人はなぜ「正解を当てよう」としてしまうのか?

安藤昭子氏(以下、安藤):それ(人が夢を書けずに苦しんだり、正解を当てねばならないと考えてしまう習慣)は組織の話ともすごく密接じゃないですか。人がなぜ正解を当てようとするのかと考えると、組織が安全な環境じゃないからですよね。外れても平気な環境なら、別に当てにいかなくていいわけです。

RMS(リクルートマネジメントソリューションズ社)さんの「個と組織を生かす」も、やっぱり個と組織は両面だから、どうしても必要なんだろうなと思います。このマトリックスもそうですよね。

(坪谷邦生氏『図解 目標管理-MBO・OKR・KPI-入門』より 2023年春発売予定)

坪谷邦生氏(以下、坪谷):「個と組織を統合する」という感覚を、たぶん多くの人が持てないんだと思うんですよ。どこかに偏ってフォーカスしているけど、それに気づいていないことが多い。

たとえば、こちらは書籍に添付される予定の目標設定ワークシート「MOK4」ですが、私は正しく書くことよりも、「どこが書けなかったか」を自覚することが大事だと思うのです。そこから原型を掘る旅は始まるんですよ。でも、書けないことへの恐れのほうが先立ってしまうところが難しいですよね。

(坪谷邦生氏『図解 目標管理-MBO・OKR・KPI-入門』より 2023年春発売予定)

目標を棚上げして、仲良しクラブ作りに陥る危険

安藤:この目標設定ワークシート(MOK4シート)を記入するのは、個人なんですか?

坪谷:個人です。私は、まずは個の主観から始めないと何も動かないと思っているんです。これまでいろんな企業に人事制度を入れてきて、できることもたくさんあったのですが、組織からのアプローチには限界もあると思うのです。

安藤:「夢」を書けるようになるまでのステップがきっと必要なんでしょうね。同時に、どんな夢を書いても受け止められる組織側の環境作りも必要です。

坪谷:そうですね。心理的安全性や対話型組織開発が流行しているのは、いわゆる目標管理をノルマ管理的に使っている状態への危機感からきていると思います。どちらもうまく使えると良いのですが、人間性重視に偏り寄り過ぎてしまうと、ただの仲良しクラブになってしまう危険もあるので、業績向上と人間性尊重を葛藤しつつも統合する感覚を持ってほしいのです。

安藤:コロナ禍で組織の求心力がバラバラになりそうな時に、もう1回みんなで一丸とならなきゃいけない、と。それで私たちもよくお聞きしたのが、チームビルディングの一貫としてゲーム大会や運動会をするというものでした。それ自体はいいんですけど、じゃあゲームで仲良くなった仲間と何をしようかっていう(笑)。

坪谷:(笑)。

安藤:そこの目的がすぽっと抜けてしまう虚しさが漂ってしまって、中堅どころで自分のモチベーションをコントロールできるような層が辞めていくという話を、同じ時期にいろいろな方から聞いたんですね。やっぱり組織の環境作りと個がひらく状態は、一度にやらないと意味がないと思いました。

「仕事を巡るコミュニケーション」が重要なわけ

坪谷:わかります。松岡正剛さんと当時のリクルートが一緒に考えた「モチベーション・リソース」では、「仕事を巡るコミュニケーション」だと置いたようですよ。陽明学的な思想ですが、人の中には必ず善なるものが埋まっていて、それはコミュニケーションによって発露することができると。そのための技術として、「コミュニケーション・エンジニアリング」という方法を作りました。

そこでは「何を巡るコミュニケーションか」が重要で、例えば営業職なら「あの商品が売れた時に売上が上がったからうれしかったんじゃない、お客さまが本気で喜んでくれた瞬間がうれしかったんだ」という仕事を巡るコミュニケーションによって、人の内側にある善なるものが発露されていくという考え方です。

ですので、もともと松岡正剛さんもリクルートの源流にいらっしゃるんです。今のリクルートの若手メンバーの方にそういう源流のお話をすると、みんなすごく元気になって、「そこだったんですか!」「陽明学でしたか!」と目をキラキラさせますね。

安藤:原型・アーキタイプの力ですね。それらしい未来を語るより、自分たちはどこから来たのかという源流を一緒にたどる。編集工学研究所のスローガンにある「生命に学ぶ」というのは、その究極のところなんですね。それにしても、すごく難しいテーマに取り組んでいらっしゃいますね(笑)。

