も含めてエンターテインメントロボットは新たなブームになったんじゃないですかね。

初めての試みで大変だったこと

菅澤:すごく注目もされたじゃないですか。天貝さんは責任者としてどう思っていたんですか?

天貝:センサーと頭脳とメカトロニクスがうまく調和していないと、つまり、見た情報を頭で考えて「次は右足を半歩前進させよう」みたいなのがある程度うまくできないとダメなんですよね。これがすごく大変でした。

それを完成させるためには、どう考えても開発コストがものすごくかかるので、これで利益を出そうと思うと、ものすごく高い値段になるのですが、そうすると売れないですよね。なので、「どのぐらいの赤字から始めようか?」とか。

「PlayStation」なんかは本体は赤字だけど、ソフトウェアがいっぱい出るので、そちらを黒字でトータルのビジネスを伸ばす。そういう今で言うところのビジネスモデルをどう考えるかはすごく大変でした。

菅澤:家庭用ロボットを売ってみるのは誰もやってなかったことですからね。

天貝:そうですね。1999年の最初のテストマーケティングの時に25万円のものが3,000台あっという間に売れて、販売側のサーバーがパンクしたんですね。

というぐらいだったので、アーリーアダプターとかイノベーターとか、そういう人が確実にいるんだなとわかったんですね。あまりお金は関係なく、新しいものを試したい人がそれなりにいるとわかりました。25万円のものが、テストマーケティング3回すべてで、ほとんどあっという間に売れました。

菅澤:これは行き着くぞと思ったんですね。

天貝:そうですね。

不具合は修理サポートではなくドクターが診断

菅澤:故障とか死んじゃったみたいなクレームはどうだったんですか?

天貝:これはね、大変です。

菅澤:いろいろ大変ですね(笑)。

天貝:やっぱり動くものなので、人間もそうですけど、歳をとると関節とかに現れるじゃないですか。

菅澤:関節(笑)。

天貝:だから、AIBOも関節がダメになったり。あと、子どもが遊んで耳が引きちぎられたりとかですね。

池澤:あ~、ありそう。

天貝:それを外科手術だとすると、外科手術も大変ですし。

菅澤:外科手術(笑)。

天貝:あまり長く使っていると今度はバッテリー。これは内臓だとすると、内臓の手術があったり。うまく目が見えなくなったりすると、眼科だったりと、それぞれに大変ですよ。

事業部も大変だったんですが、それを生産する工場がやってくれたからできたところがありました。お客さんが案外感情移入するので、普通だと「サービス部門」とかなんですが、AIBOの場合は 「AIBOクリニック」と言っているんですね。

池澤:すごい。うまいですね!

菅澤:クリニックなんだ。

天貝:診断する人を「AIBOドクター」と言ったんですね。問い合わせがあった時は、「じゃあ往診に行きます」と言うんです。これを真面目にやっています。

菅澤:いいですね(笑)。

池澤:そこでカスタマーセンターで、修理サポートだったら、ちょっと気持ちが萎えちゃいますもんね。「ペットじゃないんだ……」みたいな。

天貝:そうですね。普通、テレビなんかが壊れるとクレームで怒られるんですが、AIBOの場合はドクターが治すので、感謝されるんですよ。菓子折りとかが来るんですよ。これはね、稀有な商品だと思います。

菅澤:確かに。

池澤:すごい!(笑)。

天貝:そうするとやっぱり、生半可にはできないですよ。向こう側の方が本当に愛してくださっている。

本物そっくりに似させない、開発の工夫

菅澤:不気味の谷というのがあって、どうしてもロボットにしか見えないのがあるんですが、当時からAIBOは犬で生きていると。

天貝:中途半端に似ちゃうとそこが気になっちゃうので、かえって本物の犬に似せないほうがよかったんですかね。AIBOは案外、銀色だったり、メカトロニクス的なんだけど、動きがなんとも愛らしい。これはやっぱり最初の開発チームが「そっくりに似させないほうがいい」と開発したのが、成功したんですね。

菅澤:そういう意味では、もちろん技術力もですが、このデザインがすばらしいじゃないですか。当時のソニーにはそういう人がいたんですか?

