建築→アートの研究→大企業での新規事業立ち上げ→起業家

白戸翔氏(以下、白戸):次は、若宮さんのパートに移りたいと思います。よろしくお願いします。

若宮和男氏(以下、若宮):今日はだいぶはるさんのファンの方が多いので、私は「はじめまして」の方が多いと思います。あらためまして、若宮といいます。キャリアパスもけっこうぐちゃぐちゃなんですけど、もともとは建築をやっていて、そこからアートの研究をしたりして。大企業で新規事業を立ち上げて、今は起業家としてやっています。

今日(のテーマ)は家族の話みたいなので。僕は青森県の八戸市に生まれまして、4人きょうだいで男1人。姉と、妹が2人っていうすごく女系の家で育ちました。

今やっているuni’queという会社は、ITベンチャーなんですけども、特徴が2つありまして。1つは、女性が主体で事業を作るということ。あと「全員複業」といって、複業をしないと入れないベンチャー企業になってます。

ちょっと変わった会社なので、東洋経済さんの「すごいベンチャー100」に選んでいただいたり、働き方の賞(work story awardイノベーション賞)をいただりとかしてます。

今日はたぶん女性の参加者の方のほうが多いと思いますが、まだまだ女性の起業家が少ないところに課題認識があってですね。女性の起業家を増やすため「Your」という仕組みをつくり、事業アイデアを持った女性に弊社メンバーのエンジニアやデザイナーが一緒に事業立ち上げをして、事業が立ち上がったら独立していただくかたちで、だいたい年に4、5本ぐらい新規事業を作っています。

例えば、(スライドを指して)一番左にある「YourNail」という、アプリでオーダーメイドのネイルを作れるサービスは、もう分社化をして村岡(弘子)さんという女性が代表を務めたりしていて。独立して進む起業家をこれからもたくさん輩出できればと思っています。

他にやっている事業は、「フェムテック」(女性の健康上の課題をテクノロジーで解決するサービス)と最近言われるような、更年期のサポートをする「よりそる」っていうサービスとか。あと、手紙で自分らしいキャリアを見つけていく、手紙を書くことで自分に向き合っていくみたいな、ちょっとユニークなサービスをしていて。

東京都の「APT Women」(東京都女性ベンチャー成長促進事業)とか、経産省の「始動」(イノベーター育成プログラム)とかに選んでいただいたりしてるので、「こんな事業やりたい」という方がいたら、ぜひ今日もご応募いただけたらうれしいです。

他には、新規事業(立ち上げの経験)が長いので、直近だと資生堂さんやティファニーさんなど、大企業の新規事業の研修やアドバイザーもしています。

また、「日経COMEMO」という媒体でキーオピニオンリーダーをしていて、働き方やアート思考に関してもいろいろ記事を発信してます。「COMEMO 若宮」と検索すると出てくるかと思うので、よかったら見てみてください。

「最も『短い』線・『長い』線・『美しい』線」を引きなさい

若宮:「アート思考と子育て」のお話をしたいのですが、最初にちょっとしたエクササイズをやってみたいと思います。もし、手元に紙とペンがある方は実際に書いてみていただきたいです。

簡単なクイズをやってみましょう。「A」と「B」の2つの点があった時に、「最も『短い』線を引きなさい」という問題です。ちょっと解いてみてください。はるさんもやっていただいてる。ありがとうございます(笑)。

わりと簡単に引けると思うんですけれども、AとBを結ぶ直線が一番短いですね。算数の時間でもやるような幾何学の問題なんですけども。

次に同じ点の並びで、「最も『長い』線を引きなさい」という問題だとどうでしょうか。ペンがない方は、「どんな線を引くのかな」って自分の頭の中で考えていただくといいかなと思います。なんとなく書けましたかね?

もう1個、今度は「点A、Bを結ぶ最も『美しい』線を引きなさい」っていう問題だとどうでしょうか? 

