ネットエイジ社はデジタル版トキワ荘だった
佐藤光紀氏(以下、佐藤):IVS特別企画、インターネット第一世代から現在に至るまでのインタビューをするというお題を仰せつかりまして、今日は業界のベテランのお歴々に来て頂いたということで。今日はちょっと、業界の四方山話をしてくれと、こういう小林さんからのお話がありまして、お二人に来て頂きました。
小澤隆生氏(以下、小澤):はい。
宇佐美進典氏(以下、宇佐美):はい。
佐藤:よろしくお願い致します。
小澤・宇佐美:(同時に)よろしくお願いします。
佐藤:では、お二人から。小澤さんから。
小澤:はい、小澤といいます。創業が99年、インターネット業界に入ったのが、IT業界には95年からいますので、かれこれ20年やっておりますので、すでに老害化しつつある我々が昔話をします。よろしくお願いします。
(会場拍手)
佐藤:では宇佐美さんお願い致します。
宇佐美:はい。VOYAGE GROUPの宇佐美です。99年から会社をやっていますが、業界的にいうと、98年ぐらいからインターネット業界に関わりながらやってきました。今日はそんな昔の話を懐かしく、こんな話もあったなと、居酒屋談義が出来ればなというふうに思っています。よろしくお願いしまーす。
(会場拍手)
佐藤:今回、インタビュアーを務めさせて頂きますのは、私セプテーニ・ホールディングスの佐藤と申します。よろしくお願い致します。
小澤:イエーイ。
(会場拍手)
佐藤:早速進めていきたいのですが、今最初にお話を伺っていたら、大体この業界で仕事を始めているのが99年とか、その位ということで、少なくとも15年ぐらい時間をなんらかの形で共有しているわけですよね。
宇佐美:その頃、みんな会社名違いますからね。
小澤:会社名違うよ、今と違うから。
佐藤:それぞれ、宇佐美さんのところは。
宇佐美:当時は、99年はアクシブドットコムですね。
佐藤:アクシブドットコムですよ。皆さんアクシブドットコムですよ。
小澤:懸賞サイトだから。懸賞サイトですよ。
佐藤:MyIDですよ。僕も今でもはっきり覚えているんですけれども、99年の秋かな、MyIDの立ち上げのリリースが日経新聞に載ったんですよ。あれを見てすごいなということで、当時アクシブの創業メンバーの尾関(茂雄)さんという方がいて、会いにいったんです。その時は神泉にあるネットエイジ。
小澤:塩入小路ビルじゃないの。
宇佐美:(小澤を指して)いたでしょう?
小澤:いたいた。
佐藤:ネットエイジのビルに僕も出入りしていて、当時99年でいうと、イー・マーキュリーって、笠原(健治)さん。
小澤:パソコンラックで一人でやっていたものね。
佐藤:ミクシィの笠原さんがFind Job !というサイトを一人で運営していて、僕は求人をしたくてですね、お金がなかったんで直接頼みにいこうと思って会いにいったら、そこでアクシブのことを知って、そのあと神泉のオフィスに伺ったのが15年前。
小澤:言っても、第一世代とかいつにするかわからないですけれども、最初の頃の本当のネットエイジですよね。我々にとっては。ネットエイジはすごかった。あれは全員いた。
宇佐美:トキワ荘みたいな。
小澤:全員すごい。デジタル版トキワ荘といわれていたから。
佐藤:梁山泊というかね、本当に多士済々いて、その時小澤さんは何をしていました?
