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ランディ・パウシュ「最後の授業」(全5記事)

【全文】ランディ・パウシュ「最後の授業」--余命半年の男が生徒たちに遺した「夢の叶え方」

余命半年を宣告されたカーネギーメロン大学教授・Randy Pausch(ランディ・パウシュ)氏が、子供のころの夢を実現させる方法と題して行った「最後の授業」。エネルギッシュかつユーモラスな語り口で、子供時代の夢と自らの人生を振り返りながら、人生の教訓について紹介しました。

「最後の授業」のはじまり

ランディ・パウシュ氏:ここで講演をする機会を頂けたことを光栄に思います。以前この講演は「最後の授業」と呼ばれていました。死ぬ前に最後にもう1度だけ授業をするとしたら、どんな講義になるだろうか?

私は「やった、ついにぴったりの機会が見つかったぞ」と思いました。そうしたら、名前が変えられていたのです(当時この講義には「Journeys(旅路)」というタイトルが付けられていました)。

(会場笑)

私の背景についてご存知ない方のために説明します。父は私にいつもこう言っていました。

「人が話したがらないことでも、問題があれば正直に言いなさい」

私のCATスキャンを見て頂くとわかりますが、私の肝臓には約10個の腫瘍があり、医者から私の余命は3~6ヶ月程度だと宣告されました。それが約1ヶ月前のことです。計算していただくとわかりますよね。世界でも最高レベルの医師の診断です。

というわけで、これが私の状態です。変えることはできません。できるのは、この状況にどう対応するかを決めることだけです。配られたカードを変えることはできません。その手札でどうゲームを進めるかです。

私がそれほど落ち込んだり、憂鬱そうに見えないのだとしたら、みなさんのご期待にそえなくて申し訳ありません。

(会場笑)

私は決して、自分の置かれた状況を否定しているわけではありません。何が起こっているかちゃんとわかっています。

ガンと家族については話さない

私には3人の子供と妻がおり、バージニア州ノフォークに素敵な家を買って引っ越したばかりです。そこに住むのが、将来的に家族にとって良い場所だと考えたからです。

また、私は現在おどろくほど体調が良いのです。心理学でいう「認知的不協和」という言葉を使えば、今の私は人生でもっとも良い体調を維持しています。正直に申し上げて、私は会場にいるほとんどの方よりも元気だと思います。

(いったん話をやめ、その場で腕立て伏せをして見せる)

(会場拍手)

ですので、私を哀れんだり、私のために涙を流したい人は、こちらへ来て同じことをやって下さい。そしたら気がすむまで私を哀れんでくれていいですよ。

さて、今日ここでお話し"しない"話題は次の通りです。

まず、ガンについてはお話ししません。この話題については、私はもう充分すぎるくらい時間を費やしましたし、もはやそれほど興味もありません。ハーブ治療薬や民間療法をご存知でしたら、どうぞ私に話しかけないで下さい。

(会場笑)

そして、「子供の頃の夢をかなえる方法」よりも重要な事柄、つまり私の妻と子供たちについても話さないつもりです。私は落ち着いていますが、家族について涙を見せずに話せるほど強くはありません。ですので、それは話題からは外します。他にももっと大切なことがあるからです。

宗教や精神性についてもお話ししません。死の床に臨んで、おそまきながら改宗したことはしましたが……最近Windowsからマッキントッシュに買い替えました。

(会場笑)

観客の9%にしかこのジョークが伝わらないということは知っています。

(会場笑)

子供の頃の夢を実現させる方法

それでは、今日私はいったい何についてみなさんにお話しするのでしょう?

私の子供の頃の夢と、それをどうやって実現したかについてお話しします。自分の夢は叶うと信じてここまでやってこれたという点、そして他の人の夢を叶えるお手伝いをしてこられたという点で、私は非常に幸運だったと思います。

そしてそこから学んだ、いくつかの教訓について。私は大学教授です。何がしかの教訓をお伝えできると思います。

夢をかなえるために、あるいは他の人の夢を手助けするために、あなたが今日きいたことをどう生かして行くか。みなさんも年齢を重ねるとわかると思いますが、誰か他の人の夢をお手伝いすることのほうがよりおもしろいです。

それでは、私の子供の頃の夢は何だったのでしょうか? 私は非常に幸せな子供時代を過ごしました。冗談ではなく、本当に幸せでした。家族のアルバムを見返して素晴らしいことに気付きました。私が笑っていない写真がひとつもなかったのです。