実際、企業とかいろんなところのワークショップでやってみると、すぐ書ける方と時間ギリギリまでぜんぜん書けない方と、2通りいて。もっと言うと、お子さんは迷いなくいろんなのを書いたりします。「正解」を気にせず自分らしく線を引けましたか? っていうことです。

実は、一番短い線だと解けるんですけど、他の一番長い線や最も美しい線は、いわゆる「不良設定問題」といって、1つの正解に定まらない問題でした。正解がないので、自分らしく思う線を引ければいいんですけれども、大人になればなるほどそういう線が引けなくなるということです。

贈り物を例に考える、ロジカル思考・デザイン思考・アート思考

若宮:セミナーっぽくなってしまうんですけど、少しアート思考の説明をします。もともとビジネスの現場で2000年頃にマッキンゼーというコンサルの会社がメソッドにした「ロジカルシンキング」「ロジカル思考」の考え方があって。「なんか課題があった時に、それを分析・分解して解きましょう」というものですね。

それだと行けないゾーンがあるので、「デザイン思考」が出てきて。これはまだ顕在化してない課題、潜在的な顧客のニーズを見つけ出すやり方です。

それでも行けないゾーンとして、今「アート思考」というのが出てきているんですけど。前の2つが課題を解決する、問題を解くものであるのに対して、アート思考は自分が起点になるのが大きな特徴です。

ちょっとわかりづらいので、「プレゼントをあげるなら?」を例によくお話をします。うちも「娘に誕生日のプレゼントって何をあげたらいいかな?」ってけっこう迷うこともあるんですけど。

その時に「中学生 プレゼント」「女の子 プレゼント」とかって入れてGoogleで検索すると、一般的に人気がありそうなやつが出てくるじゃないですか。これはわりとロジカル思考的なアプローチですね。

それに対して、「日頃は何を見ているかな?」「一緒に歩いてる時に何を手に取ってるかな?」と観察して、「たぶんこれが欲しそうだな」「言わないけど欲しそう」とやるのが、デザイン思考的なアプローチです。

アート思考は、例えば自分が大好きな本とか映画があったら、「これめちゃくちゃおもしろいから見て!」「読んで!」って言って、プレゼントするような感じです。

(スライドを指して)左の2つが相手の気持ちを考えてるので、今までは“よし”とされてきたんですけれども。そうすると却って、相手が喜ぶようなプレゼントをあげられないようなところがあって。

起業もそうなんですけど、事業を作るのは自分たちから社会にプレゼントをあげること、価値を提供することだと思うと、社会がまだ気づいてもいないような価値を提供する時には、(スライドを指して)左側2つのアプローチだとなかなか行けないよねと。

自分らしい、好きなプレゼントをあげることで、相手は最初はいらないって思うかもしれないんですけど、後でそれに気づくと「あっ、こういうのもすごくいいね」って新しい発見があるんですね。

「工場のパラダイム」と「アートのパラダイム」

若宮:こういった考え方が大事になってくる前は、僕が「工場のパラダイム」と呼んでいる20世紀型の価値観。工場では、同じものがたくさん作られるとよくて、その中に違いが入っていると不良品や事故のもとだったりするので、基本的に違いがないように、同じように。

仕事でいうと、マニュアル化されたり、学校の制服だったり。今でも、就活の時期になると「ベージュのコートとリクルートスーツを着て、ポニーテールまでそっくり」みたいなことがいっぱいあるんですけど。そういうのは、工場のパラダイムの名残ですね。

情報も物も飽和して多くなってくると、同じものの価値が相対的に下がってきて、違いがあるもののほうに人を惹きつける魅力が生まれると。これを「アートのパラダイム」と呼んでいます。

芸術家は作品を作る時に、今まで誰かが作ったような作品ではなくて、その人らしい、新しい作品を提示することに価値があって。むしろ同じものを作ると「パクリ」や「ものまね」って言われて、あまりいいことじゃない。

「同じ」に価値があって「違い」が悪いことだったのが、「違い」が価値で「同じ」ほうがあんまりよくないもの、と20世紀と21世紀では価値のパラダイムは180度変わっているんです。教育の現場とか、会社でも特に大企業だと、未だに工場のパラダイムで組織がつくられていることがあって。ここにけっこう“ねじれ”がある感じですね。

