文章の専門家に聞く、「伝わる文章」の極意

高橋朋宏氏(以下、高橋):こんにちは。タカトモこと高橋朋宏です。ブックオリティ出版ゼミの学長をしております。隣にいらっしゃるのは山口拓朗さん。

山口拓朗氏(以下、山口):はい。

高橋:イケメンです。

山口:ありがとうございます(笑)。

高橋:(笑)。山口さんはもともとライターをされていたんですけれども、今は著者として活動されていて、ライティングサロンを運営されたりしています。今日は「伝わる文章」の極意を、いろいろお伺いしていきたいと思います。

山口:ありがとうございます、よろしくお願いします。

高橋:よろしくお願いします。では簡単に自己紹介をお願いいたします。

山口:初めまして、山口拓朗と申します。現在、文章の専門家として活動しております。もともと出版社で記者と編集者の仕事をしておりましたが、独立をして、フリーライターとしてしばらく活動していました。

実は出版社を辞めたあと、ブログを書き始めたことが私の転機でして。ブログで文章の書き方の情報発信を始めたんですね。それが意外と好評を得まして、そこから「本を出しませんか」というオファーをいただいたり、「セミナーをしていただけませんか」ってお声をいただいたりするようになって、自分の人生が変わりました。

現在は執筆活動に加えて、いわゆるビジネス文書の書き方の企業研修とかを請け負ったり。あるいは自分でも「山口拓朗ライティングサロン」を主宰しております。メンバーにはビジネスをやっている方が多いんですけど、そこで主にSNSの活用方法や、商品やサービスを売るセールスライティングの技術。そして「いずれは出版を目指したい」という方々に向けて、出版についてのスキルを一緒に磨く活動をしております。本日はよろしくお願いいたします。

高橋:よろしくお願いします。

電子書籍元年に、Kindleで1位に

高橋:最初に僕が山口さんのお名前を知ったきっかけが、「電子書籍元年」と呼ばれている、AmazonでKindleのサービスが始まった時。何年でしたっけ、2000……?

山口:たぶん2012年か2013年だと思うんですけど、2012年の年末ぐらいだったような気がするんですが。

高橋:そうですね、それぐらいですかね。僕、出版社で電子書籍の責任者もやっていたので。

山口:あっ、そうですか。

高橋:はい、Amazonとの交渉もずっとやっていたんです。「どういうかたちで始まるんだろうな」と思って、すごくKindleの動向を見ていたんですよね。その時にKindleで1位になったのが、実は山口さんの本なんですよね。

山口:そうですね。あの時は本当に意外というか、まさか自分の電子書籍が1位になるとは思ってもいなかったんです。ただ、Kindleがスタートしたばかりだったので、そんなに作品の点数が多くなかったのも幸いしたんじゃないかなとは思うんですけど(笑)。文章の書き方の本は、合計で恐らく10万部ぐらいダウンロードされているので。

高橋:10万ダウンロードですか!

山口:そうなんですよ。僕もけっこう衝撃的でした(笑)。

高橋:10万ダウンロードっていうと、正直言うと僕が編集を手がけた近藤麻理恵さんの『片づけの魔法』の電子書籍と張り合いますね……(笑)。

山口:あぁ、そうですか(笑)。いや、それはすごいなぁ。Kindleだけじゃなくて、当時App Storeとかほかのストアでも売っていて、そのへんも比較的よく動いてたようです。文章術って意外と世の中にニーズがあるんだなと、その時初めて実感しました。

高橋:なるほど。この電子書籍のタイトルが『ダメな文章を達人の文章にする31の方法』っていうね。

ダメな文章を達人の文章にする31の方法 なぜあなたの文章はわかりにくいのか?文章の書き方が分かる本(横組版)

山口:そうですね、すごいですよね。こういう本を出すとダメな文章を一切書けなくなっちゃうので、けっこうプレッシャーなんですけど(笑)。

高橋:めちゃくちゃプレッシャーですよね(笑)。

出版社に入ったときは、文章にダメ出しの嵐だった

山口:ただ、けっこう驚かれるんですけど、私が出版社に入った時って、ダメ出しの嵐を受けていたんですね。

高橋:僕もそうです(笑)。

山口:タカトモさんでさえそうだったんですね(笑)。そうなんですよ。もう本当、書いた文章、書いた文章、ことごとく突き返されるわけですね。「こんなの世の中には出せない」と。運よく読んでもらえても、赤ペンで真っ赤っ赤になった紙が返ってくるわけですね。それを全部丁寧に直すと「これ自分が書いた文章じゃないじゃん」っていう文章ができあがるんですよね(笑)。

けど、そうやって厳しく指導を受けたおかげで「そうか、伝わる文章を書くためにはこういうふうに書けばいいんだ」っていうポイントを、少しずつつかんでいったということがあるので。本を出せるようになったのも、その時にご指導いただいた賜物だなと思っております。