それはとても喜ばしい発見でした。犬もいましたし。そして、私が「夢を見ている」ところを撮った写真もあったのです。

私はよくこうやって空想にふけっていました。「目をさまして!」とよく言われたものです。

また当時は、大きな夢を見ることが可能な時代でした。私は1960年生まれです。8歳か9歳の時にテレビをつけたら、人が月に着陸しているところでした。なんだってできる。そう思えたのです。

今の私たちも、このようなものの見方はなくしてはいけないと思います。当時、夢を与えてくれる出来事や夢を見る機会は、途方もなく大きなものでした。

壁にぶち当たった

では、私の子供の頃の夢は何だったのでしょう? 意外に思われるかもしれませんが、このようなものでした。

無重力の世界に行くこと。NFLでプレイすること。ワールドブック百科事典の記事を書くこと。この頃からすでにオタクっぽいですね。

(会場笑)

『スター・トレック』のカーク船長になること。みなさんの中に同じ夢を持っていた人はいますか? ……カーネギーメロン大学にはいないみたいですね。

(会場笑)

遊園地のゲームで、巨大なぬいぐるみを手に入れる大人にもなりたかったです。そして、ディズニーの企画担当者になりたいと思っていました。これらの夢に特に順番はありませんが、後に行くにつれだんだん難しくなっているようですね、最初のやつは別として。

では、最初の夢。無重力の世界に行くこと。具体的な夢を持つのはとても重要です。私は、宇宙飛行士になるという夢は持っていませんでした。

子供の時からすでに眼鏡をかけていたので、「視力が悪いと宇宙飛行士になれない」と聞いて、「うーん、宇宙飛行士として仕事がしたいわけじゃないんだよな、ただ無重力空間で浮いてみたいだけで」と考えました。そこで、子供らしくやってみました……。

(会場笑)

プロトタイプ0.0。しかしこれはあまりうまく行きませんでした。やがて、NASAには別名「嘔吐彗星」と呼ばれる飛行機があることを知りました。かつて宇宙飛行士の訓練に使われたトレーニング飛行で、放射線状のアーチを描くコースの頂点で約25秒間、ほぼ無重力と等しい状態になるのです。

NASAでは、大学生からの企画を募集しているプログラムがありました。そのコンテストで優勝すると、トレーニング飛行を体験させてもらえるのです。

すごくおもしろそうに思えたので、学生にチームを作らせて応募させたところ、見事勝ち取ることができました。

私も学生たちと一緒に飛べると思っていたので、とてもワクワクしていました。

しかしそこで壁にぶち当たりました。なぜならNASAが、「いかなる状況下においても、教授陣が学生と一緒に飛行に参加することは認められない」とはっきり通達してきたからです。

自分が動き出すことで物事はうまくいく

私はものすごくがっかりしました。「あんなに頑張ったのに……」と思いました。そこでもう1度規約を読み返しました。するとNASAでは、アウトリーチとPRプログラムの一環として、学生たちが出身地の地元メディアからジャーナリストを連れて行っても良いとされていることがわかりました。

(会場笑)

そこで……、「ランディ・パウシュ、Webジャーナリストです」と名乗ることにしました。プレス用の許可証をもらうのはとても簡単でした。

そしてNASAに電話し、「書類をFAXで送りたいんだけど、どこに送ればいい?」と尋ねました。NASAは「どんな書類を送るつもりですか?」と聞き返しました。私は「指導教官としての辞表を提出し、ジャーナリストとしての応募書類を提出するんです」と答えました。

(会場笑)

NASAは言いました。

「それはいささか見え透いてますね。そう思いませんか?」

(会場笑)

そこで私は答えました。

「ええ、でも私たちのプロジェクトはバーチャル・リアリティ(仮想現実)に関するものです。ヘッドセットの機械を分解してまるごと持ち込みますし、会場ですべてのチーム、すべての学生たちがそれを体験します。本物のジャーナリストたちもそれを撮影することになると思います」

客席でジム・フォリーさんが「お前ひどいやつだな……」という顔をしていますね。はい、その通りです。NASAは言いました。

「これがFAX番号です」

基礎なくしてかっこいい仕事はできない

というわけで、交渉の末、私たちはうまく取引をすることができました。これは後でお話しする、今日のテーマのひとつでもあります。自分から何かをもちかけることで、物事をやりやすくする方法です。

