音楽プロデューサー・今井了介氏が登壇

司会者:さっそく「新しい価値の創造と才能をマネタイズすること」を始めたいと思います。Gigi株式会社代表取締役、作曲家・プロデューサーでもございます、今井了介さんです。よろしくお願いします。

今井了介氏(以下、今井):よろしくお願いいたします。

司会者:今日はオンラインとオフラインでの開催なので、ギャラリーがいます。

今井:たくさんのみなさまにお越しいただき本当にありがとうございます。そして、Startup Hub Tokyo TAMAのみなさんから、素敵な機会をちょうだいしまして、まずはお礼申し上げます。

司会者:ありがとうございます。

今井:ただいまご紹介にあずかりました今井了介と申します。今日は「ヒット曲とフードテックを通じて見えてきた『新価値創造』とは?」というテーマで、「食と曲」の2つの事業でやってきたことをお伝えします。

どうやって自分の生まれ持った才能(タレント)をマネタイズするか。もちろんみなさん、各々の向き不向きもあると思います。でもやっぱり生きていく上で、お金にしていかないといけない。その方法は労働の対価も含めて、いろいろなかたちがあると思いますので。

今日は、そんな話をみなさんにお届けできたらと思います。

司会者:楽しみです。お願いします。

今井:あらためまして自己紹介をさせてください。今井了介と申します。ここに書いてあるとおり、作曲家・プロデューサーとして、タイニーボイスプロダクションという会社を経営しています。そこでは作曲家のチームをまとめるようなエージェントおよび音楽の制作をしています。私自身も、作詞家や作曲家、プロデュースの仕事をしています。

その下に、「ごちめし」「さきめし」「びずめし」といったフードにまつわる……。「めし」とついてるのでみなさん、ご想像にたやすいかと思いますが。

いわゆるフードテックと呼びますが、Gigi株式会社という飲食にまつわるWebサービスやITサービスの会社も経営しています。この2つのお仕事をどんなふうに始めて、やってみたらどんな問題が起きて、どうトライアンドエラーをしてきたかも含めて、みなさんにお話ができたらと思っています。

音楽制作に携わった30年間で劇的に進化したテクノロジー

今井:音楽のほうがキャリアとしては非常に長くて、20代からずっと続けさせていただいてるんですけれども。「タイニーボイスプロダクションは、そもそもなんなの?」というと、日本をはじめ世界でたくさんのポップミュージックを排出する、作曲家、作詞家、クリエイター集団です。そんな位置づけだと思っていただければよいかと思います。

今、みなさんがこうやってZoomで参加してくださったり、リモートでお仕事ができたり。パソコンも、グラフィックや音楽、動画などよっぽど重たい作業をしている人でなければ、コンパクトなラップトップのパソコンを使っていらっしゃると思うんですけど。

パソコンやiPhone、スマホ、こんなにテクノロジーが進化するとは……。当然僕が音楽を始めた1990年代初頭は、この(スライドの)一番左にあるグレーのノートパソコンでした。これ、実は古いMacなんですよ。

90年代のMac、Appleのノートパソコンです。みなさんのパソコンのRAM(メモリ)は、だいたい今は最低2ギガ、4ギガ、8ギガぐらいは入っているでしょ。ノートパソコンでもすごいので16ギガとかありますけど。

僕が最初に買ったApple Computerのノートは、メモリ4メガです。

司会者:4メガ(笑)?

今井:4メガです。今で言うとJPEGが1枚あるかないかぐらいですかね。高解像度だと、もう到底1枚のJPEGも入らない。ハードディスクは、今だとどれくらいだろう。512ギガ、1テラや2テラぐらいがだいぶ常識になってきたと思いますが。当時のハードディスクは80メガ。

司会者:80メガ(笑)。

今井:OSでだいたいフロッピー12枚分ぐらい使った記憶がある。OSだけでたぶん20メガぐらい使っちゃうんで、残りハードディスクとして使えるのは60メガぐらいの、そんなパソコンで最初は打ち込みを始めました。

写真の2枚目を見ていただくとわかると思うんですが、これは1995年で、こういう巨大なレコーディングスタジオに入らないと音楽を作れなかった。

この写真は、私の自宅の作業場ですけど。今だとスマホ1台で本が読めます。電話ができます。手紙やメールができます。音楽が聴けます。

例えば、かつてはカセットウォークマンを持っていたし、CDウォークマンがありました。本を持ち歩いてました。初期の携帯電話はこんなに大きかったです。手紙を書くため、ノートに書き留めるためのツールがあった。それからボイスレコーダーも。こういったものが今ではスマホ1個にまとまりましたよね。