小澤:私はあれですよ。一番最初に97年からホームページでコマースをやっていて、2年間ボランティアでやっていて、その間誰か「金を出してくれ、金を出してくれ」って誰も出してくれなくて、ネットエイジの西川(潔)さんが初めて「これは良いサービスだ! 金出す!」って言ったんだけど、その時事務所に行ったんですよ。当時、小笠原歯科っていう歯医者の上にあって。
宇佐美:二階のところ。
小澤:それで、僕が西川さんにプレゼンしている部屋が和室なんだけど、その押入れの中で、松山太河が寝てたの。
佐藤:寝てた。松山さんが寝てた。
小澤:松山太河が寝てた。あとワーク・ライフバランスの小室淑恵もいた。いろいろな人がいるごちゃごちゃのところで、最初にお金を出してくれたのがネットエイジで、98、9年かな。それで似たような時期にアクシブやっていたから。同時期に田中良和氏も出入りしていて、山岸(広太郎)氏もいて。
宇佐美:そうだね。あと、小川(淳)くん。
小澤:そうね。小川さんがいて。こっち兄弟会社でネットイヤーというのがあって、こっちには、吉松(徹郎)がいて、なんだかがいて。まあ、しぶとくみんな生き残っているわ(笑)。
宇佐美:そうだね。あの当時にいた人は、結構生き残ってる。
早く始めた人ほど生き残っている
小澤:結局、僕らの上の世代って三木谷(浩史)さんがいて、熊谷(正寿)さんがいて、もちろん孫(正義)さんとかがいて、あの人たちが本当に第一世代。僕らは多分その下で、ベンチャー企業として資金調達とかやったのが、僕らが第一世代。みなさん資金調達ないまま上がっちゃったでしょ。
佐藤:そうですね。
宇佐美:99年のころって、バブってましたよね。第一次ネットバブル。
小澤:インターネットバブルの波がくるんですけれど、とにかく早くいった人は生き残っている確率高い。やっぱりゴールドラッシュって早目に入山したほうがいいなと。生き残っている面々を見ていると、早い。あの頃、なんでインターネットをやってたんですか? だって便所の落書きっていわれていたんだから、インターネット。
佐藤:しびれるような直感みたいなのが当時やっぱりあって、それこそ今日、Launch PadでYOYOがプレゼンしていましたけど、ハイパーネットじゃないですか。あの仕組み。学生の時にハイパーネット触って、無料プロバイダーの仕組で広告が出てくるのを見て、まだISDNでキュルキュルキュルってページが出てくるみたいな。それを見ただけでも、これで世界とつながっているんだと思って、しびれるような、電流が走るみたいな感覚が。
小澤:宇佐美さんは。
宇佐美:なんだろうね。僕パソコン通信やっていたの、ニフティ。
佐藤:ニフティサーブ。
宇佐美:だから最初のパソコン通信って、ワープロで1200bpsのモデルくっ付けて、3行しか表示されないところに「go何とか」ってコマンドを入力したところから、93年ぐらいから大学にパソコンが入って、モザイクでブラウザベースでインターネットを見て、何だこれすげえっみたいな、3行から一画面みたいな(笑)。
小澤:古いよね。いい感じで昔話みたいな(笑)。
佐藤:当時は、言葉にはしづらいような熱気みたいな物が渦巻いていて、その熱気にあてられたような人達ばっかりがいて、会う人会う人が面白い人たちばかりで、世の中にはこんなに面白い人たちがいるんだと思って、のめりこんでいったというね。
小澤:そうね。
佐藤:そんな記憶ありますよ。
小澤:とはいえ、あの頃盛り上がっていたのは200人ぐらいだと思うんですよ。インターネットのことを信じて、まさにビットバレーという、昔話の真骨頂ですけど(笑)。松山太河と。
佐藤:メーリングリストのね。
小澤:あそこにいたのは多分200人、最盛期で1,000人の単位になったけれども、最初200人300人ぐらいでパーティをやって、インターネットを語る会みたいな。あそこにいた人って、最初のメンバーって結構残っているよね。
宇佐美:残ってる。あれも最初イベントだったけど、最初ビットフライデーっていって。
小澤:ピザ食うのだっけ、なんだっけ。
宇佐美:どこかみんなで毎週金曜日に飲もうみたいな。
小澤:文化村の地下じゃない?
宇佐美:そうそう。マルゴーね。
小澤:そうね、マルゴー。そういうのをやってたね。だからすごくインターネットを信じている人ってマイノリティだったわけですよ。
宇佐美:当時ね。
小澤:どうなるかわからないけれども、今ビットコインを信じているっていう人と、そんなこと? とかっていうのと一緒で、インターネットは世の中変えるんだよというめちゃくちゃマイノリティがいて、マイノリティはすごく純潔化していくというか、俺たちはわかってると。
それが結局だんだん広がって今になっているという感じだから、それは僕らは最初に信じられたというのは幸せですよね。出会えたんだもんな。
宇佐美:でもあの時代に若かったから、やろうと思っても失う物がなかった。
佐藤:みんな20代だしね。
小澤:もう15年経つんだな……。どういうことだろうね(笑)。
お金の使い方を知らないベンチャーが多かった
佐藤:実際にどうですか。ちょっと、インタビューらしいことを聞くと。
小澤:このままだと四方山話だよ、これ(笑)。
佐藤:このままだとこれで終わっちゃうんで。一応みなさんは、ここにいらっしゃるということは、この15年ぐらいの間一線で活躍を続けてきたからサバイブしているわけですよね。一方できっと全員そうだったわけじゃないですよね。そこで生き残ってきた人たちというか、ちゃんとこうリーダーシップを発揮して成果を上げ続けた自分の経験とか、周りの人を見ていて、何か共通するものってありますか?
小澤:駄目になった人って、逆にあんまり思いつかないんだけどな。
佐藤:宇佐美さんありますか?
