形式重視型の目標管理が生まれてしまう要因

坪谷邦生氏(以下、坪谷):まさに「個の主観」は「主人公感」だと思いますし、個の主観を「組織の主観」に向けてつないでいくという話ですね。その時に、高いクオリティで力を発揮するという部分は「個の客観(強み)」だと思いました。確かに、今のお話はこの4象限で語れそうだと感じました。

(坪谷邦生氏『図解 目標管理入門 マネジメントの原理原則を使いこなしたい人のための「理論と実践」100のツボ』より)

山田裕嗣氏(以下、山田):今の坪谷さんの補足で、なるほどと思いました。「人事が良い仕事をしようとすると形式重視型の目標管理をしてしまう」というのは、人事が悪いという話ではなくて、経営者もそれが人事の仕事だと思って期待している。

要は「人事にとっての良い仕事は、ちゃんと制度を回していることだ」と思われているのはなぜだろうと考えると、前提となる組織観が違うんだなと。この図でいう「組織の主観」が扱われていなかったからなんだと思いました。

今までは「組織の客観」として主に業績を上げることが大事にされていて、そのために「個の客観」として人の強みが扱われました。ただ、それだけでは足りないということで「個の主観」である夢を扱おうとしたけど、「組織の主観」である使命にはまだ届いていない、という構図なんだなという理解をしました。

目標管理がうまくいかなくなる、2段階の落とし穴

坪谷:そうなんですよ! ご理解いただけてすごくうれしいです。私の見立てだと2段階あると思っています。まず、例えば人事の「人事制度を作ることができる」「運用を正しく行うことができる」という強みと業績がつながってないパターンがあると思います。人事制度を作ったからといって、業績は上がらないんですよね(笑)。

山田:(笑)。

坪谷:強みと業績のつながりが切れていて、現場との齟齬が起きたり、人事担当者がやりがいをなくしたり、逆に管理側の締め付けにいってしまうのが1段階目です。

2段階目は、強みと業績はつながっている状態です。「確かにこの仕組みでいくと業績は上がる」というところまで合意が取れて回り出したけど、業績と使命がつながっていないので、ノルマ型になって疲弊してしまう。「組織の中の主観と客観が切れている」というのが2段階目です。

山田:なるほど、わかりやすい。

坪谷:よかったです。私も今、すごくつながった感じがしました。

嘉村賢州氏(以下、嘉村):例えば、「Why」と「How」と「What」があった時に、仕事の現場でHowは共有するけどWhyが抜けてしまっていたりすると、「テレアポ100件やってこいよ」とか。

「案件につながる新規顧客を開拓する」というWhyのためにやってるけど、「どんなかけ方でもいいから、100本かければいいんでしょ」という感じになっちゃうのは、Whyが抜けているのにも近い感じがします。

主観の部分をちゃんと共有することは、すべての物事にWhyの筋を通すような感じだと思うんですけど、そこのソリューションは今後どういうふうに展開されていくんでしょうか。

切れてしまった、個人と組織のつながりを取り戻すには

坪谷:例えば、テレアポ100件で結果を出すというのは個の客観(強み)だと思うんですよね。嘉村さんがおっしゃるとおり、「100件やったよ」というだけだと、主観とつながってないから、たぶん個の主観が乾いていくと思うんですよ。

でも、「これをやることで、元来僕がやりたかった『将来起業する』という夢につながるはずだ」「勇気を持ってお客さんにグイグイ踏み込んでいく力をつけたら、自分の夢にちゃんとつながるんだ」と思ってテレアポをしている人は、夢と強みがつながっている。

さらに、できることなら使命ともつながってるほうが良くて。「うちの会社は世の中にこんな貢献をしていこうと思っているんだけど、それにはお客さんとのつながりが大事で、テレアポはこういう意義がある仕事だから頼むぞ」と先輩や上司が彼に言えたら、使命と業績と強みがつながるんですよ。

それが、本人がやりたいことや将来こうなりたいという夢がつながると、4象限の循環がはじまり、螺旋状に上昇(スパイラルアップ)するのですね。だから、どの段階でつながりが切断されているのかを見極めて、切れているところをつなげることが必要です。

(坪谷邦生氏『図解 目標管理入門 マネジメントの原理原則を使いこなしたい人のための「理論と実践」100のツボ』より)

嘉村さんのご質問にお答えすると、おそらく夢と使命が切れているのではないでしょうか。私は、個の主観と組織の主観をつなげるのは、「物語」であり「対話」だと考えています。

