2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
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ランディ・パウシュ氏:何かを10年間とても大切に育てて来たときに1番難しいのは、それを誰かに手渡すことです。みなさんにアドバイスできることがあるとすれば、それは「自分よりうまくやれる人をみつける」ということです。私はそうしました。
かなり昔になりますが、バーチャル・リアリティのスタジオに1人の青年がいました。ジェシー・シェルです。「この者のフォースは強い」と感じるのにそれほど時間はかかりませんでした。
カーネギーメロン大学で私は2つのことを達成しましたが、その1つはジェシカ・ホドギンズ氏とジェシー・シェル氏を教授陣に引き入れたことです。
そして、私はコースをジェシーに譲る時にとてもワクワクしました。そして皆の期待通り、彼は講座をさらに高いレベルへと育ててくれました。コースは「良い腕の持ち主」ではなく、「より良い腕の持ち主」に託されたのです。
しかし、たかだか1講座での成功です。そこでさらに上を目指すことにしました。私が「夢実現工場」と呼ぶ、ETC(エンターテインメント&テクノロジーセンター)を作ることにしたのです。
大学の承認と奨励を得て、私とドン・マリネリ氏は協力してまっさらの状態からこの計画をつくりあげました。前代未聞、正気の沙汰ではありませんでした。ふつうの大学なら、成果のわからないこんな計画は、試してみることすらできなかったでしょう。
ETCは、アーティストと科学技術者が小さなチームを組んで一緒に何かをつくる場所です。2年間の修士課程です。
ドンと私とは、同好の士ではありましたが、性格はまるで正反対でした。私たちを知っている人はみな、2人はまったく性格が違うと言うでしょうね。私たちは何か新しいことをするのが好きでしたが、実を言えば、2人ともアカデミックな世界にあまり馴染めなかったのです。
私はよく、「労働者階級の家庭で育ったから、学者の世界に違和感を感じる」と言ったものです。
(会場笑)
なんだか微妙な笑いが聞こえますが……(笑)。ともかく強調しておきたいのは、カーネギーメロン大学は、ETCを実現させることができた世界で唯一の場所だったということです。間違いなくオンリーワンです。
この写真はドンのアイデアですからね!
(会場笑)
ドン・マリネリはギター、ランディ・パウシュはパソコンのキーボード。うまくキャラクターを表していますね。でも実際に私たちは右脳担当、左脳担当として取り組みました。その方がいろいろとうまくいったのです。
ドンは強烈な男です。
(会場笑)
ドンと私とは6年間同じオフィスをシェアしました。最初はとても小さな部屋でした。6年間同じ部屋で働いたのです。わかりますか?
さて、みなさんの中でドンがキャラの濃い男だと知っている人へ。これはたちの悪いジョークですが、言ってしまいます。まぁドンのことですし、許してもらえるでしょう。
ある人が私に訊きました。
「あなたの現状から考えて、死んだら天国か地獄か、どっちに行くと思う?」
私は答えました。
「わからないよ、でももし地獄行きなら、懲役から6年間差っ引いてもらえるはずだけどね」
(会場笑)
冗談ですよ! でもドンと同じオフィスにいるのは、竜巻と同居しているようなものでした。ものすごいエネルギーのかたまりで、次に何を巻き起こすかまったく予想もつかないのです。わかるでしょう?
