DXを進めようとして、コミュニケーションで躓く会社の多さ

森戸裕一氏(以下、森戸):市谷さんの日常的な活動としては、DXを広めるための講演やセミナー、研修、企業の中に入ってのコンサルなどいろいろあると思います。このようなお仕事の、(時間的な)比率はどのようになっているのでしょうか?

市谷聡啓氏(以下、市谷):今おっしゃっていただいたことは、一通りやっています。一番時間を割いているのは、組織の中の人と一緒にいろいろなプロジェクトを行うことですね。事業を作っていくプロジェクトもあれば、人材教育のプロジェクトもあります。

森戸:なるほど。僕自身はどうしても組織の中にがっつり入るよりも、たくさんの人に知ってもらうということで講演やセミナーが多いんです。そこで例えば、「ITとDXの違い」とか、いろいろな話をしていまして。

先ほど市谷さんは「実際にDXに成功している企業はなかなかない」とおっしゃっていましたよね。私も講演などを行うと、みなさん「今日は勉強になりました」とは言ってくださるのですが、やっぱり話を聞くだけでは勇気を持って一歩を踏み出してはくれないと感じていて。だから、ジャーニーというか、中に入って伴走する人が必要なのかなと思うんです。

先ほど「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」というお話をいただきました。「業務のデジタル化」から始まって、「スキルのトランスフォーメーション」、「ビジネスのトランスフォーメーション」、それから「組織のトランスフォーメーション」という4つの段階があるんですよね。これは市谷さんの現場での経験を基に、オリジナルで作られたDXの段階なんでしょうか? 

市谷:そうなんです。最初に取り組んだ時には、こういう考えがまったくなかったんですね。私が得意としていることは、アジャイルからくる「新規事業」や「新しいサービス作り」で、こちらの経験が長いんです。

だから、こういう方向でのDXを進めようとしたこともあるのですが、実際やろうとすると足元のコミュニケーションのところで躓いてしまう企業さんが多いんです。新しいサービスや事業を作ろうにも、例えば社内のコミュニケーションツールが未だにメールだったり、社内の情報にアクセスする時にものすごく面倒な手順を踏まなければいけなかったりする。

メールとチャットの違いは、会話のテンポ

市谷:だから(実際のビジネスに)取り組む前段階として、日常的な業務のツールや方法を変えていく「デジタル化」を置きました。その後、足りないスキルセットもいろいろあるので、そこを経てからビジネスに移行していくという構想にしたんです。

森戸:なるほど。確かに中小企業や一部の行政などでは「まだFAXで電子メールを使っていません」というところがあります。一方で、いろいろな会社さんが、もはや電子メールではなくチャットを使っている。コミュニケーションツールもどんどん進化していますよね。

DXを進めるための前段階として、コミュニケーションをデジタル化していく時、どんなツールを導入したらいいのでしょうか? 何かアドバイスがあれば教えていただきたいと思います。

市谷:いろいろなやりとりだけでなく、タスク管理すらメールで行ってしまうところもあります(笑)。これでは非常に煩雑になるので、まずは「SlackやTeamsなどのチャットツールを使いましょう」と言っていますね。

「所詮はツール」とも言えますが、実はけっこう重要なんです。メールとチャットの違いは何かというと、「高い頻度でいろいろなやりとりができるかどうか」だと思うんです。メールはいったん送ったら、返ってくるのを待たなくてはなりませんが、チャットはああいうかたちで、その場でテンポよく会話ができる。コミュニケーションのスピードが基本的に変わってくると思うんですね。

コミュニケーションツールがDXの「足場」を作る

市谷:何か新しいものを作る時には、なかなか一発で正解を当てることはできないので、実験や検証を何度も何度も繰り返しますよね。こうした時に、いちいちやりとりに時間をかけていると実験も遅くなります。だから、チャットやオンラインのクラウドサービスを使用して、テンポを良くする。これを前提にしています。

森戸:「これから始める変化を支える足場を作る」ということで、『デジタルトランスメーション・ジャーニー』のファーストステップとして解説されていますよね。まさに、コミュニケーションツールが「足場」で、それ自体がナレッジを蓄積する場にもなる。

『デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー 組織のデジタル化から、分断を乗り越えて組織変革にたどりつくまで』(翔泳社)

