MBOには「根本的な誤解」がある

坪谷邦生氏(以下、坪谷):まず最初に、前段をお話しさせていただくと、今『図解 目標管理入門 マネジメントの原理原則を使いこなしたい人のための「理論と実践」100のツボ』という本を書き始めています。私はいろんな会社の目標管理も含めた人事制度を作り、その支援をさせていただくことが多いんですね。

そもそもMBO(Management by Objectives and self-control:目標による管理)は、「マネジメントの父」と呼ばれる経営学者のピーター・F・ドラッカーによって提唱された組織マネジメント手法で、多くの日本企業で取り入れられていますが、私は「MBOに対する根本的な誤解があるな」とずっと感じていました。

これをなんとかしなきゃいけないと思っていた時に、佐藤先生に「そもそも客体のオブジェクティブ(目標)の前に、主体であるサブジェクティブ自体が弱ってるんじゃないか」という一言をいただいて、それが私の問題意識へのヒントではないかと直観したんです。

MBOのOであるオブジェクティブを、目標だけではなく客体・客観として捉えること、そしてそれと対になる概念はサブジェクティブ、つまり主体・主観であること。パッと目の前が開けたように思いました。

それがこの本を書こうというスタートになり、今回の対談のきっかけになりました。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

佐藤等氏(以下、佐藤):よろしくお願いします。

坪谷:「ドラッカーのマネジメント哲学としてのMBO」というテーマについて、今の企業で起きている誤解と、ドラッカーの言葉を比較しながらお話ができたらなと思っています。

こちらの比較表は私の解釈なんですけれども、いかがでしょうか。

明確な目標を示さないまま、“主体性任せ”に陥る組織

佐藤:そうですね。「本来のMBO」の「①マネジメントの哲学 主役はすべてのマネジャー」と、「②組織全体に対して自らが果たす貢献を目標とする」のあたりに、本質が集約されていると思います。その本質的な根幹の理解がどこか曲がってきて「誤解されたMBO」になっていると思います。

ご存じの通り、マネジメントには、自らの組織を社会に貢献させるうえで3つの役割があると言われています。その中の「仕事を生産的なものとして、働く人たちに成果を上げさせる」というのは、別の表現だと「組織に属している人たちを自己成長、自己実現させる」とも言うんですね。

目線が組織なのか働く人なのかという違いはありますが、言っていることはほぼ同じだと思ってるんですけども。この部分が今組織で使われているMBOではあまりフックがかかっていない気がします。

ドラッカーの言葉に、マネジメントの本質をよく捉えた「人間力の醸成と方向づけこそマネジメントの役割である」というものがあります。これは非常に大きな言葉なんですけども、「方向づけ」は、ある種の客体の指示なんですよね。

そこがはっきりしていないと、働く人の「自主的」といった言葉で片付けられてしまう。自主的は「​​自ら率先して行動する姿勢」で、主体的は「自分の意志・判断に基づいて行動すること」なので、本当は「主体的」でなきゃいけない。自主的と主体的は違うなと思っているんです。

坪谷:そうですね。

佐藤:客体という方向づけがあって初めて、自分の意志・判断に基づいて主体性を発揮できる。その両輪が回っていない状態を、自主性と言ったり、客体を明確に示さないで単に主体性と言ったりしてごまかしてしまっている気がしています。

坪谷:人間力の醸成の部分がサブジェクティブ(主体)で、主体側が豊かになるという話。そして、組織がオブジェクティブ(客体)としての方向性を見せておかないと、人間力が豊かになっても、組織の目指す方向に向かうということが起きない。

働く人の主体性に任せると言うと、ただ単に「あなたの好きにしなさい」になってしまって、どこにも客体としての「目指すべき目標」がないということですね。

ミッションやビジョンは本当に「組織の目的」を示しているか?

佐藤:そうですね。「主体と客体は両方とも必要である」という理解そのものが脱落している感じです。例えば、ミッションや理念を作ることは、方向づけの1つの方法に過ぎないのですが、「何のために」ミッションや理念を作るかというところが、実はあまりはっきり意識されていません。

本来、理念もミッションも方向づけの原点にある基本的な道具なのですが、現状はその道具の機能があまり意識されていないと思います。つまり「組織の目的を示す」という大切な方向づけの役割を本当に果たしているか疑問です。

ドラッカーの著書の中には、たくさんの方向づけのツールがあります。たとえば、ビジョンやゴールも方向づけのツールです。ゴールというのは、ドラッカーの中では長期のものを指しています。

今回テーマになっている目標というのは間違いなく方向づけのツールなんですけど、一般に目標管理で使われているものは、比較的短期的なものをイメージしてることが多いと思います。そのゴールと目標の切り分けもあまりうまくできてないところは、この後また詳しくお話しすることになると思います。

坪谷:ありがとうございます。

佐藤:おやっと思うかもしれませんけど、実は仕事の設計もドラッカーの中では方向づけに入るんですよね。

坪谷:あ、そうなんですね。

佐藤:同業種でも仕事のやり方って違いますよね。つまりある意味、その会社で仕事が方向づけされているんです。そういったものも含めて、ドラッカーの著書の中には方向づけのツールがけっこうあるんですね。

目標は、その方向づけのツールの中の1つであるということで、一般に使われているような必達到達点を示すイメージとは異なります。道具立ての機能、意味といったものの整理があまりうまく行われてないことが、MBOの誤解の根っこにあるのかなと思いますね。

