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やりたい仕事が見つからないあなたへ「to be型」と「to do型」 2つのキャリアの考え方(全4記事)

マズローも晩年に気づいた6段階目の欲求 現代人の幸福を読み解く「1杯目のビール理論」

2019年6月6日(木)、ログミー主催のイベント「やりたい仕事が見つからないあなたへ『to be型』と『to do型』 2つのキャリアの考え方」をAzabu FlagHubで開催しました。スピーカーとして登壇したのは、コンサルティングカンパニー「Tanpan & Co.」代表の佐地良太氏。自分が本当にやりたいことってなんだろうーー。そんな誰しも一度は考えたことがある問いに対して、ご本人の経験を交えながら、やりたいことを見つけるための思考法やテクニックをやさしく解説します。このパートでは、やりたいことがないと考えてしまう精神のメカニズムを鋭く分析。乾けない世代と言われる現代人のための幸福論、またやりたいことを見つけるための原体験の重要性など、目からウロコの話を披露します。

「やりたい仕事が見つからない」のメカニズム

今日のテーマなんですけど、やりたい仕事が見つからないというのは本当に現代病だなと思っていて、その発生のメカニズムと処方箋についてお話ができればと思っております。

先ほどの私の大学時代の話にあったと思うんですけれども、この話は結局「幸福論」だと思うんですよ。「人生の目的って何なんだっけ?」みたいなところでいうと、いろいろな人生があると思いますけれども、人生の目的というのは、まず幸せになることだと思います。みんな幸せになるために生まれてきていると僕は思っています。

そして、自分が幸せになるためには、自分自身の幸せと、自分の周辺にいる大事な人の幸せを追求しないといけないんじゃないかなと思っています。あくまでもこれは僕の解釈で、「僕はこう思っていますよ」という話です。これがすべてではないので、そういう頭で聞いていただきたいのですが、幸福度というのは人生に関する満足度だと思うんですね。

たぶん今日ここに来ていただいた方は、どこかにちょっと不満足な部分があって、もやもやしている方なんじゃないかなと思っています。これには3つのステージがあると思っていまして、まず一番は健康です。健康というのは肉体だけじゃなくて、やっぱりメンタルもあるかなと思っています。

可処分所得と可処分時間の配分で幸福度が決まる

健康な肉体と精神があると、「可処分時間」が増えます。次のステージは物質的なところで、エンゲルじゃなくていいと思うんですけれど(笑)、衣食住。もちろん人によってここにどれぐらいお金をかけたいかは変わってくると思います。「別に毎日コンビニのごはんでもいいよ」という人もいれば、僕みたいに「毎日寿司食いたい」みたいな人もいます。

「(服も)ぜんぶユニクロでいいよ」「しまむらでいいよ」という人もいれば、「こだわった洋服が着たい」という人もいます。「(住居も)別にバスなしトイレなしの家でも寝られればいいや」という人もいれば、「おしゃれな家に住めなきゃイヤ」みたいな人もいます。

ここに関連してくるのはやっぱりお金ですよね。ぜんぶ所得で、お金で解決できる問題なので、関わってくるキーワードとしては「可処分所得」です。

(スライドを指して)上のステージ3と書いたところが、その可処分時間と可処分所得をどういう配分で使っていくかということかなと思っています。家族、仕事、資産、成長、成長というのは自己成長という意味ですね、それと趣味、友人みたいなところがあって、これが1個でも欠けると幸福度が下がると思うんです。

僕の本業というかスペシャリティ、ミッションみたいなことでいくと、転職エージェントという仕事をずっと10年ぐらいやっているんですけど。

なんというか、生まれる家は選べないじゃないですか。でも仕事は自分の努力次第で何とかできると思っています。

さらに起きている時間の中で、(仕事をする時間は)24時間のうちの8時間、一日の3分の1ですね。普通は8時間以上働いているのかなと思いますが、起きている間にもっとも多くの時間を使う仕事というものが輝くと、人生が好転し出すのかなと思っていて。

そういうワケで、「人の幸福度を最大化するためには、まず適した仕事だな」ということで、弊社の創業事業としてキャリアコンサルティングというサービスを展開しております。