MacBook1台で旅をしながら音楽を作れる時代

今井:これは音楽業界でも同じことが言えます。この1998年と2001年の写真、部屋がきれいになっただけで、置いてあるものは一緒です。この頃、スタジオに置いてあるすべての機材が1つの塊となって、作曲作業やコンピューターを使った音楽の打ち込みをやっていたわけです。

それが今、このMacBook1台で済むようになってしまった。荷物も減りまして、旅にも出やすくなりました。

僕が子どもの頃、よくいろいろな作家さんがあとがきに、「なお、この作品は一部ボストン、ニューヨーク、東京、そしてローマで執筆されました」と書いてあった。当時だと、作家さんはファックスさえつながれば、原稿が納品できたわけですよね。

そういう世界にすごく憧れていたものの、1998年に機材を全部持って身軽に旅するなんて、絶対に無理じゃないですか。でも、パソコンなどがすごく進化したことによって、今は自由に旅をしながら音楽を作るライフスタイルにも入りました。

(スライド)右下の2004年や2019年の写真では、自身の会社にレコーディングスタジオを作って、いろいろなアーティストや作曲家のみなさんが来て曲を作る場所を提供する側になりました。

(スライド)左の2つが東京にあるレコーディングスタジオ。右がシンガポールとロサンゼルスのスタジオです。そこで現地のミュージシャンやプロデューサーと一緒に、ローカルなアーティストの曲をプロデュースしたり書いたりする作業をしていました。

チャリティー企画からTV番組まで、楽曲制作以外の幅広い活動

今井:毎日ただ作詞作曲の仕事だけをしているわけではなく、いろいろな企画を立案したりプロジェクトを立ち上げたりもしています。

これ(スライドの左上)は安室ちゃんが、小室哲哉さんのプロデュース時代から新しくリブランディングする時期に立ち上げた「SUITE CHIC」というプロジェクトです。こちらの企画はm-floのVERBALくんと一緒にさせていただきました。

ちなみに、この写真は当時タワーレコードで配っていた『bounce』というフリーペーパーの表紙ですが、そういった仕事もやらせていただきました。

それから(スライドの右上が)2003年に始めたチャリティープロジェクト「Voice Of Love(Posse)」。フィリピンやガーナに学校を作って楽器などの教材を送り、さらには箱物を作るだけではなく現地に先生を送り込むというもの。10年かけて現地の教育者を育てていき、外部から来た教育者たちはいい意味でフェードアウトして、将来的には現地の中で教育が回っていく。

音楽の売り上げで「先生を育て、現地の子たちに算数などを教える活動をやっていこうじゃないか」というものですね。

(スライドの左下は)みなさん、MTVはわかるかな? MTVという音楽専門チャンネルがあるんですが、そこでプレゼンターやオーディション番組をやらせていただいたり。

さらには、(スライド右下の)国境なき医師団へのサポート。それこそ12年前の昨日、3.11東日本大震災では、音楽を通じた社会貢献活動として何かできることがないかと、アーティストみんなで震災の義援金を募ったりしました。

私は、『We Are The World』を見て育った世代です。あれは当時、アフリカの飢餓に苦しむ子どもたちを救おうと、マイケル・ジャクソンらが立ち上げたプロジェクトだったと思いますが。

作曲家として音楽で体を成した時に、何か違ったかたちで少しずつでも社会に還元したいなという思いがあって、こんなことをしてきました。

司会者:すてきですね。

今井:さらに、(スライドの左は)2022年にBTSのいるK-POPの事務所「HYBE」のオーディションで、審査員をやらせていただいて、これがHuluで全世界配信されました。BTSの曲もタイニーボイスで何曲も書かせていただいています。

あと、(スライドの右は)BSジャパネクストという新しく立ち上がったBSのテレビ局で、毎週木曜日夜の9時から10時まで『今井了介のおとめし』と言って、アーティストを招いて、音と食事の記憶を辿る冠番組をやらせていただいています。

司会者:本当に活動の幅が広いですね。

レコード会社が強かった時代の音楽作りの特徴

今井:音楽はビジネス的に非常に複雑な仕組みを持っています。

私が音楽を始めた90年代は、いわゆるCDバブル真っただ中。CDがものすごく売れたわけです。それこそミリオン、ダブルミリオン、トリプルミリオンみたいなのが山ほど生まれた。