最近、チャットツールはSlackをはじめ、いろいろなものがあります。こうしたツールのほうが後から検索しやすかったり、ファイルを添付したり、包括的にプロジェクト管理を行うことができますよね。

市谷:そうですね。メールだと、当然自分が宛先に入っていなければ探しようがないし、情報の行き先も限られるわけです。Slackみたいなチャットだと、基本的にそこには「場」があるので、情報を残すことができます。

だから、自分がその時は直接関係ないことであっても、そこの場にきちんと情報が上がっていれば、後で参照して新たな知見を得ることもできます。(だから、メールとチャットは)根本的に違うものかなと思います。

「効率性」に全振りするやり方では通用しない時代

森戸:なるほど。お話を聞いていて興味深かったのが「選択肢」というところですね。昭和の頃のマネジメントとか、これまでの仕事の仕方は、「みんなで正解を探していた」と思うんですね。そして正解が見つかったら、それを磨きに磨いて継続していく。私の若い頃はこんな感覚でした。

一方、アジャイルでは単に並行的に進めるだけでなく、探索を進めながらいろいろなやり方、選択肢を試していくんですよね。その選択肢も1つの仮説になって、それを検証しながら、自分たちの組織や仕事の進め方への最適解を見つけていくという。

市谷:そうですね。おっしゃるとおりだと思います。日本の組織は、かつて効率性を高めることに全振りしていて、それゆえの強さがあったのだと思います。いろいろな組織に出入りしているとわかるんですよ。みなさんの考え方、振る舞い、仕事の進め方など、心底そういう考え方が染みついていて。

ただ、よく言われるように社会や環境が変わっていく中で、そのやり方だけではなかなか難しくなってくる。このコロナ禍の状況が示していますよね。

コロナ禍を乗り越えられた「業務の再定義」の気づき

市谷:例えば、金融機関ではこれまで店舗で業務を行い、窓口で取引などをやっていましたよね。そんな中、2020年4月に初めて緊急事態宣言が出され、1~2週間で一気にオンラインに移行しなくてはいけないという事実を突きつけられた。やっぱりそれは非常に大きな混乱だったわけです。

一方で、そこを乗り越えられたところもある。その時に気づけたことの1つが、業務の再定義の必要性です。いつもやっている業務でも、場所をオンラインに移した時に、「業務としてどうあるべきか」と再定義を行わなくてはいけないんですよね。「これまでどおり効率性を重視するのか?」「これまでお客さまと共有していた情報をどうやって処理すればいいのか?」など、あらためて考えなきゃいけない。まさに再定義を突きつけられたわけなんです。

新規だけじゃなくて既存の業務であっても、前提が変わってくると、やっぱり考え直さなきゃいけない。時には、最適な方法も探し直す必要が出てきて。これが、広くいろいろな企業に求められていることだと思います。

森戸:そうですよね。

日本の会社で「DX」が進まないのは、「当たり前」の思い込みがあるから

森戸:やっぱり、日本の会社では「DX」が異常に進まないんですかね。「業務効率化」は大好きなので、デジタル化とかIT化はみんなそこそこがんばっていると思うんです。改善活動は昔からやっていますし、大好きなんですよね。

でも、根本的な部分を変えることに、苦手意識や面倒くささを感じている気がします。いろいろな要素があると思うんですが、根本的な原因は何なんでしょうかね? 日本人の生真面目さから、DXがなかなか進まないんでしょうか? 

市谷:いやぁ、そうですよね……そこは何なのか、ぜひご意見をうかがいたいところなんですけど。ただ1つ思うのは、組織には、「何かを始める時の標準やルール」が決められていて、きちんと書面で残してありますよね。

でもそれは、必ずしも「この標準から絶対に外れてはいけない」というものではなく、テーラリングのように、「状況に合わせて変えたほうがいい」というものだったりする。だから、「標準ルールが決まっているから」日本ではDXが進まないとも言い切れない。

実は、一人ひとりの認識だと思うんですね。組織の中のたくさんの人が、先輩に教わったことなどを、「こういうもんでしょ」「こういうふうにするもんだよね」とずっと思い込んだままでいる。そういう認識が当たり前になって、常識になって、習慣になっていくという。その影響が大きくて、選択肢として他のやり方が挙がってこないのかなと思っています。