マズローが晩年に気づいた6段階目の欲求とは

マズローの5段階欲求は、たぶんみなさん聞いたことがあると思うんですが。そのマズローが晩年に「5段階より先があったわ!」って気付いたっていうエピソードはご存知ですか? 実は6段階あったという話で、本当はマズローの6段階欲求なんです。生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求で5段階と言っていたんですけど、6段階目として自己超越欲求があったんですね。

これ、僕はすごくわかるんです。5,000万円稼いで2,000万円使ったときに、もうお腹いっぱいになったんですよ。自分の幸せにこれ以上投資してもあまり増えないと思って。だったら自分にとって大事な人を幸せにしたほうが、より自分にとっての幸せになるなと感じたんです。「1杯目のビール理論」と言っているんですけど。

これはちょっと経済学部っぽいんですけど、経済学部では「限界効用」といって、「1杯目のビールのおいしさを2杯目のビールは超えない」とよく言うんです。要は1杯目のビールが自分だとしたら、2杯目のウーロンハイとかが他者になるみたいなお話なんですね。

“乾けない世代”の幸福論

あと、本の名前を忘れてしまったんですが、『モチベーション革命』かな。最近わりと話題になった本なんですけど、そこに「乾けない世代と乾いている世代」みたいな話があるんですよ。読まれたことがある方もいらっしゃるかと思います。

その「乾けない世代」というのは、やっぱり今の現代的な話だなと思って。わかりやすくいうと、戦後はホントに物が何もなくて、闇市で米を買ってくるような状況で、マジで何もない。物質的にモノが足りていない、という戦後の物質的な欲求の時代からすると、今ってモノが不足して困るということがないじゃないですか。なので現代的な価値観でいくと、やっぱり精神的な欲求の部分がすごく大事になってきているなと。

ステージ3の、可処分所得と可処分時間をリソースに、どこにその資源を配分するのか? というところがイシューになってきているのかな、と。それが現代人の幸福論だと思っています。みなさん大丈夫ですか? 急にちょっと小難しい話になってきたんで眠いですか?(笑)。「聞き取りにくいよ」とか、もしあれば言ってください。

「Will」の分解で見えてくる4つの軸

(スライドを指して)「みんな大好き」と書いたんですけど、「Will Can Must」のフレームワークは聞いたことありますか? 聞いたことない方は? みなさんけっこう知っていますね。これ、リクルートがすごく大好きでして。

リクルートの評価制度でも使われているのでリクルートのものみたいに言われているんですけど、実際はリクルートのものではなくて、スタンフォードかハーバードかな? ちょっと忘れちゃいましたけど、海外の大学でキャリアの研究をしている偉い人が提唱しているフレームワークです。「Will Can Must」って、別の言葉で言い換えると、ビジョンやスキル、カルチャーみたいな話かなと思います。

時間軸でいうと当然Willは未来なんですが、Canは過去現在と、ポテンシャルという意味も含めると未来、Mustは現在未来という時間軸ですが、このWillに関しては誤解があって。これは「やりたいこと」と訳されていると思うんですが、それだけじゃないと思っています。

(スライドを指して)右側はdoベースですが、doだけじゃなくて左側にはbeもあって、プラスアルファで「やりたい」というwantと、「やりたくないよ」というnever wantの2軸ずつがあります。

なので「やりたいこと」だけでなく、「やりたくないこと」「ありたい姿となりたくない姿」。「ありたい姿」をわかりやすくいうと、ロールモデルみたいな言葉かなと思います。逆に「なりたくない姿」は反面教師ですね。

わかりやすい反面教師としては、親兄弟とかがあるかなと思っていて。先ほど僕は短気だという話をしたんですけど、今はぜんぜん短気じゃないと思っているんです。やっぱり自分の父親とかが、カッとなってまわりに当たり散らしているのを見て、「うわ、ダッセーなこいつ」「自分はこんな大人にはなりたくないな」と思ったんですよね。あ、ちなみに親父は最近、それこそとある反面教師から学んだそうで、怒らなくなってきました(笑)。

そこから徐々に「すぐ怒らないような人間になりたいな」と自分のありたい姿を描いていって、「どうやったら感情をコントロールできるんだろう?」とアプローチをしていったんです。