嘉村:なるほど、そういうことですね。

オーナー不在の施策は「何をしても無駄」

坪谷:そう考えて、書籍『図解 目標管理入門』を執筆してきたのですが、個の主観や個の客観、組織の客観という領域は、すごく考えやすかったし、これまでの人事としての知識で深掘りができたんです。ただ、「組織の主観って何だろう」というところで、思考が止まってしまいました。

最近はパーパスなども流行っていますけど、私にはそれは「理念」の言い換えとしか捉えられなくて、あまり深い意味を見出せませんでした。組織の主観、使命をどう扱えばいいのかとか、自分の中で思考がまとまらなかったんです。

そんな時に、『すべては1人から始まる ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力』という、すごい本が出たんですよね。まさに組織の主観の本質が書いてあったので、驚きました。今度の本(『図解 目標管理入門』)のChapter.9に「ソース原理」を取り入れざるを得ないなと感じました(笑)。

『すべては1人から始まる』の中で著者のトム・ニクソンが、組織の主観、使命の話は「1人の人間から始まっているんだ」と言い切っていたことは、おこがましいようですが、私の実感とも同じだったんです。

例えば「人事制度を作って欲しい」と企業に依頼されて、一所懸命作ります。そうすると、すごくうまくいく時と、ぜんぜんうまくいかない時の差が明確にあるんです。その差を私の言葉で表すと、「主体者がいない」とか「オーナーがいない」ということなんですが、毎回困っていたんですね。

私は「オーナーは誰なんですか?」「主体者のいない人事施策は、お引き受けできません」「魂の入っていない仕組みなら作らない方が良いですよ」ということを毎回お伝えするんですけど、「坪谷さんの言ってることはなんとなくわかるけど、これはもう役員会で決まったことだから」「組織図上では、主体者は人事部長のはずだよね」などと言われて、会話がうまくつながらない。

「確かにそうなんですけど、本当にその人が主体者なんですか」と聞いても、なかなかピンとこない。私が言葉にできていない真実が、ここに何か必ずある、とずっと感じていました。

心からその施策や仕組みを自分の責任で進めようとしているオーナーがいる時はすごくうまくいくんですね。しかし、そういう方がいらっしゃらなかったり、そういう方とつながれない時は「何をしても無駄だな」という状態になってしまう。

それを、ソース原理では「1人の人間である」「ソース(創造の源)である」と言い切ってくれたことで視界が晴れたんです。すごく感謝しています。そのソース原理について、ご説明いただけますか?

独裁に陥らないビジョンの実現方法がある

山田:賢州さん、ぜひ(笑)。

(一同笑)

嘉村:私がソース原理に興味を持ったのは、ティール組織のフレデリック・ラルーが、「もし出版前に知っていたら絶対に紹介した」とわりと強く言ってたからなんです。ティール組織とソース原理は源流が違うので、いったん別物と思ってもらったほうがいいんですけど、フレデリックがそんなに推しているということで何だろうと思ったんですね。

もともとソース原理は、ピーター・カーニックが2010年頃から提唱し始めて、口伝で広がっていました。ピーターが文章にすることに興味がなかったというだけなんですけど(笑)、ヨーロッパを中心に広がり、弟子たちが立て続けに本を2冊出して、英語でも翻訳されていたので、片方を日本で出版したという流れですね。

(ピータ−・カーニックが)いろんな人と向き合っていく中で、実現するビジョンと消えていくビジョン、あるいは卓抜した組織を作り出している人と、途中でつまずいている人には、明確に違いがあることが浮き彫りになってきたんです。

スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのように、創業者特有の創造性を活かしている人もいるけれど、今はそういうビジョナリーな人の下で働くのはしんどそうだよね、というイメージもあると思います(笑)。

独裁に陥ることのないビジョンの実現方法があると分かってきたり、権力闘争や有害な文化といった組織でよく起こる問題が、ソース原理のレンズを持つと見事に整理されていくところがあります。

あらゆる人間の活動は、たった1人の創業者から始まる

嘉村:こういった理論は多くの場合、マネジャーやリーダーが使うもので、現場からすると管理されるツールだという偏りがあったんですけど、ソース原理は「ありとあらゆる人が創造性を発揮できる物事の集い方があるんだよ」としています。全員の創造性を発揮できると言っているのがユニークなところです。

同時に、最近は多様性を大事にする組織も出てきているので、ティールで言うところのグリーンが生まれてきています。小粒だったりバラバラ感もあるんですけど、「多様性を活かしながら、ちゃんとインパクトを残す仕事もできますよ」ということも教えてくれる。

もう1つユニークなのが、創業者自身がある程度の旅路を終えたら、ソースをバトンタッチして新たな旅路を始めるという流れです。スムーズな事業継承の仕方にも触れられているのもおもしろいところかなと思います。

