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リョーマから紐解くスタートアップ正史(全4記事)

ビジネスの世界で成功する人の、学生・若手時代の特徴 成功者を多く輩出した学生企業・団体出身者たちの原点

「次世代の、起爆剤に。」をミッションに掲げるIVS(インフィニティ・ベンチャーズ・サミット)。2022年夏は、沖縄・那覇を舞台にカンファレンスを開催しました。本セッションでは、「リョーマから紐解くスタートアップ正史」をテーマに、KLabファウンダーの真田哲弥氏のモデレートのもと、DeNA共同創業者の川田尚吾氏、マルイチグループCEOの加藤順彦氏、そしてマインドシェア代表の今井祥雅氏が登壇。真田氏のモチベーションの源泉や、「健全な嫉妬」を持つことの重要性などが語られました。

成功者を多く輩出した、学生企業・団体出身者たちの原点

真田哲弥氏(以下、真田):我々はみなさんより歳をくっている分、学生時代ないしは若い頃にこんなことをやっていた奴が結果、ビジネスの世界で成功したというトラックレコード、記録が頭の中にあるわけですね。

「遡ってみれば、今はこういう奴だけど、そんな奴って若い時こうだったよね、そんな奴が大社長になったんだよね」ということが、紐解くといろいろあってですね。そういう昔のエピソードで、記憶に残るエピソードを何か聞かせていただければ。

我々自身でもいいですし、ここには来ていないけれども我々の仲間だった奴の、こんな話を。はい、手が挙がっているので今井さん。

今井祥雅氏(以下、今井):身内の話から始めます。大きな仕掛けに揉まれながら、夢を共有できる仲間と出会える、これがやっぱり大事だと思うんです。その出会った奴らが、その後どうなっていくかを1つ話します。

リョーマができました。東京のどこを探してもないような、学生起業の株式会社ができたんですね。学生なのに健康保険証を持っている、当時にしては本当にレアな集団。それを僕は東京でも作りたいと思って、慌てて広告代理店に企画書を書いて、SYNを作っていくんですけれども。

でも、リョーマもそのエネルギーが長続きしないんですよ。同じ会社に社長は3人いらないよね、ということになるんです。みなさんも経験ないですか? 「2人でやろう」と言った奴らと袂を分かつ結果になってしまって……みたいなね。やる気があるからこそ離れていってしまう、みたいな関係もあったと思うんです。

ビジネスの世界で成功する人の学生・若手時代の特徴

今井:ある日、リョーマの役員3人がけんかをした。東京に来て、原宿のラ・ボエムという所で「どうなったの? 話聞かせて?」。佐々木(康)さんという人は、「自分たちで作ったMY LICENCEのビジネスモデルがすごいんだから、これをちゃんと大きくしていこうよ」と主張した。

真田:MY LICENCEは、運転免許合宿のブランドですね。リョーマは最初に、運転免許を合宿して取りに行くサービスで起業しました。これが我々の祖業で、この事業からスタートしました。

今井:ユニークだったわけですよね。佐々木さんはやっぱりそこに魅力を感じていたので、この事業を全国に展開していこうよと主張した。

西山さんは「MY LICENCEもやる、企画・プロモーションもやる、いろんなことをやっていく事業部を作る。まず僕は、このリョーマという会社をもっとちゃんとした会社にしたいんだ」と言うわけですよ。「ちゃんと、ちゃんと」という主張。まあ今もやっぱりGMOでやってる仕事を見ると、その延長線上な感じはしますね。

で、真田さん。真田さんは「MY LICENCEという0→1を作ったでしょ。リョーマという株式会社を作ったでしょ。僕は、新しいことをやりたいんですよ」と。「この事業を大きくしていくのもやるんだけど、またさらに新しいことを世の中に作り出したいんですよ」という主張。

みんな見ている方向がちょっと違ったんですね。結局、佐々木さんはMY LICENCE、西山さんはリョーマの社長になって。「真田さんはどうする? もう新しいことやるんだったら東京に来れば?」と僕が言って、彼がリョーマの社長を辞めて、単身で東京に出てくることになるんですね。そういう自分の可能性、自分の強みを伸ばしていく人は、その後その方向で成功している感じがします。