「やりたい・やりたくない」には重い・軽いがある

当然なんですけど、幸福度・幸福論の話をしているので、幸福度だと(スライドを指して)右上が一番いいわけです。やりたいことをやっていて、なりたい自分、自己実現ができていて、「自分のこと、けっこう好きだな」みたいな状態が一番幸せだと思います。

反対に、やりたくないことをしていて自分のことが嫌いだったらやばいですよね。けっこう不幸というか、もしかしたら犯罪や自殺のような方向に行ってしまうかもしれない。プラスアルファでdoについてなんですけれども、これにはさらに軽い・重いがあるなと思っていて。

僕にとってキャリアのコンサルティングとか、こういったキャリアのお話をするのは、自分の中ではミッションだと思っています。ミッションは「使命」ですよね。自分の「命」を「使う」と書くので、自分の人生を懸けてやりたい仕事ということになります。

一方でサラダとかも大事なんですけど(笑)、わりと趣味的な感じなので、キャリアに比べるとけっこうライトです。そんなふうに重い・軽いがあります。「あんまりやりたくないけど、そんなに大変じゃないこと」が作業になるので、それが重いと拷問のように感じるのかなと思っています。

(スライドを指して)自分で作っておいてすごくわかりづらいんですけど、3次元っぽいイメージをしていただくとありがたいです。やりたい・やりたくないと、自分のことが好き・嫌いと、さらにZ軸をイメージしていただいて、Z軸としては使命に取り組んでいる・取り組んでいないがあると。

やりたいことをやっていて、かつ使命みたいなところにいると、ものすごく自己肯定が高くて生き生きしているかなと思いますが、このタイプは正直稀です。

やりたいことを表す方程式=「原体験×怒り×かたちにする力」

これまで何万人とお会いしてきましたけど、そこまでいっている人は本当に一握りかなと思います。「なんで一握りなんだ?」ということですが、なぜなんでしょうかね?

みなさん「それがわからないから今日来てるんだよ!(怒笑)」という話だと思うのですが、僕は「やりたいこと」というのは、「原体験×怒り×かたちにする力」という方程式で表せられると思っています。

例えば僕はなんでサラダを作ったかというと、糖質制限ダイエットをしていたことがあって。3ヶ月で12キロ落としたんですけど、そのときの昼飯は毎日セブンイレブンで買ったサラダとサラダチキンだったんですよ(笑)。

(会場笑)

セブンイレブンはすごく大好きなんですよ。ただ、正直このサラダに栄養があるとは思えない。サラダチキンもちょっとしょっぱいと思うし、添加物がけっこう入っていて、痩せるけど、健康かと言われたら疑問です。

しかもめちゃくちゃおいしいかと言われると、けっこうおいしいですけど、飽きるというか。ものすごくうまいわけじゃないし、値段もまぁまぁするじゃないですか。加えて豆乳とかを買ったらすぐ1,000円みたいな。

そこで「1,300円ぐらい出していいから、ちゃんとヘルシーでおいしいものはないのかな」と思っていて。でもお昼ってけっこう麺やパスタを食べますよね。炭水化物は偉大です。手っ取り早くお腹いっぱいになれるし、事業者的にも儲けを出しやすい。「そりゃそうだよな」と思うんです。あ、ちなみに余談なんですけど、ダイエットはお金がかかるという気付きもありました。

コンビニのサラダから得た怒りの原体験

そのときの僕の原体験でいくと、1,000円出してコンビニで(サラダを買っても)たいしてヘルシーじゃないなと。そこに対して「むかつくな〜」と思ったんです。「早く誰かいい感じのサラダとか作ってくれないかな」と思ったんですけど、ぜんぜん出てこないわけですよ。それで「じゃあ作るか」と思って自分で作りました(笑)。

それは糖質制限ダイエットという原体験と、「1,000円でこれかよ」みたいな怒りと、それをかたちにする力があったので仕事にできたんです。逆にいうと、やりたいことがない原因は、この3つなんですよね。原体験がないか、怒りがないか、かたちにする力がないか。もしくは、そのどれかの掛け合わせだと思っています。

かたちにする力でいくと、ウチの場合は100%自己資本のオーナーカンパニーなので、株主にやんや言われないので、自分のやりたいように数千万円ぐらいなら使えたのと、ある程度ビジネスを作っていくスキルを、リクルート時代やフリーランスのとき、あとはベンチャーで培っていたことが大きいかもしれません。