じゃあ「ソース原理ってなんぞや」と言うと、究極はこの1つのメッセージですね。「プロジェクトにしろ、パーティにしろ、ビジネスにしろ、ありとあらゆる人間の活動はたった1人の創業者(ソース)から始まるんだ」と。

ソースは役目なんです。みんなアイデアは浮かんでくるんですが、それを思い切って動かす時は重い腰を上げるという、ちょっと違うエネルギーを発しているわけですね。

「誰がソース役なのか」を見極める方法

嘉村:アイデアを出して一歩踏み出すことを「イニシアチブ」と呼んでいて、これは絶対に1人から始まっている。ここにちゃんと注目できるか。

居酒屋とかでいろんなアイデアを出し合っていると、みんなで作ったと思えている時があるかもしれません。でも、定点観測すると「次はいつミーティングする?」というふうに、手を差し伸べている人と受け取った人がいて、その差し伸べている人がソースだと。

その人が誰かをちゃんと特定しておけば、民主的な組織も当然作れるんですけど、(物事を進める時に)きれいに流れるんですよね。

ソース役は、ビジョンに関するいろいろなアイデアを受け取って、次のステップを明確にします。よく現場から「社長は次から次へとかき回すというか、ちゃぶ台返しするんだから、もっと明確に全貌をしっかり伝えてくださいよ」と言われることが多いんですけれど(笑)。

そもそもソース役はそういうことが多いんです。直感・確信はあるけれども、全貌がこと細かに全部見えている人なんてほとんどいない。でも、現場から出てきたものを見た時に「それは俺がやりたかったものとちょっと違うんだ」とわかる。

初めから境界線を示そうと思ってもわからないんだけど、何かが生まれてきてやっと示せるという部分もちょっとおもしろいところですね。

ビジョンを実現するために、取り組みの一部を仲間に託す

嘉村:ビジョンは1人では実現できないものなので、(ソースは)ヘルパーという仲間たちと一緒に実現するんですけれども。(その中で、特定の部分をソースとして引き受ける人のことを)サブソースと呼びます。

サブソースが持っている夢と、大元のソース役が持っているビジョン(グローバルソース)が共鳴した時に、「この部分はあなたがソース役のつもりでやってください」というふうに、その人に任せてバトンタッチします。

そうすると、サブソースは自分の夢と(ビジョンが)響き合っているので、自然に次の一歩を考えてしまう。創業者と同じように四六時中考えている状態になり、もうグローバルソースはほぼ介入しなくても、勝手に物事がうまくいくと。

ただ、境界線を越えて広がりそうな時には「そこは違うんだ」というふうに境界線を示すこともありますが、基本的には介入しないほうが絶対にうまくいくので、(ソースとサブソースの)分かち合いで進んでいくのが特徴です。

ビジネスでの“バトンタッチ”が失敗するパターン

嘉村:イニシアチブがスタートする特別な瞬間があるように、バトンタッチにも特別な瞬間があります。よくあるのが「俺は卒業するからお前たちに任せた」という1対多でバトンタッチしてしまったり、丁寧な継承作業を行わずにいなくなってしまったりというもの。これはもう絶対にうまくいかない。

ちゃんと次のソース役に1対1でバトンタッチして、しかも儀式的にしっかり移行すれば、創業家が争うとか、会長と社長が対立するようなことは防げます。

最後に、本当は中立なはずのお金というものに対して、多くの人が過剰にポジティブだったりネガティブな色眼鏡で見てしまうことで、実はプロジェクトや組織などがうまくいかない要因になっている。実はピーター・カーニックがマネーワークというものを30年以上前に始めたことが、ソース原理の源流になっています。

やはり、お金の価値観をクリアにすることは、ありとあらゆる活動にとってものすごく重要であり、そのマネーワークとつながっているのは、ソース原理のユニークなところでもあると思います。

坪谷:ありがとうございます。本をじっくり読ませていただいて、理解できていたつもりだったんですけど、嘉村さんからお話を聞いてさらに深まりました。やはり「みんなで決めたんだよね」と日本人は言いたくなりますよね。

嘉村:集合的プロセスが好きですからね。ここは山田さんのフィールドでもあるんですけど、特定のソース役がいない集合知のあり方は、もしかしたら日本特有かもしれないです。その可能性は残しておいてもいいと思いますし、そういう事例もなくはないとは思うんですけど。

でも、よくよく観察すると、特に現代の日本は古い英知と西洋的なものが混ざっているので、集合的なようでいて、ちゃんとソース役が存在しているケースの方が多い気がします。

坪谷:私の実感からすると非常にしっくりきます。