宇佐美:なんなんですかね……。やっぱり初期のころは、みんなベンチャーキャピタルはお金を出資してもらっても、お金の使い方をみんな知らないから、すごく使ってしまう。いきなりハーマンミラーの椅子を買ってみたりとかいうベンチャーもあったし。
佐藤:調達資金でやけにオフィスが派手とかね(笑)。
宇佐美:お金の使い方をやっぱり知らなくて、派手に使っちゃったところっていうのは残っていなかったような気がするし。あとはなんだろうな……。
小澤:全体的にいうと、多分早めに入っている人達は生き残っている確率が高いです。早く始めてるっていうだけで。僕らも正直そういうところがあるかもしれない。
ただ、もちろん志がインターネットって儲かりそうだとか、本質的な部分じゃないところでお入りになられた方というのは辛いこともあるから、ひょっとしたら抜け落ちていくのかもしれませんけれども。
僕の正直な感覚でいうと、思ったよりみんなしぶとくやっていて、言っちゃなんですけれども、うさぽん(宇佐美)の会社、15年かけて上場してんだからね。
宇佐美:そうね、長いからね。
佐藤:リードタイム長かったと。
宇佐美:リードタイム長い老舗だから(笑)。
小澤:その間、あの手この手で(笑)。
宇佐美:食いつなぎながらね(笑)。
佐藤:確かにね。今日こういう日が来るとはさすがにね、わからないですよね、当初は。
小澤:正直もっと早く成功するかなとみんな思っていたけれどもね(笑)。
佐藤:意外と時間かかった。
小澤:意外と時間がかかった。アイスタイルだって長かったよ、成功するまで。
佐藤:粘り強いっていうことですかね。
小澤:粘り強い! 信じた物にしがみついて。それぐらい強烈な体験なんじゃないですか、インターネットって。
佐藤:確かに今、小澤さんの話を聞いて思うのは、インターネットが好きっていうね。お金が儲かるとか偉くなるとかモテるとか、こういう動機もあるんだろうけども、インターネットが好きで、インターネットが世の中をどう変えていくかを、ちゃんと当事者として関わっていきたいみたいな部分は、わりと共通している気がするんですよね。
小澤:そうです、おっしゃる通り。人単位で見ていると本当にそんな感じがする。駄目になったって、例えば、どこそこという企業がインターネットをやらなきゃっていって失敗した事例は、つまり大企業がインターネットビジネスを立ち上げて上手くいかなかったっていうプロジェクトはいっぱい知っていますと。
ただ一方で、なんとかさんという人が、その会社の中で失敗したプロジェクトもたくさん知っていますけれど、この人は何度も何度もいろんなことをやって、最終的にはこの人としては成功している。企業単位でやると誰がやっているか見えないので、失敗しているプロジェクトもあるし。
やっぱり人ってインターネットに感化されたり、すごく凄みを知った人は、やり遂げている方が多いんじゃないかなと僕は思います。それがひょっとしたら、僕なんか典型ですけど、自分の会社でスタートをしていろんな経緯があって、他の会社に移ってやり続けているという人も含めていうと、例えばイエルネットの本間(毅)さんとか、ソニーにいって楽天で役員やって、やっぱり最先端を走っているわけじゃないですか。
佐藤:いつもね。
小澤:そう。そういうパターンの人って結構多いんじゃないですか。
佐藤:人材単位でいうと、確かにそうですね。
小澤:そう。人単位でいったら結構生き延びている。プロジェクト単位でいったら、殆んどダメ(笑)。そんなもんよね。
採用にこだわるべきだった
佐藤:あと後進の方々も、きっとこの収録を時には見ると思いますが、15年ぐらいの間で、あの時こうしておけば良かったなという反省をお二人にひとつずつ考えて頂いて。どうですか。あの時こうしておけばよかったな、俺、っていうですね、一番の反省。なんでしょう?
宇佐美:やっぱりね、最初からもっと採用に力を入れてやれば良かったなと。
佐藤:採用。最初はそんなに優先順位上げていなかった?