残る選択をして、リクルートのトップに上り詰めた峰岸真澄氏

今井:リクルートに入ってきた人たちが、みんな平成元年にどんどん辞めていって、宇野(康秀)さん、インテリジェンスもダイヤルキューと同じ9月だったかな? にできて。

真田:そうですね。

今井:僕の会社は12月の起業だったんですけど、人がどんどん辞めていく時に、「峰岸どうするの? みんな辞めていくぜ。一緒にやろうぜ」と言った時に、峰岸(真澄)さんだけ「いや、僕は今ピンときてないんですよ」「僕、新しい0→1はあんまり得意ではなくて。でも、みんなが出るんだったら、いいチャンスだから僕は残ります」と言っていた。

リクルートに残ったんですね。ちょっと負け惜しみ的な話もあったんです。「でも、残る限りは僕、上を目指しますよ」と、あの時宇野さんとか僕に言ったんですよ。

ある日、彼が4月に、ノンアポでうちの会社(株式会社マインドシェア)に来てくれたんですね。どうしたのかと思ったら、取締役の名刺を持ってきて、「残ってがんばったら、取締役になりました」と。また何年かして来てくれた時、「残ってがんばったら社長になりました」。そういう奴でしたね。

「僕は0→1を作るより、ある現象を2度3度動かして、さらに精度を上げていくことに関しては得意です」と話していました。「キャンパス・リーダーズ・ソサエティ」の3代目になる時も、「1代目の西川(りゅうじん)さんが0→1を作った。今井さんがとにかくはっちゃけてでかくした」。それを峰岸さんは形にする、「ちょっとずつ修正して、より良いものにするのが自分の得意技」と言っていました。

そこから思うと、今日がんばっている3人もそうですが、やっぱり自分の得意技を伸ばしていく奴。揉まれて集まってきた奴ら同士でもらった勇気の上に、自分の道を自分の得意技で伸ばしていく奴が、20年、30年して、こうやっていい酒を飲む友だちになれているのかな、そんな感じがします。

真田哲弥氏のモチベーションの源泉

川田尚吾氏(以下、川田):僕らの世代は、1980年代の終わりとか1990年代の始めです。その頃の僕らはずっと、会社の上場はもう遥か彼方にあるような、もう別世界の出来事みたいな感じで思っていたわけですよ。「自分たちでデカい仕事をして、世の中を変えたい」という思いはすごくあるものの、IPO(新規上場)とかまったく実感がなかった。

ところが、我々の仲間内から1社、佐藤(修)さんのところが、グッドウィルでいきなりIPOをしたんですよね。今でも覚えているのが、その時に真田さんがめっちゃ悔しがっていた。

「佐藤さんにできるんだったら俺でもできるだろう」みたいな感じで、すっげえテンションが上がって、本気でIPOに取り組んで、サイバードが上場したんですよ。それと同時に、インテリジェンスとかも確かあの頃上場ですよね。

真田:僕が東京に1人で出ていって、今井さんとかと一緒にみんなで住もうという。

今井:今のシェアハウスだよね。

真田:ですね。一緒に住もうといったうちの1人が佐藤修で、佐藤修がグッドウィルを創業していくんです。今はもうすごく仲良くなったんですけど、一時期、僕が東京に行った後、ダイヤルキューネットワークという会社を東京で作りました。この会社も一気に急成長したんですけど、この会社は2年ほどで事実上の倒産、潰れます。

その潰れる間際に、佐藤修が何人かのメンバーを連れて先に辞めてしまって、それでグッドウィルを創業したんですね。だから、「ふざけんなよ」「俺がなんとか会社を潰さないように、もたせようとがんばっている時に、中枢メンバー引き抜いて辞めていくって」と、もう当時の俺は怒り狂いました。

それからしばらく佐藤修と断交していて、彼がどうしているのか知らなくて、いきなりグッドウィルが上場してきた。その上場する時の主力メンバーが、3代目社長になった神野(彰史)とか。僕らの会社(ダイヤルキューネットワーク)にいたメンバー、僕らの会社から引き連れていった奴が、みんなグッドウィルの主力メンバーになっていた。

それが悔しくて、でも、非難しているより「俺ももっと大きい会社を作ろう」と思った。たぶん、その次に上場したのが西山かな? 僕からしたら、僕がリーダーで、みんなはメンバーだという自負があった。そのメンバーが次々と上場していって、とても悔しい。でも、ある種それがあったから、僕はがんばれた気がしますね。

