創業することの楽しさ・面白さ

小林雅氏(以下、小林):創業することの楽しさ・面白さについて「レッツスタートアップ」というテーマで進めたいと思います。長谷川さんは、実際は創業しているわけではないんですけれども、新しいものを若いうちからつくり出していくということをやっている方々を集めてみました。ということで、自己紹介しながらやりたいなと思っております。

私はモデレータをやりますインフィニティ・ベンチャーズの小林です。よろしくお願いします。僕も最近、山登りが好きで、7月末は、北アルプスの白馬岳という2930……何メートルか忘れましたけれども、そこを家族連れで登ろうと、チャレンジしようということで一生懸命ダイエットしてまして。

そういう感じで、登山が好きだったということもあったのですけれども、山田さんの話を聞くとめちゃめちゃ面白くて、「では、ぜひIVSで」と、お呼びしました。

柴田さんは、ご存じかどうかわかりませんけれども、色々事業をされていて、最近は楽天に売却したと。後ほどちょっと出てきます。

最後はLITARIKOという、昔はウイングルという名前だったのですけれども、長谷川さんといって、今29歳。創業社長ではなくて29歳で社長やっているのはすごいことだと思うんですけれど、新卒何年目で社長をやられたのでしたか?

長谷川敦弥氏(以下、長谷川):新卒1年目です。1年終わって社長になりました。

小林:1年目に突然「社長をやれ」と言われて「はい、やります」と言って、やったという。これも運命で、それで壇上に上がる、そういうことになっています。

山田淳氏の自己紹介

小林:では、噂の山田さんから自己紹介も兼ねて。

山田淳氏(以下、山田):噂なんですか(笑)。キャリアといっても僕の場合、山の登山歴なんですけれども。79年に神戸で生まれて、灘から東大なんです。灘中に入ったときに、ワンダーフォーゲル部に出会って、今35なのですけれども12歳から23年ぐらい、頭の8割から9割ぐらいは山のことしか考えてないという感じで、国内の山を中高のときにずっと登っていて。

大学に入って、エベレストに登りたいと思ったのですけれども、皆さん読んだことあるかどうかわからないですが、新田次郎さんとか、漫画でいう『岳』とか、ああいう厳しい山登りの世界を想像して山岳部の門をたたくわけです。

スパルタで4年ぐらい鍛えてもらって4年後にヒマラヤに行くみたいな、そういうことに憧れて行ったら、同期1人しかいなくて、上にもほとんどいない。

小林:山田さん1人しかいないと。

山田:1人きり。山岳部に人が全然入らなくて、全部で5人ぐらいしかいないときに山岳部に行ったものですから、お客さま扱いで「どうぞどうぞ」みたいな感じになって。「歩荷」と言いますが、荷物を大量に持たせて鍛えてほしいのに、全然「おまえ持たなくていいから」みたいになって。これは違うなと思って、自分で行くようになりました。

行き始めたのは1999年に東大に入ったのですけれども、その年にアフリカの最高峰キリマンジャロに行って、2000年に南米のアコンカグアに行って、北米のマッキンリーに行って、富士山ガイドを始めて、ヨーロッパの最高峰のエルブルスというところへ行って。

この間にオーストラリアの山を登っているんですけれども、ビンソンマッシーフという南極の最高峰に登って、学校なんか全然行ってないわけですよ。最後、2002年、エベレストに登頂をして。

世界七大陸最高峰の登頂に成功

小林:ちなみに大学へ何年行っていたのですか。在籍年数は。

山田:大学の在籍年数は7年間なのですけれども、それはお昼も話しました。みんな「えっ?」って、ちょっと凍っていました。大学7年間行っていたのですけれども、2002年に、最高峰のエベレストに登って、世界七大陸最高峰の当時の世界最年少記録23歳と9日を打ち立てました。

