「最後の授業」のはじまり

ランディ・パウシュ氏:ここで講演をする機会を頂けたことを光栄に思います。以前この講演は「最後の授業」と呼ばれていました。死ぬ前に最後にもう1度だけ授業をするとしたら、どんな講義になるだろうか?

私は「やった、ついにぴったりの機会が見つかったぞ」と思いました。そうしたら、名前が変えられていたのです(当時この講義には「Journeys(旅路)」というタイトルが付けられていました)。

(会場笑)

私の背景についてご存知ない方のために説明します。父は私にいつもこう言っていました。

「人が話したがらないことでも、問題があれば正直に言いなさい」

私のCATスキャンを見て頂くとわかりますが、私の肝臓には約10個の腫瘍があり、医者から私の余命は3~6ヶ月程度だと宣告されました。それが約1ヶ月前のことです。計算していただくとわかりますよね。世界でも最高レベルの医師の診断です。

というわけで、これが私の状態です。変えることはできません。できるのは、この状況にどう対応するかを決めることだけです。配られたカードを変えることはできません。その手札でどうゲームを進めるかです。

私がそれほど落ち込んだり、憂鬱そうに見えないのだとしたら、みなさんのご期待にそえなくて申し訳ありません。

(会場笑)

私は決して、自分の置かれた状況を否定しているわけではありません。何が起こっているかちゃんとわかっています。

ガンと家族については話さない

私には3人の子供と妻がおり、バージニア州ノフォークに素敵な家を買って引っ越したばかりです。そこに住むのが、将来的に家族にとって良い場所だと考えたからです。

また、私は現在おどろくほど体調が良いのです。心理学でいう「認知的不協和」という言葉を使えば、今の私は人生でもっとも良い体調を維持しています。正直に申し上げて、私は会場にいるほとんどの方よりも元気だと思います。

(いったん話をやめ、その場で腕立て伏せをして見せる)

(会場拍手)

ですので、私を哀れんだり、私のために涙を流したい人は、こちらへ来て同じことをやって下さい。そしたら気がすむまで私を哀れんでくれていいですよ。

さて、今日ここでお話し"しない"話題は次の通りです。

まず、ガンについてはお話ししません。この話題については、私はもう充分すぎるくらい時間を費やしましたし、もはやそれほど興味もありません。ハーブ治療薬や民間療法をご存知でしたら、どうぞ私に話しかけないで下さい。

(会場笑)

そして、「子供の頃の夢をかなえる方法」よりも重要な事柄、つまり私の妻と子供たちについても話さないつもりです。私は落ち着いていますが、家族について涙を見せずに話せるほど強くはありません。ですので、それは話題からは外します。他にももっと大切なことがあるからです。

宗教や精神性についてもお話ししません。死の床に臨んで、おそまきながら改宗したことはしましたが……最近Windowsからマッキントッシュに買い替えました。

(会場笑)

観客の9%にしかこのジョークが伝わらないということは知っています。

(会場笑)

子供の頃の夢を実現させる方法

それでは、今日私はいったい何についてみなさんにお話しするのでしょう?

私の子供の頃の夢と、それをどうやって実現したかについてお話しします。自分の夢は叶うと信じてここまでやってこれたという点、そして他の人の夢を叶えるお手伝いをしてこられたという点で、私は非常に幸運だったと思います。

そしてそこから学んだ、いくつかの教訓について。私は大学教授です。何がしかの教訓をお伝えできると思います。

夢をかなえるために、あるいは他の人の夢を手助けするために、あなたが今日きいたことをどう生かして行くか。みなさんも年齢を重ねるとわかると思いますが、誰か他の人の夢をお手伝いすることのほうがよりおもしろいです。

それでは、私の子供の頃の夢は何だったのでしょうか? 私は非常に幸せな子供時代を過ごしました。冗談ではなく、本当に幸せでした。家族のアルバムを見返して素晴らしいことに気付きました。私が笑っていない写真がひとつもなかったのです。