「健全な嫉妬」を持つことの重要性

加藤順彦氏(以下、加藤):キャンパス・リーダーズ・ソサエティもそうでしたし、リョーマもそうだったんですけど、みんな目標レベルがけっこう高くなって、目線が上がってきましたね。

結果的に、リョーマは後半ずっと「全員が社長を目指す」というフレーズを合言葉にみんなが会社に来ていた状況でした。その後、一人ひとり社会に出たり、就職したり、起業した人もいる中で、今のお話にあったように、結果が出ていくんですよね。

そうすると、学生時代の仲間同士が「あ、あいつ上場したんだ」とか、「え、そんな大きな会社の社長やってるの?」という噂が流れてきたり。訪ねて行って実際、お茶を飲んだら、普通にたくさんの社員が「社長、社長」と言っているのを見て、「俺もあいつと同じようにできるんじゃないかな」と思って、続々と会社を辞めて起業していったという経緯がありますね。

僕らは5年に1回同窓会をやっているんですけど、10年ぐらい前に北の達人(コーポレーション)の木下(勝寿)くんが「実は上場承認が出ました」と発表したら、「ふーん、そう」っていう反応だった(笑)。

参加者がみんなあまり驚いていない。「よかったね」「これからが大変だよ」みたいに言われて、「え、俺上場承認出たのに、『ふーん』とか『これからが大変だよ』って、どうなってるんだってと思って。強烈な印象です」と彼が言っていましたね。

川田:そういう内輪での、すごい健全な嫉妬みたいなものが、エネルギーを焚き付け続けていた。だから、表に出ていても裏に秘めていてもいいんですけど、やっぱり情熱がある人は、そういう仲間からのプレッシャーというか、非常に健全な嫉妬の刺激を受けてがんばり続ける。そういうことができる人は、最終的に大きくなっていく感じは、すごくしますよね。

勝てないなら、違う方向で強みを作る

真田:他に、「こんな話あったよね」という、何かおもしろいエピソードはありますか?

加藤:リョーマの10年後ぐらいにビットバレーがありましたが、その時、まさにこのIVSのような集まりが、渋谷で毎月あった時代がありました。その1回目のパーティに行ったら、川田さんがいたんですよね。それで、「え、何でお前ここにいるの? 何をしてるの?」と、そのまま焼き鳥屋に連れて行って話を聞いた。

今からインターネットの時代が来る、1999年です。そしたら、「実は、僕はマッキンゼーを辞めて」と。スタートアップという言葉はなく、「会社の先輩とベンチャーをやります」と。で、すごいワクワクしてしまって。学生の頃一緒に会社をやっていた仲間だから、今の話でいう「いや、俺もがんばらないと」というヘルシーな嫉妬が湧いてきました。

当時僕は、雑誌の広告代理店から、ちょっとインターネットに軸足を置いていた頃だったんですけど。彼がこれからインターネットのサービスでマッキンゼーの上司と起業すると言うので、もちろん僕は出資させてほしいと言ったんです。と同時に、もっともっと自分もインターネットのほうに軸足を振らないといけないなと、強く決意したことを覚えていますね。

川田:あのパーティはすごくて、ビットバレーの中でたぶん一番大きなパーティでした。100何十人も集まったんです。

僕は加藤さんとか真田さんとはちょっと違って。大学を卒業した後に、やっぱり真田さんや加藤さんや今井さんに営業力とかでまったく勝てないのはわかっていたので。「この路線で行っても、俺はぜんぜん何もできないよね」と思って、いろいろ悩んだ末に、僕はテクノロジー系で行こうと大学院でドクターまで行ったんですね。

それからインターネットがきて、「やっぱりこれだよね」「テック×ビジネスだよね」と、そっちの路線に行くんです。マッキンゼーに行っていた頃は、昔のスタートアップの仲間とはカルチャーがぜんぜん違っていて。そのままずっとマッキンゼーにいたら、もう昔の仲間とはビジネスのこと、一緒に仕事をすることはあまりないかな、とか思っていた時期もあったんです。

それが、カフェ「ドゥ・マゴ」でやったビットバレーのパーティに行ったら……真田さんはいなかったね。加藤さんとか、熊谷(正寿)さんとか、昔この界隈にいた、異様にビジネス感度の高い、いい意味ですごくお金のにおいに敏感な人たちが、大量に集まっていて。「やばい、これは何かが起こる」みたいな強い印象を受けましたよね。

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