それぞれのいびつさに違う価値があって、それぞれが解になっていく時代

若宮:僕はよく「正解よりもいびつさ」という言葉を使うんですけど。今は「VUCA(ブーカ)の時代」(「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字をとった言葉。ビジネス環境などが変化し、将来を見通すことが困難になっている状況を意味する)で、変化が早くて、正解がない時代だと言われます。

じゃあ「正解がない」とはどういうことか。かつて正解があった時には、その反対って「不正解」だったんですね。正解じゃないものを書くと“バツ”とされていたんです。

(スライドを指して)下に書いてある「歪解(わいかい)」は僕の完全な造語なんですけど。不正解の不正っていう字を1文字にギュッとすると「歪」っていう字になります。これからは、なにか1つの正解があるんじゃなくて、それぞれのいびつさに違う価値があって、それぞれが解になっていく時代だと思っています。

例えば、(スライドを指して)これは20世紀初頭のフランスの絵画です。左側(ウィリアム・ブグロー『月桂樹の枝』、1900年)は、当時は「正解」とされていたものです。遠近法がすごくきれいで、フランスの王立アカデミーが「こういうものがいいです」としていた宗教的な画題を持って、遠近法もすごくリアルに、見たまま描いていると。

それに対して、1900年と1905年で5年しか違っていないんですけど、(アンリ・マティスは色の使い方であるとか、今までの正解とは違うかたちの絵画(『帽子の女』、1905年)を提出しました。

この人は最初、乱暴なタッチとか色の使い方から「野獣」って呼ばれて、「野獣派」って批評家に批判されたところもあるんですけど。当時は「こんなものは美ではないし、アートでもない」と言われたりしたんですが、マティスが新しいものを提示してくれたおかげで、見たままどおりの絵じゃなくてもアートとして楽しめる(ようになった)。アートとか美の概念が拡張したところがあります。

「○○らしくしなさい」でなくしてしまう、自分のいびつさ

若宮:「『自分』はいびつ」「uncover yourself」とスライドに書いてあるんですけど。「違いが価値になります」と言ったら、「どうやって違いを作ったらいいですか?」とか「差別化をするにはどうしたらいいですか?」って、あわてて聞かれることもあります。

でもアート思考的には「違い」はつくるものじゃなくて、そもそも今日聞いていただいてる数百人、千人ぐらいの方がいれば、全員が違ういびつな形をしてます。その形は1個として同じものはないので、そのままでいたら「違っちゃう」のが感覚としては近いです。どこかが伸びたり、出っ張ったり、引っ込んだりしてるんです。

僕は他の人の分節(他人が決めた常識やルール)のことを、「自分」じゃなくて「他分」と造語で言っています。企業の人は自己紹介する時に「どこどこ企業に勤めてます」「営業部長の~」とただの肩書で、本人の「らしさ」とは関係ない(話をする)んですけど。そういうものを「他分の殻」と言っています。

今日の話でいうと、「子どもは子どもらしくしなさい」「ママはママらしくしなさい」とか。そうやって、自分のいびつさのほうをなくしてしまうような、他分の殻に入ってしまっている。この他分の殻を剥いで、自分のいびつさを出していくのが、アート思考的なあり方です。

(自分のいびつさが見つからない理由は)肩書とか、ママだからママらしくしなきゃみたいなことの他に、日本だと特に「(いびつさを)欠点だと思う」ところにあります。いびつさには、出っ張ってるところもあれば凹んでるところもあります。

凹んでるところが欠点だと思って、「直さなきゃいけない」ってみんな丸い形を目指しちゃう。受験の時に模擬テストを受けると、語彙力とか読解力がレーダーチャートで表されて、どこかが凹んでるとみんな丸いほうにいきましょう、と刷り込まれ過ぎているんですね。