坪谷:(笑)。実は、組織と個を統合すると、いろいろなことがすごく楽なんじゃないかと思っています。

安藤:今まで一緒に考えてなかったけど、「一緒にやった途端にうまくいくじゃないか」みたいなね。

「わかちあい」を重視する、アカツキの文化

坪谷:私は、RMSを辞めてからアカツキというベンチャー企業に行ったんですよ。そこの共同創業者の塩田元規さんは「ハートドリブン」という言い方をしていまして。社内でも世の中に対しても、金銭報酬じゃなく感情報酬が大事だ、と。

アカツキの経営方針の発表はすごくおもしろかったんです。私はちょうど、アカツキが上場した時に入社しました。塩田さんは漫画の『ワンピース』の絵をバンって出して「ラフテル見えてきたよ!」って叫んだんですね。それで、みんなで「うぉー!」って言って盛り上がってたんです(笑)。

安藤:アツい(笑)。

坪谷:彼は、経営方針や事業計画の話をする時に、「頭で考えなくていいから、心で感じて」と伝えていました。そして「何を感じたかをこの場に出してわかちあおう」と。5~6人で輪になって、「アカツキ、デカくなってきたよね」とか「元ちゃんが言ってることエモい」とか、なんでもいいので、感情を出して「わかちあう」ことが大事だと。

まさに個の主観への着目、そして組織の主観への環流ですよね。私はとてもうれしくなりました。この「わかちあい」の文化が、アカツキが伸びてきた秘訣じゃないかなと思っています。

安藤:安全な環境ができているということですよね。

坪谷:そうですね。ベンチャー企業でしたのでチャレンジする危険もいっぱいあるんですけど、社内はすごく安全でした。

安藤:一般的な会社では、きっとみんな「こんなこと言ったら、わかってないと思われるんじゃないか」と思われることが一番怖いわけですよね。

坪谷:今の心理的安全性という言葉自体も、「心理的安全性は誤解されている」といった論調で話されてしまうことも多いので、やすやすとは言えませんね(笑)。

安藤:目標と一言で言っても深いですね。

もともとのMBOは、目標“管理”ではなかった

坪谷:もともとドラッカーは「Management By Objectives and Self-control」と言っていたので、セルフコントロール、つまり主体的に関わるというのが前提だったんです。

それを日本に輸入してきた時に、「Management」を「管理」と翻訳した時点で、けっこういろんなことが起きていて。ドラッカーの翻訳者の上田惇生さんは「僕は『Management』を『管理』と翻訳したことは1回もない」とおっしゃってるんですが、多くの人がマネジメントを「管理」だと思ってしまっている現状があるんです。

管理は基準に照らして合っているかどうかをコントロールすることだから、Managementとは別の概念で、「Self-control」が抜け落ち「Management By Objectives」が「目標管理」になった時点で、もう完全に違うものになってるんですよね。

安藤:そんな言葉の変遷があったのですね。「目標管理」と聞くとちょっとつらい感じがしますよね(笑)。

坪谷:そうなんです。目標シートを書くことが目標管理だと思ってしまって、自分の主体と組織の客観をどうつなげるかという本質まで届かないんですよ。だから、私は完全に「編集」だと思っています。

安藤:管理という言葉よりも、編集という言葉のほうが合いますね。

坪谷:合いますよね。そうしましょう。「Editing By Objectives and Subjectives」にしたらいいかもしれないですね。

安藤:いいじゃないですか。

坪谷:目標管理という言葉は本当に誤解されやすいというか……(笑)。言葉から変えたほうがいいかもしれないと、今ちょっと思いました。

行き過ぎた「科学的な合理性」への疑いや違和感

安藤:そうですよね。今の「目標の編集」で言うと、もともと日本には主客を一緒に考える文化があって。西田幾多郎は主客合一と言いましたけど、お茶席でも亭主と客人が主と客の関係を越えて一体となったり、ある時は心理的に入れ替わったりして。

そうやって作ってきた日本の文化を、「主体が客体を管理する」という西洋流のやり方で上書きしたんですよね。日本的経営が残っていた頃は、もしかすると主客合一的な感覚はあったのかもしれませんけれど。

坪谷:きっかけはやっぱり敗戦じゃないかなと思うんですよね。「撃ちして止まむ」という精神論ではダメだというところから、主観が否定され、客観が主観を大きく上回って「科学的でなければ生き残れない」という風土となっていった。

マネジメントの世界も、本来は主客合一が起きないとうまくいくわけがないんですが、どうしても「科学的なマネジメント」と謳わないと、多くの人が納得しない部分が生まれていると思います。

安藤:ただ昨今の世界を考えてみると、環境危機や資本主義の限界など、「科学的な合理性」を追求した先の新しい問題も顕れていますよね。だから、多くの人の中に、それ自体をベンチマークにすることへの違和感は生まれてきていると思うんです。