多くのアスリートが多分そう思うように、自分自身がやり遂げたというか、自分自身がお世話になった業界に恩返ししたいというのと、自分がこれだけ楽しいのだから、もっと多くの人が楽しめるはずだと思って。登山人口をふやしたい、エベレストを登る人が増えないとしても、山登りをする人を増やしたいと思って、その後、登山ガイドをずっとやっていたんです。

2002年から2005年くらいまで登山人口を増やすためにガイドをやっていたのですけれど、ガイドを続けても、ガイドは週末しか仕事がないので。そうすると年間50週間じゃないですか。毎回20人連れて行っても1,000人、年間1,000人で残りの人生が30年か40年で3万人。

当時の登山人口が600万人で、600万人を603万人にするのが自分の人生賭けてやりたい仕事じゃないなと思って。これは何か仕組みをつくらないといけないんだろうなと思ったのですけれども、学生のときで何からやっていいかよくわからない。

そもそもガイドの仕事は楽しすぎて。要するに降りてくると「仕組みをつくらなきゃ」とか言っているのですけれども、上に上がっていると、ただ猿みたいに楽しんでいるだけとなってしまうので、これはまずいと思って、一旦社会人になろうと。

3年で辞めると決めてマッキンゼーに入社

山田:それも仕組みというかビジネスをちゃんと学べるところがいいなと思って、リクルートだったり、商社だったり、コンサルだったりとか受けて、縁があってマッキンゼーに入りました。

マッキンゼーに入っても、当然というのも変ですけれども……山登りのために入ったので、3年で辞めると思って、2006年に入って2009年に辞めて。ご存じの方もいるかもしれないですが、その2009年に北海道で12人ぐらいの方が亡くなる事故が起こったんです。

夏に遭難したんです。冬に遭難しても別に何とも思わないですけれども、夏に遭難するというのは、これはやばいなと。しかも12人。ツアー登山で行っていてというのは、これはもう仕組みの問題だなと。

要するにガイドのスキルの問題とかではなくて、そもそも業界の構造的な問題だと。そうすると、自分のやれることというのは、ようやく出てきたかなと思って、ある種呼ばれた気がして、マッキンゼーを辞めました。

そして、2010年からは登山人口の増加と安全登山の推進、この2つをミッションに登山人口を増やすというような活動をずっとやっています。

登山人口が増えない3つのボトルネック

山田:2010年、山道具レンタル屋というレンタルサービスを……サービスの話までいっていいのですね? では、次のページにいってもらえますか。レンタル屋自体は、僕はどうでもいいと思っていて……。

小林:これはマッキンゼーっぽいチャートですね。

山田:マッキンゼーっぽいチャートなんですよね。

小林:本当だ(笑)。

山田:とりあえず、登山人口を増やしたいと思ったときに、ボトルネックが3つぐらいあるなと思っていまして。情報がないのと、道具がないのと、きっかけがないのと、だと思っていて、情報というところでフリーペーパーをつくったり、コールセンターをつくったり、店舗をつくったりとかして。

例えば富士山登ったことある人どのぐらいいます? 結構いますね。屋久島行ったことある人。減りますよね。白神山地行ったことある人。知床行ったことある人。……マニアですね。

小林:めっちゃうれしそう(笑)。

山田:富士山に行くといって、例えば今4分の1ぐらい手が挙がりましたかね。この残りの4分の3の人が「この夏、富士山行きたいんです」と、どこか登山用具店とか行くじゃないですか。

もう完全に鴨がネギ背負ってきたという状態なわけです。だから、これとこれとこれが必要ですといって、それを全部そろえると8万とか9万とかするんです。ちょっと待ってください! と。富士山に登るのに15000円ぐらいのツアーで行こうと思っているときに8万円の道具買えません、という状態だった。

それを買った人しか行けなかったという時代がずっと続いていて、2010年にこれはまずいとレンタル屋を始めたというのが、今載っている中でいうと、事業としてはこれが1番立ち上がってる状態ですかね。

国土の70%を占める山地、山林からGDPを生み出す

山田:あとはきっかけというところで、僕は経営者もやっていますけれども、今でも月に1回は屋久島で20人連れてガイドをやっていて、「IVSが来週だったら出れませんよ」という話をしたと思うんですけれども(笑)。