天貝:AIBOの場合は、「これに応募してください!」というのを社内外でやったんですね。デザインで一番良いものをと、有名なデザイナーさんを全部で3人ぐらい使いましたかね。ソニーは案外デザインに凝るので、そこは相当時間と労力をかけましたね。

想定外だったユーザーのコミュニティ形成

菅澤:20万台売れたんですよね。AIBOに対する世間の扱いはどうだったんでしょうか。

天貝:想定外と言うほどびっくりしたのは、やっぱりコミュニティができたことです。ソーシャルネットワークがないのに、AIBOが好きな人同士が集まって、自分のAIBOちゃんに名前をきちんと付けて、おべべを着させて楽しむんですよね。そういう人たち同士で結婚したという話も聞きました。

池澤:へえ、すごい!

天貝:今でもオフ会と言いますかね。オフ会の走りみたいのが全世界にあって、そこに私や幹部が順番にお邪魔させていただきました。

本当に毎月どこかで「オフ会やっています」「天貝さん来ませんか?」と。本当に熱狂的なので、それを見てもやっぱり生半可じゃいけないと思いました。さっきのサービスもそうですが、そういう商品はなかなかないですよね。

池澤:確かに。

菅澤:コミュニティできちゃうという。すばらしいですね。

天貝:AIBOを出して「ありがとう」と言われました。

池澤:サポート終了になった時は、すごくニュースになっていましたね。

天貝:2019年が20周年で、イベントをやったんですね。私たちが主催したんですが、数百人集まって、AIBOのオリジナルのエンジニアとかデザイナーとか、それから今もAIBOを愛してオフ会をやってくださっている、古いAIBOも新しいaiboも持っている人たちが一緒に集まりました。

AIBOのオーナー同士で、例えば電源を供給したり、その中のエンジニアがおばあちゃんになったAIBOを治してあげたりとか、そういうのも含めてよいコミュニティができました。

経営危機で終了となった開発

菅澤:ちょっと話しにくいかもしれませんが、そんなに売れてきたaiboをやめちゃったんですか?

天貝:よく知りません。

池澤・菅澤:(笑)。

菅澤:その時はもう違うところにいた?

天貝:私は今でも覚えているんですが、残念ながらソニー全体が調子良くなくなった時に、私が説得されたというか、「AIBO(の開発)も止めざるを得ないくらい、今ソニーは苦しいんだ」みたいな感じのスケープゴートとして使われました。

菅澤:売れてはいたんですか?

天貝:その頃はもう最初の開発費は案外回収していたので、そんなに数量が売れなくてもトントンのビジネスができるようになっていました。次の商品企画もできていたんですが、そういう判断がされました。

池澤:ちなみにですが、aiboは今5代目ですか?

天貝:数え方が難しいんです。面替えみたいなものと、本当に根本から変える、車でいうフルモデルチェンジとフェイスリフトで違うので、何代目と言ったらいいのかな。今は「新世代aibo」と言っていますが、昔も「何世代目AIBO」と言っていました。

池澤:どこまでを担当されていたんですか?

天貝:2005年までです。2007年で全部終了したのかな。11年ぐらい間が空いて、開発活動ができるところまでやって、今あるAIBOを売り切ったら終わりというところからはもう……。

菅澤:ありがとうございます。また来週、当時のソニーのすごいものが生まれる文化と、今やられていることを聞けたらなと思います。

池澤:本日のゲストは、AIBOの育ての親、天貝佐登史さんでした。ありがとうございました。

天貝:ありがとうございました。

エンディングトーク

菅澤:AIBOの話がいっぱい聞けましたが、どうでしたか?

池澤:AIBOは本当に魅力的なんですが、確かに今までにないものだったから、どう売っていいのかとか、本当に手探り状態の中、どう機能を盛るべきかとか、熱意を持ってみなさんが開発されていたんだなと改めて知ることができました。

菅澤:けっこう高いけど、買います?

池澤:買い切りだったら(笑)。

菅澤:2000年に発売してから20年が経ってまだ一緒に過ごしている人がいるという話はすごく胸が熱くなりますね。

池澤:そうですね。

菅澤:ものづくりとしては本当にすばらしいと思います。そういうものを生み出した、特に生活までデザインしていくという当時のソニーのカルチャーを次回はぜひ聞きたいなと思います。