高橋:めっちゃくちゃ共感します(笑)。僕も本当にダメダメ編集長だったので。

山口:へぇー、意外ですね。

高橋:取材しに行って、朝まで必死にまとめた原稿が、翌朝真っ赤になって返ってくるんですよね。

山口:同じですね(笑)。

高橋:7~8時間使って書き上げた原稿が、下手したらわずか15分か20分ぐらいで真っ赤になって返ってくるんですね(笑)。

山口:わかります、わかります(笑)。本当にそうですよね。最初の頃は多くの方がそうだと思うんですけど、文章の書き方って学んでるようで学んでないことがあると思います。出版社で長くやっている、ベテランの編集者とかライターさんのご指導は本当に的確で。「文章ってこういうものなんだな」というのを本当に一から身につけた感じでしょうかね。

高橋:この『ダメな文章を達人の文章にする31の方法』は、AmazonのKindleがスタートして以来、かなり長いあいだ1位をとっていた印象があります。

山口:そうですね、おかげさまでずっと1位に、何ヶ月もいましたね。本当に信じられないというか、なんで1位にいるんだろうと思いながら順位をいつも見てました(笑)。

最初の著書は「文章」ではなく、「コミュニケーション」がテーマだった

高橋:(笑)。この時に初めて山口拓朗さんのお名前を知ったので、「いったいこの方は何者なんだ?」と思って。本当に不勉強で申し訳ないんですけれども、紙の書籍を出されているのを知らなかったんですよね。

山口:そうですね、この時は私2冊ほど紙の書籍を出してたんですけど、どちらかというと会話とか初対面といったテーマで書いてまして、文章の本は実はこの電子書籍が初めてでした。ただこれが売れたおかげで、いろんな編集者さんから「文章の本、紙でも出しませんか」とオファーをいただいて、そういう意味でも、僕にとってすごく大事な1冊ですね。

高橋:なるほど。1冊目の(紙の)本は、なんというタイトルですか?

山口:変わったタイトルですが、『イチローともジャイアンとも初対面ですぐに仲良くなれる本』という本です(笑)。

イチローともジャイアンとも初対面ですぐに仲良くなれる本

高橋:えっ、『イチローとジャイアンと初対面ですぐに仲良くなれる本』?

山口:そうですね、『イチローともジャイアンとも』なんですけども。

高橋:『イチローともジャイアンとも』、なるほど。

山口:タイプがぜんぜん違うということで、「あらゆる人と」という意味が含まれていると思うんですけど。出版社時代にいろんな方の取材を相当してきたんです。有名な方もそうですし、いわゆる一般のビジネスパーソンとか、主婦の方とか学生さんとか高齢者の方々もたくさん取材してきたので。そういうインタビューの技術ってけっこう自分の中にあって、みなさんの役に立てるものもあるんじゃないかなと、ふだんから思ってたんですね。

そこで編集者さんと出会って。文章術の本の企画もあったんですけど、意外と編集者の方が興味を持ったのが、初対面でその人とどういうふうにやり取りをするのか、どういう会話を広げていくのかとか、雰囲気を作るのかとか。そういったことを書けませんか、というご提案もあって、じゃあ書かせてもらいます、というかたちで企画が進みました。

高橋:なるほど。最初は文章や書き方の本ではなくて、コミュニケーションの本だと。

山口:そうですね、コミュニケーションの本でしたね。

高橋:すいません、失礼ながら、これは売れたんでしょうか。

山口:あまり売れていないと思います。初版、1回増刷がかかりましたけど。

高橋:あっ、重版したんですね。すばらしい。

山口:重版はしましたが、ただ部数的にはさほど伸びてないですね。

高橋:でも、もしこの1冊目がめちゃくちゃ売れてたとしたら、今の山口さんとは違う方になってるかもしれないですね。

山口:あぁ……そうですね、本当に。よく出版って「1冊目がすごく大事だよ」と言われるじゃないですか。そういう意味では、僕の1冊目はそんなに売れていないので(笑)。この本を出すことによって自分がどうなるのかって、ぜんぜんイメージつかなかったですね。だからこの本が売れてたら、もしかしたらコミュニケーションとか、話し方としての伝え方とか質問術とかに展開していったのかもしれないですね。

書くことの喜び、読者に届いた時の喜びがモチベーションに

高橋:おもしろいですね。で、この本を書かれたわけなんですけども、その前に出版社にお勤めになられていて、ずっと雑誌の編集者をしていたんですよね。

山口:そうですね。雑誌の編集者兼記者というかたちで、全国各地を飛び回っていろんな方に取材をして、それを編集部に持ち帰って、徹夜して原稿を書いて(笑)。それを雑誌に載せるという仕事ですね。