子供時代の夢その1は達成です。それではフットボールの話をしましょう。私の夢はNFLでプレイすることでした。ほとんどの方は、私が実際にプレイしたことをご存知ないと思いますが……ウソです。

(会場笑)

NFLには出場できませんでした。しかし、夢を実現できた場合よりも、実現できなかった事実から、より多くのことを得たと思います。私にはコーチがいました。9歳でチームに入った時、私はリーグの中でいちばん小さい子供でした。

コーチのジム・グラハムは193センチあり、ペンシルバニア州のラインバッカー経験者でした。彼はばかでかい男で、ひどく保守的でした。ものすごく考えが古かったのです。たとえば、彼はフォワード・パスはズルい手だと思い込んでいました。

(会場笑)

練習の初日、彼はやってきました。みなさんのご想像通りの、背が高くたくましい大男です。私たちはみんな恐れおののきました。彼はフットボールをひとつも持って来ていませんでした。ボールなしで、どうやって練習するのだろう?

1人の子供が言いました、「すみません、コーチ、ボールがありませんけど……」。

するとグラハムコーチは言いました、「そうだな。フットボールのフィールドには何人プレイヤーがいる?」。

子供:「1チーム11人なので、22人です」

コーチ:「そうだな。ではそのうちボールに触っていられるのは何人だ?」

子供:「その中の1人です」

コーチ:「そうだな。だから俺たちは、残りの21人がやることを練習する」

(会場笑)

これは非常によくできた話だと思います。なぜなら、これはすべての大原則、根本となる基礎だからです。基本、基本、基本。基本から取り組まなくてはいけません。でなければ、熟練を要する仕事、かっこいい仕事はできません。

批判してくれる人を大切にせよ

その他にジム・グラハムから私が学んだこととしては、練習のやり方があります。彼は私を厳しくしごきました。「そうじゃない、そうじゃない、もう1回やり直せ。何回言わせるんだ。後で腕立て伏せやっとけ」といつも言われていました。

それらがすべて終わると、アシスタントコーチが私のところに来て言いました、「グラハムコーチにだいぶしごかれてたみたいだね?」。「ええ」私は答えました。

彼は言いました、「いいことだ。君がへまをしでかして、誰も君にそれ以上やれと言わなかったら、それは君に見切りをつけたってことだ」。

この教訓は、それ以降ずっと私の人生につきまといました。何かをやったときに上手くできなくて、誰もそれについて何も言ってくれなかったら、その場所は離れたほうがいい。

あなたを適切に批判してくれる人、あなたの家族は、あなたを愛しているからこそ、ちゃんと批判してくれるのです。

やる気と熱意は素晴らしいもの

グラハムコーチの後、別のコーチにも習いました。セットリフコーチです。彼はやる気の持つ力について、私にたくさんのことを教えてくれました。彼は試合で1度だけ、プレイヤーをそれぞれ恐ろしいほど不似合いなポジションにつかせました。小柄なプレイヤーを全員レシーバーにするとか、そんな感じです。笑ってしまうくらいちぐはぐでした。

でもたったの1プレイだけのポジションです。相手のチームは、何が起こっていたのかまったく理解不能だったと思います。1ゲーム、1プレイだけ、自分にまったく向いていないポジションで、何でもやれる自由がある時、言い換えれば、失うものは何もない時。

そのような状況が与えられた時の選手たちと言ったら。相手を思いっきりやっつけることができました。

このようなやる気と熱意は素晴らしいものです。そして今日に至るまで、フットボールのフィールドは、私がもっともくつろいでいられる場所です。

(フットボールのボールを取り出す)

私が難しい問題を扱っている時、こういうモノを持って廊下をうろついている姿を見かけた方もおられることでしょう。若い時に打ち込んだ物事は、自分の一部になります。私の人生の一部にフットボールがあることを嬉しく思います。

NFLでプレイするという夢は叶いませんでしたが、それで良かったのだと思います。それよりももっと価値のあるものを手に入れたと思っています。いまNFLで起こっているできごとを見ても、彼らがそこまで素晴らしいことをやっているかどうかわかりませんしね。

(会場笑)