富士山が来週開山で、今年また10本か15本は富士山に登ると思うのですが、そういうようなガイド活動もしていて、それが1番左のところ。きっかけづくりというところで、登山人口を何とかふやしたいと。

もっというと日本の国土の70%を占める山地、山林からGDPを生み出したい。そうじゃないと、この日本の国もうまく回らない、経済的にもうまく回らないと思っていて。だから自分の好きなものをただ広げたいというだけではなくて、この国の将来の形として、この国が強みになっていくものとして、山が絶対出てくると信じて活動しているという感じですかね。

小林:ありがとうございます。とても今、面白かったという人。

山田:手を挙げないとしょうがないですよね(笑)。

小林:いやいや、最高に面白かったです。ありがとうございます。あとで根掘り葉掘り聞かせていただきます。

山田:ありがとうございます。

柴田陽氏の自己紹介

小林:次は全く変わりまして、今度、硬派な感じの柴田さんにスポットライトを。柴田さんに移りたいと思います。スライドをお願いします。いいですね、コーヒーを抱えて、イケメンな感じで。

柴田陽氏(以下、柴田):これは引っ越す前のオフィスが渋谷にあって、後ろに渋谷の東急本店が見えています。私は20歳のころ、2005年ですけれども、ちょうどそちら側に座っている皆さんと同じ立場で起業したいなと思って、先輩に誘っていただいて起業をしたのですけれども。

それが、最初の起業です。あまりに楽しくて、サークルも行かなければ授業にも行かずにずっと仕事をしていて、こんなに楽しくていいのかな、だめな社会人になってしまうんじゃないかとすごく思って。修行しようと思って、厳しいとみんなが言うマッキンゼーに入社をしました。

3年くらい、色々なプロジェクトを20個ほどやらせていただいて、それはそれで楽しかったのですけれども。なので、マッキンゼーでは山田さんの1年後輩です。もうひとつマッキンゼーに入った理由があって、もう少し社会的にいい影響を与えたい、世の中をちょっとでも良くしたいなと思って。ベンチャーをやっているころは楽しいだけで全然そういったことを思えなかったので。

マッキンゼーに入って、大企業を良くすることを通じて世の中をちょっと良くしたいな、と思っていたのですけれども、ずっとやるにつけ、これは大企業がやると世の中良くなる部分もあるけれども、大企業だけではやりきれない部分があると感じて。

例えば、この山の話とかも、僕はすごく納得感があるのですけれども、そういうところは全然大企業は手が回らないですし、事業にもしないような部分なので。ただ、それで世の中すごくよくなるじゃないですか。そういったことが、自分にもできることがたくさんあるんじゃないかと思って、またスタートアップの世界に戻ってきました。それが2010年です。

マッキンゼーに初めて休職制度をつくった

柴田:自分がやりたかったビジネスがあって、エンジェル投資家みたいな方に出資していただいて。その方が「もう1個ビジネスをやりたい、俺が持っている花屋のビジネスやるからそれもやってくれ」ということで、花屋のビジネスと、自分がやりたかったバーコードを使ってスマートフォンで価格比較をするスマートフォン版の価格.comのようなサービスを2010年にローンチをしました。

2つやっている時代が1年ぐらい続いて、両方とも運よく、会社に売却することができて、これで都合3社やって2社売却したというステータスになったんです。

マッキンゼーに戻るか、もうちょっと大きいベンチャーに入るか、またそこで考えて、自分でやるか、と思ったんです。起業はすごく中毒性があって、これは1回やっちゃうと、というか3発も打っちゃったら、もう4発目を打たなくてはならなくなるんです。で「もう1回やる」と。それをやっているのが今のスポットライトという会社です。

小林:ちなみに、柴田さんはマッキンゼー史上、初めて休職という制度を使ったと。マッキンゼーに僕のパートナーの上田浩太郎という同期がいますが、たまたま仕事でインタビューを受けたときに一緒にいて、柴田君の話になり、彼は休職という制度をつくったんだという話をして、それで休職してベンチャーをやっていてと。