ただ、何かおもしろいことが起こる! それだけはわかりました。すごいパワーでした。そして私は、賞賛すべき場合はきちんと評価すべきと信じています。私なりに、彼の功績をビジュアルで表現してみますと……。
ETCの成功への貢献度を、ドンと私との比率で表すとこうなります。明らかに彼の割合のほうが多いです。業績の大部分、アイデアの大部分は彼のものです。
私はこれを、素晴らしいチームワークだったと思っています。陰と陽のバランスです。だいぶ「陰」寄りですが。
(会場笑)
彼は賞賛に値します。それは認めざるを得ません。ETCは素晴らしい場所です。彼はそれを運営し、グローバルなレベルへと成長させました。これについては後でお話しします。
ETCがどんな場所か、言葉で説明するのはとても難しいです。最近ようやく良いたとえを思いつきました。人にETCがどんなところか伝えるのは、シルク・ド・ソレイユ(カナダの革新的なサーカス団)を見たことがない人に、それを説明するようなものです。
説明は遅かれ早かれ、誤解を招いてしまいます。聞いた人は「あぁ、サーカスみたいなものだね」と考え、会話は「トラは何匹出るの? ライオンは? 空中ブランコは?」といったものに終始してしまいます。それでは肝心なポイントを見失ってしまいます。
ETCは修士課程ではありますが、その言葉からみなさんが想像されるようなものとはかなり趣が異なります。私たちのカリキュラムがこちらです。(スライド上に「カリキュラムの構想」が映し出される)
(会場笑)
最終的にはこうなりましたが。
視覚的にみなさんにお伝えしたかったのです。ETCではバーチャル・ワールド(仮想世界)を作るプロジェクトを5つやり、その後3つ別のプロジェクトをやります。修士課程での時間はすべて、少人数のチームで何かをつくることに費やされます。
ただ座って教科書を読んでいるような授業はありません。ドンも私も、講義形式の授業にはうんざりしていました。私たちがやるのは修士課程です。学生たちは既に、大学で4年間教科書を読んで来ているはずですから。
ETC成功のカギは、カーネギーメロン大学が私たちに裁量を任せてくれたことでした。とことん自由にやらせてくれました。学部長への報告義務はなく、学長に直接報告すればよかったのです。これは助かりました。私たちの仕事を細かくチェックするには、学長は忙しすぎましたからね。
(会場笑)
古い型を破れるよう、明白な許可も与えられました。カリキュラムはすべてプロジェクトに関連したもので、やりがいがあり、おもしろいものばかりでした。
研修旅行にも行きました。毎年1月の春学期には、1年生50人全員を企業の仕事場へ連れて行きました。ピクサーやインダストリアル・ライト&マジックなどです。ピクサーではもちろん、教え子のトミーが出迎えてくれましたよ。中に入れてもらうのはとても簡単でした。
このように、普通とはだいぶ違ったやり方でした。学生たちは「エジュティメント(教育+エンターテインメント)」と呼ばれるようなプロジェクトをたくさんやりました。
ニューヨーク消防局と協力して、消防士の訓練用シミュレーションプログラムをいろいろ開発しました。テレビゲーム的な技術を使って、人々に有益な知識を教えたりもしました。いい企画でしょう?
意外な対応をしてくれる企業もありました。「ETCの卒業生を雇います」という文書を送ってくれたのです。スライドはエレクトロニック・アーツ社とアクティビジョン社からのものです。計5社からこのような協定書をもらいました。
企業からこのような協定をもらっている大学を私は他に知りません。しかも複数年度にわたっての対応です。ある企業は、大学側がサマーインターンシップを承認するよりも先に、ETCの学生を受け入れると言って来ました。プログラムの質を高く評価してくれているということですね。
そしてドンと私は……彼は本当にクレイジーです、良い意味で。私に「信じられない!」と言わせるようなことをやってのけます。彼は今夜ここにいません。ETCの新しいキャンパスを設立するために、今シンガポールにいるのです。
オーストラリアにはすでにキャンパスがあり、韓国にももうすぐできます。グローバルな成功をおさめようとしているのです。声を大にして言わせて下さい。こんなことができる大学は、世界中でカーネギーメロンだけです。私たちは世界中で教えることになったのです。
