PR2025.11.27
数理最適化のエキスパートが断言「AIブームで見落とされがちな重要技術」 1,300社が導入した「演繹的AI」が意思決定を変える
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宮田大介氏(以下、宮田):で、ちょっとまたピークのところから少し難しい時代に入ってきた、ヒストリーポイント④で。次、⑤に入ってくるんですけど。
お話聞いた時、けっこうびっくりした話ではあるんですけど。35歳のタイミングで、突然の脳の手術をするっていう中で「あと1週間遅れてたら、手遅れだった」と言われたという。
倉島一幸氏(以下、倉島):そうなんですよ。
宮田:でもぜんぜん兆候とかがなかった、って感じですよね。
倉島:兆候はね、『チンクル』の最初のやつ作ってる時に、後半ちょっとグラグラ。「三半規管(の問題)なのかしら?」って、グラグラするからとある大学病院行って検査受けたら、その時はメニエール症候群みたいなことを言われて「あぁそうなんだな」と思って。で、どんどんひどくなっていって。『チンクル』終わったあとに、バンプールのスタッフの知り合いの人が小さい病院紹介してくれて、そこで検査受けたら即入院で(笑)。

宮田:(笑)。
倉島:で、即手術だったんですよ。それが「1週間検査が遅れてたら死んでたかもしれない」って言われて。それまでわりとイケイケで生きてきて「70~80才までは生きるのかしら?」と思ってたら「あら意外に早く死んじゃうのね」みたいな。それでびっくりしましたね。
宮田:35歳だとなかなかやっぱり、まぁ40~50才とかになってくるとそういったところも意識し始めるけど。35歳でそうなるとは、自分も思わないですもんね。
倉島:そう。それがちょうどチンクルと同い年だったんですけど、チンクル35歳の時に私も危なかったんですよ。
宮田:なるほどですね。そこでクリエイターとしての生き方を考える転機になった、みたいなお話を。
倉島:そうかもしれないです。
宮田:さっきお話に出てきた『チンクル』1作目の、ちょうど発売をしていくタイミングで。ここのタイミングでニンテンドーDSが発売されたというところで、再び2Dの作品が受け入れられる時代がまたきて。そこでクリエイターとしてもまたやっていく、やれるんだというところが出てきた時代っていう感じですよね。
倉島:そうですね。もちろん3D主流ではあるんですけど「まだ生き残るすべがあるぞ」と。で、そのあとぐらいからだんだんガラケーでも、2Dの絵が用途が増えてきたというか。だんだん生きやすい世の中になりましたね(笑)。
宮田:(笑)。それまでは逆に、業界から足を洗うことも考えてたみたいな話も。
倉島:辞めようとは思ってましたね。だから何やるかって、ラーメン屋さん……家系ラーメンが好きだったから。
宮田:いきなりラーメン屋さんに(笑)。
倉島:バンプールで、工藤(太郎)さんも家系ラーメン好きだったから、寸胴の鍋で豚骨煮てラーメン作ったりとかしてました。煮卵はうまくできるようになったんですけどね。
宮田:オフィス内で寸胴鍋が(笑)。
倉島:何がダメかっていうと、たまにうまいものはできるんですけど、それをキープしていくっていう。お店レベルだと。それはやっぱり非常に難しい。で、断念しました。
宮田:(笑)。そこがプロの境目じゃないですけど、アウトプットの平均化というところ。なかなかラーメンも奥が深いですね。
倉島:奥が深いです。
宮田:クリエイターだけじゃなくてラーメンのことも(笑)。でもなかなか35歳とか30歳とかって、ちょうどいろんな生き方を考える時期でもありますもんね。「このままやっていけるのか?」みたいな話とか含めて。
倉島:そうですね。売れないし……っていうのもアレだけど(笑)。なんて言うんですかね、若干マンネリ的な感じになってきちゃってて、自分が悪いんですけど。それで日々「これでええんかいのう?」という気はちょっとありましたね。やっぱり20代のころとは違って、30代はわりとけっこう暗黒な時期ですね。
宮田:なるほど(笑)。そこでちょうど脳の手術とかも含めて、いろんな転機があって。どうやってこうかなというのを、転機としてなったという感じですね。
倉島:そうですね。
宮田:そこからヒステリーポイント⑥、最後になるんですけど。そういったこともありつつ、『チンクル』で再評価されたということもあって。ちょうどそこから、だんだんと自分の名前とかフリーになって名前を出すようになってきた時期って、話をお聞きしていて。

それもやっぱり「いつ死んじゃうかわからないから、好きな時に好きなことをちゃんとやれる環境を作っていこう」みたいな話を聞いて。確かにそれはそうだなというのはすごく思うので。
倉島:そうですね。意外に「この後、車にひかれて死んじゃうかもしれない」というのは誰でもそうなので。何かやりたいことを、やれる時にやっといたほうがええでっていう。
宮田:(笑)。
倉島:ええんじゃないですか? と思うようにはなりましたね。だから、名前を出すとかそういうのはそれほどこだわりはないんですけど、バンプールとかラブデリックの時代はチームとしてこの作品を出していたんで、別に個人の名前をどうこうはなかったんですけど。
フリーになって、ちょこちょこ個人活動の時に名前を出していて、それまでは取材とかもあんまり受けてはなかったんですけど。
でも、クリエイターとして名前をいろいろ出してもらえるようになったのって、最近のOnion Gamesさんに入ってからが多いですけれども。たぶんそう仕向けてくれてるんだと思うんですけれども。
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