柴田:そうです。みんなよくMBAに行くんですよね。MBAに留学する制度があるんですけれども、MBAでいいのだったらスタートアップもいいだろう、同じぐらい成長して帰ってくるから、といって。結果帰って来なかったのですけれども……(笑)。

それでやったのが今のスポットライトという会社で、これはスマートフォンアプリの会社で小売店向けに集客を支援するサービスを提供しています。来店するだけでポイントが貯まる「来店ポイント」ができるスマートフォンサービスで、来店を検知するため、位置情報の技術として超音波というちょっと変わった方法を使ってやっています。

それを2011年に日本で初めて、こういったサービスをローンチしました。サービスを開始して大体2年半ぐらいです。

小売店向けのスマホ集客アプリ

柴田:この市場は、要するに小売店が今までチラシとか色々手配りをしたり、CMを打ったりということで集客していたのですけれども、もちろん新聞を取っている人口はどんどん減ってきますし、CMの効果もどんどん下がっていっている中で、どうしたら集客できるんだろうかと。

みんなスマートフォンをいじっている。では、スマートフォンで集客しなければいけない。そんなところに目をつけてサービスをローンチして。ポイントをフックにして集客するというサービスを提供しました。

こういった分野はすごく注目されている分野のひとつで、成長性と将来性を見込まれて楽天に売却したのが半年前です。楽天のブランドになったので、来店ポイントは楽天バージョン、楽天チェックというサービスですけれど、これは皆さんぜひダウンロードしてください。

このサービスをやって、今、楽天に雇われた経営者という立場になっています。きょうは起業の楽しさを伝える非常に気楽なセッションというところで、皆さんにもこの楽しさというものを伝えられればと思っております。よろしくお願いします。

小林:ありがとうございます。

長谷川敦弥氏の自己紹介

小林:では、最後に長谷川さんお願いします。LITALICOですね、旧ウイングル。

長谷川敦弥氏(以下、長谷川):そうです、前がウイングルで、この6月からLITALICOという会社に変わりました。

小林:すごくさわやかな写真ですね。

長谷川:ありがとうございます(笑)。1番いい写真を選ぼうと思って。僕自身、名古屋大学を卒業して、会社を創業したわけではないんです。新卒でLITALICOという会社に6年前に入社をして、1年ぐらいで社長になったという経歴です。

もともと岐阜県多治見市出身で、本当に起業とか全く関係ない環境で育ちました。将来は塾の講師とか、そういうのをやれればいいかなと思って地元で普通に生きていたのですけれども、偶然ですが、地元の個人経営の焼き肉屋さんでアルバイトをして、その焼肉屋のオーナーがめちゃめちゃ変わった人で、可能性をすごく見出しくれて……。

いきなり「敦弥君には、もしかしたら世界を変える力があるかもしれない」と言い出して。「もしかしたら、敦弥君は日本を背負って立つ人かもしれない」と言われたんです。

最初は、自分のことを信じられなかったんです。僕自身、地元で友達が全然いなかったんです。友達いなくて、ずっと、周りの先生からも友達からも嫌われていたので、大体1人だったんです。ちょっと残念な子どもだったので、自分が起業していくとか社会を変えるというのは全然信じなかったんです。

でも、焼肉屋のオーナーに「敦弥君はできる」と1年間ぐらい言われ続けて、人間は不思議なもので1年間ぐらい言われると、だんだんそんな気がしてきた、そういう感じで、今日ここに至るということです。

親には宗教にだまされていると勘違いされていた

長谷川:うちの親は、すごい安定志向なので、せっかく名古屋大学に入ったなら、一度トヨタに入ってほしいとか、1回でいいからソニーに入ってほしいみたいな話を当時されていたんです。

20歳のときに僕は世界を変える、日本を変えていくという話を親にしたら、もう完全に新興宗教にだまされていると思い込んで。「おまえな、頭のいい人ほど引っかかるんやで」と親が言い出して、つい最近までだまされていたと思っていたのですけれども……。