高橋:なるほど。プライベート0、っていう感じですね。

山口:プライベート0でしたね。もう毎日が文化祭みたいで、編集部は24時間ずっと灯りが点いてますし、机の下とかで普通に寝てる人が山ほどいる感じでしたね(笑)。

高橋:(笑)。僕も会社のロッカーに銭湯に行く用意がありました。

山口:そういうのはありますよね(笑)。当時は「ブラック企業」なんていう言葉がまだなかったですけど、今だったらきっとそういう言葉が当てはまっちゃうんでしょうね(笑)。

高橋:そうですね(笑)。山口さんも会社で編集者の仕事をずっとされていて大変だったけども、おそらく楽しかったんですよね。

山口:そのとおりですね。やっぱり本とか雑誌がすごく好きだったので、そういうものを作り出す作業が本当に楽しかったですね。それこそ文章が書けないことで怒られたり、いろいろ指導をされたりしてなかなか大変な面もありましたけど。ただやっぱり、モノを作る喜びというのかな。あと読者に届いた時の喜びをその時に感じて、これは楽しい仕事だなと、常に思っていました。

高橋:なるほど。編集者をやっていると、編集者の道を極めていこうというパターンと、山口さんみたいに記者やライターとして書くことがベースになるという、2つね。

山口:そうですね、確かに。

高橋:編集長になりたいというのはなかったんですか?

山口:少しありました。ただ、やっぱり自分は書くことが好きなんでしょうね。書いている瞬間がすごく楽しいとか、書き終わった時、それが届いた時の喜びがあって。いつかはフリーのライターになりたいな、あるいは著者になりたいなと若い時からずっと思っていました。

高橋:「著者になりたい」っていうのも若い時から。

山口:そうですね。すごく明確なものではなかったんですけど、いつか自分の本を出したいなというのは、頭の片隅にはありました。

高橋:なるほど。雑誌の編集者しながらその志を持ってる方って、実はそんなに多くないですよね。

山口:そうかもしれないですね。当時は別に作家を目指してたわけじゃないんですけど、勝手に自分で小説を書くこともやっていて。なんで書いてるんだろうって、自分でもよくわからなかったんですけど(笑)。それぐらいアウトプットすること、表現すること、伝えることに対する興味がすごく大きかったんだと思います。

フリーライターになったきっかけは、妻の「産後うつ」

高橋:なるほど。それで、本を出したと。そこに至る前にフリーのライターの道があったわけですけども。「よし、ライターになるぞ」と、出版社を辞めてフリーのライターに転身しようと思ってなったんですか?

山口:いや実は、ライターにはいつかなりたいなと思ってたんですけど、まだ数年先だなと考えていたんですね。その時にちょうど、妻が産後うつになってしまったんです。出産して、まだ赤ちゃんが0歳の時なんですけど。

僕も最初は気づかなかったんですけど、ある日……私が朝出かけるじゃないですか。帰ってきたら、朝と同じような状態で妻がパジャマのままでぼーっとしている。

彼女は今でも「子どもが0歳の時の記憶があまりない」と言ってるんですけど、今考えるとやっぱり産後うつだったんですね。その時に「これはヤバい」って思って、もう後先考えずにとにかく自分が仕事を辞めて、子育てを手伝わなきゃっていう気持ちになったんですよね。なので本当に、その何日かあとにはもう退職のことを編集長に相談してました。「急がなきゃ」という気持ちがあったので。

高橋:すごいですね、決断が早いですね。

山口:やっぱり優先順位としては、本当にまずいと思ったので。妻の産後うつに対して「助けなきゃ」というか、家族なので「なんとかしないと」っていう気持ちがありましたね。

高橋:それを奥さまにお話しされた時は、どういう反応だったんですか?

山口:なんていうのかな……妻は、そうしてもらえると助かるというか、辞めてフリーとして活動できるんだったらそうして、っていう感じで言ってくれました。もちろん自分が子育てを手伝ってもらいたいっていうのもあったと思うんですけど、そこらへんはぜんぜん反対はなく。

あとけっこう昔から「男だったら1つの会社だけじゃなくて、いろんなことに挑戦してもいいんじゃない」みたいなことを妻も言っていたんですね。意外とそういうことを言ってくれる人なんです。そういうのも頭にあったので、チャレンジする時なのかなという気はしました。

産後うつが、妻の起業の転機にもなった

高橋:なるほど。ご存知の方もいらっしゃると思いますけども、奥さまは著者でいらっしゃるMOMOさんこと、山口朋子さん。

山口:はい。「主婦の起業塾」(彩塾)を、もう13年ぐらいやってるんですけど。インターネットを使って、お家にいながらでも起業できますよというノウハウなんかを伝えています。