もうひとつETCが生んだ功績としては、学生たちに集中力を身につけさせたということがあります……客席から苦笑いが聞こえますね。
(会場笑)
このグラフが与える精神的なショックのことをうっかり忘れていました(笑)。2週間ごとに、バーチャル・ワールドを制作するプロジェクトがひとつ終わると、学生同士でフィードバックをさせました。
結果を表計算ソフトにデータ入力します。プロジェクトごとに3人のチームメイトがいるので、1学期で5つのプロジェクトをやった後は15人分のフィードバックがもらえるわけです。統計学的に有効な数です。そして学期末に、大きな棒グラフとして発表します。
このランキングでは、学生がチームメイトから「一緒に仕事しやすい人」としてどのくらい評価されたか、また、他のクラスメイトと較べてどれくらいの位置にいるのかがわかります。
簡単に無視できないフィードバックですよね。まぁ、何人かはそれでも気にしないようでしたけれども。
(会場笑)
大半の学生は、このグラフを見て「うわっ、もう少し頑張らなくちゃ」と思うわけです。「ミーティングでの言葉遣いに気をつけなきゃな」などと反省します。これは、教師が与えることのできる最高のプレゼントです。自己反省の機会を促すこと。
このように、ETCは素晴らしい場所でした。しかし、ETCの成功とドンによるグローバルな規模拡大をもってしても、「たくさんの人の夢をかなえる仕組みをつくる」という点から見ると、まだまだ労働集約型の構造でした。
トミーのような青年をひとりずつ育てるわけでもなく、リサーチグループを10件ずつ教えるわけでもありませんでした。1つのキャンパスに50人あるいは100人の学生がいて、その4キャンパス分の人数です。でも私はもっと、無限に広がる規模のことがやりたかったのです。
何百万人、何千万人というスケールで、誰もがそれぞれの夢を追いかけられるような、そういう仕組みを作りたかったのです。その目標は、私を「マッド・ハッター(夢中な馬鹿者)」に変えました。
「アリス」は私が長年取り組んできたプロジェクトです。コンピュータプログラミングを教える斬新な方法です。
子供たちはアリスを使って映画やゲームを作ります。「間接的な学び」です。そう、フットボールの話と同じように、ここでも「間接的な学び」があるのです。
誰かに何かを教える時に最良の方法は、彼らに何か別のことを学んでいると思い込ませることです。教師生活で私は常にそうしてきました。そして、ここでの「間接的な学び」は、プログラミングです。でも彼らはただ映画やゲームを作っているのだと思い込んでいます。
このプログラムはすでに100万件以上もダウンロードされています。このプログラムに関する教科書も8冊出版されています。アメリカにある大学のうち10%がこのプログラムを使っています。そしてこれはまだ発展途上です。次のバージョンでさらに良いものがリリースされます。
モーセのように、私は約束の地をこの目で見ることはできても、そこに足を踏み入れることはできません。でもそれで良いのです。行く末を見通すことはできたのですから。私にははっきりとその未来が見えるのです。
何百万人もの子供たちが、アリスで楽しく遊びながら、実はとても難しいことを学んでいる。すごくうれしいことです。私の遺産だと思っています。
次のバージョンは2008年にリリース予定です。Java言語を教えるプログラムです、もし子供たちにJavaを学んでいるのだとばらすのであればですが。言わなければ、彼らはただ単に映画の脚本を書いているのだとしか思わないでしょう。
パソコンゲームの歴史的ヒット作『THE SIMS』からキャラクターを拝借しました。これらはすでに研究室でテスト済みです。ですから技術的な問題はないと思います。
「アリス」の開発チーム全員にひとりひとりお礼を言う時間がないのですが、デニス・コスグローブ氏について紹介します。彼はずっとこのプログラムを開発して来て、これからも設計していくデザイナーです。彼はアリスの生みの親です。
そしてみなさんのうちで、「あと数ヶ月したら、アリスについて一体誰に連絡したら良いんだろう?」と思っている方がいましたら……ワンダ・ダン氏はどこですか?