日経新聞はすごいすね、日経新聞に載った途端、いきなりうちの親も信用し出して、最近はかなり会社を経営していることも喜んでくれています。

入社して1年で社長になって、従業員が当時50人ぐらいだったのが今は800人ぐらいになり、ありがたいことに年間2万人ぐらいの方が新卒や中途で応募してくれている形です。

事業としては、社会的な問題の解決というところを、どう事業的にアプローチするのかという観点で取り組んでいて、障害のない社会をつくることがビジョンです。

障害者の支援をメインとしてやっていて、幼いころから障害のある子どもに、その子に合った教育、その子の得意を伸ばす教育を提供していって、最終的には就職と社会での活躍というところまでワンストップでプロデュースしていくような仕組みを、全国80カ所ぐらいで今展開しています。札幌から沖縄まであるという形です。

障害のない社会をつくる就労支援事業

長谷川:1番最初は、就労支援の事業からスタートしています。精神障害の方とか発達障害の方をメインに就職のサポートをしてきて、年間2,000人ぐらいが利用して、800人から900人ぐらいが就職するというサービスになっています。彼らは生活全般に障害がある、生きることに障害があるということで障害者というふうにくくられているんです。

働くことにも同じように障害がある。なぜ彼らに障害があるのかということを考えたときに、精神障害の人が安心して楽しく働けるような会社が今の社会にないから障害というものがあるんだと僕は思ったんです。

逆に考えたら、社会の側に、精神障害の方も安心して楽しく働けるような会社がたくさんあったら、働くことの障害というのは少なくともなくしていける。つまり障害というものは、その人にあるのではなくて社会の側にあって社会の側の障害をなくしていくことによって障害のない社会をつくっていけるというふうに考えて就労支援の事業を展開しています。

彼らの個性を理解して、彼らの得意を生かして働けるような環境を各地域でつくるということによって、今地域ごとに障害をなくすという活動をしているのですけれども、それも障害をなくす方法のひとつです。

個人にあった教育環境が社会にないことが問題

長谷川:僕らその精神障害の方にインタビューして、ひとつ気づいたことは、何で統合失調症になったのか。統合失調症とは、いわゆる幻聴が聞こえたりとか幻覚が見えたりとか、そういう病気なのですけれども、何で精神障害になったの? とインタビューしていくと、ある方が18歳ぐらいのときに発症をしましたと。

何で発症したと思う? という話をしたら、家族から暴力を振るわれて、そのストレスが積み重なって発症したと思うと。何で暴力を振るわれるようになったの? 何でそんなに家族関係が悪化したの? と聞いたら、実は自分がきっかけで、最初に自分が家族に対して暴力を振るうようになったそうなんです。

では、何で家族に暴力を振るうようになったの? と聞いていくと、小学校のころからずっと勉強がわからなかった。小学校2年生からわからない状態で、「教室の隅っこにいろ」と言われる状態が6年間7年間続いて。

かつ友達からもいじめられて、親からもお兄ちゃんとずっと比較されて、おまえはお兄ちゃんと比較してだめだと言われ続けた結果、どこかで自分の中で限界がきたんだと思う、という話をしてくれて。

今、彼は精神障害という形で障害者というレッテルを張られているわけなのですけれども、僕は、彼にとって何が障害だったのかということを考えると、彼に合った教育や家庭環境が社会の側になかったということがそもそもの障害だったのではないかなというふうに考えて、教育をやろうと決意しました。

無理して学校に行かせる必要はない

長谷川:精神障害といわれている方のうち3割から4割ぐらいは、いわゆるアスペルガーとか、ADHDとか、ちょっと変わった個性を持った方が多いというのが肌感覚としてあって、発達障害といわれているお子さんたちに合った教育がないのではないかという仮説をもとに、今オーダーメイドの幼児教室学習塾をオープンした結果、4,000人ぐらいのお子さんが3年間で集まってきたのです。

