「昭和の人生すごろく」の終わり

中村直太氏(以下、中村):グロービス経営大学院の中村です。このコーナーでは、心に響いた言葉をシェアしながら、仕事やキャリアに役立つヒントをひもといていきます。

今回の言葉は、「自分の道を歩いて迷うほうが、他人の道を正しく歩くより好ましい」です。みなさんはこの言葉、どのように受け取られたでしょうか?

これはゲーテの言葉です。より正確には、「自分自身の道を歩いて迷っている子どもや青年のほうが、他人の道を正しく歩いている大人より、私には好ましい」と訳されています。

ゲーテが生きていた時代は、17世紀後半から18世紀前半あたりですが、時間を超えてこれからの時代を生きる私たちの生き方について、深く考えさせられる言葉だなと思ったので、ピックアップしています。

2017年に経産省の若手から提出されたレポート、「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」が話題になっていました。

世間的に良いといわれる偏差値の高い学校を卒業し、知名度の高い大企業に就職して、雇用の安定保証と引き換えに、会社の都合を引き受けながら、一生涯勤め上げて定年退職して、年金暮らしをする。

こんな標準的なモデルを「昭和の人生すごろく」と呼んでいましたが、その「昭和の人生すごろく」のコンプリート率が、大幅に下がっていることを伝えていました。それを伝えて、「私たちは自分の人生を捉え直す転換点にいる」ということを、外的要因から示唆するようなレポートでした。

「昭和の人生すごろく」が示す人生を正しく歩いていくのは、決して簡単なことではないと思います。けれども今と比べると、人生についてあれこれ考えなくてもいいとか、なんとなく正解っぽい「勝ち組」といわれるルートが示されているとか。そんな側面から考えると、人生に迷うことは今よりも少なかったのかもしれません。

一方で、社会から提示された「標準モデル」がみんなにとって自分自身の道だったかというと、必ずしもそうでない場合も多かったんだろうなと思います。つまり、「昭和の人生すごろく」の示す標準モデルは、自分のキャリアに責任を持つ度合いが小さかった半面、キャリアの自由も限定されていたのだと捉えることができます。

キャリアに迷う状態は、決して悪いことではない

では、この先の時代はどうなっていくのでしょうか? すでにその兆候が色濃く出ていますが、おそらく自分のキャリアに責任を持つ度合いが圧倒的に高まります。

同時に、キャリアの自由はかつてないほどに広がっていくことでしょう。この先は、自分の身は自分で面倒をみる時代であって、自分らしい選択をして生きられる時代であるとも言えます。そして、大いに迷う理由が生まれる時代とも言えるかもしれません。

ゲーテの表現を借りると、「他人の道を正しく歩くよりも、自分自身の道に迷う時代に突入した」とも言い換えられるかもしれません。

そう考えると、キャリアに迷う状態は、決して悪いことではないと思います。なぜなら、他人の道を正しく歩いていた人が自分自身の道を歩き始めようとする時に、必ずその迷いが生じると思うからです。迷っていること自体が、自分自身の道を歩いている、あるいは歩き始めようとしている証拠なんだと思います。

ゲーテが「私には好ましい」と表現したように、これは生き方の問題なので、どちらの生き方が好ましいかは、私たち一人ひとりの中にしか答えはありません。一人ひとりが自分の責任で選べばいいものだと思っています。

ただ、時代は「自分自身の道を進め」という強いメッセージを発してきているように思います。さらには、「他人の道を正しく歩く」という選択肢が失われつつあるようにも思います。

最後の時に自分で「好ましく思える」生き方

私がグロービス経営大学院の講師として登壇させていただいているキャリアセミナーの最後には、こんな言葉を送ることがあります。「人生がいつか終わってしまうことよりも、人生がいつまでも始まらないことのほうが怖い」と。

「人生100年時代」といえども、長くてたったの100年足らずです。人生が終わってしまうことは、誰にとっても恐ろしいことだと思います。

ただ、その「死」以上に恐ろしいことは、自分の人生がいつまでも始まらないこと。自分自身の道をいつまでも歩き始めないこと。さらに言うと、自分が意味や価値や幸せを見出す何かに、自分の命や時間が使われていないこと。それが、最も恐ろしいことではないかと思います。

また、私の好きな言葉に「人生3万6,000日」という言葉があります。確か禅の言葉として教えていただいたのではなかったかと記憶しています。

結局人生は、長くて3万6,000日しかない。私はもうすぐ40歳なので、残りは2万2,000日足らずです。自分の道を選んで、迷いに迷ってどこまでも迷い続けたとしても、たったの2万2,000日。そう考えると、それくらいであれば、自分自身の道を追い求めて迷い続けてもいいんじゃないかとも思えてきます。

そして人生の最後に、私は「他人の道を正しく歩いたなぁ」と感じるよりも、「自分自身の道を迷いながらでも歩いてきたなぁ」と感じるほうが、好ましく思えるんだろうなと思っています。

まとめます。あらためて今日の言葉は、「自分の道を歩いて迷うほうが、他人の道を正しく歩くより好ましい」でした。

ゲーテの意図も汲みながら、私なりの言葉も添えるとしたら、「人生3万6,000日。一刻も早く、自分自身の道を迷い始めよう」。そんなことだったかなと思います。

みなさんはいかがでしょうか? 迷ってでも歩きたいと思える自分自身の道とは、あなたにとってどのような道なのでしょうか? こんなこともぜひ、考えてみてはいかがでしょうか。

今回も最後まで聞いていただき、ありがとうございました。今日もすばらしい一日をお過ごしください。