そういった中で、逆に音楽産業の混頓化が進み、さらにはガラパゴス化と言いましょうか。日本の国内だけで巨大なマーケットを持っているので、なかなか海外に出ていこうとしない日本という国も形成されていった。

ちなみに今みなさんは、Apple Music、Spotify、LINE MUSICなどサブスクリプションやいろいろなかたちで音楽を聴かれるかと思うんですが、それに比べるとCDははるかに利益率がいいんです。200万枚や300万枚売れると、当然音楽家にも大層な著作印税が入ったわけです。

売れることにすごく直結した音作り。要はマーケティングが非常に優先されていた。音楽家として何を作ったら、音楽的にもっとレベルが高く、グローバルでも勝負できるものになるのか。そんな考えはまず置き去りにされて、非常にマーケティングファーストな音楽作りになっていました。

逆にそこにすごく反感というか、反旗を翻すじゃないですけれども「ただ売れるだけじゃなくて、次世代につないでいくために、もっとかっこいい、すてきな音楽を作りたい」というプロデューサーやミュージシャンたちがたくさん生まれた時期でもあります。

そういうプロデューサーやミュージシャンは生まれてはいたんですが、CDとなってリリースされる作品は、やっぱり売上を考えてレコード会社に一存されていた。レコード会社の人が気に入らない限り、音楽が世の中に出る仕組みがなかったんです。

今だと、みなさんは想像つかないでしょ。今はTikTokやYouTubeがあって、自分たちでiTunesやApple Musicに契約できるTuneCoreというサービスがあったり。資本金の大きなレコード会社とのディストリビューションがなくても、今は音楽が自由に発表できる時代になっています。

この頃は日本に限らず、世界的にインターネットがそこまで発達していないのもあって、レコード会社の人に気に入ってもらってなんぼみたいな音楽作りになっていた。当然のことながらマーケティング優先。どちらかと言えば、日本独自のポップスが増えていき、海外でも通用するようなポップスを作ろうという動きが極めてなかった時期です。

海外の音楽シーンを見て学んだこと

今井:そこに何か一矢報いようと、僕は海外に足しげく通いました。海外で音楽をリアルに作っている方と一緒にスタジオに入って「あ、こういうふうに作っていくから、サウンドのテクスチャーがこんなに違うんだ」と学びました。

今だったらYouTubeを見て、「How to make Hip-Hop beat in Logic Pro」とか入れると、みんなが作り方を見られるわけですよ。

当時はそんな便利な時代じゃなかったから、けっこう自分の足で稼いだ。次の時代に進めていくため、この業界が持っている問題を解決するには個人が足で稼ぐしかなかった時代でした。

(スライドの)2つ目をちょっと読みますと、「トラック/ビートメーカーに著作印税が入らず、音楽的に大きな役割を担っているにも関わらず、音楽家としての地位が低かった」。

意味がわからないと思うんで、ちょっと解説します。「トラック、ビートメーカーは何の仕事しているか」というと……、みなさん、ヒップホップがわかるかな。ラップとかヒップホップって、韻を踏んだり、言葉巧みにリズミカルにリズムに言葉をのせて歌うわけです。リリックと言われていますが。

リリックの後ろに、ドラムやビートなどの音楽が流れたりします。僕らはそれをビート、バックトラックと呼びます。当然これを作る人がいるから、そこに音楽があるわけですよね。

ここからインスパイアされて、ラップになったり、メロディをつけて歌うようになったりする。このバックトラック、ビートを作っている人は、すごく大事な役割を持っています。

だってみなさん、思い浮かべてみてください。イントロだけでハッとするような曲があるじゃないですか。イントロだけだと、まだ歌詞のような言葉ものはないけれど、音楽自体にハッとする瞬間は誰にでもある。なんか音楽ってそういうものじゃないですか。

バックトラックにインスパイアされて、ラップやメロディがのっていく。バックトラックを作っている人たちは、海外では著作印税の半分を持ってくだけのパワーがある。プロデューサーはすごく高い地位で、著作印税の半分はプロデューサーにいくんです。

正当な報酬を得るためのロビーイング

今井:日本はどうかというと、バックトラックがあることで生まれたメロディ、ラップ、歌、歌詞があっても、この人は編曲家扱い。編曲家には著作印税が入らないんです。要は買い取りですね。