デジタル化社会の中で、企業が“鎖国”している状況に陥っている

森戸:そうですよね。スポーツの世界でも、昔は「日本人はサッカーに向いていない。野球のほうが向いている」と言われていました。「監督の指示どおりに動く日本人は野球型で、自由な発想で動くバスケやサッカーは向いていない」と。

でも、最近の日本のサッカーチームは、指揮官も変わったし強いですよね。最初に外国人のコーチが来た時に、「『車がまったくいなくても赤信号なら渡らない日本人』を変えていかなきゃいけない」みたいな話がありましたけど(笑)。

もちろん、決まったことを守ることは素晴らしいことですが、世の中の情勢は刻々と変わっている。しかもみんながスマートフォンから情報を得て行動する世界になると、デジタル社会における行動変容や働き方改革が出てくる。そこではある程度、自分たちで考えながら動いていくことが必要なんですよね。

市谷:確かにおっしゃるとおりで、実は組織よりも、社会やコンシューマのほうがデジタル化が進んでいるという事実があります。それはやっぱりスマホが行き渡っているからでしょうね。その気になれば誰もが情報にアクセスできて、自身で適応ができる状況だからだと思うんです。

一方ちょっと情けないことに、組織のほうが情報へのアクセスや収集に関して、組織の外よりも遅れてしまっている。未だに組織は非常に限られた前提の中での情報を用いて、今までどおりに業務を行っている状態です。ある種の鎖国じゃないですけど(笑)、そんな状況に、個々の組織が陥ってしまっているようにも見えますね。

これから必要になるスキルは「メタ的な能力」

森戸:そんな中で『デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー』の2段階目に、「スキルのトランスフォーメーション」があります。これまでの上意下達をベースに持ちながらも、やっぱり自分が仮説を立てて考えたり、選択肢を増やしていったりするような組織に変わっていかなくてはいけない。

「スキルのトランスフォーメーション」の「スキル」とは、具体的にどういうものなのでしょうか? 「今まで必要だったスキル」と「これから必要になるスキル」があると思いますが、市谷さんはどういう変化を想定されているんですか?

市谷:すぐに思いつくのは、「デジタルに関するリテラシーを上げる」ということで、これは前提として普通にやっていくべきことだと思うんですよね。これも大事ですが、さらに重要なのが「メタ的な能力」です。

先ほど言ったように、そもそも「これしかない」と決めつけた状態で仕事をすることに慣れてしまっているので、「仮説を立てる」能力がかなり弱いと感じています。だから、「仮説を立てるとはどういうことなのか」「そのための道具立てはどうしたらいいのか」「それをどうやって検証するのか」など、まさに「探索」を支える能力を基礎から捉えていく必要性を痛感しています。

抽象的な「問い」と具体的な「ガイド」

森戸:そうなんですね。市谷さんは企業の研修で「デザインシンキング」について解説したり、DXのサイクルを回していくために「リーンスタートアップ」や「アジャイル」、「サービスデザイン」などの話をすることもあると思います。

そうした人材育成を行う時に、これまで正解を実行することが重要だと思っていた人たちに「仮説が大切なんだ」と言うわけですよね。仮説を作ろうにも思考停止で、そもそもそんなことを考えたこともなかった人たちに、その重要性を認識してもらって、さらに実行してもらわないといけないと。

大きな組織や行政組織などに入っていかれた時に、2番目の「スキルトランスフォーメーション」に関して、何か具体的に推奨されていることや実行されていることはありますか? 研修のやり方にしても、例えば管理職から先にやるとか。そのあたりで、何かコツがあれば教えていただきたいと思います。

市谷:2つありまして。まず抽象的なほうからいくと、「問いを立てること」が大事だと思うんですね。問うことをしない人が多いので、正解があって、手段が1つに定まっていると、いちいち問う必要がないんです。だから「何かについて問い直す」とか「自分で問う」といったことが非常に弱くなってるのかもしれない。

仕事を進めていくにあたって第三者に問いかけたり、また常に問いを用意して、自分自身に問いかけたりすること。このように、「問い」でもって仕事を進めていくのはありだと思いますね。