宇佐美:いや、上げてたつもりだったんですよ、重要だと。やっぱり人が大事だと。会社を作っていくのは人だ! みたいなことは本を読めば書いてあるし、ビジョンが必要だとわかっているけれど、いざ実行しようと思うとなると、やらなくてはならないことがたくさんある中で、どうしてもそういうことがおざなりになった部分が、今考えるとやっぱりあったなと思っていて。良いチームを作るというところに最初からもっと拘ってやっていたら、もっと成長が早く加速出来ていたんではないかというふうには思いますね。
佐藤:割とあれですよね、組織の作り方とか、採用とか、育成一つとっても、あまりロールモデルとかいなかった時期ですよね。皆さんの世代は前例がない中で、自分たちでもがきながら、自分たちの経験で少しずつ自分たちなりのスタイルを作ってきたという時期かもしれないですね。
宇佐美:そうですね。ちょうど僕らの、99年2000年ぐらいの頃って、いわゆるビジネスモデル特許みたいな。ビジネスモデルが最初にあって、そこからネットビジネスを考えるみたいなのが多かったじゃないですか。組織を作るとか、チームを作るとか、あまり考えなかったというか、優先度低かったですよね。あの当時というのは。
小澤:訳がわからなかったね。
佐藤:あと思うのは、当時でいうとインターネットっていう大きなジャンルの中に、ものすごくたくさんのビジネスが立ち上がっていたんですよね、同時にね。それこそ、コマースにしても、広告にしてもCGMにしても、いろんなジャンルが同時多発的に立ち上がってくるので、フォーカスを利かせるというのが僕は当時一番すごく大変だったなという。
他にやりたいことが出来ちゃうわけですよ。あれもこれもしたいなと思えるものが、周りの話を聞いていてもすごく入ってきて、したくなっちゃう。とはいえ経営としては絞り込みたい。これを結構苦労しましたけどね。小澤さんどうですか、一番の反省。こうしとけば良かったなっていう。
小澤:反省はないんですけど、重要な選択を何回かしている時の、別の選択肢を取ったらどうなっていたのかなって思う時ありますよ。つまり、会社を売っているわけですよ、2回。
佐藤:はい。
小澤:あと楽天を辞めているわけです。例えば楽天に売らずに、現金4億ぐらいあったから、会社としては。あのまま続けていたらと思うんですね。当時同じようなビジネスをやっていたDeNAがあって、何かの挨拶で南場(智子)さんに会社を売ることにしましたって言ったら「逃げやがった」って言われたんですね。
佐藤:なるほど。
小澤:こんな言葉だったかどうかは覚えていないけれども。僕はその時、このビジネスって絶対にeコマースって1社2社勝ちだから、でっかい会社としっかりやっていった方がいいんですよ、と心から思って納得している部分もあって、株主の意向とかもあったんだけれども最後は納得して売却して、DeNAさんこれ大丈夫? って思っていたら、5年経って全然ビジネスモデル変わってドーンとなっているわけですよ。
佐藤:そうですね。
人材を急速に成長させるインターネット業界
小澤:さっきの話じゃないですけれども、あの手この手で会社って成長していく中で、俺あれ売らなかったら、ひょっとしたら、今ゲーム会社ですごく成功してたんじゃないかって思うのが一つ(笑)。あと、売却も楽天かeBayかっていう話だったんで、eBayに売っていたら、少なくとも英語は喋れただろうなと(笑)。
佐藤:米国いくからね。
小澤:そうそう。米国いくから。あと楽天は、いろいろ考えて辞めてるわけですよ。辞めなかったらどうなっていたかなとは思うんですよね。そういう人生におけるいろんな岐路があって、インターネットって業界自体がガラガラ変わってるから、おそらく通常の会社とかで働いているよりも、重大な決断を迎える局面が多い。
佐藤:多いですね。
小澤:それはたまに考えますけど、当然検証のしようがないから、今がベストだっていうことにしてるんですけど(笑)。それはね、振り返ります。やっぱりインターネット業界って動きがでかいから。
御社もそうですけど、あの時この事業をやっていたら、辞めたらとかって考えるじゃないですか。オポチュニティは多いしね。それは思うな。あと新しい会社が出てきた時に、なんでこれ先に思いついていたのにやらなかったんだ!? とかね(笑)。
佐藤:それ悔しいですよね。それ、かなりありますね。
小澤:そうそう。そういう意味じゃインターネット業界って面白いですよね。そういうオポチュニティが死ぬほどあるんだ、とかね。
佐藤:確かにね。業界のスピードが早いから、経営者も意思決定の回数が、多分一般の平均よりも多くなるんだと思いますね。
小澤:他の産業よりは、その決断が及ぼす影響が大きそうに見えますね。
佐藤:見えますね。するとやっぱり人材の成長スピードとか、経営者としての上昇カーブというのも、わりと決断とか意思決定のサイクルが早いが故に、修羅場をくぐって来ている回数、それが経営者の成長につながってタフになってきている。
だから生き残ってるっていう気もするんですね。つまり回転の早い産業というのは、やっぱりそれだけ人を鍛える力があるんじゃなかろうかなっていうのは、この15年ぐらいでも感じますね。だからサバイブしているという。
宇佐美:いいですよね。本当に経営をしていて、当然P/Lベースでの経営もあれば、B/Sであったり、キャッシュフローであったり、更に資本戦略も含めてという、これだけ総合的に若いうちから経験が出来る業界産業ってなかなかないと思うのです。
小澤:それはね、本当に思う。本当にインターネット業界入って良かったと思うのは、明らかに同世代の、例えば同級生、いろんな方と会った時に、やらして頂いている経験が5~10倍っていう感じで。
佐藤:そうですね、非常にエキサイティングな。
小澤:今の若い人たちも同じだと思う、本質的にはね。
佐藤:もっと、速くなっている感じしますね。