組織の目標や目標管理に適応しようとすると、身体的にイヤな感じがしたり、メンタルがやられていくのは、そういう「科学的な合理性」に対する漠然とした疑いじゃないかなと。

坪谷:そうですよね、わかります。松岡さんの影響で、もともと主客合一は西田幾多郎からきていると知りました。「主も客もなくて経験のみがある」という捉え方なんですけど、1つの経験を通して、客体と主体に分かれる前の状態です。

経験やプロセスを重視してきた、近世以前の日本の知恵

安藤:まさにそうだと思います。江戸時代の人々がどう集い、どうやって自分たちの能力を束ねていたのかというと、「連」という小さな単位の組織がそこら中にあったそうです。「連」にはさまざまな仕組みやルールがあって、人の感性がものすごくうまく引き出されるように、すべてが作られている。必ずしも、1人の管理者の元に秩序が保たれていたわけではないんですね。

その代表的なプロトコルが連歌・連句で、まさに今おっしゃられた、経験(Experience)の連なりなんですよね。誰かが何かを定義して知識を身につけるのではなくて、ただその人のそのタイミングでしか出てこない感性や可能性が発露するような場を、町人たちが自発的に作っていたそうなんです。

私たちは、あまりにも結果を相手にしようとしすぎているように思います。編集は結果よりむしろプロセスにコミットするという考え方ですが、おそらく近世以前の日本はプロセスを大事にしてきた国だったろうと思います。

収穫物はもちろん大事なのだけど、収穫にいたるプロセスにもさまざまな祭りや行事を織り込んで、暮らしや働きの一部にしていった。体験こそが自分たちの財産だとしてきた文化、やがて結果至上主義が押し出していく形になって、働くことや暮らすことの意味が身体感覚から削がれていったのが現代なのかもしれません。

今がすごく転換期だなと思うのは、組織のあり方を真剣に考える中で自己組織化を目指そうとする人たちが一部出始めていますよね。自律分散型組織の潮流もそうですが、より生命的なあり方への関心が高まっているように思います。その時に、連が持っていた仕組みや、もともと日本が持っていた感覚や編集力は、おそらく相当ヒントになると思うんです。

坪谷:確かに。

安藤:だから、坪谷さんが「管理」や「マネジメント」という言葉をアンラーニングして「本来こういう意味なのだから、代わりにこの言葉を使ったらどう?」と提案するのは、すごくタイミングがいいですし、ぜひやっていただきたいです(笑)。

縛るためではなく、自由度を高めるためのルール

安藤:それから、連歌・連句の中にはものすごくたくさんのルールがあるんですけど、縛るためのものではなくて、あくまで次のプロセスの自由度を高めるための、めちゃくちゃセンスのいいルールなんですね。なぜそんなルールが作れるかというと、ルールを作った人たちが、結果ではなくて今差し掛かったところで創発されるものにしか興味がないからだと思うんですよ。

松尾芭蕉は、連句について「文台引き下ろせば即反故也」と言ったそうです。一句一句を連ねて百句詠みついでいくのが連句のオーソドックスなスタイルですが、百句を書き留めた半紙を文台から下ろしてしまえば、それはもはやゴミだと。百句書き留めたアウトプットが大事なんじゃなくて、それを作るまでの体験、Experienceが連の中での何よりの資産だと言ったんだと思います。

坪谷:いや、おもしろいなぁ。

安藤:それって、たぶん今の人たちに戻ってきている感覚だと思うんですよ。残念ながら組織側にプロセスを評価する仕組みは根付きにくいじゃないですか。蝶々を捕まえてきて標本を並べて「どれがきれいか」という評価軸は作りやすいけど、飛んでいる状態やその生態を評価したり、お互いに認め合ったりする文化を仕組み化するのは、なかなか難しいですよね。

これからの目標管理ならぬ“目標編集”では、どういうフォーマットを作れば、プロセスの認め合いが生まれるのかを考えていってもいいのかもしれませんね。

日本はもともとプロセス重視の人事制度だった

坪谷:人事制度の話ですが、もともと日本はそこが非常に得意だったという歴史がありまして。1970年代に楠田丘が発明した職能資格制度が、まさにプロセス重視の人事制度なんです。今でも、企業の過半数は職能人事制度のまま、50年以上ずっと日本のベーシックになっています。

それがあったために、日本企業ではプロセスをちゃんと見る文化がまだ一定以上残っています。海外がパフォーマンスのみに着目してうまくいかなくなった時に「日本の職能から学べ」ということで輸入していって、コンピテンシー(ハイパフォーマーに共通して見られる行動特性)というものができあがったんですけど、もともとは日本の仕組みなんですね。