間接的な学びの重要性

電子工学で私が学んだことを話しましょう。私は電子工学技術を愛しています。「経験とは、あなたが欲しかったものを手に入れられなかった時に手に入るものだ」という言葉に出会ったからです。これはとても素敵な言葉だと思います。

フットボールについてもうひとつ。子供たちに、フットボールやらサッカーやら水泳やら、何かしら習わせる時に私がまず重視するのは、「間接的な学び」です。私たちは、子供たちにフットボールそのものを習わせたいのではありません。もちろん、3ポイントシュートの打ち方や空手のレンガ割りを身につけるのは素晴らしいことです。

でも、私たちが子供に習い事をさせるのは、それよりはるかに大切なことを学ばせるためです。チームワーク、スポーツマン精神、粘り強さなどです。

そしてこれらの間接的な学びは非常に重要です。よく観察しているとわかります。いろんな場面で実にたくさんの学びがあるのです。

百科事典の著者になること。私たちが子供の頃は、このような百科事典でした。

ワールドブック百科事典を本棚に並べていたものです。新入生のみなさん、これらは「紙」ですからね。

(会場笑)

私たちはかつて、これらの「本」と呼ばれるものを所有していたのです。私はバーチャル・リアリティの分野で少しだけ、といってもそれほどたいしたものではありませんが、ささやかな権威を得ました。ワールドブックが私に執筆を依頼してくる程度のレベルにはなったわけです。

私は記事を書きました。お近くの図書館にワールドブックがあれば、「V」で始まる「バーチャル・リアリティ」の項目を探してみて下さい。

ワールドブック百科事典の著者に選ばれたことに対して私が言えるのは、品質管理という面において、ウィキペディアは優れた情報源であるということです。本物の百科事典はこの私に記事を書かせたのですから。

(会場笑)

子供時代のヒーローから学んだ「リーダーシップ」

では次に行きましょう。

(スライド:「カーク船長になる」の文字が消され、「カーク船長に会う」となっている)

とある時点で、自分がもうそれをやる気はないことに気付く場合もあります。でもそれをやっている人の近くに行きたい。

カーク船長は私の憧れでした。若い人にとって、何と素晴らしいロールモデルでしょう。これこそ、私たちがなりたかったものです。彼から私が学んだ教訓は、大人になってからリーダーシップという形で私を前に進めてくれました。

彼は、宇宙船の乗組員の中でもっとも優秀な人間というわけではありません。スポックも頭が良いですし、マッコイは医者で、スコッティはエンジニアです。「いろんなトラブルを解決して船を進めていくのに、彼はいったいどんなスキルを持っているんだろう?」と疑問に思うわけです。

おわかりのように、彼が持っているスキルは、リーダーシップです。このテレビドラマが好きかどうかに関わらず、ここから学べることはたくさんあります。どうやって人を動かすか、彼の行動を見ているとわかるのです。

ドラマの中の科学を現実の世界に

そしてまた、彼はめちゃくちゃカッコいいマシンも持っていました。うわぁ、超カッコいい。彼がこれらの機械を使って、宇宙船と会話するシーン。子供の時の私はすっかり魅了されました。

(電子音)

目をみはるようでした。そして今、私は自分でも似た機械を持っていますし、それらはいくぶん小さいです。

(携帯電話を取り出し、観客に見せる)

(会場笑)

カッコいいですよね。この夢は達成しなくてはならないものでした。

ジェームス・T・カーク船長役の俳優ウィリアム・シャトナーが本を書いた時のことです。とても良い本で、チップ・ウォルターとの共著です。彼はピッツバーグ在住の優れた作家です。彼らは『スター・トレック』シリーズの科学についての本を書きました。ドラマの中の科学のうち、何が現実の世界で実現したかについてです。

彼らは国内を巡り、様々なトップレベルの科学を調べました。そしてここ、私たちのバーチャル・リアリティの研究室にも取材にやってきたのです。そこで私たちは彼のために仮想現実を設定しました。こんな映像を彼に見せました。

彼はとても気さくでいい人でした。宇宙船に敵がやって来る時のようではありませんでした。

(会場笑)

大人になってから、子供時代のヒーローに会うことはとても素晴らしいことです。でも、彼があなたに会いにきて、あなたのやっている素晴らしい研究を見に来てくれるのは、さらに素晴らしいことだと思います。本当に素晴らしい瞬間でした。

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