坪谷:確かに。MBOのオブジェクティブは、英語で言うと「目的」でもあって、「客体・客観」でもあるので。別に短期的な目標でなければならないとか「半年後の目標」にすべきとは誰も言っていないですしね。

佐藤:そうなんです。

モチベーションは、ただの「やる気」という誤解

坪谷:方向づけに関連して、私の問題意識を少しお話ししたいのですが、「モチベーション」という言葉の使い方についてです。モチベーションは元来「目的意識」であり「動機づけ」です。つまり「方向づける」意味を持っているのですが、ただの「やる気」だと誤解している人が本当に多いのです。

主体性ではなく自主性として捉えられている。ノルマ管理をしすぎた時期があったために、客体で方向づけること自体に、悪いイメージがあるのかもしれないですよね。

佐藤:そう思いますね。やっぱり時代性みたいなものがあって。資料に「知識労働者の出現」と書きましたけれども、これは1950年代の終わり頃に初めて世の中に現れてきたのを見てとったドラッカーが名付けたものです。

工業主導の時代からサービス型・知識型の時代にシフトが起きている中でノルマ管理は機能しなくなっています。ノルマというのは工業化の時代はうまく機能した方法だったのかもしれません。大量生産を前提とした製造現場などは、おそらく現場で主体的に考えたほうが混乱が多くなったはずなんです。そこは効率が重視された世界で、数字みたいなものはすごく機能したんだと思うんですよね。

坪谷:そうですよね。

佐藤:あるいは大量生産下では、どれだけ売るかみたいなことがあったんだと思います。ノルマが非常に効果的に機能した時期はあったと思うんですけど、知識労働者になると数や効率だけの問題じゃなくて、効果を問われるようになります。

そうなってくると、どうもノルマということでは機能しなくなっている感じですね。たとえば、平均的な企画書5本より優れた企画書1本が評価されます。今は質が問われ、量だけでは機能しない世界にいるからです。

働く人に自由裁量を与えないと機能しない時代

坪谷:佐藤先生の『ドラッカーに学ぶ人間学』の中でも、「自らをマネジメントすることは1つの革命である」と、ドラッカーの著書の『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』から引かれています。

この、知識労働者はこれまでの肉体労働者とは根本的に違うマネジメントにしなきゃいけない、という話は、主体と客体のところとも関わってきますよね。

仕事の目的を考えるのも自分だし、働く人自身が生産性向上の責任を負って、自らをマネジメントしていくところもそうですし。目標自体が量ではなく質に転化したところもそうですよね。そう言われ出してからだいぶ経っていますが、実際の仕事の現場にはまだ伝わっていない感じがします。

佐藤:ありますね。ドラッカーのマネジメントの中核に「機能する社会」があります。少し説明が必要なので、ここでは「幸せな社会」と理解して下さい。その前に「自由で」とつくんですよ。「自由で機能する社会」ということなので、与えられたものを単に行うのは、実は不自由なんですね(笑)。

ドラッカーは自由で機能する社会の実現のためのマネジメントを発明したといっても過言ではありません。知識労働者の出現によって自由裁量を与えないと機能しない時代になってきています。

坪谷:押しつけのノルマを与えない、自由である、と言った時に、じゃあ「方向づけ」をどうするのか、というところがなかなか伝わりにくいんですかね。

佐藤:そうですね。組織というのは目的を持った人間集団なので、自主的にということではないですよね。組織自体が目的なしには機能しない道具として社会に存在しています。なんで今時パーパスうんぬんという話が出てくるのか不思議でならない感じなんですけども。

坪谷:そうですよね(笑)。1950年代からドラッカーはそこを言っています。おもしろいです。

「主役はすべての働く人」である

佐藤:先ほどのスライドで、「本来のMBO」では「主役はすべてのマネージャー」と読み取っていただいていたのは、まさしくそうだなと思うんです。ドラッカーの『現代の経営』は、マネジメントが発明された本だと言われているんですけど、私の見立てでは「マネージャーを発見した」という感じの本ですね。だから、ちょっとマネージャーに偏って表現されてる傾向があります。

坪谷:いやもう、まさにそうなんですよ。『現代の経営』をぐっと掘っていくと、やっぱり「主人公はマネージャーである」と言いたくなります。そこから知識労働者の話をし始めた後のドラッカーは、全社員が主人公である、知識労働者自体が自らマネジメントするべきだ、という主張に変わっていると思っていたんです。

佐藤:おっしゃるとおりだと思いますね。もちろん、組織側からすると、マネージャーがそういう役割を帯びてるのは間違いないので、主人公であるという面も消えてはいないんですけど。坪谷さんの『図解 人材マネジメント入門』のツボ91あたりから後ろにある、「本人主体に変わっていっている」というのが、まさにそうだなと思います。

長らくマネージャーの道具として与えられたMBOが、今はより強く出ているので、本人主体という考え方もちゃんと機能させないと余計にギャップが出てしまうというか、使いものにならない道具として生き残るような感じになるんだろうと思います。

坪谷:なるほど。この『図解 目標管理入門 マネジメントの原理原則を使いこなしたい人のための「理論と実践」100のツボ』は、人事ではなく「マネージャー」に向けて書くべきだと思っていました。しかし、ひょっとしたら「すべての働く人」に向けて書いたほうがいいのかなと、今日佐藤先生とお話しして思い直しました。働く人全員に向けた、「まずは自分に着眼してやってみましょう」というメッセージに変えようと思います。

佐藤:とってもいいと思いますね。それがMBOを自己成長の道具として機能させるための観点だと思います。ぜひ新たな観点でお願いします。