本当はレーダーチャートは、成分分析とかで使う時は、それぞれの形の違いを見るためにやるものなのに「みんな丸くなきゃいけない」という刷り込みがあったりします。本人にとっては当たり前過ぎて気づかなかったりするので、他の人と触れ合って触発されることも大事だったりもします。

1回はまってみることで、型を離れることができる「守破離」

若宮:舞踏家の土方巽が書いている文章で「人間は生まれた瞬間からはぐれている」と。はぐれている自分と出くわしていくことが、彼が言う舞踏とかアートの領域です。

(スライドを指して)下のほうに書いているように、「他人との約束ごとに自分を順応させて、飼いならされてしまう」と、土方巽は言ってるんですけど。(今の私たちは)けっこう飼いならされている状態になってしまっていると思います。

じゃあ型どおりやることとか、子育てでいうと「勉強って意味ないんですか?」と(いう話になるが)なんでもかんでもただ自由にやればいいかっていうと、実はそうではなくて。

お稽古、能とかお茶の世界では「守破離」の考え方があります。型を守って、1回型どおりやってみると、人によってここは「自分らしく(なくて)気持ち悪いな」みたいな部分が出てきて、そこを破ると。最後は、型を離れて、その人らしい型を発明するようなところにいくんです。

最初から型を離れようとすると「型なし」っていうことになります。我流だと大したユニークさが出ないんですよね。1回型にはまってみることで、型を離れることができるのが守破離の考え方なんです。

あまり主語を大きく言っちゃうとあれなんですけど、日本の教育の現場だとどうしても、あくまでも1ステップ目でしかない「守」が神さまになって、破った瞬間に怒られてしまうところがあります。

今日は親世代の方が多いと思うので、植松電機の植松(努)さんの記事(「今の子どもを苦しめているのは、昔の常識を教える大人 植松努氏が実感した、日本教育の世界とのズレ」)がログミーにあるので、すごく読んでいただきたいです。

(スライドを指して)下に書いてあるんですけど、「今の子どもを苦しめているのは、昔の常識を教える大人」と。大人の側の頭が変われなくて、子どもの創造性に蓋をしてしまっていると植松さんがおっしゃっていて、すごく共感する記事です。ググると出てくると思いますので、ぜひ。

アート思考的に大切な「轍をはみ出す力」

若宮:「轍をはみ出す力」が、アート思考的には(大事だと)思っていて。僕の出身地の青森県の八戸では、雪が降るんですね。雪が降ると、車が通ってるうちに轍ができる。その道を真っ直ぐそのまま進んでる時には、轍の凹みって安心できるレールみたいなものでもあるんですけど。

違うほうに方向転換しようと思うと、なんかズルっとすべっちゃったりするんです。今、我々世代が子どもにも既定路線を教えてしまうと、変化がないまま行ってしまう。親世代がグッとはみ出してみると、それを見た子どもたちがさらにはみ出せる子になって、指数関数的に世の中が変わっていくんではないかなと思っています。

轍も、さっきの守破離の「守」が最初にあるように、型がつくことは安心ではあるんですけど、はみ出ることもぜひ教育や子育ての中で(教えたい)。その時には、自分も変わる勇気みたいなものがすごく大事になるなと思います。

これが最後のスライドで、アート思考ってどんなものか。アーティスト・芸術家は自分だけの作品を作り出しています。作品は「work」ですが、仕事も「work」です。

仕事は大人にとっていつの間にか、与えられたりこなしたりするものになってしまってるんですけど、本当はその人らしい、あなたらしいworkを。ここに1,000人近くいれば、その人だけのworkを作り出すことはできる、というのがアート思考的な考え方で。

先ほどのはるさんの言葉でいえば、「マイものさし」を見つけて、みなさんがそれぞれの仕事とかworkとか、あるいはそれを見てお子さんたちが自分たちらしく生きることが、もっと増えていくといいなと思っています。

白戸:若宮さんありがとうございます。植松(努)さん、『下町ロケット』のモデルになった方ですね。

若宮:そうです、そうです。

尾石晴氏(以下、尾石):Tedトークも良いですよね。

若宮:すばらしいですよね。

尾石:私も見て感動しました。