突然世界中で有名人になってしまった、若宮正子氏の講演

若宮正子氏:みなさん、こんばんは。若宮正子です。どうぞよろしくお願いいたします。だいたいの人はみんな「マーちゃん」って言っているみたいなんですけども、戸籍上の名前は若宮正子です。

今日お話しすることは、まず自己紹介。それから、今日のテーマであります「私は創造的でありたい」というお話。それから最後に、最近の活動から得られたものです。といいますのも、私は1年半ぐらい前に、急に「にわか有名人」になっちゃったんですね。前までは思ってもみなかったようなところに行けたりしたものですから、そのへんの経験談もお話ししたいと思います。

自己紹介なんですけども、どうして自己紹介をしたいかって言いますと、「なんで83歳のおばあさんがプログラミングやるの?」「考えられない!」って言われちゃいそうなので、ちょっと自分のことを話したいと思います。

物心ついてすぐの戦争。少女時代などなかった

生まれたのは1935年4月で、いま83歳です。物心ついてしばらくしたら戦争になってしまいましたから、もう少女時代もなにもなくて。とくに私は最後の学童疎開児童だったものですから、飢餓体験なんかもたっぷりして。一応戦争が終わるまで、なんとか持ちこたえました。

高校を卒業してからは銀行に勤めました。若い方からは「どうして若宮さんは大学に行かなかったんですか?」と時々聞かれるんですけども、当時は女の人が大学に行くっていうことは、あんまり一般的じゃなかったんですね。当時の企業は、女の人は高卒じゃないと採用してくれなかったのです。

どうして高卒じゃなきゃダメかって言うと、当時は結婚するのがだいたい20代の前半だったんです。22で大学を卒業したんじゃ、仕事を覚えないうちにすぐ辞められちゃうってことが1つ。それから、大学になんか行くと生意気になってかわいくないし扱いにくい。そういう意見もあったみたいです。

いずれにせよ、高校を卒業して銀行に勤務しました。当時銀行っていうのはまだ戦争直後ですから、機械はなくて、お札を数えるときはこうやって指で数えていて。それから、計算は全部そろばんでやっていました。そんな時代でしたね。私は不器用なので、あんまりそういうことには役に立たないで、どっちかっていうと月給泥棒に近いような存在でありました。

電気計算機の導入で消えゆく仕事

ところが、私が入社して10年目ぐらいのときに、アメリカから電気計算機、……電子計算機じゃないですよ、電気計算機というものが日本にやって来たんです。確かね、RemingtonとかUnderwoodとか、そういったメーカーだったと思うんですけど、6桁のわり算とかけ算ができたんですね。

それで、カタカタカタカタとやって。もちろんその程度だと日本のそろばん1級の人のほうがずっと早かったんですけども、ただ、そのそろばん1級のお兄ちゃんの顔色が変わったんですね。「こいつは俺の商売の邪魔をするんではないか?」って思ったらしいんですね。危機感を抱いたと。

いま現在も、「これからはAIと付き合わなければいけないから」といった話が出てきていて、あの顔色の変わったお兄さんと同じような気分の人が、すでに出てきていますよね。「私の勤め先は絶滅の危機に瀕している業種です」なんておっしゃっている方もいます。だけど、その頃からそういうのってあったんですね。

彼らの予言どおり、そのうちに機械や電子計算機が入ってきました。そしてコンピュータは総合オンラインになって、インターネットが入ってきて、もはや指でお札を数えたり、そろばんを片手に仕事することはなくなったんです。

ただ、当時は高度成長期でしたから、銀行は営業部門などに人員をシフトすることができて。営業と言っても、店頭セールスとか、あるいはお客さんのところにお邪魔する訪問セールスなどいろいろでしたね。

私は何になったかっていうと、私は不器用で、お札を勘定したりするのはあんまり上手くなかったんですけど、業務改善提案とかありますよね? ああいうのが好きでよく出していたんです。そうしたら転勤だって言うんで、「どこに転勤するんですか?」って言ったら、企画開発部みたいなところに転勤させられたんですね。

退職金で買ったのは1台のパソコン

それは異例のことでして、高卒の女の子が行くようなポストではなかったんです。ただ上司には非常に恵まれていて、理解があったのと、仕事場とかなり相性が良かったということもあって、わりと銀行員としてやりがいのある仕事をやらせていただきました。だから、定年までいちゃったんですね。

定年になる少し前に、「定年になったら、きっと退職金というのをくれるだろう。そうしたら、なんか記念に1つ買おう」ということで、買ったのがパソコンだったんです。まだWindows 95が出る前でして、一般にそんなものを買う人はオタクだとか言われる時代ですけども、なんだか知らないけど買っちゃいました。

もちろん「買ってどうするの?」って言われました。いまでもそういうことはあまり変わりないと思うんですけども、それまでは勤め先に仲間がいっぱいいて、おしゃべりもできたし、ケンカもできたんです。だけど、定年になって自分の家に1日中いるようになったら、おしゃべりも、仲良くすることも、ケンカすることもできない。

でもパソコンがあれば、ネットというもので人とつながれて、そこで交流することができるってことを本で読んだもんですから、「それじゃあ、パソコンにしよう」と思って買っちゃったんですね。

パソコンを買ってもどうやるかなんて、予備知識もぜんぜんなかったんです。「買えばすぐにできるのかな」と思ったら、実はその頃のパソコンっていうのはそんな生易しいもんじゃなくて。まだインターネットが普及していないから、パソコン通信っていう、電話回線を使った「キーキーキー」「カーカーカー」とか変な音がする仕組みを使って接続しました。

20年以上自主運営を続けるネット上の老人会

ああでもない、こうでもないと試行錯誤して、モデムも外付けのものを買ってきたのです。そうしたら、今度はそれを動かすためのソフトが必要だということがわかって、それもまあなんとかかんとかして。当時はパソコン通信っていうのはプロバイダーが全部やっていたわけですけど、3ヶ月ぐらいかかって、なんとか「ようこそ、マーちゃん」っていうメッセージが来たときは「ああ、つながったー!」って声が出ましたね。

(会場笑)

顔が汗と涙でクチャクチャという、そんな体験もしました。そのうちに一緒に暮らしていた母がいわゆる要介護状態になったんですけども、そうすると、いくらおしゃべりでお出かけ好きな私も、どっかに出かけるわけにはいかない。どうしても家にいなきゃいけない。

そんなときにもパソコンがあったので、チャットもできたし、ケンカもできた。それにいろいろな情報がインターネットから入ってくる。だから、狭い部屋に押し込められていても、体は押し込められているけども、心は随分遠くまで広がっていった。そんな感じがしました。

いまインターネットでメロウ倶楽部っていうのをやっていますけども、その前はプロバイダーのやっていたFメロウというのに入っていました。インターネット上の老人会です。いまも続いていまして、もう二十数年間、延々と自主運営でやっています。