めちゃめちゃユニークなお子さんがいっぱいいて面白いんですよ。A君という男の子がいて、彼は天才ですよ。小学校1年生なんですけども、ちっちゃいおっさんみたいなんです。僕がA君に話しかけても、「ええ、ええ」みたいな感じのトーンで返ってきて(笑)。

彼が面白いのは、小学校1年生で学校に1週間だけ行って、「お母さん、僕は2度と学校には行かないと決意しました」という話を親御さんにしています。お母様の悩みは何かというと、「先生、この子は大人と話すのは得意なんですけれども、子ども同士で話ができないんです」と。そりゃそうですよね、みたいなお子さんなんです。それで、もう学校へ行くのはやめましょうということで、学校に行かせるという努力ではなく、フリースクールとして、今Leafに通ってきています。

何をやっているかというと、バッハの研究です。将来音楽家になると決めていて、バッハを知りたいと。何を知りたいのと聞くと、バッハが死ぬ直前に何を考えていたかを知りたいと言うんです。

もうめちゃめちゃ才能あふれているなと思って。学校のつまらない教科書を読んで国語を勉強するよりも、バッハの伝記とか、バッハについて研究する中で読み書きそろばんは身につけることってできると思うので、そういうことをやっていったりとか。

才能を伸ばす教育へシフトさせる必要性

長谷川:ほかにも、本当にいっぱい面白い子が来ていて、B君という子はアスペルガーの傾向があって、僕が「B君」と話しかけると大体無視されるんです。唯一話しかけられたことがあるのは「トイレどこですか」という質問だけです(笑)。

その彼もユニークです。1回、為末さん(為末大氏)に来ていただいて、陸上教室をやったんです。「B君、為末さんが走るらしいよ」と言ったら、ようやく興味を持ってくれて、B君と一緒にこうやって見るんですが、為末さんがバーと走っていって「B君どうだった?」と聞いたら「うん、動きに無駄がない」と(笑)。めっちゃユニークなんです。

そんなにユニークで、社会で大いに活躍できる才能を持っているにもかかわらず、学校の教育の中だと、あまりにも異質すぎて受け入れられてなくて、自己肯定感どんどんどんどん下げていっているんです。

自分のことも好きではないと。すごくもったいないなと思っています。彼らの社会性がないという、弱点を補完していったりとか、矯正して同じような子どもを育てるのではなくて、彼らが持ってるほかの人と違った才能をどんどん伸ばしていくような教育に、日本自体をもっとシフトさせることが必要なのではないかと思っています。

そういう観点で今、「ITものづくり教室」というのでiPhoneのアプリをつくったりとか、ゲームをつくったりとか、3Dプリンタでものづくりするような環境も渋谷でつくって。もうすごいです、学校で10分しか集中しない子が、ここだと3時間4時間集中して独創的なゲームをつくっちゃったりとか。

いかに生産性の高い人材をつくるかがカギ

長谷川:あと、面白い4歳の女の子がいて、Qremoに1回来たら「お母さん、私、Qremoがあれば幼稚園は要らない」ということで幼稚園中退しちゃった子も出たり。

本当に才能あふれる子たちが、自分の得意を伸ばすというような環境ができていて、もう日本の教育を同じような人を大量生産するという教育から、その異彩を伸ばしていったり、出る杭をがんがん伸ばしていくという教育にシフトさせないといけないと思います。

さっきGDPの話もあったと思うのですけど、そんなに人口増えませんから、いかに生産性を上げていくのかということが大事になってくると思うんです。

そういう点において、もっと付加価値を国際社会の中で出していける人材を育てようと思ったら、こういうような創造性を伸ばしたり、異彩を伸ばしたりするような教育がもっとこれから必要になると思っています。そんなような挑戦を、今うちの会社ではしています。長くなりましたが以上です。

小林:どうもありがとうございます。非常にすばらしいと思いました。僕も子どものころの話をずっと3時間ぐらい、すごく楽しくお話をさせていただきました。ありがとうございます。