(客席を指し)
あぁ、そこですね。彼女にメールを送って下さい。
ケイトリン・ケラハー氏についても少しお話しさせて下さい。彼女は博士号を取得して、今はワシントン大学にいます。彼女はアリスをさらに進化させ、中学生向けのプログラムを開発してくれる予定です。
これがアリスの大まかなビジョンです。この先も、私はアリスの中で生き続けます。
さてそれでは、最後のトピックに移りましょう。これまで、「子供の頃の夢をどうやって叶えたか」「どうやって人の夢を叶える手助けをしてきたか」についてお話ししてきました。
それらの話に沿って、「何のおかげで夢をかなえられたか」という面からお話ししましょう。まず最初は、親、先生、そして生徒たちの果たした役割です。
私は2人の素晴らしい人々の間に生まれてとても幸運でした。この写真は母の70歳の誕生日の時のものです。
(会場笑)
繰り返しになりますが、私はとても恵まれた環境で育ちました。この写真は私の父、80歳の誕生日にジェットコースターに乗ったところです。彼は勇敢だっただけでなく、才能もありました。その日に大きなクマのぬいぐるみを勝ち取ったんですから。
父はいつも元気いっぱいでした。父と一緒にいるといつもワクワクしました。写真の中で袋に何を入れているのかわかりませんが、きっとすてきなものが入っているのだと思います。
父はサンタクロースの扮装をすることもありましたが、それよりももっともっと大切な、たくさんの人助けをしていました。
この写真は、私の両親が寄付をしていたタイの寮です。他に身寄りのなかった生徒が毎年約30人、ここから学校に通うことができるようになりました。私と妻も深く関わっています。困っている人を助ける、こういった活動は誰もがすべきことだと思います。
でも父に関する最も良い話は他にあります。彼は残念ながら1年ほど前に亡くなりました。遺品を整理している時に、第二次世界大戦のバルジの戦いで父がブロンズスターメダルを授与されていたことがわかったのです。母はそのことを知りませんでした。50年間の結婚生活で、父はそれを一度も話題にしなかったのです。
母について。母親というのは、たとえ自分の髪を引っ張られようともあなたを愛してくれる存在です。母についての良い話は2つあります。
ひとつめは、私がこの大学で博士号をとるため勉強していた時のことです。私は「理論有資格者テスト」というものを受けていました。私の人生において、癌の化学療法の次に最悪なできごとでした……。
(会場笑)
私は母に愚痴をこぼしました。このテストがどんなに難しいか、どんなに嫌か。すると母は私のほうに身をかがめ、やさしく肩をポンポンと叩いて言いました。
「あなたの気持ちはわかるわ。でもおぼえておきなさい。あなたのお父さんがあなたぐらいの年の時には、ドイツ人と戦っていたのよ」
(会場笑)
私が博士号を取得した後、母はおもしろがってよく人にこう紹介しました。
「これは私の息子です。ドクターなんですよ、ただし人助けをしないほうのね」
(会場笑)
スライドでは少し暗く見えますが、私は高校生の時、自分で部屋の壁を塗り直そうと思い立ちました。潜水艦に憧れていましたし、エレベーターも欲しかったんです。
ありがたかったのは、両親が私にそれを許してくれたことです。怒ったりもしませんでした。塗り直した壁はまだ当時のままあります。私の両親の家に行けば、そっくりそのまま残っているのです。
みなさんの中でお子さんがいらっしゃる方へ。もしお子さんが部屋の壁を塗り直したいと言って来たら、私に免じて、どうか自由にやらせてあげて下さい。大丈夫です。家を売りに出す時のことは気にしちゃいけません。
両親以外で、私を助けてくれた人たち。先生、師匠、友人、同僚……。心の師、アンディ・ヴァン・ダム氏について、一体何を言ったらいいのでしょう?
私がブラウン大学の1年生だった時、彼は休暇中でした。彼に関する噂はまるで、空想上の生き物、ケンタウルスか何かのようでした。それも非常に不機嫌なケンタウルスです。
(会場笑)
彼の不在をみな嘆いていましたが、どこかほっとしているようにも見えました。私はそれを疑問に思っていましたが、彼の下で働き始めてその理由がわかりました。
2年生で彼の授業のTA(アシスタント)を務めました。当時私はかなり思い上がった若者でした。あるとき私が夜9時にオフィスに行くと、彼はまだそこにいました。このことから、彼がどんなタイプの教授だったかわかりますよね。
「俺が世界を変えるんだ、学生たちが困ってる」私がオフィスに飛び込んで偉そうにまくしたてると、その後で彼は私をずけずけと非難しました。
彼は私の肩に腕をまわし、外へ連れ出しました。歩きながら彼はこう言いました。
「ランディ、みんなが君のことをうぬぼれやだと思っているのはとても残念だ。そのせいで、君が人生で達成できることが限られてしまうからね」
「お前はどうしようもないバカだ」という意味を、なんとうまく言い換えた言葉でしょう。そうじゃありませんか?