もう1つは具体の話ですね。いろいろと問いを立てる方法はあるものの、どこから始めるのか。これは、20~30ページの小さなガイドから始めるのがいいと思っています。「探索とは、仮説とは、一体何なのか」など、最初にまとまった情報を受け取らないと理解が進まないんですね。

もちろん、研修やワークショップはやりますが、その前に一歩目を踏み出せるような情報や知識を入れておくんですね。そして、それがあるからこそ、その先にも行くことができる。逆に言うと、そのガイドを読めばわかるんです(笑)。組織の中に、何か1つでもそういう定点や知識の足場があると、そこを足がかりに道筋ができるので。だから「ガイドを作ってみては?」ということはよく言っていますね。

DX推進のコアは「中の人材」と「外の人材」でつくる

森戸:なるほど。ちょうど「DX推進のために必要な組織や人材とは?」ということもお聞きしようと思っていました。特に大きな会社さんでは、組織全体が急に変わることはそうそう期待できないので、今までのビジネスによって、ある程度の売り上げを立てながら新しいことにも挑戦するんでしょうね。

今いらっしゃる方々には教育や、いろいろな現場でのOJTなどで伴走したり、ルールを作ったりすることになると思います。一方、これからDXを推進していくために、「DX人材を採用したい」と言われることがけっこうあるんですね。

僕はその言葉の定義がよくわかっていないので、「DX人材って何ですか?」と、いつも聞き返すんです(笑)。非常に曖昧な質問になりますが「DX推進のために必要な組織や人材とは?」と聞かれた場合、市谷さんはどんな回答をされますか?

市谷:DXを進めていくための人材や組織ですね。もちろん、組織の中でそういった活動を行っていける人材を何人か用意する必要はあります。その時に、デジタルに詳しいかどうかというよりも、「どういう変化を起こしていくのか」というメタ的視点が持てることが大切です。「段取りや構想を描いて、それを基にきちんと施策を打つことができる」人材が、最初のコアとして必要になると思います。

そうすると、たぶんデジタル的な専門性が足りない。そもそもその組織に専門性がないからDXを進めようということだと思います。「クラウド」「AI」「IoT」「アジャイル」などいろいろなものがありますが、もし揃っていないのなら、その専門性は外部から持ってくるのがいいと思っていて。

つまり、「中の人材」と「外の人材」で、最初のコアなチームを作るんですね。そこでやり進める中で、中の人は外からの知見を吸収しながら実践経験を積んでいく。そうしながら歯車を少しずつ大きく回していくことによって、組織としての厚みを増していき、やれることをどんどん増やしていく。私はこういう段階的なイメージを持っていて、これを推進していますね。

迷子にならないための、立ち返る「場」の重要性

森戸:なるほど。今ご質問をいただきました。「小さなガイドも日々少しずつ組織内で共有しながら、ということもありでしょうか?」ということですね。

市谷:そうですね。それでいいと思います。私が「ガイド」と言っているのは、決して「標準を作りましょう」ということではないんです。100~200ページある標準を、また一つ追加しようということではなくて、あくまでガイドなんです。道先案内のための、本当に小さな知識の塊のイメージです。だからサイズも小さくて、組織の中で共有・浸透させていくようなものになると思います。

なぜなら、繰り返しになりますが、受け入れる先の大多数の人たちは最適化に染まっていて、すんなり「探索」が入っていかないからなんです。だから、ガイドに書いておけばいいというわけでもなく、もちろんお話としてお伝えする必要もあります。DX推進をやろうと思ったら、やっぱり少しずつということになりますので、そういうイメージでいいんじゃないかと思いますね。

森戸:そうですよね。今ご質問にあった「小さなガイドを、日々組織内で共有しながら」といったことを蓄積するツールが、コミュニケーションの基盤になると思います。だからこそ、Slackのようなチャットツールがいいんですかね?

市谷:おっしゃるとおりです。先ほど申し上げたようにそれが「場」になるわけなので、「そこに立ち返ってみれば何か情報がある」「何度でもアクセスできる」という状況が作れます。こうした場がないと、特に大きな組織の人たちは、どこに立ち返ればいいのかわからず迷子になってしまう。場があると、やっぱりつながりますから。