例えば若手だと1万円、ちょっとベテラン、中ベテランぐらいで20万円、本当に超ベテランで40万円や60万円ぐらいかもしれません。そんな価格で買い取られて、100万枚売れようが200万枚売れようが、作詞家・作曲家ではないという扱いで、ぜんぜん著作印税が入らないんです。

でも、もう1回思い浮かべてみてください。あの印象的なイントロや音楽で、その曲がどれだけみなさまの印象に残ったか。もしくは、その曲を作る時にどれだけ大事な土台になっていたかを考えると、本当は海外の人たちと同じように、作曲家や作詞家の一部であると捉えられるべきであろうと。

そういうことで、レコード会社や、著作権を取りまとめる機能を果たしている音楽出版社に大きなロビーイングをして、今ではビートを作った人がだいたい作曲の半分ぐらい著作印税がとれるようになったのかな。それが今では常識になりました。

なんか「ただ単に自分が好きな仕事をやっていますよ」じゃなくて、それがどれだけ音楽業界の中で大事な役割を担っているのかを考える。その中で「その人は報われるべきですよね」ということに取り組んできました。

音楽家のための事務所を作る意義

今井:それから、新しい業態の誕生と、音楽ニーズの開拓。新しい音楽をもっと作っていきたい、広めていきたい、もっと知ってほしい。そういった才能ある若手たちを束ねて、「タイニーボイス」という音楽家(作曲家、作詞家、音楽プロデューサー)のためだけの音楽事務所を作り、次世代の育成にも関わってきました。

ちなみに、こういった作曲家の事務所は少ないんですよ。

司会者:聞いたこともないですね。

今井:すごく少ない。だいたいみなさんが思い浮べるのはタレントやアーティスト、今だったらインフルエンサーさんの事務所だと思うんですけど。こういった著作物を扱う人たちの事務所は今でも非常に少ないですし、当時はもう「えっ、音楽家がそんな仕事を始めるの!?」みたいな感じでした。音楽家はみんな、だいたい個人商店なんですよ。

司会者:そうですよね。

今井:自分1人で生きていて、裏を返せば自分以外は全員競合になっていく。でも、自分たちがちゃんと若者まで取り込んで、きちんとビジネス化していくことで、若者にもチャンスをあげられる。例えば「こういう曲のお話が来たんだけど、どう?」といったチャンスを与えてあげる機会にもなるんじゃないかと。

結果、タイニーボイスができたことによって、音作りや音楽業界でも「もっといいものをちゃんとみんなに知ってもらおうよ」というムーブメントが起こり、レコード会社の人たちにもどんどん浸透していった。ここに書いてありますとおり、BTSさんやBIGBANG、TWICEといったK-POPにも。

司会者:名前がすごい(笑)。

今井:もう日本で活躍されているアーティストのあらゆるジャンル。例えば、三浦大知さんやジャニーズさんのアーティスト、EXILE、三代目J Soul Brothersさん、THE RAMPAGEがいるLDHさんのアーティストですね。

それからDouble、リトグリ(Little Glee Monster)さん、元ジュディマリ(JUDY AND MARY)のYUKIさんなど、本当に多岐にわたって日本のヒット曲をたくさん作らせていただきました。

司会者:すごいメンバー。

今井:やっぱり時代がすごく変わりました。レコード会社や音楽家の事務所などが、作曲家に向けて「音楽家はきっといいものを提案してくるであろう」という期待感を持つ時代になりました。

生き残るために、クリエイターが創造性に加えて持つべきもの

今井:「そんな偉そうなことを言って、じゃあどれぐらい売れてるの」と言いますと、だいたいまあ、2,500タイトルぐらいがTop10圏内になっています。

司会者:すごいですね。

今井:CDセールスがだいたい8,000万枚以上でもうカウントできません。

あとストリーミングに関しては、1曲でも億を超えるような曲があって。うちのスタッフ総出でカウントできるかトライしてみたんですが、もうわかりません。計測することすらやめました。ちょっとカウントできません。

みなさんご存じのとおり、今、レコード屋さんやCDショップはもちろん0ではないですけど、ほぼないじゃないですか。

僕はこれだけCD業界の話をしていますけど、僕ですら今はもうCDプレイヤーを持っていないんですよ。

司会者:CDプレイヤーをね。

今井:もうプレイヤーはないですね。音楽の聴き方が変わりました。例えば僕の子どもの頃はカセットやレコードもまだありましたし。ほどなくCDになって、MDがあった時期もありました。その後iTunesやレコチョク、みなさんそのへんは覚えてます?  まだガラケー時代で、音楽をダウンロードして聴く時代でした。そのあとLINE MUSIC、Apple Music、それからSpotifyなどサブスクリプションという定額制聴き放題サービスに突入していく。