安藤:へぇ、そうなんですね。

坪谷:日本の職能資格制度を作った楠田丘の思想にも、1つの源流があるなと思うのです。

安藤:確かに日本が本来持っていた仕事観には、今すごくヒントがありますよね。

坪谷:そうなんですよね。流行はジョブ型に向かっていますが、ジョブ型は客観に寄った手法なので、主観と客観を大切にした職能の存在を忘れてはいけないと思っています。

リクルートの大沢武志は、顔が見える範囲で仕事をするチーム「対面小集団」を大事にしていました。やっぱり仕事を巡るコミュニケーションは、みんなでゲームをするとかじゃなくて(笑)。

顔の見える範囲で「えらく忙しそうだな」「今日は元気ないな」「ずいぶん張り切ってるじゃないか」「これやってみようぜ」と、仕事についてコミュニケーションができることが重要です。トヨタなどの製造業では、今でも「職場が人を育てる」と置いていることが多く、ここにも大切なヒントがありそうです。

リモート環境に見る、働き方の進化

安藤:完全リモートでも事足りるとなった時に、「職場で人は育つ」というOJT的なものやオフィスは、どうなっていくと思われますか?

坪谷:まず前提として、オンラインでもZoomなどを使えば、顔が見える中でものごとを進めていくことは、一定以上できると思います。その上で、場所としてのオフィスの意味は、偶然性があることですね。たまたますれ違った時に真面目な雑談ができる、たまたまトラブルの発生に居合わせて手伝うことができる。

ただ、「リモートだからできない」と思う人と「リモートの中でどう関係性を編集しようか」と思って動く人で、だいぶ差が出てきていると思います。能力がある人たちの集団は、やっぱりリモートでも、円滑でクリエイティブなコミュニケーションができる人が多いようです。

チャットなどのテキストコミュニケーションが発達するので、言葉がどんどん研ぎ澄まされていくんですよ。「こういうふうに進化するんだな」と見ていておもしろいですね。そういう人たちからすると、オフィスなどで対面で会うのは、「仕事仲間と会ってしゃべれた」というご褒美のように感じているようです。

安藤:なるほどね、おもしろいですね。

誰にでも必ず「才」があり、それを引き出すのが「能」

坪谷:最後に、「才能をひらく」という時に、組織や企業の人事として考えた時の観点で、少しヒントをいただけたらうれしいです。

安藤:まず「才能って何だろう」と考えると、もともと「才」は素材に宿っているもので、能というのが人の技能・職能なんです。どちらかだけでは足りなくて。能はこのマトリックスで言うと右側のスキルで、才はその人・その場所にしかないもの。

才という言葉自体が、もともと「世界にそれしかない」というものを表しているので、あとから勉強して身につける類のものとは違うというのがまず大前提なんですね。

誰にでも必ず才があって、それを引き出すための能をどう持つかというところなんですが、才能に関しては、どうもバラバラに考えてるんじゃないかと思います。

能は能で、当然みんな後天的なトレーニングで鍛えようとしていますと。才はそれこそ「あなたらしさは何ですか」とか「みんな違ってみんないい」とか言われて、「何かあるでしょう」と詰め寄られると「いえ、私なんか何もありません」となってしまったり。

だけど、この才と能は2つでセットだと考えると、今の自分がわかっていなくても、能によって自分の才をひらく方法が必ずあるということに気が付きます。この自分の才を引き出す力が、ほかでもない「編集力」でもあるんですね。

目標を達成するために「能」を身につけるのではなく、自分にしかない「才」をひらくために「能」を極めた結果、何かしらの目標を達成しているかもしれない、というふうに考えてもいい。

坪谷:「誰バス」で言うと、「能」で採用するなということですよね。「才」が見合った人たちがバスに乗ると、結果として同じ目的地に行くという。そしてドラッカーはマネジャーの素質は「後から身に付くものではない」と言っていました。これはまさに「才」による登用ですね。

安藤:ドラッカーをちゃんと読まないといけないですね(笑)。

坪谷:おすすめです。めちゃくちゃおもしろいですよ。1954年の書籍『現代の経営』の時点で、現代において言われてる論点はほぼ書かれているんです。パーパスの話もしていますね。組織が社会のためにあることは前提です。だから、ドラッカー学会の佐藤等共同代表理事は(以前の対談で)「なんで今頃パーパスが流行しているのか、僕にはわからないんだよ」とおっしゃってました。

安藤:なるほど。目標と編集の話、とてもおもしろかったです。

坪谷:こちらこそ、今日はいろんなヒントをいただきました。ありがとうございました。