高橋:その朋子さんも、起業される前は産後うつの状態に陥って。

山口:そうですね。だけど彼女にとってもそれがすごく大きな転機で、産後うつになったことによって、家にいながら「なにか自分もお金を得る手段ってないのかな」みたいなことを考えるいいきっかけになって。そこでパソコンを使って、いろんな文章を書き始めたりして、それが今の彼女の起業塾の原型になってる。

当時は大変でしたけど、二人にとってはいいルーツになってるのかなという気はします。

高橋:辞めるという決断・判断は、奥さまに先に言われたからっていうわけじゃなくて、 拓朗さんが心の中で決めて。

山口:そうですね、僕が決めましたね。「辞める」という言葉自体は、たぶん「僕が辞めて一緒に娘を育てるよ」っていうかたちで言ったと思います。

「なんとかなる」という根拠不明の自信があった

高橋:なるほど。奥さまはきっとすごく感動されたんじゃないかなと。

山口:(笑)。もちろん急に辞めたので、本当にお金の面とかね。もう、来月からまったくお給料がないわけですから。

高橋:そうですね、最初は給与振込日に何も入ってこないと。

山口:そうなんですよ。会社に6年しかいなかったので、退職金なんて微々たるものですから、何ヶ月か後には貯金が底をついた状態でしたね。

その中で僕も「なんとか仕事をとらなきゃ」と、それこそ営業活動ですよね。知り合いの編集者に声をかけたりとか、まったく知らない出版社の編集部に自分の素材を持っていって「こういうこと書けますから」みたいに営業に行ったりとか。とにかくいろんなことをやってました(笑)。

高橋:山口さんと同じような状況で退職の判断をされる方は、今ではわりといらっしゃると思うんですけれども。当時はなかなかいなかったんじゃないですか。

山口:いなかったですね。やはり会社を辞めるという選択肢自体を考える人があまりいなかったと思うので。そういう意味では、「あとはなんとかなる」っていう根拠不明な自信みたいなものがちょっとあったんですよね。表現しにくいんですけど、「がんばればなんとかなるだろう」とは思ってましたね。

高橋:この「根拠不明の確信」が一番大事なんだなと(笑)。

山口:あ、そうですか(笑)。だけどそう思います、やっぱり根拠をいろいろ考えちゃうと動けなくなっちゃいますし。若かったというのもあるんでしょうね、「いくらでもやり直しはきくや」ぐらいの気持ちもあったと思うんです。

高橋:当時はおいくつですか?

山口:30歳ちょっとかな。

高橋:じゃあ、ご結婚はけっこう早かったんですね。

山口:そうですね、25で結婚しました。

高橋:なるほど。で、会社を辞めて。会社を辞めた時では、まだ奥さまはうつの状態ですよね。

山口:はい、そうですね。

仕事がない状況でも、幸せに感じた子育て

高橋:その状態でフリーになられて、仕事をとってこなきゃいけないと。子育てもしなきゃいけないと。けっこう追い込まれませんでしたか?

山口:追い込まれましたね。最初の頃は仕事のない追い込まれ方ですよね。つまりお金が入ってこないのでどうしよう、みたいな。だけど仕事がないわけですから、やることがないわけですよ(笑)。

ただ一方で、この小さい時期の娘と一緒に過ごせるのは幸せだなとも感じていたんですね。やっぱり娘のことがすごくかわいかったので。よく「子どもってあっという間に大きくなるんだよ」みたいな話は聞いていましたし、小さい娘の成長を一日一日見られるのはすごく幸せだなと。その幸せと、一方でお金や仕事がない不安みたいなものに挟まれて当時は複雑な心境でしたね(笑)。

高橋:(笑)。奥さまは家計とかのご心配はされなかったんですか?

山口:してました。やはりその時はちょっとナーバスにもなってましたし、「どうしよう、どうしよう」とか「どうするの?」みたいに、よく二人で話をしたりしていましたね。

ただがんばるしかないので、とにかく……さっきの「根拠のない自信」じゃないですけど、僕がフリーで活動してることを知ってさえもらえれば、それで一度原稿とかを見てもらえさえすれば、なんとかなるんじゃないかと思って。だからそこの数をとにかく増やそうと、いろいろ編集者に自分からアプローチをして。

高橋:会いに行って。

山口:はい、会いに行って。

高橋:当時だとやっぱり電話ですよね。

山口:そうなんですよ。電話から入って「今から編集部に行っていいですか?」みたいにやってましたね(笑)。

高橋:もともといらっしゃった会社と、フリーライターとして関わることはあったんですか?

山口:ありました。ありがたいことに、僕が辞めた理由も会社の方々はわかってくれていたので。「お前大丈夫か」みたいな感じで、「ちょっと足しになるんだったらこういう仕事あるから」と仕事をくれたりとか。

高橋:ありがたいですね。

山口:そうですね。けっこう大きめの仕事をくれたりもしていましたので、そういう意味では本当に感謝してます。