(会場笑)
彼は「お前はバカだ」とは言いませんでした。彼はただ、「人は君を傲慢だと思っている。そのマイナス面は、君の成功を阻んでしまうよ」と言ったのです。その後私がアンディをよく知るにつれ、彼の私に対する非難はより直接的になりましたが。
(会場笑)
アンディの逸話だけで1ヶ月は話していられます。でもその中でひとつだけお話ししたいのは、私がブラウン大学を卒業した後どうしたいかわからず悩んでいた時の話です。
大学院に行くという考えはまったく私の頭にありませんでした。想像もできませんでした。私のような家庭で育った人間はまずやらないようなことでした。私たちは大学を卒業したら普通、あることをしなければいけないのです。何て言ったっけ……そうそう、「就職」。
(会場笑)
アンディは私に言いました。
「いや、それはやめておけ。博士号をとって、教授になれ」
私は言いました。
「どうしてですか?」
彼は言いました。
「君は優秀なセールスマンだ。君を雇う会社はどこでも、君を営業マンとしてこき使うだろう。どうせならもっと価値のあるものを売ったほうがいいんじゃないか。たとえば教育とかね」
「……どうも」
アンディはいわゆる私の「最初の上司」でした。その他にもさまざまなタイプの上司と働けたことを幸せに思います。スライド上の赤い丸印はなぜかズレていますね(笑)。
彼らに関して話しているときりがありませんが、とにかくみな素晴らしい上司でした。世の中にはたくさんのひどい上司がいると聞きますが、私はそういった苦痛に耐える経験をしたことはありません。私の面倒をみてくれた方々すべてに私は感謝します。本当に素晴らしい人々でした。
上司だけではありません。私は生徒たちからも多くのことを学びました。私に人生で最高の「間接的な学び」を教えてくれたのは、当時学生だったケイトリン・ケラハー……おっと失礼、ケイトリン・ケラハー博士です。彼女はこの大学での課程を修了し、今はワシントン大学で働いています。
彼女はアリスのプログラムを見て言いました。
「何でこれこんなにおもしろいの?」
私は答えました。
「男はおもちゃの兵隊を見ると動かさずにはいられないからね。だから命令して動かすプログラミングがおもしろいんだ」
彼女は「ふーん」と言い、それから「でもストーリーテリング(物語)的にアプローチしてみたらどうかしら?」と言いました。
彼女のやり方は、中学生の女の子たちに対してとてもうまくいきました。「物語をつくる」という導入方法をためしたところ、女の子たちは喜んでソフトウェアの設計を学ぶようになったのです。
というわけで、今までで最高の「間接的な学び」の栄誉は彼女の博士論文に送ります。
コホン総長。私がこの講義をすることになった時、彼は「ぜひ『楽しむこと』について話してくれ」と私に言いました。「『いつも楽しそう』というのが、僕の中での君のイメージだから」と。
私は「もちろんいいですよ。楽しむことは魚にとっての水のようなものですからね」と答えました。言い換えれば、私はどうやって日々を「楽しまない」ようにするのか知らないのです。
私はもうすぐ死んでしまう男です。でもまだまだ人生を楽しんでいます。そして残された毎日を楽しみ続けるつもりです。他にやり方を知りませんからね。
そこで私からのアドバイスとしては、「ティガーになるか、イーヨーになるかは君次第だ」というものです。私がどちら側かは言うまでもありませんね。
(会場笑)
子供のような探究心を忘れないこと。本当に大事だからです。探究心が私たちを突き動かすのです。
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