音楽の聴き方も、流通の仕方もどんどん変わっていく中で、CDショップがなくなってみたり。CDを作る工場は0ではなく、今でもまだ作っていますが、圧倒的に出荷量が減って事業規模は縮小されています。

さらにはCDを運ぶための流通も変わりました。それが黒い猫系なのか、こう荷物を背負った方なのか、いろいろなマークの方々がたくさんのCDを工場から全国のCDショップに運んでいた。こういう流通もなくなったということです。

いろいろな人の仕事が奪われたりなくなったりしていく中でも、音楽を作る人、歌ったり演奏したりパフォーミングする人、そして聴く人は絶対になくならない。

こういった一番風上というか上流の仕事の大切さが、より際立ってくるんだろうなと思っています。そんな中でこうやって数字を出せていることは、すごく名誉なことだなと思って取り組んでいます。

何が言いたかったかというと、例えば「今このアイドルがめちゃめちゃ売れているんで、このアイドル用の曲を書いてください」と言われたとします。それも、もちろんいいんです。お仕事として、ちゃんとマネタイズしていく意味でやるべきなんですが。

でもその先を見た時に、次の時代はこれが来るんじゃないか、流通が変わると音楽の聴かれ方が変わるんじゃないかと考える。ただ「クリエイティブで、とってもすてきな作詞ができます」だけじゃなくて、絶えずそういう先見性も持っておかないといけないと思います。

1曲3分前後の長さの楽曲が増えた理由

今井:ちなみにちょっと余談ですけどおもしろい話なんで。最近の曲は短いと思いません? どうでしょう。みなさんの平均年齢が本当にバラバラでわからないんですけど、昔の曲は5分近くありました。

司会者:そうですね。5分ぐらい。

今井:時には大作と呼ばれるような曲だと5分を超えたり。でも、今はだいたいみんな3分ぐらい。なんでだと思います? 

司会者:なんでですかね。

今井:CDは、1回買ってもらうのが大事なんですよ。いろいろなレコード会社のプロモーターやセールスマンが、アイデア・趣向を凝らして発売前から動きます。今日は3月12日だっけ。例えば4月1日が○○というアーティストのリリース日だとすると、4月1日にかかる週の音楽番組に死ぬ気でブッキングする。

この週に出る音楽雑誌に取材してもらい、この週に目がけてテレビCMやラジオCMを打って、有線やラジオにたくさんプロモーションにいって、1週間でどれだけバコーンと立ち上がるかを本気で目指す。何千万円、何億円のプロモーションをかけてCD業界の売上となる。

でも、今のバイラルチャート(再生回数ランキング)やサブスクリプションは、どんなにレコード会社がプロモーションしても、結局みんなが好きで聴いてくれて、再生回数を積んでいかないとヒット曲にならないんです。

意外とおもしろいのが、名もなき新人が半年かけてトップチャートに上がってくるみたいなことが非常に多い。だからある意味“大人の力技”ではなくて、非常に民主的な音楽の聴かれ方です。

収益構造も違う。今は再生回数に応じて、著作者やアーティストにお金が入るんですね。だから「1回買ってもらうのか、1億回聴いてもらうのか、どっちがいいですか」となると曲の作り方が変わる。なんかちょっと見えてきました?

5分の曲は何度も聴かないけど、3分ぐらいの曲だともう1回聴きたくなる。イントロが短くてすぐ本編に入ると、次の曲にスキップされづらいとか。最近の曲はイントロもないか、もしくはめちゃめちゃ短い。

家に帰って昔自分が好きだった曲と最近流行ってる曲を、ぜひ聴き比べてみてください。最近の曲は、めっちゃイントロがないですからね。イントロが長いと次の曲に飛ばされちゃうんですよ。

時代が必要とする曲はどっちもグッドミュージックなんだけど、インフラが変わると聴き方も作り方も変わることを、作り手は絶対に認識しなきゃいけない。

音楽業界は結局聴いてくれる方が喜んでくれることが大事。自分の才能や自分が好きになったジャンルを極めていく時には、まずは全体のバリューを上げていくことを意識しながら「必ず周辺知識も見ていきましょうね」ということです。