うちは集客に関してはお客さんからのご紹介だけで商売しているんですけど。法人のお客さんも全部ご紹介だけですし、「転職したい」という人も、人からの紹介だけで商売しているんですね。要は人脈商売です。で、ビジネスだけじゃなくて、けっこういろんな人脈があるので、それこそすごく有名なシェフに来てもらって例のサラダを作ったんですけど、まわりから「どうやってあの人連れて来たの?」とめちゃくちゃ言われたんです。

そこはもう、僕はエンゲルなので、「年間2,000万円の食費を使っていればさすがにシェフの人脈ぐらいあるわい」みたいな(笑)。

(会場笑)

なので、繰り返しにはなりますが、やりたいことがない原因は、さっきの方程式のどれかがないか、もしくは掛け合わせなのかなと思っています。

重い原体験は“自分事化”しやすい

ちなみに、先ほど「やりたい・やりたくない」には重い・軽いがあるという話をしたと思うんですけど、原体験にも軽い・重いはあります。

重いというのは、実際に命や生き死にに近いことだなと思っていて、軽いというのはその逆です。保険のセールスをやっていたときに、生まれる、死ぬ、老いる、病む、みたいな「生老病死」が人間にとってのリスクなんですよっていうのを、よくお客さんにお伝えしていたんですが、それに近い体験が重めの原体験なのかなと思います。

でも今は(そんなに簡単に)死んだりしないので、「長生きするので、老と病がリスクだよね」「だから老後に備えて保険に入ろうね」みたいな話をしていたんですけど、先ほどの乾けない世代の話にすごく近いと思って。

生まれたときからそんなに恵まれないとか、モノがないとか、周りでバンバン人が死ぬとかないじゃないですか。クリティカルな危機感がないので、別に使命感を持ってやりたいことがないんですよ。重たい原体験がないから。

昔、僕のお客さんで、ご両親が障がいをお持ちだけれど、ご自身は健常者という方がいらっしゃって。そうなるとやっぱり当然バリアフリーな世の中を作りたいと思うじゃないですか。それを聞いて「なんでそう思うんですか?」なんて疑問を抱く人はいない。

そういう重い原体験があると、それを自分ごとにできる。怒りみたいなものがわき上りやすい。ということで、原体験には重い・軽いがあるのかなと。

うつ状態で「毎日死にたい」と思っていた大学時代

そこでいうと、僕の糖質制限ダイエットみたいな話は軽いやつですよね(笑)。大学時代に真剣に「人ってなんで生きるんだろう?」と6年間考え続けたことは、それこそうつにもなったし、毎日「死にたい」とか言ってたので、命に近い、重たい原体験だったかなと思っています。

重くて強烈な原体験は、交通事故みたいなものなんですよ。出会いに行こうと思っても、(簡単に)出会うものではないのかなとも思っています。

あと、「自分のライフミッションがあっていいですね」みたいなことを言われるんですけど、そこにいくまでにすごく苦労や葛藤もあるし、嫌な気持ちになることもたくさんあります。

使命を持っている人はだいたい強い苦しみを経験しているので、もしかしたら強い原体験に一生出会わないとか、それこそ生老病死なので、90歳くらいで出会うケースもあるかもしれないんですけど、そっち(重たい原体験を知らない人生)の方が幸せかもしれないですよね。

なので「一生を懸けてもいいな」みたいな仕事に出会えたら、それはもちろんすごく幸せなことだと思うんですけど、原体験って交通事故みたいなものなので、狙って取りにいけるものでもないなと。重い原体験というのは、人によっては、なくてもいいのかなと思っています。

やりたいことがないのは、普通のこと

とくに新卒の方や学生の方に「やりたいことがないとダメなんですか?」とすごく聞かれるんですけど、結論としてはないのが普通だと思います。

だって、今日もこれだけみなさんが集まっているわけじゃないですか。新卒採用をやっていたときもそうですし、転職エージェントを10年以上やっていてもそうです。みんなこれで悩んでいるんですよ。

なので「別になくて普通ですよ」と言うと、みんな「あっ、なくて普通でいいんだ」と、すごくほっとされる方が多いんです。今日こういう場をいただいたのも、それをお伝えしたいと思ったのが理由の1つです。

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