それはとても喜ばしい発見でした。犬もいましたし。そして、私が「夢を見ている」ところを撮った写真もあったのです。

私はよくこうやって空想にふけっていました。「目をさまして!」とよく言われたものです。

また当時は、大きな夢を見ることが可能な時代でした。私は1960年生まれです。8歳か9歳の時にテレビをつけたら、人が月に着陸しているところでした。なんだってできる。そう思えたのです。

今の私たちも、このようなものの見方はなくしてはいけないと思います。当時、夢を与えてくれる出来事や夢を見る機会は、途方もなく大きなものでした。

壁にぶち当たった

では、私の子供の頃の夢は何だったのでしょう? 意外に思われるかもしれませんが、このようなものでした。

無重力の世界に行くこと。NFLでプレイすること。ワールドブック百科事典の記事を書くこと。この頃からすでにオタクっぽいですね。

(会場笑)

『スター・トレック』のカーク船長になること。みなさんの中に同じ夢を持っていた人はいますか? ……カーネギーメロン大学にはいないみたいですね。

(会場笑)

遊園地のゲームで、巨大なぬいぐるみを手に入れる大人にもなりたかったです。そして、ディズニーの企画担当者になりたいと思っていました。これらの夢に特に順番はありませんが、後に行くにつれだんだん難しくなっているようですね、最初のやつは別として。

では、最初の夢。無重力の世界に行くこと。具体的な夢を持つのはとても重要です。私は、宇宙飛行士になるという夢は持っていませんでした。

子供の時からすでに眼鏡をかけていたので、「視力が悪いと宇宙飛行士になれない」と聞いて、「うーん、宇宙飛行士として仕事がしたいわけじゃないんだよな、ただ無重力空間で浮いてみたいだけで」と考えました。そこで、子供らしくやってみました……。

(会場笑)

プロトタイプ0.0。しかしこれはあまりうまく行きませんでした。やがて、NASAには別名「嘔吐彗星」と呼ばれる飛行機があることを知りました。かつて宇宙飛行士の訓練に使われたトレーニング飛行で、放射線状のアーチを描くコースの頂点で約25秒間、ほぼ無重力と等しい状態になるのです。

NASAでは、大学生からの企画を募集しているプログラムがありました。そのコンテストで優勝すると、トレーニング飛行を体験させてもらえるのです。

すごくおもしろそうに思えたので、学生にチームを作らせて応募させたところ、見事勝ち取ることができました。

私も学生たちと一緒に飛べると思っていたので、とてもワクワクしていました。

しかしそこで壁にぶち当たりました。なぜならNASAが、「いかなる状況下においても、教授陣が学生と一緒に飛行に参加することは認められない」とはっきり通達してきたからです。

自分が動き出すことで物事はうまくいく

私はものすごくがっかりしました。「あんなに頑張ったのに……」と思いました。そこでもう1度規約を読み返しました。するとNASAでは、アウトリーチとPRプログラムの一環として、学生たちが出身地の地元メディアからジャーナリストを連れて行っても良いとされていることがわかりました。

(会場笑)

そこで……、「ランディ・パウシュ、Webジャーナリストです」と名乗ることにしました。プレス用の許可証をもらうのはとても簡単でした。

そしてNASAに電話し、「書類をFAXで送りたいんだけど、どこに送ればいい?」と尋ねました。NASAは「どんな書類を送るつもりですか?」と聞き返しました。私は「指導教官としての辞表を提出し、ジャーナリストとしての応募書類を提出するんです」と答えました。

(会場笑)

NASAは言いました。

「それはいささか見え透いてますね。そう思いませんか?」

(会場笑)

そこで私は答えました。

「ええ、でも私たちのプロジェクトはバーチャル・リアリティ(仮想現実)に関するものです。ヘッドセットの機械を分解してまるごと持ち込みますし、会場ですべてのチーム、すべての学生たちがそれを体験します。本物のジャーナリストたちもそれを撮影することになると思います」

客席でジム・フォリーさんが「お前ひどいやつだな……」という顔をしていますね。はい、その通りです。NASAは言いました。

「これがFAX番号です」